青柳くんが彼女にフラれたそうです「ねえ、冬弥! 彼女が出来たってほんと?」
集合が練習開始ギリギリになりそうだと連絡を寄越したこはねを、メイコさんのカフェで待とうと決まり、それぞれがオーダーしたものが席に届いてすぐのことだった。
学校帰りに顔を合わせてからずっとソワソワしていたから、何か言いたい事があるのだと察してはいたがこんな事とは。杏からしてみればようやく飲み物も揃ったのだから満を持して……といったところなのだろう。話題的に騒ぎそうな奴らがいない時でよかった。
いつだって、こういう話に敏感なのは女子の方だ。相棒のオレすら聞いてねえのに、ネットワークどうなってんだよ。
「……白石、どこでそれを……」
「彼女さんの友達の友達からね~。って、え? ってことは本当なんだ!?」
「その気は無かったんだが、断りきれなかったんだ……」
話を振られた冬弥本人は、照れたりする訳でもなく、かと言えば嬉しそうというわけでもなく。どちらかと言えば、困惑しているらしかった。相当強引に押しきられたのだろう、顔にありありと疲労の色が浮かんでいる。
思えば中学で出会ってから約二年の間に、彼女が出来たなんて話は一度も聞かなかった。出会う前もクラシックに縛り付けられていたはずだから、冬弥にしたって初めての彼女だろうけど、全然嬉しそうじゃない。
その代わり、杏はこの話題を始めてからずっと楽しそうだ。普段はサバサバしているこいつも、一応は恋バナ好きな女子の一員だったんだとこんな所で思い知るとは。
一方のオレはこの話題に乗っかるつもりがないので、小腹を満たすという名目で注文したパンケーキを黙々と切り崩していく。
「っていうか、彰人ももうちょっと興味持ちなよ」
「あ? 何で」
「だって相棒の彼女だよ。気にならないの?」
「興味無え」
「ええっ! 私はこはねが彼氏連れてきたら、絶っっ対どんな奴か確かめなきゃ気が済まない!」
「父親か」
むん! とか言いながら杏はシャドーボクシングの構えを見せる。何をどう確かめるつもりなんだ、コイツ。
「……冬弥が選んだ奴なら心配無いだろ」
「それは……まあ、そうだけど」
しょんぼりと肩を落とす。何でお前が落ち込んでんだ。
「私だってこはねが連れてくる男のこと疑う訳じゃないけど……、一緒にいる時間が取られちゃうの嫌だよ~!」
こはねえ! なんてここには居ない相棒の名前を悲痛に呼びながら、杏が机に突っ伏す。情緒どうした。しかし、直ぐに復活して顔を上げたと思ったら、頬杖をついた。視線は冬弥へ向かっている。もしかして、この不毛な話まだ続くのか。
「冬弥は彰人といる時間が減っちゃうって思わなかったの?」
「……練習に影響は出さないから安心してくれ」
そこは彼女を優先してやれよ、とは思っても口にはしなかった。ちょっとでも反応したら、また杏のやつがうるさくなりそうだったから。
「あ、冬弥もしかしてノリ気じゃない? 付き合ってるうちに好きになるかもしれないし、ちょっと抜けるくらい気にしなくていいんだよ?」
「いや、放課後の時間は練習に充てると言ってある。相手もそれは了承してくれている」
なんて話をしたそばから、机の上に放置されていた冬弥の携帯が短く震える。
ホーム画面に、噂の彼女らしき苗字と『冬弥くんはこれから練習?』『頑張ってね!』『スタンプが送信されました』という通知が三つ、忙しなく並んだ。
冬弥は、いつもよりゆっくりとした仕草で携帯を手に取った。一応、返信をする気はあるらしい。しかし、彼女だからというよりも、届いたメッセージには返信しないといけないという義務感だろうな、これは。
「夢を応援してくれるなんていい子じゃん」
同じ画面を見てしまったらしい杏が、不思議そうに首を傾げた。果たして本当にいい子と言えるだろうか。こいつ、人当たり良すぎて警戒心が薄いところあるからな。
「ねえ、彰人もそう思わない?」
「知らねえよ」
オレはそいつのことなんて名前どころか、今日初めてその存在を知ったところだ。しかし、冬弥が断っているにも関わらず、ちゃっかり彼女の座に居座ったような奴だ。それも放課後は自由にしていいなんて当然の権利と引き換えとは、割としたたかな部類じゃないか。オレは仲良くできる気がしねえが、姑でもあるまいしとやかく口を出すのも違う気がした。
