『桜は未だ散らぬまま』蓮とぽんちゃんは仲がいい。シェアハウスで生活していた頃はみんなで世話をしてたけど、それでもぽんちゃんにとって蓮は特別だったように思う。本当の飼い主という意味でも、今も一緒に暮らしている二人の絆が本物なのは疑いようがない。側から見ていても、その仲良しぶりはとても微笑ましい。
「……それは分かるんだけど、でもさ、ちょっと思っちまうんだよな」
グラスに残った日本酒を飲み干してカツン、と軽く音を立ててテーブルに置いて、俺はため息混じりにぼやいた。
「何をだ」
「蓮がぽんちゃんとソファでうたた寝してたりとかさ、シャンプーしたてでふわふわのぽんちゃんに頬擦りしてるのとかさ、すげー可愛いんだよ」
その姿を思い浮かべると、思わず顔がにやけてしまいそうになるほどには可愛いのだ。
「はいはい。惚気話はいいから本題は」
「何だよつれねえな」
俺の幸せを噛み締める時間をばっさり切り捨てて、航海は呆れた顔で続きを促してくる。凛生も催促はしないが、心なしか視線が生暖かいものに変わってきている気がした。
「だからな、……何だっけ。ああそうだ、そんな蓮とぽんちゃんをさ、最初は純粋に微笑ましく見てたんだよ。けど、ああ悪い」
無意識に目の前に置いたグラスを掴むと、凛生が気を利かせて酒を注いでくれた。そういうつもりじゃなかったけど、ありがたく注がれたばかりの日本酒を一口煽る。そうして感嘆とも憂いとも取れる溜息を零して、ぽつりと呟く。
「……何で今、蓮の隣にいるのが俺じゃねえんだろうって、思う事が増えてきてさ」
「うわあ……」
「珍しいな、五稜がこんなに酔うとは」
テーブルを挟んだ向いに並んで座る航海と凛生は、各々感じたままの感情を声にしていた。その反応は何だよ航海、こっちは真剣なのに。
「え、それはつまり、ぽんちゃんに嫉妬してるってこと?」
「いやちげえよ!?ん?違くないのか……?」
「五稜が今言ったことをそのまま訳すと、ぽんちゃんではなく五稜が七星と添い寝をしたり抱き合ったりしたいという事になるが」
「ぶっ!?ゲホッ……!」
いつも通りの低くて落ち着いた声音で凛生がとんでもない事を言い出して、思わず飲みかけていた日本酒を噴き出しそうになる。いや、ちょっと出た。
「んな……っ何言い出すんだよ凛生!」
「そう解釈できる事を先に言ったのは五稜だぞ」
「ユウ、欲求不満なの?」
「そ、んな……事はねえけど」
お猪口を傾けて冷酒を味わう姿が、やけに様になる航海にそんなことを聞かれてつい口籠る。
不満はない。それは間違いない。毎日満たされているとも思う。ぽんちゃんが羨ましいと思う事はあるけど、俺だって蓮とその、恋人らしい事は沢山できている。じゃあ何でぽんちゃんにやきもちを焼くような事を?…まで考えて、急によく分からなくなってきた。
腕を組み、急に黙り込んで考え出した俺を暫く見つめていた航海と凛生は、一度だけ目を合わせたかと思えば急に笑い出した。
「……ふ、ふふ。人間てどこまでも欲深くなるものだね」
「幸せそうで何よりだな」
「うん。そこはちょっと安心した」
「へ?な、何だよ」
納得しているのは二人だけで、俺にはさっぱり意味が分からない。情けない顔になっている自覚はありつつ、俺は正直に教えてくれと二人に頼み込んでいた。
「ユウはさ、蓮と付き合い始めてから……いや前からかな、ずっと我慢してただろ」
「………」
「気を遣いすぎて無理に感情を押し殺しているようにも見えたな」
そんな風に見えていたのだろうか。自覚はなかった。
「だからなんていうか、もどかしかったんだよね。蓮だってちゃんとユウの事好きなんだから、そんなに慎重にならなくていいのにって」
「的場に言われたら世話ないな」
「煩いな。まあ、だからさ、ユウが蓮と一緒に暮らし始めてちゃんと満たされてる上で、もっと欲しがってるのが分かって正直安心した」
横やりを入れてきた凛生を軽く小突きながら、航海は柔らかく笑ってそんな事を言う。
「ユウって普段は何とかなる!って突っ走るくせにさ、自分の事になると途端に我慢しだすよな」
「昔に比べたら大分変わったがな。それでも気を遣いすぎる癖はなかなか直らなかったが、もう大丈夫そうだな」
いつの間にか店員を呼んで、持ってきてもらったお冷のグラスを差し出しながら凛生は笑う。航海も頬杖をついて俺を見つめながら、まるで保護者みたいな目で笑っていた。
俺はそんな二人の視線を受けながら、冷たい水が並々注がれたグラスを両手で持ち、一気に飲み干した後そっと両手で顔を覆った。
「………俺もしかして、すげー恥ずかしい事言った……?」
「ふふ、今更気付いた?」
「何だ、少し酔いが醒めたか?もう少し眺めていたかったんだが」
「うわー……もっかい酔いてえ……」
──久しぶりに飲み明かしたくて、都合がつくからと付き合ってくれた二人と楽しく酒を飲みながら、ほんの少しだけ心につっかえていた気持ちを吐き出すだけのつもりだったのに。
気付けばいつになく酒が回っていたようで、俺を見て微笑む二人の視線が居た堪れなくて恥ずかしいのに、悔しい事に心のつかえは綺麗になくなっていた。