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    6shogayabai

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    6章後の💀が魔法が使えなくなる話(イデアズ)
     ※pixivに載せている「魔法の使い方を教えて」の改稿です 
     ※中編2までのネタバレある
     ※だらだら続く予定

    #イデアズ
    ideas

    それは、常に頭の中にある疑問点だった。

    「どうしてイデアさんはマジカルペンを携帯していないんですか?」
    アズールは思った以上にイデアのことを知らない。知らないことを知りたいと思うのは人の性であり、人魚の好奇心であり、愛情の一部でもある。
    寮長の証である杖はあるんですか、とぼんやりと聞けば、イデアはあー、と適当な声を出した。
    「ないよ」
    「ない? 入学と同時に配られたのでは?」
    「持ってない。拙者が、この学園に入学する資格がないってことですわ」
    淡々と告げられた事実にアズールは駒を取り落としそうになった。昼下がりのうららかな教室で、いつもの口調と変わらずに言われた言葉が強く突き刺さる。
    どうしてだろう。今目の前にいるイデアがとても遠い気がする。知らないことを知りたいと思った、イデアのことを知っている自分になりたかった。だというのに、何も教えられないことにアズールは唇を噛む。
    「なぜ?」
    「フヒ、そうだったらどうする?」
    「……もしもの話に意味などないでしょう。実際、イデアさんはこうやってナイトレイヴンカレッジの三年生まで進級して、あまつさえ寮長にもなっているわけですしーー」
    「まあそうだよね。資格がない、っていうのはちょっと違うかも」
    「でも魔法石とマジカルペンは持っていないのは事実でしょう」
    「……まあね」
    イデアが口を尖らせる。これ以上話したくないという意思表示を受けて、アズールも流石に溜息をつく。この男がふざけているのは今に始まったことではないが、流石にそんな冗談もないだろう。
    まあ拙者は天才であるからして?とニヤニヤ笑うイデアに、アズールはうさんくさそうに目を細める。人魚の好奇心をもってしても、この男の真意は何もわからない。
    「……いずれ、暴いて見せますよ。あなたのその、秘密とやらを」
    「フヒッそれはけっこう」
    そんな日が来なければいいけど、と吐息と共に吐き出したイデアが、妙に記憶に鮮明に残っている。

    秘密を暴きたいと願うのは探究者としては当然の話だ。アズールの目に見えているイデアは、それだけでも強烈な印象を与えるけれど、だけど彼の真価はきっとそこにはない。
    チェスの盤面を見つめる瞳は、ゲームを見ているようで何も見据えてはいなかった。数手先どころか、勝敗の最後まで見えているような瞳には虚無しかない。勝敗など、彼にはどうだっていいのだろう。
    イデアはアズールの目の前にいるようで、ずっとずっと、遠い場所を見ている。どこまでも続く深い海。海の底の、更に奥深く。まるで、暗くて寒くて冷たい、冥界に一人ぼっちでいる冥府の王のようだ。
    この時のアズールには想像もできなかった。
    イデアの言葉の意味をもう少し後に知ることになるのだ、ということを。