冬弥が放課後はこっちを優先するのなら、その彼女とやらは学校にいる休み時間や昼時を狙ってくるんだろう。パンケーキを一切れ、口に放り込みながら思案する。
まあ、これまでよりも冬弥と一緒にいる時間は減るだろうけど、しょうがねえな。
……と、思ってたはずだ。
「何でここに居るんだよ」
「? 彰人を迎えに来た」
昼飯を買いに購買に向かおうとクラスのドアを潜れば、当然のような顔した冬弥が廊下に立っていた。いや、何でだ。マジで。
ついいつもの癖で、席まで冬弥が迎えに来るのを待ってしまって購買に向かうのが出遅れたが、それはオレがうっかりしていただけだ。
来ないとは言われてないが、一緒に食べようと約束もしていない。てっきり彼女に捕まるもんだと思っていた。
「言いたいことはあるけど、まずは昼飯買いに行かねえと売り切れちまう」
「分かった」
冬弥はいつもの通りオレの横に並び、何を食べようなどと言いあいながら二人で並んで購買へと向かった。
「で。お前、カノジョは?」
改めて席に腰を落ち着けてからそう切り出した。空き教室の椅子の背もたれを肘置き代わりに、壁を背もたれにして並んで座る。冬弥は惣菜パンを片手に、ぱちくりと目を瞬かせる。初めて聞く単語みたいな顔してんじゃねえ。
「昼はいつも彰人と食べているからと断った」
「はぁ!?」
「俺は今までと生活を変えるつもりはないと言ったし、それでもいいと言ったのは向こうだ」
「いや、お前、それ……」
今まで通りでいいとは言っても、カノジョになったんだからって少しぐらい期待してるだろ……。顔も知らないソイツに、さすがにちょっとだけ同情した。
「彼女に気をつかって食べる昼食よりも、彰人と食べた方がおいしい」
ダメだったか? と首を傾げている。それ本気で言ってんのか。いや、冬弥のことだから天然なんだろうな。いつかどこかで引っ掛けた女に刺されやしないだろうか、と少しだけ心配になった。
「別にオレはダメではないけど、付き合ったんならちょっとは時間割いてやれば?」
別にオレとだって先約って訳じゃないんだし。冬弥が図書委員の日とかは、別々で昼食をとっていたことだってあったはずだ。
「……彰人もそんなことを言うのか」
冬弥が珍しく口を尖らせた。拗ねるなんて珍しい。そもそも、黙々と現状を受けいれがちな冬弥が、不満を口にすること事態が激レアかもしれない。それだけフラストレーションが溜まっているのだろう。
「彼女とは、相棒よりも優先しなくてはいけないものなのか?」
「そもそも、相棒って関係があんま一般的ではないけどな。普通の価値観では恋人の方が優先順位は高いんじゃねえの」
「そうか……」
冬弥は重々しく溜め息を吐く。昨日もやってたな、幸せが逃げるらしいぞと思うがツッコまない。
「カノジョになんか言われたか?」
「何も言われないが、不満があるとは感じている」
不満を向けられることしてる自覚あるのかよ。もうそこまですんなら別れりゃいいんじゃねーの、と喉まで出かかって我慢した。オレが口を突っ込むことではない、はずだ。わからない。今までも冬弥のことに口出しをしたことはあったはずだが、彼女の話題になると途端に何をどう言えばいいのか分からなくなる。
「ただ、彼女の願うことは俺のしたいこととは両立出来ないことだ。悪いとは思うんだが、彼女に割く時間を惜しいと感じてしまうんだ」
顰めっ面の冬弥が、オレの肩に頭を預けてきた。
「……俺はただ、彰人と居たいだけなのに」
冬弥がもう一度小さく溜息を零す。現状に納得いってなさそうな声だった。
なんの慰めにもならないだろうけど、オレには頭を撫でてやるしか出来なかった。
そんなことがあってから、二週間。
話を聞いただけのこはねですら、「青柳くん、彼女さんとの時間も作ってあげてる?」と心配するほど、オレ達の生活には変化がなかった。
オレの把握する限りでは一度、放課後一緒に帰っていたくらいか。それも、オレがサッカー部の助っ人で遅くなるから先に帰っていろと言い渡した日だった。
そして今度はオレが教室に一人、図書委員で遅れる冬弥を待っている。どうやって時間を潰すか考えていると、ガラリと戸が開いて誰かが入ってきた。
多分朝にヘアアイロンを当てたんだろう、アッシュっぽいブラウンのゆるっとした巻き毛の女子だ。どこかで見た覚えがあるけど誰だっけ。とりあえず、よそ行きの笑顔を貼り付けて迎え入れる。
