たったひとつの ああ、なんだってこんなことになっている。
オベロン・ヴォーティガーンはいつもの王子様フェイスをかなぐり捨て、家から駅までの道を全力疾走していた。手には可愛らしいフェルトのお守り。バレー部のエースである幼馴染を模した人形で、もうひとりの幼馴染が彼女を想って作ったものだ。彼女曰く、「これがあるとないとじゃ調子が全ッ然違うんだよ〜」とのことだった。実際、今日の彼女はいつもより調子が悪く、一度負傷している。
まったく、その時点で今日は諦めればいいものを。
しかし彼女の諦めの悪さを彼はイヤというほど知っている。応急処置を受けた後、再びコートに戻って来た時の彼らの表情と言ったら!
一向に調子が良くならない彼女を見るのも、そんな彼女を見て泣きそうな顔をするもうひとりの幼馴染を見るのも飽きた。だから彼は今、たったひとつのラッキーチャームを握りしめ、全力疾走しているのだ。
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「立香、今日も朝練お疲れ様! はい、これポカリね。水分補給は大事だぞぅ!」
「ありがとうアルトリア。……はー、冷たくておいしい」
「いやー、腰に手を当ててごくごく喉を鳴らして飲んで行く様はどこのおっさんだい?」
「おっさん言うな。もう、朝練後のこの一杯は格別なの」
藤丸立香は女子バレー部のエースである。今日も今日とて今週末に控えた試合に向けて、朝練をこなしていた。そんな彼女にタオルとスポーツドリンクを手渡しているのは、アルトリア・キャスターとオベロン・ヴォーティガーン。
彼らは幼馴染で、「通学は三人一緒に」が小学校の頃からの暗黙の了解。
それは立香が朝練の日でも変わらない。体育館の前で一旦別れ、立香の朝練が終わる時間になると、タオルとスポーツドリンクを手渡すために体育館に現れる。
先に述べたように、藤丸立香は女バレのエースだ。故にマネージャー以外にも彼女に憧れる生徒たちから、毎朝タオルとスポーツドリンクのセットを貰う。最初は「わたしに、いいの?」などと言っていたが、その内「ごめん……流石に使い切れない……かな」と苦笑いで返事するようになっていたのを見て、二人はチャンスだと思った。
「立香、じつはスポーツドリンクの配合にこだわりがあるんです。それからタオルにも。それができるのはわたしたちだけですから!」
アルトリアが自信満々に言えば、周りの生徒たちはそそくさと身を引いていった。
今ではからかい半分に「立香ちゃん専用のマネさん」と呼ばれることもあった。
「むう。立香のカッコよさがまた広まってしまうのはちょっと……いえ、かなりイヤなのですが。でも、わたしたちの立香はそれぐらい凄いってことだもんね!」
「ふふ、褒めてくれてありがとう。練習、もっともーっと頑張らなくちゃね」
「まったく……無理した挙句、怪我して出場不可とかバカみたいなことするなよ」
とにかく立香をねぎらうアルトリア、ますます練習に熱が入る立香、立香への心配が隠しきれないオベロン。——試合前、よくある朝の一コマだ。
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教室に着くと、立香は髪の毛を結び直すために、ポーチから櫛を出した。その際にポーチの口からころん、と出てきたフェルトの人形に、アルトリアの目は引きつけられた。
「むー……」
「どうしたの、アルトリア?」
「立香のお守りを作り直したい……」
「は?」
アルトリアのいう「お守り」は中学の頃、新人戦に挑む立香に二人がプレゼントした、手作りのお守りのことだ。
最初、アルトリアの提案に、オベロンは乗り気ではなかった。……が、まあ色々とあって結局、それぞれ一つずつ作り、試合の前日、立香に手渡したのだった。
——これを、わたしのために? ……ありがとう、ふたりとも! わたし、頑張るよ。ふたりの応援に応えられるようにも、絶対勝つね。
——本当にありがとう。ふたりのおかげだよ。
立香は二人からの贈り物にいたく喜び、新人戦では見事な活躍で部の勝利に貢献した。その後も、立香はお守りを大切にし、試合の時だけでなく、どこに行くにも必ず持ち歩いている。
だがそのお守りも今年で製造から三年目。ちらっと見ただけでも分かるくらいには、綻びや汚れが目立つようになってきた。
ずっと大事にしてくれているのは嬉しいが、そろそろ新しいものを作りたい。それがアルトリアの気持ちだった。
オベロンに教えてもらったとはいえ、まだ裁縫に不慣れな頃に作ったもの。耐久性に難があったり、縫製も少し荒い。それもあって、立香に新しいものを贈りたい、と思ったのだが。
「作り直す? 中学の頃に作ってくれたのがあるじゃない。もうわたし、この二つがないと試合で思うように動けない気がするんだよねぇ」
立香がフェルトでできた、自分をかたどったふたつの人形を愛おしそうに撫でる。——自分が作ったものをそこまで大事にしてくれるなんて。
(嬉しいけど、けどーーー!)
