夜食 ゆまおさ夜食
夜中にふと目が覚めた。まだ目が固まっているみたいに開かないので、もう一度目を閉じて寝ようとするが、なかなか寝られない。
ぐう、とお腹が鳴ったのが聞こえて、ついに観念してベッドから起き上がることに決めた。
夢を見てきた気だけはするが、夢の内容は覚えていない。頭が覚醒していくに比例して夢の記憶は薄れていく。
物音を立てないように廊下をゆっくりと歩いて、階段を下りる。リビングのドアを開ければ先客がいるようだった。
「空閑だ」
「オサムじゃん、腹へったの?」
「……まあ、そうだな」
「イイね。おれも腹減ったとこ」
「なんか作るのか?」
「うん」
空閑は冷蔵庫を開けて、中身を吟味し始める。あまりにも慣れた動作で、一瞬空閑の自宅にいるような錯覚に陥った。
「りんどう支部長にもじんさんにもいいって言われたからな」
「ぼくも言われたな」
空閑が人よりたくさん食べる必要があることはふたりも知っている。空閑に対する配慮もあるだろうが、ぼくも支部に泊まり込みになったときに言われた覚えがある。名前がない食材は勝手に使っていいし、とくに気を使う必要はない。お前らにもお遣い頼むしな、と笑っていたのを思い出す。
「なに作るんだ?」
「んー……肉がある……オサムなに食いたい?」
「何がある?」
空閑の横に立って、冷蔵庫の中身を一緒に覗く。卵、納豆、ミニトマトにウインナーと豆腐に野菜がそれぞれ……あとは空閑が言っていた肉、もとい豚バラと鶏もも。
「これなんだ?」
「キムチだな。辛い漬け物だ」
「ああ、保存食か。辛くしても持つんだな」
空閑はキムチを手に持って納得したように眺めていた。空閑のいたところにも漬け物自体はあったらしい。
「……これ食ってみたいな。オサムこれのうまい食いかた知ってる?」
「そのままでもおいしいけど、せっかくなら豚キムチはどうだ?」
「ほほう」
「豚バラ肉とキムチを炒めるだけだけど」
「うまそうだな。じゃあそれにするか」
豚バラとキムチを目の前に並べてから、空閑は手慣れたようにシンク下から包丁を取り出す。それから包丁で器用にラップを切れ目を入れて、ラップを剥いでいく。
「……器用だな」
「意外か?」
「……いや、思い返すと意外ではないな」
そういえばいつも屋上で食べている弁当も空閑の自作だったことを思い出す。戦いかたからして、不器用であるはずがなかった。
「オサムはやりかたちがうの?」
「ぼくは裏で重なってる部分をめくってる」
「ふむ、そういうやりかたもあるな」
それが空閑のなりのフォローなのか本当に感心しているのかはわからなかった。ぼくも真似してみようかと思ってすぐに思い改める。包丁の使い方に慣れているかと聞かれたらそうでもないし、ぼくは後ろからラップをめくったほうが安全な気がする。
空閑は剥がし終えてくちゃくちゃになったラップをゴミ箱に捨てた。フライパンをコンロの上に乗せて、つまみを回してコンロに火をつけたところで、もう一度つまみを戻して火を消した。
「どうした?」
「考えたら包丁いらんなと思って」
「……たしかに」
豚肉を開けるためだけに包丁を使ったとなるとそれはもったいない気がしてくる。
「オサム、おれの端末とってなんか調べてくれ」
「なんかって……。まあ、借りるぞ」
「おう」
空閑のズボンのポケットをまさぐりながら入っていた端末をなんとか取り出す。
豚キムチ、豪華とかででるだろうか。レシピを適当にタップしていけばそれらしいものが見つかった。
「あ、さっきニラがあった気がする。あと生姜とか」
「お! 入れようじゃんじゃんいれよう」
「食べきれなかったら明日のお昼にでも食べてもらおう」
「おれが朝ごはんにするかな」
「飽きなかったらそうしてくれ」
冷蔵庫からニラと生姜を取り出して、空閑に渡す。空閑は外側のビニールをさっきと同じように包丁をうまく使って剥いていた。
「隊長、オーダーくれ」
「よし。まずはニラを4、5センチ程度に切ってくれ」
「ほいよ」
ザクザクと音が何度かすると次の指示を求められる。
「次は?」
「えーと、生姜の皮を剥いて千切りにしてくれ」
空閑が生姜の皮を剥いてる間、やることがなくてとりあえず手元を覗き込むように隣からそろっと顔を出した。