「いた、東雲くん」
「……あ、キミ、冬弥の」
「はい、彼女です。知ってたんですね」
自分の名前を呼ばれて、ようやく冬弥と並んで帰っていた後ろ姿を思い出す。やたらと彼女、を強調してきた女の目は明らかな敵意を隠しもしない。ニコリと浮かべていた人好きのする仮面を、今にも剥がしたくなる衝動を抑える。
「あなたと話をしたくて」
「オレと?」
この場合の話っていうのは良いもんじゃねえな。ストリートで色んな〝お話〟をされてきたから、ピンときてしまった。何より、こちらに向けられる濁った目が同じだ。
「冬弥くんを自由にしてくれませんか」
「自由にって?」
「だって、いつ誘ってもあなたとの予定ばっかり。冬弥くんのこと拘束してるって自覚あります?」
さっそく自分の都合ばかりを話す女に、吊り上げていた口角が引き攣る。これで本当に冬弥のことを想っての糾弾なら甘んじて受けようか、という殊勝な気持ちが一気に霧散した。この場にいても喧嘩に発展する予感しかしないから、もうすでに帰りたい。チラっと教室の時計をチェックするが、図書委員の仕事終わりまではまだまだかかりそうだ。
「歌の練習だって無理やり予定詰めてるんじゃないですか? 毎日、毎日……練習休みの日も、彰人といるからっておかしいじゃないですか。もっと他のことだってしたいはずなのに、あなたが無理やり連れ回してるんでしょう」
こっちの話を聞くつもりなんてちっとも無い女は、勝手な理論を早口で捲し立ててくる。その目は嫉妬に満ちていた。ダルいな、と正直な感想が頭をよぎる。オレは今ちゃんと笑顔を作れているだろうか。
「冬弥くんはインドア派なんです。本当はゆっくり読書したりするのが好きな人なのに、あなたなんかが無理矢理いやがる冬弥くんの時間を独占するから……っ」
ぷつり。
聞き流そうかと思った矢先に、そんなに丈夫でもない堪忍袋の緒が切れた音がした。そもそも、大人しく言われっぱなしにされる義理はない。
冬弥がオレから離れていこうとした時、どれだけの覚悟を持っていたかもう知っている。その覚悟を覆して今も隣に在り続けてくれているのが、色んな人に助けられた結果の、奇跡のような出来事だってことも。
それを、何も知らないこの女に否定される謂れはない。
「……黙って聞いてりゃ、好き勝手決めつけるじゃねえか」
「え、……っ?」
「オレはアイツに無理強いしたことなんて一度もねえ。冬弥がオレと居るのは、冬弥がオレと居てえからだ」
「そ……そんなわけ」
「ねえって思いたいよな? でも残念でした。冬弥が選んだのは、お前じゃなくてオレだから」
「~~っ、はあ!? なんなの、この、ホモ野郎!」
言い返されるなんて思っても見なかったのか、涙を浮かべた顔でひと睨みを寄越すが、ストリートのガラ悪い連中に比べれば小動物のようだ。やっぱりロクな女じゃなかったな。鼻で笑ったオレに対して口悪く吐き捨てると、女は返事も聞かずに教室から走り去ってしまった。勝った。
……、勝ったじゃねえんだよな。溜飲が下がるような優越感が、手のひら返しで自己嫌悪に取って代わる。その場にしゃがみこんだ。
「~~~~……」
やっちまったと思うが、やってしまったことは取り返しがつかない。あの女、ヒスったまま冬弥に変なこと吹き込んだりしないといいんだけど。
お生憎とオレは心身ともにノーダメージだった。そもそも嫉妬って劣っているヤツが劣等感からするものだし、態度のせいか昔から絡まれやすかったこともあって、この程度の言い合いは慣れていた。何より、絵名みたいに何かを投げたり引っ掻いたりしなかったので、むしろ可愛いくらいだ。
もうちょっと冷静に対応出来ると思ってたんだけどな。ままならない自分に呆れて、後頭部をガシガシを掻く。
このまま教室に居ても深みにハマるな。と結論付け帰り支度の整ったリュックを背負い、図書室へと向かう。
扉を開けてみれば、まだ当番の途中だった冬弥が誰かが入室してきた気配に気がついたらしく、目が合った。
「……彰人? 教室で待っているんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど、なんつーか、お前の顔が見たくなって」
「俺の顔よりも宿題を見たらどうだ」
「げ。勘弁しろよ」