    目の前に起こっている現実が、なんなのかアズールは理解ができなかった。
    あれは確かにオルトだったものだ。つい昨日まで一緒にボードゲームに興じていた機械仕掛けの少年。黒々とした影に包まれた彼に、あの日の面影は見られない。
    なんの冗談なのだろうか、轟々と青い炎を上げるあの生き物を、アズールは知らない。
    「(っ……これはっ……)」
    まずい、と全身が強張る。吹き飛ばされて、受け身を取ろうとしても体は何も言うことを聞いてくれない。アズール、と聞きなれたリドルとジャミルの声が聞こえた気するけれど、それすらもあいまいだ。
    海の中ではない。アズールの体は人間のそれで、そのまま重力に従って落ちていく。このままでは
    ダン、と地面に叩きつけられるより先に、イデアがアズールを抱えた。S.T.X.Y.本部ごと吹き飛ばしかねない巨大な負のエネルギー ――オルトを核として解き放たれたファントムは、全てを飲み込もうと全てを壊している。
    被験体だとか、所長代理だとかそんなのはもはやどうでもいい話だ。ここで生き延びることだけを考えなければ、きっと次はない。ひゅうひゅうと掠れた息を整えながら、マジカルペンを構えようとしたが、それはイデアの手に止められる。
    「やめておいた方がいい。オーバーブロットしやすくなってるんだから」
    「だったらどうすればーー」
    「僕が今はここの所長代理だから… 僕がなんとかするよ」
    アズールを抱き寄せる力が強くなる。普段あんななのに、どうして今日だけこんな風なんだろう。目の前にいるのはイデアであって、イデアじゃない誰かみたいだ。青い炎を撒き散らされて、周囲を包囲されたイデアは、身動きが取れないアズールの肩を抱いた。
    「イデアさん! そんなに魔法を連発したらブロットがーー」
    「…大丈夫だよ。僕は、オーバーブロットには、ならない」
    「は‥?」
    それは希望的観測なんだろうか。こんなストレス環境に置かれて、魔法を連発して、もうとっくの昔にブロットがたまってもいい頃だ。なのに、イデアは一切それがない。むしろ、この状況でイデアの魔力は上がっていっている気さえする。
    「……ブロットは負のエネルギーだけど、僕にとっては魔力の代わりでね。むしろ魔法石を使うと僕は魔力を失う」
    「何を、それは、どういうーー」
    降ってくる青い炎を、同じように炎の障壁を展開して防ぐ。防戦一方、というわけではないようだ。先ほどからアズールとイデアの周りを旋回しているのはドクロ型のユニットだ。
    「シュラウド家の呪いだよ。……僕は」
    「…………な」
    淡々としたイデアの声と同じように、コンパスで円を書くみたいにドクロは魔法陣を描いていく。
    一ミリの無駄もなく、モニタに映っている通りに。テクノロジーが魔法を使うのはなんだか変な感覚だ。これだけ強力な魔法を使っているというのに、彼は汗ひとつかくことがない。
    「ブロットというのは毒だけど、強力なエネルギーには変わりはない。だけど僕は…体内に溜まったブロットを焼却する僕らにとっては、エネルギーにもなりえるんだよねぇ!」
    クルクルと回っているのはドクロを模したユニットだ。イデアが魔法を行使するときに使う道具。そこには、確かに魔法石の類は埋め込まれていない。魔力によって浮遊しているのではない。コンピューターの制御によって浮かぶそれは、瞬時にいくつものモニタを展開させた。
    「……セットアップ完了。オルト……いま、助けるから」
    魔法陣が光る。イデアの手元で浮かぶモニタが、高速演算を始める。
    魔法。魔導工学。ブロットを変換する魔法士としての素質のない男。
    何も理解ができない。イデアの魔法石がないことだとか、彼が魔法を好んで使わないことだとかそういうことが頭をよぎっては消えていく。
    「ーーきたれ、冥府の守護者」
    巨大な魔法陣がアズールとイデアの足元に描かれる。いつの間にか召喚の準備がされていたのだろう。攻撃を防ぎながら、同じタイミングで魔法陣を描くなんて、並大抵の魔力ではなできない。第一、そんなことをしたら、ブロットは魔法石の許容量を簡単に超えてしまうだろう。
    けれど、イデアにその兆候は一つもなかった。それが意味するところはーーつまり。
    「…本当に、イデアさんはブロットを…」
    「ーー魔法が使えたっていいことなんかないと思ってたけど、…そんなことないか」
    大事な子は守れる、と歯の浮くような言葉が降ってくる。抱き寄せられた瞬間に、目の前に顕現したのは巨大化したファントムと同じくらいの大きさの三つ首の獣。神話でしか見たことのない、地獄の番犬だ。この島に施された防衛システムの元となった神話の世界の生き物だ。まさか、とアズールが肩を震わせた瞬間、イデアの指先がドクロ型のユニットを動かす。
    青い炎がケルベロスにまとわりつきながら、攻撃を受け止めた。まだ余力があるのか、イデアは空中で何やらモニタを表示させて数度タップした。
    アズールには皆目検討もつかないが、これはまた新たな召喚がされるのだろうか。一体だって制御が難しいのに、この男は、二体も。
    「ーーきたれ、不死身の水蛇」
    イデアの言葉とともに、ケルベロスの隣に現れたのはこれまた多頭の蛇だ。炎を喰らい尽くしながら、一直線にグリムへと向かう。貴重なもふもふ成分なのに、といつものイデアらしい言葉が漏れたけれど、だからといって手加減があるわけでもない。大きな蛇は対象へと向かって一直線に食らい付いていった。

    ーーーーー

    あなたの悲しみが少しでも和らぎますようにと祈りを込めたところで、彼の望みは何も叶わないのだと知っている。
    自由になることは、彼との細いつながりを断ち切ることだ。ブロットという毒はイデアにとって魔法を十全に使うために必要な燃料、理論で言えばそれは簡単な話だけれど、それをするためには想像を絶する技術と忍耐力が必要だ。
    途方もない話だった。天才と呼ばれた彼が、この世の全ての絶望を一身に受けていたなんて、アズールには想像もつかないことだ。
    自分が得た屈辱など比ではないくらいーーそれすらも魔力のかけらにしながら、生き抜いてきた少年は、何を考えていたんだろう。
    遠ざかるあの陰気な島を見下ろしながら、アズールはそんなことを考えていた。