「なんだ、そんなことか」
実はついさっきまで、嬉しそうな表情を取り繕うのに必死だったオベロンが調子を取り戻し、口を挟んだ。
「そんなことってなんだー!」
「そりゃあこいつは新しいのを作るって言っても聞かないだろ」
「そうだけど……でも」
「ありがとうアルトリア。わたしに新しいものを、っていうその気持ちはすっごく嬉しいよ。でも、わたしはまだこの子を大切にしたいな。今も、この子を作った時も、応援してくれてる気持ちは変わらないでしょう?」
いきなり投下された爆弾に、真っ赤になったアルトリアは、「ずるい」のひとことも言えず、口をぱくぱくさせるしかなかった。
「……うわ出た。きみ、ほんっとそういうところだよ」
オベロンも何とも言えない顔をしている。二人の反応を見た立香が慌てて口を開く。
「え、なんかダメだった? え、ごめんアルトリア! いや、あのね? 嫌とかじゃなくて、本当にわたしは」
「わかってる! オベロンの言う通り、立香がその、本当に大切にしてくれてるのは、わかってる。だから、せめて……修理する、っていうのは、どう?」
「修理?」
「そう。ほつれてるところを縫い直したりとか、汚れを落としたりとか。それくらいは、させてほしいな」
立香の「まだこの子を大切にしたいな」という気持ちを汲んだ上での提案。アルトリアは立香のことになるとちょっぴり押しが強いところもあるけれど、彼女のことを深く思いやっているのもまた事実なのだ。
「……うん。そしたら、お言葉に甘えちゃおうかな」
立香はお願いします、とアルトリアにフェルトの人形を手渡した。
●
——そして、試合当日。
流石に試合に出場する側と応援する側では集合場所も時間も違いすぎるので、今日は別行動を取っていた。
「うー……予想以上に時間かかっちゃったから昨日までに渡せなかったけど、休憩時間とかに渡せるかなぁ……」
前回のほぼゼロからのスタートとは違って、少しは経験を積んだ訳だし、修理するだけだからぱぱっと終わるだろう。と、思っていたのだが。これが大誤算。やはりまだ不慣れだし、三年も経つと作りが甘いゆえのボロがかなり出てきていた。加えて、一つ直すと気になるところが次から次へと出てくる。オベロンに再び教えを請いつつ、なんとか仕上げることができたのは昨日の夜。
ほつれていた場所や縫い目ががゆるんでいた場所をしっかり縫い直し、汚れを落としたおかげで全体のトーンが明るくなった。アルトリア自身も出来映えに満足し、あとは渡すだけ——の、はずだった。
カバンをガサゴソと漁るアルトリアの顔から、血の気がさーっと引いていく。
「……ない」
「は?」
「ど、どうしようオベロン……わたし、お守りを机の上に置いたままだ……」
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「はぁああああああ……。まっっっっったくきみは! どうしてこういう時に限って持ち物チェックを怠るかなぁ! おてんば娘にも程がある!」
「忘れないようにって机の上に置いといたのが裏目に出ちゃったんだ、うぅ……本当にどうしよう」
応援席の隅の方、特大のため息をつく美少年と泣きじゃくる美少女。会話の内容までは体育館内の喧騒に消されて聞きとれない。周囲の人は一体何があったのかと訝しみながら席につく。
もうすぐ休憩時間。およそ一時間の休憩時間が終われば、試合が始まってしまう。
(せっかく修理したけど、これはもう……)
「立香ッ!」
半ば諦めムードだったアルトリアとオベロンの耳に入ってきたのは、バレー部員の叫び声。声のした方を見ると——立香が負傷したようだった。
「あいつも無理するなって言ったのに……」
オベロンが舌打ちをする。さっき遠目に見た彼女は調子が悪そうで、二人は心配していたのだ。
こうなると、彼が先日言ったように、もしかしたら出場できなくなる可能性もある。というか、仮にここでまた無理を重ねて、取り返しのつかない事態になってしまったら。オベロンとアルトリアの心配は加速していく。
しかし、二人の更なる心配をよそに、立香は応急処置を終えたのか、コートに出てきた。
「は!?」
「りつか……?」
駆け寄ってきた仲間たちを安心させようと、笑顔でサムズアップをする立香。本調子じゃない上に怪我までして、それなのに試合に出続けようとしている。
「……そうだよね。立香はそうするよね。うん」
「ほんっと、見てられないよ」
「でも、わたしたちは、そんなところも」