やはり慣れた手つきで生姜の皮を剥いている。ぼくは生姜の皮を剥いたことはないが、空閑はあるんだろうか。元いたところにあったとか。
「生姜剥いたことあるのか?」
「んにゃ、ないな。でも皮を剥くのは大体同じだろ」
「それもそうか。でも包丁でそんなでこぼこした形の皮を剥けるってすごいな」
「それほどでもありますな」
「ぼくはピーラーでにんじんの皮を剥くくらいしかしたことないや」
「ああ、あれすごいよな。一瞬で皮剥けてびっくりした」
雑談をしながらも空閑の動作は滞ることなく進んでいく。危なげなく皮を剥き終わって、縦にスライスしていく。倒してそのまま千切りに。
「せっかくだし豚肉も切るか」
「これ切れてるんじゃないのか?」
「細かくしたほうが味が絡みやすいから」
「ほう」
空閑の包丁捌きがもう少し見ていたいとは言わずに、豚肉を切る提案をする。豚肉を切らないからちがうものを切っていたのに、結局豚肉も切ることにしてしまった。
「豚肉は2センチくらいだって」
「了解」
空閑のとなりでぼくはフライパンにごま油を入れて、火をつける。フライパンがあったまるまで、空閑の手付きをじっと見ていた。
「もうあったまったんじゃないか?」
「……そうだな。そしたら生姜を入れる」
「ほい」
空閑が生姜をいれると油がぱちぱちと音を立て始めた。しばらくすると生姜の香りが鼻に届く。
「いっ」
「大丈夫か?」
跳ねた油が指や腕にはねて静電気のような刺激にびっくりしてしまう。痛いのか熱いのか判別もできないくらい短い刺激だった。
「ああ、大丈夫だっ!?」
「オサム離れててもいいぞ」
「いや、大丈夫だ」
このままじゃぼくは突っ立ってるだけになるので、鍋の蓋を胸のあたりで構えて、油に備える。これと菜箸で少しくらいはどうにかなってくれないか。
「レイガストじゃん」
「……っふふ……本当だ」
「ははは!」
「空閑は孤月か?」
「ふむ、この間合いはどっちかというとスコーピオンだな」
「料理中も武器は変わらないのか」
「チカとヒュースはどうする?」
「うーん、なんだろう……。あ、空閑、豚肉いれてくれ」
千佳とヒュースの話をしながら、空閑に豚肉をいれてもらってぼくが菜箸で重なった豚肉を剥がしながら炒めていく。すぐに色が変わり始める豚肉をひっくり返したりしながら、なんとなく物足りなさを感じる。
「……空閑、申し訳ないんだが変わってもらってもいいか?」
「ん? わかった」
空閑を見ると、いつの間にか豚肉のタッパーをゆすいで、まな板と包丁を流しに運んでいた。空閑に菜箸を渡して、ぼくは流しで洗い物をすることにする。
となりではジュワジュワと肉の焼ける音が響く。その上では換気扇が回っていながらもぼくのほうまで匂いが届く。おいしそうだな。
空閑が無作為に菜箸を動かしながら、フライパンを前後に揺する。その遠慮のなさというか手際の良さを見てると、安心感なのか爽快感なのかわからないけれど、すっきりした気持ちになる。
横目で空閑を眺めながら、スポンジに洗剤を一回り垂らして水で濡らす。何度か握りこめばすぐに泡が立ち上がってきた。
「オサム、次なにいれるんだ?」
「醤油あるか? あったら醤油を大さじ1いれてくれ」
「大さじどこだ……まあいいか」
大さじを探すのを諦めたのか、醤油をフライパン一周ぶん回しかける。
「つぎは?」
「キムチとニラだな」
「よしきた」
キムチのふたを開けて、豚肉の上に傾けるとキムチがフライパンのなかになだれていく。空閑がフライパンを揺すれば、ごとくとフライパンの底が擦れあって、ガチャガチャと音が鳴った。その遠慮のなさがなぜか心地いい。
「オサム、皿あるか?」
「あ、いま出す」
キムチとニラと豚肉がいい具合に絡まったらしい。換気扇から漏れた唐辛子の匂いがかすかにぼくの鼻に届く。フライパンの隣に皿を一枚出せば、空閑がフライパンを皿の上にかざして、うまいように皿に盛り付けていく。
「うまそうだな」
「そうだな」
ぼくは自分の分の箸と、空閑のフォークを持つ。空閑は豚キムチの入った皿をもってそのままテーブルの方に移動していく。ぼくはその後ろをついていって、空閑の方にフォークを置いた。
「小皿とか出すか?」
「いや、おれはこのままでもいいぞ」
「……じゃあいいか」
とりあえず換気扇を止めるのはこれが食べ終わったあとでもいいかもしれない。