ケープ修繕と密やかな悪意
ここは草原近くの森の中。とある場所に大きな木の空洞を使って造られた3階建てのツリーハウスがある。
1階には店があり、飲食店のようだが看板はない。
窓や入り口には扉がなく誰でも自由に出入りできるようになっていて、中心では火が焚かれている。
2階と3階はどうやら誰かの住居のようで窓のガラスごしにカーテンや部屋の灯りが見えた。
俺は二階の出窓に座って外を眺めていた。
窓は大きく開け放たれていて、目の前には森が広がり微かな風が吹き込んでくる。
原罪で行方が分からなくなった師匠を探し回り憔悴しきっていたところを、ここの家主である紺碧(こんぺき)さんに助けられた。
久しぶりのちゃんとした食事と休息、他人との触れ合い。
それまで張り詰めていた気持ちが一気に緩んだようで体調を崩し数日寝込んだ。
体調が回復しても気力が湧いてこなくて、無気力な状態が続いている。
お店を手伝おうとしたが体力も落ちているらしく、見かねた雀三姉妹に今はとにかく休息が必要だと言われ、ありがたく休ませてもらっている。
部屋も与えてもらい、食事に看病、本当に感謝している。
おまけに無理をして飛んだせいでケープの傷みがひどく直してもらっているのだが、その間、俺は紺碧さんのケープを借りていた。
なにか恩返しをしなくては。でも俺にできることはなんだろう。
そもそも俺に出来ることなんてないのでは。
思考がまとまらないので、ほとんど考えていないのと一緒だ。
取り止めもない独り言のような感情だけが湧いては消えていく。
森の梢から飛び立った白い鳥たちが俺の上に舞い降りてきて、全く警戒する風もなく毛づくろいなどを始める。
真っ白で真ん丸な体、可愛らしい仕草に少し心がなごんだ。
昔から光の生き物に好かれるのだが、その理由は雪白自身にも心当たりがあった。
ドアをノックする音がして、小鳥たちが逃げていく。
ドアを開けると、そこには俺のケープを手に紺碧さんが立っていた。
彼はどうやらこの店以外にもなにか仕事をしているようで、自宅にいるときと居ないときがある。
今回は3日ぶりに顔を合わせた。
「少しいいかな?」
彼を部屋に招き入れ、火鉢の近くに二人で座る。
「雪白くんのケープのことなんだけど」
俺のケープは「記憶の語り部」の真っ白なケープ。
一目見たときから、身に着けるならこれだ、と決めて脇目も振らず一直線にこのケープを目指した。
ハートを使い切ってしまったおかげで他のアイテムがなかなか増えないのだが、入手した時の喜びはそれは大きなものだった。
「破れやほつれは直せたんだけど、こんぺいとうさんでも直せない部分があるんだって」
こんぺいとうさんは雀三姉妹の2番目で、裁縫が大好きな星の子だ。
どうやら表面的な傷みではなく、エナジーを流す部分に故障があるらしい。
師匠を探すことに夢中で、無理に飛んだ記憶も、しっかり手入れしなかった心当たりも充分すぎるほどある。
「もう直らないんですか」
ケープが傷んだのは自分のせいだから、もしそうだとしても受け入れなくては。
でも問いかけた自分の声が強張っていた。
「じきに飛べなくなると思う。直せそうな人がひとり居るんだけど、ちょっと難しい人でね」
紺碧は歯切れ悪く言って自分の顎に手を当てる。
飛べなくなるという一言に雪白は愕然として、目の前が暗くなるような気がした。
「エナジーに精通している医者みたいな・・・色んなことを研究している人がいるんだけど、どのくらい代金を請求されるか検討がつかないんだよね」
無料で診てくれるとはさすがに思っていなかったが、通貨代わりのキャンドルもハートもほとんどない雪白は難しい表情で黙り込んだ。
「請求されるのはキャンドルとは限らないんだ。昔、僕は怪我をして診てもらったんだけど、その時の報酬はハートの他に ”楽器を修理できる人を探すこと” ”仕事を手伝うこと”だったよ」
人探しや仕事を請け負うことでも、支払いになるらしい。
それなら自分にも出来るかもしれない。
「紺碧さんが手伝っている仕事ってなんの仕事ですか」
少しだけ希望が見えたような気がして、雪白は前のめりになって聞いた。
「人身売買に関する調査。あ、言っちゃいけないんだった」
雪白の唇から、え、という声がこぼれ落ちる。
紺碧はしまったと呟くが全く悪びれる様子がなく、むしろ雪白の面食らった反応を面白そうに伺っている。
「人身売買・・・」
生まれたばかりの星の子を攫っては商品として売っている組織がある、と聞いたことがあった。
紺碧さんが家に居ないのはその仕事をしていたからか。