——すき、なんだ。
正直また怪我をしたらと思うと気が気じゃないし、今の怪我が悪化したらどうするんだという気持ちもある。けれど。二人がここから大声を出して止めたって、コートに乗り込んだってきっと、いや絶対、彼女は試合に出るだろう。彼女の強情さはどうにもできないということは、保育園の頃からよーく知っているし、そんなところを含めて彼女だし、そんなところもすきなのだ。
ではそんな彼女のために自分たちは何ができるか。立香を見つめる二人の脳内に、いつか見た彼女の笑顔が浮かび上がってきた。
——これがあるとないとじゃ調子が全ッ然違うんだよ〜。
二人同時にはっとして、それからお互い顔を見合わせる。
「……オベロン。やっぱりわたし、取りに——」
「いや、いい。俺が行く。お前はここで立香を信じてろ」
「でも! オベロンだって立香を」
「俺の方が脚が長いから少しでも早く行って帰って来れるし、きみみたいなドジも働かないね。だからといって二人ともいなくなるのはあいつが気づいたら不安に思うかもしれないだろ? そしたらまた怪我するかもしれない」
「……わかりました。わたしは、オベロンのことも信じてるから」
「……あと、これ。俺も、まだ立香に渡せてなかったから。片方だけでもあればまだマシだと思って」
オベロンが投げたのはアルトリアが作ったものと同じようなフェルトの人形。
(そういえばオベロンも立香から預かってたんだっけ)
教えてもらった時に、オベロンも手を動かしていたことを思い出す。
顔を上げ、オベロンの背が遠ざかっていくのを見届けると、アルトリアは立香がいるコートの方に向き直った。
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そんなわけで、リニューアルされたお守りをアルトリア宅の机の上から無事に入手したオベロンは、運良く快速運転の電車に乗り込み、呼吸を整えていた。
「ぜー、ぜー……はー……」
こんなに走ったのはいつぶりか。体育祭の百メートル走でもここまで本気になったことはない。
スマートフォンの画面を見ると、試合が開始されてから数分が経っていた。到着する頃には、一セット目がギリギリ終わるか終わらないか、というところか。
(俺をここまで動かしたんだからには、勝ってもらわないとね)
電車のアナウンスが次に止まる駅名を告げる。会場の最寄駅まで、あと少し。
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「藤丸さん、調子悪いのかな」
「さっきも怪我してたよね。大丈夫かなぁ」
一セット目がもうそろそろ終わろうとしている。周りの人たちも気づき始めたように、相変わらず立香の調子はあまり良くないままだった。相手に大きく差をつけられており、厳しい戦いを強いられている状態だ。
「立香がんばれー!……もうすぐ、もうすぐだから」
アルトリアが懸命に応援する中、けたたましいホイッスルの音が鳴り響く。結局、差を埋められないまま、一セット目は終了を迎えた。コートの外で汗をぬぐっている立香はなんてことないように見えるが、アルトリアには分かる。
(立香、少し焦ってる……)
不安そうなアルトリアの肩が、ぽんと叩かれる。
「……お待たせ、アルトリア」
「オベロン!」
アルトリアが振り向くと、そこには肩で息をするオベロンがいた。手にはアルトリアが修理したあのお守りがあった。
「はー、はー……きみ、本当に机の上に置き忘れてきたんだな」
「……っ、本当にありがとうございます、オベロン……」
オベロンの手からお守りを受け取ると、アルトリアは泣きそうになりながら、大切に握りしめる。
「ほら、これからが本番なのに泣きそうになってどうすんの? あいつ応援するどころじゃなくなるんじゃない?」
「……! そうです! これさえあれば、立香は無敵です。さあ、オベロンもせっかく綺麗にしたんだから、持って!」
「え、俺は」
タイムリミットまであと三十秒。アルトリアは思いっきり息を吸って、できる限りの大声で彼女の名を呼んだ。
「立香!」
自分の名前をいきなり大声で呼ばれた立香は、一瞬身体をびくりとさせ、アルトリアの声がする方を向いた。幼馴染ふたりの手にあるのは、あのお守り。中学の頃からずっと自分を支えてくれている、ふたりの思いがこもったフェルトの人形。
(……うん。あれがあれば、負ける気がしない。ううん、負けられない。絶対に、勝つ!)