放課後の図書室はそこそこ利用者がいた。机に向かっていたり、何か探しているようだったり様々だ。喋っているのなんかオレたちだけなので、ヒソヒソと声を低くする。
「……ここにはカノジョ、来ねえの?」
「前の当番の時は来たな。ずっと話しかけて来たから、図書室はそういう所ではないから控えてほしいと頼んだら帰ってしまった」
「ふうん。そう」
「それがどうか……」
言いかけた所で、カウンター近くに生徒がやって来ているのを見つけたらしい。手で追い払うようにすれば、真面目な冬弥は短い謝罪を置いて仕事へと戻って行った。
あの脈ナシ女が、逆ギレかまして図書館に突撃してきていなかったようで何よりだった。懸念が一つ晴れ、ホッと一息つく。
なかなか訪れる機会の無い図書室をぐるりと見渡す。読書スペースの机はよく日が当たりそうで、居眠りには最適そうだ。なにより、カウンターの中の冬弥の仕事ぶりもよく観察できそうだった。
オレは冬弥の委員会が終わるまでの過ごし方を決めると、その席まで欠伸を噛み殺しながら歩みを進めた。
それから少しして、冬弥はその女と別れた。
冬弥は憑き物が落ちたようなスッキリとした顔で、フラれた、と報告してきた。杏とこはねには次の練習で伝えるつもりのようだ。
最終的なきっかけは、向こうが繋ごうと触れてきた手を振り払ってしまったことだったらしい。
「一ヶ月持たなかったな」
「ああ、やはり最初にもっと強く断っておくべきだった」
「断りきれなかったくせに?」
「そうだな。次からは俺には彰人が居るから付き合えないと言う」
「……それは、どうなんだ?」
なんかその表現は語弊がすごい。まるでオレたちが付き合っていると誤解を招きそうだ。
「彰人が嫌ならやめる。ただ、こんなにも長い時間を割いて共に過ごすのは彰人とでなければ無理だ」
「……お前のことだから、嘘じゃねえんだろうけど」
相棒としては誇らしいことを言ってもらったんだろうけど、なんかこう、もうちょっと、そう、プロポーズ、みたいな……。
なんて考えていたら、そっと手を取られる。この流れでそれされんの、ちょっと怖いんだけど。
「嘘じゃない。こうして触れ合うのも、彰人がいい。俺は彰人とでなければいやだ。彼女と付き合ってみて、ようやく気がついた」
「は、……」
思わず息を呑んだ。みたいっていうか、これは。よく考えなくても、冬弥が言っているのはそういうことだ。
「彰人はどうだ? いつか、俺以外の誰かを優先したり、こうやって触れ合ったり出来るのか?」
「オ、レは……」
言葉につまる。冬弥以外の奴とこういうことができるか?
例えば、一緒にカフェに行ったり、一緒に昼を食べたり、手を繋いだり、四六時中一緒に過ごしたり。冬弥じゃない、他の誰かと。
「……オレも、冬弥じゃなきゃ無理、かも」
カチリとピースがハマった音がする。目を合わせた冬弥が、これ以上なく嬉しそうに微笑む。くそ、可愛い顔しやがって。オレはなんかめちゃくちゃ恥ずかしい事を言った気がして、頬が赤くなってきた気がするのに。
すっ、と顔に影が落ちたと思ったら目の前に冬弥の顔がある。今までライブの時だってこんなに近かったことは無いのに。思わず目を見開く。
「え、」
ちゅ、っと可愛らしい音がして、唇に柔らかいものが触れた。一瞬遅れて自分が何をされたんだか理解して、さっきの比じゃない程に顔に熱が集まる。もう自分の顔を見せられねえ。動揺で手も声も震える。
「……手、がはえーよ……」
「すまない、彰人がかわいくて、つい」
「かわいくねえ」
し、ついじゃねえんだよ。ところ構わずしようとしてきたら今後は殴り飛ばすしかない。さすがにそんなことはしないと信じたいけど。
「彰人となら、こういうこともしたくなるんだな」
「そんな他人事みたいに……」
「自分でも初めての感覚なんだ。やっぱり他の人では代わりにならないとよく理解できた」
「そいつは良かったな……」
「……嫌だったか?」
「…………、嫌とは言ってねえ」
「そうか。良かった」
急転直下、いったい何でこんなことになったんだ。
それでもホケホケと呑気に笑う冬弥が幸せそうで、繋いだ手も暖かくて。
「彰人、俺と恋人としても付き合ってくれ」
だから、もういいか。オレも難しく考えるのはやめにしよう。
「当然!」
さっきのお返しに、オレの方からも冬弥の唇を奪ってやった。