しかし診察の代金として一般人が調査に協力するなんて、話が飛躍しすぎているような気がする。
その修繕をしてくれるという人は、どういう人はなんだろう。
俺には何を請求されるかな。払えるものだといいんだけれど・・・。
黙ってしまった雪白を見て、紺碧も無言だ。
しばらく沈黙がその場に訪れて、火鉢の火が爆ぜる音だけが聞こえる。
「紺碧さん、人身売買の調査って・・・どんなことを」
「今は話せないなぁ。キミにも危険が及ぶかもしれない」
そのうちこっそり教えてあげるね、と笑って紺碧はウィンクした。
そこで俺は彼の左の目尻に小さなホクロがあることに気が付き、まるで計算されたような場所だな、とふと思う。
「さて、どうする?修繕に出す?」
布地自体が光を放つような真っ白なケープが目の前に差し出される。
裏地は深い紺色で、吸い込まれるような美しさだと雪白は思う。
「・・・修繕に、出します。ずっとこのケープで飛んできて手放したくないんです。直る可能性があるなら直してやりたい」
ケープを受け取って表面をなでながら、俺はきっぱりと言った。
ケープには今までの努力だとか思い出が詰まっていて、空を飛ぶための道具以上の意味があるような気がする。
もしも危険な仕事をするように言われたとしても、あきらめるのは過去の自分を裏切るような気がして、雪白は覚悟を決めた。
きっぱりと強い口調で言い切った雪白を見て、紺碧は少し驚いた。
なかなか芯の強い青年だ。
出会った当初は痩せ細り、ほとんど笑わず、気力がなく、話しても敬語で、きつい眼光だけが目立っていた。
綺麗な顔立ちだが、固く結ばれた口元が生意気そうだと思ったものだ。
しかし次第に打ち解け、敬語は礼儀正しい彼の癖だと分かった、だんだん笑うようになり、食事をとてもおいしそうに食べる子だと思った。
キャリーしてもらうのを申し訳ないといい、おずおずと手を差し出す姿が印象的だった。
紅藤の弟子だと聞いて興味が湧き、少しからかってやろうかと軽い気持ちで接触をはかったのだが、今は雪白自身に興味がある。
伸ばした背筋に強い意志を宿して、優しくケープを撫でる横顔は年齢より大人びて見える。
なるほど、あの厳しい男が育てただけある。
目の前の青年を見ていると、嫉妬のような感情を感じた。
それは、もしも幼い頃の雪白と出会ったのが自分だったとして、自分では雪白を真っ直ぐに育てられなかっただろう、という悔しさだ。
紅藤はいつも自分の一歩先を歩いている。
飛行では肩を並べられるようになったが、自分の仄暗い過去が足を引っ張り、どうしても卑屈になってしまうのだ。
過去に囚われていつまでも前を向けない自分を、紅藤は毛嫌いし、見下し、それでもしかし、(かなり)強引に前を向かせてくれたのだった。
飛行技術でも、力でも、生き方でも勝てなかった紅藤に、当時も今も強烈な嫉妬心と闘争心を捨てられずにいる。
お互いライバルのような、天敵のような存在だが、そんな相手に助けられたことは人生の転機であり、人生最大の汚点だと紺碧は思っていた。
紅藤と雪白の出会いがどんなものであったのか、紺碧は知らない。
しかし突然付き合いの悪くなった紅藤に理由を尋ねると「弟子ができた」とだけ返ってきたのを覚えている。
弟子は取らないと公言していた、あいつに弟子・・・!
どんなに見込みのある子なのかと大いに興味が湧き、会わせてもらえるよう何度か頼んだが、紅藤は決して雪白を会わせようとはしなかった。
その判断は賢明で、紺碧は弟子に出会ったらあの手この手で可愛がってやろうと画策していたのだが、その計画は始動することすらなく頓挫したのだった。
紺碧は頬杖をつき雪白を眺めながら、紅藤の弱点を手に入れたような気になっていた。
いくら師匠の古い知り合いとはいえ、初対面の人物の自宅で眠る無防備さ。
ひとりで飛ぶには心もとないケープレベル、少ないキャンドルと装備。
その肝心のケープも傷み、ケープを借りなければ飛ぶこともできない今の状況。
誰かの世話になることを良しとしない様子の雪白に充分に恩を売ることはできた。
雪白と目があったので、目元を緩め、ごく自然に、ごく優しげに微笑んでおく。
自分の微笑みが相手の心情にどれだけ効果があるのか、紺碧はよく知っていた。
紅、早く戻ってきたほうがいいよ。
大切に育てた弟子が、大っ嫌いな僕のところにいるんだからね。
キミの弟子が僕に懐いていたら、キミはどんな顔をするのかな。
焦った顔なんか滅多に見られないから、そんな表情も見てみたいものだね。