「よし!」
頬をぴしゃりと叩き、自分に喝を入れる。——そして、幼馴染ふたりに向かって満面の笑みでVサイン。
(見ててよ。絶対、勝ってみせるから)
声には出さなかったけど、きっと二人には伝わっているだろう。昔からやたら勘がいいのだ。
それから間もなくして、インターバル終了の合図が鳴らされた。
●
「いやぁ〜二人のおかげで勝てたよ! 本当にありがとう!」
試合終了後。あの後、二セット目から立香は徐々にいつもの様子を取り戻し、大活躍。彼女の所属するチームは無事に勝利を収めたのだった。
「立香ぁ〜〜〜! ほんとうに、ほんとうにかっこよかった……うっ」
「まだ泣いてんの、アルトリア。……ま、俺も一時はどうなるかと思ったけど、きみのその諦めの悪さが功を成したってとこだね。俺にも感謝しろよ。一生分かってぐらい走ったからな」
ハンカチがびしょびしょになりそうなくらい涙を流しているアルトリアと、得意げなオベロン。立香は微笑んで、そんなふたりをぎゅっと抱きしめた。
「うん。ふたりとも本当にありがとう。……正直ね、今日ほんっとダメダメで。これはちょっとキツいかも……って思ってたんだ。でも、ふたりがわたしの名前を呼んで、お守りを見せてくれたじゃない? あれを見て、ふたりが頑張ってくれたんだなって。——だからわたしも頑張らなきゃなって」
抱きしめたまま、立香は言葉を紡ぐ。抱きしめる力の強さとは裏腹に、彼女の声はどこか弱々しかった。最終的に勝利を収めることはできた。が、試合の途中まで本調子ではなく、さらにアップ中に負傷してしまったことで、ずっと心のどこかで不安を感じていた。
そんな立香の心中を察した二人は何も言わずに、そっと立香を抱き返した。立香は少しだけ、鼻の奥がつんとした。
「……わたしはさ、ふたりがいてくれるから頑張れるんだ。改めて、ありがとう」
立香はほっとしたように息を吐いた。
それから少し間をおいて、今度は「あー」とか「うー」とか、上手く言葉にできない気持ちを、なんとか声にして発散しているような、そんな声を出し始めた。
いや、言葉にはできる、できるのだ。ただ、ちょっと伝えるのが気恥ずかしいだけで。
(ええい、言ってしまえ、わたし!)
心の中で勢いをつけたものの、立香はおそるおそる口を開いた。
「えっと……ふたりの前ではやっぱ、カッコつけたいじゃん? せっかく来てくれてるし、それにその……ふたりにはわたしのことを見ててほしいなって」
オベロンとアルトリアは立香の発言に目を丸くした。いつも自分たちばかりが立香への想いを口にしていて、立香の方からこんなことを言うのは滅多にない。
さっきからずっと同じ体制なので、彼女の顔は見えないが、横目に見える彼女の耳がほんの少し赤くなっている。
「り、立香! いまの、もう一回言って!」
「やだ!」
「言え」
「ひぇっ……じゃなくて、やだって言ったらやだ! あっ、わたしみんなに呼ばれてるんだった、じゃあ!」
あんなに腕に力を入れていたというのに、さっとゆるめてすぐに駆け出してしまった。
「あいつ……絶対言わせてやる」
「おばさんに連絡しなきゃですね、今日はお祝いパーティーの後、久々のお泊まり会だって」
二十分後、笑顔のアルトリアとオベロンに捕まり家まで連行される立香の姿が目撃されたとか、されなかったとか。
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アヴァロン・ル・フェ完結&オベロン実装一周年おめでとうございます。こんなに心を揺さぶられ、情緒をめちゃくちゃにされた三人組はたぶん人生で初めてなんじゃないでしょうか。いや色んなとこのオタクやってるから初めてではないかもだけど、数少ないとは思う。この三人が本当に本当に大好きです。本当に本当に大好きなら、本編準拠の話を書いた方がいいのかな、とも思ったのですが。こう、わたし自身の気持ちやスタンスの問題とか、あと、他にも書かれる方は沢山いらっしゃるかな~、と思いこの世界線という形で提出することにしました。わたしはわたしなりに「どっかの世界線で、この3人に思いっきり青春して、ティーンエイジャーして、バカやってほしいなぁ」という想いと願いをいっぱい込めました。というか、自分の手でそういう話を書くしかなくない? それが二次創作ってやつ……ジャン?!(どゆこと????)3人の正確な年齢がはっきりと分からないのでまあここはなんとも言えないのですが、おそらく近いので、よりその「どっかの世界線で、この3人に思いっきり青春して、ティーンエイジャーして、バカやってほしいなぁ」って気持ちが強く出ちゃうんですね。なんせわたしがバカやってたので。学生はバカやってナンボ!!!!! みんなでサイゼ行ってくれ~~~!!!!!!! フードコートでだべってくれ~~!!!!!!!
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作業BGM
・青春"サブリミナル"
・大声ダイヤモンド
・Everyday、カチューシャ