原稿4「そう言えば、ボス……あなたに決まったお相手はいらっしゃるんですか?」
今日の主役である男の一人が、隣のスツールに座った。慌てて体を起こし、ジョルノ・ジョバァーナは柔らかい笑みを浮かべた。大体の者たちはこの笑みを浮べると、ジョルノを無邪気な少年だと思いたがる。庇護の手を差し伸べ、甘やかそうとする。
「え? 何のことでしょうか?」
唐突な質問に軽く困惑の表情を浮かべる。赤い髪の男はジョルノの耳元で囁いた。
「恋人や婚約者がいるか――ということですが……」
「どうぞ」
空のグラスを灯りに翳すと、目の前に新しいワイングラスが置かれた。これで何杯目だろうか。失言をする前に帰った方がいいのだろうか。グラスを置いたソムリエが、ジョルノの様子を伺っているようだ。小さなクリスタルのグラスに入ったチェイサーが、カウンターにそっと置かれた。口に含むと炭酸の刺激が口に広がる。
「失礼致しました、ドン・パッショーネ。私は、エミリオ・ルカーノと申します。ルカーノ・ファミリーの時期ボス――の予定です。実は私の妹が最近恋人と別れましてね。その理由が、あなたらしいんです」
「え? ぼくですか?」
ジョルノが軽く首を傾げると、輝く金髪がふわりと揺れる。赤毛の男が目を見開いた。
「ぼくは――あなたもご存知かと思いますが、十五歳です。婚約なんてしている訳がない」
ハハっと乾いた笑い声を上げるが、赤毛のルカーノは真剣な表情のままだ。
「いや、父の商談に同行してネアポリスに行った妹が、ホテルで偶然あなたを見つけたらしいんです。天使のように美しかったと騒いでいました。帰宅した翌日には恋人と破局ですよ」
男は手にしたグラスから、白ワインを一口飲んだ。間接照明が柔らかく男の髪を照らす。綺麗な赤い髪が燃え立つ炎のようだ。マホガニーの一枚板で出来ているカウンターに置かれた赤ワインのグラスを手に取った。このワインの蘊蓄なんて、とうに忘れた。
赤毛のルカーノの視線が熱い。
「その、あなたの妹さんの……恋人との破局が何だっていうんです?」
「いえ、妹の言いたいことは、私にも理解出来る――そう思いまして」
遠回しに言われる言葉の意味が、全く理解出来ない。最近、ジョルノ・ジョバァーナの周囲で、頻回に囁かれる言葉がある。即ち恋人はいるか。決まった相手はいるか。
「ぼくは忙しいんです。そんな、恋人なんて作る時間なんて……」
あるわけがないという言葉は、口から出せずに消えてしまった。
「では、一夜のロマンスを求めるタイプですか? ――だったら、私が立候補しても構いませんね?」
食い付き気味に言われた言葉に、緑色の瞳は見開かれる。この男は何が言いたいのだろうか。ジョルノの倍は生きていそうなこの人物が、ワンナイトラブを求めているらしい。だったら、その相手を用意するのも接待の一部なのだろうか。
「一夜のロマンスをご希望で? では、貴方の部屋に美しいレディをお送りしましょうか?」
レディを強調しながら、ジョルノは男の顔を見上げる。ギャングのボスともなれば、高級娼婦を持つ仲介業者も配下に持っている。取引相手の好む美しいレディはどんなタイプなのだろうか。
「へえ、美しいレディを紹介してくださると? では、若くて美しい……髪は輝くようなブロンドで、瞳は新緑のように輝くヴェルデ……年は十五歳……」
ジョルノの配下である男が管理する高級娼婦たちは、一般のお嬢さん方と紛らわしいために、レディと呼ばれている。この男も一夜の夢を求めているらしいが、相手の条件が具体的過ぎて何だか戸惑ってしまう。第一、十五歳の娼婦なんてどの娼館にもいないだろう。未成年淫行になりかねない。
歌うように耳元で囁かれる言葉に、ジョルノ・ジョバァーナは反応出来ずに天井を仰ぐ。この男は何が言いたいのだろうか。わかっている気もするが、わかりたくもない。
「ルカーノさん、ソムリエがあなたを探していましたよ。一九九〇年のトスカーナの赤ワインをワインセラーから探し出してきたようです」
「九〇年の赤ワイン……確か、当たり年だった筈です」
赤毛の男は顔を綻ばせスツールから立ち上がった。赤ワインのボトルを掲げるソムリエへと、ルカーノはゆっくり歩いて行く。ジョルノ・ジョバァーナに名残惜しそうな視線を絡めながら――。
「なあ、うちのボスは何であんなつまらん男に口説かれてるんだ? ちょっと、スキがあるんじゃあないのか?」
隣の空いたスツールに座ったナンバーツーは、容赦ない言葉を少年に浴びせかけた。口説かれるジョルノに非はない。あるとすれば、この容姿だけだろう。もっとも、望んでこの容姿になった訳ではない。
アルコールの回った頭では、この幹部を論破出来るだけの言葉が浮かんで来ない。口説く男を攻めずに、口説かれたボスを攻めるのは間違っているだろう。
「あんたたちが、ボスの護衛をサボるからじゃあないのか? ぼくだって、仕事だから我慢してるんだ。口説かれるなら、男よりも綺麗な女の方がずっと楽しいのに」
隣に座った男に冷たい言葉を投げながら、少年は少しだけ残った理性を掻き集める。こんな言葉をアバッキオに聞かれたら、ガキみたいだと思われるだろう。いや。ミスタに聞かれたら、絶対に揶揄われる。
ジョルノ・ジョバァーナよりも年長者揃いの側近たちは、年若いボスには容赦がない。確かに経験も知識も幹部としての胆力も、彼らの方が一枚も二枚も上手だ。まあ、ナランチャはジョルノとともに、庇護対象と思われているのだろう。いや、ナランチャだってわからない。彼の方が経験が豊かな可能性だってあるだろう。
スツールから立ち上がったブチャラティは、携帯電話を取りだし誰かと話し始めた。ジョルノに背を向けると、小声で会話を続けている。
「――ああ、では頼んだ――」
そう言いながら、男は振り向き当然のようにスツールに座る。会話を終えた携帯電話は、上着のポケットに放り込まれた。ボスの隣に座るのに、許可を得る気もないのだろう。大きな手が、ジョルノの目の前にあるワイングラスを攫って行った。
「あ……ぼくのワイン……」
飲みかけの赤ワインはそのまま飲み干されてしまった。
「ブチャラティ、酷いですよ。あんたも喉が渇いているんなら、ワインを頼めばいいっじゃないか」
「ああ、そうだな」
男は片手を上げて、店員を呼ぶ。小声で何かを言われて、年若い店員は奥へと消えていった。隣に座るブチャラティは、ソムリエの差し出した赤ワインを口に含む。
黒髪が柔らかい光を受けて、静かに輝いて見える。まるで美しい月を抱いた夜空のようだ。そんな言葉が、酔った少年の頭に浮かんだ。口にすれば、多分笑われるだろう。ジョルノはそっと目を逸らす。店内の幾つものテーブルには、赤毛のルカーノの配下の者やパッショーネの者が入り乱れてワインを楽しんでいる。男ばかりの空間は居心地がよいのだろう。笑い声が穏やかな店内に満ちている。