    半壊した島を後にして、見慣れた学園へと戻ってから、イデアは誰とも口を聞こうとしなかった。自室へ引きこもるーーのはいつものことだったが、いつもと違っていたのはリモートの授業にすら出てこなかったということだ。
    無理もないだろう。オルトはその一命をとりとめたものの、しばらくは経過観察となった。半身を喪ったイデアがどれほど失意の底にたたきつけられているのかわかったものでもない。退学の沙汰が下ってもおかしくはない状況である。
    「シュラウド君は、部活にも出てきていないと伺いました。アーシェングロット君。なにか、連絡は?」
    ディア・クロウリーからイデアの件で呼び出され、開口一番にそういわれたアズールは、いいえ、と小さく首を横に振る。
    そんなのアズールの方が知りたいくらいだ。あんなことがあったあとなら、確かに出てこれないのはわかる。わかるけれど——だからと言って言葉も交わさなければ事情も分からない。
    いよいよ緊急事態だ。最初はどんな対価を要求しようかと算段していたアズールですら、この状況に不安を覚えるほどだ。
    「何もありませんね。これまでだったら、どんなに嫌がっても部活だけは出てきていたのに…」
    「フム……寮長会議にも不参加どころか部活にも、……ですか」
    仮面の向こうで思案を巡らせているクロウリーも、事の深刻さを理解しているようだ。歴代の寮長は、ありとあらゆる意味で寮の中でとびぬけた才を持っている生徒が担う。アズールも、イデアもその例外ではなく、寮長はその寮の模範生としてふるまう責務も課せられる。
    だが、今この状況においては、いつも以上にイデアはその責任を果たせていなかった。副寮長を置くこともないイグニハイド寮では、今はひとまず三年生の有志たちで何とかその代行としている状態だ。
    この状態が続けば、イデアに対する風当たりは強くなる。近いうちに決闘騒ぎだって起こってもおかしくはない。
    「シュラウド君が仲の良いアーシェングロット君なら何かわかるかと思いましたが…」
    「お力になれずにすみません。ですがあの事件の後ではイデアさんの言動も仕方がないことかと」
    「…ええ、わかっていますよ。シュラウド家の事情はそうそう簡単ではないでしょうし」
    ふう、と溜息と共にクロウリーは肩を竦める。
    「仕方ない。アーシェングロット君。これを、シュラウド君に」
    資料です、と手渡されたのは、分厚い髪の束だった。これまでイデアがリモートで出席をしていた影響もあって、頒布物以外の資料は電子化されていた。あの無機質なタブレットがないだけで会議の空気は変わる。発言は少なかったけれど、革新的な発言もたまにはあった。戯けるような、ふざけるような人を小馬鹿にした物言いも、緩和剤として働いていたことに、彼が出席しなくなってから気づく。
    「……承りました。あとで渡しておきます」
    アズールもため息をつく。資料にあったのは、来週モストロラウンジで行われる「なんでもない日のパーティー」のお知らせだ。
    S.T.X.Y.による拉致事件によって学園にもたらされた影響は大きかった。なんとか和解にこぎつけたものの、生徒たちは今まで以上にイデアのことを噂したし、被験体として拉致された面々には定期的なカウンセリングが入っている。アズールもそのうちの1人だ。
    欠けたものを取り戻そうと躍起になるの人間としての本能だ。今まで通りの日常を取り戻そうと学園内では毎週のように何かしらの催し物が開催されていた。
    ハーツラビュル寮とオクタヴィネル寮が共催する「なんでもない日のパーティー」は、ハーツラビュル副寮長のトレイがデザートを担当し、無償で振る舞われる。寮生以外の参加ももちろん可能だ。ふたつの寮が共催するパーティーは寮長の2人が計画を綿密に練っているとあって、ここ最近では一番大きな催し物である。
    「……あの人が来てくれるとは思えないのですけれど」
    ぽつり、とこぼした言葉はアズールらしからぬ弱気な一言だ。常ならば無茶ぶりをするであろうクロウリーもそうですねえ、と渋い言葉を返してきた。本当に、緊急事態だ。

    話を終えて廊下に出たアズールを待っていたのは赤い髪をした背の低い少年だった。大きな瞳と愛らしい外見、けれど眉間には皺が刻まれている。お疲れ様、と労いの言葉をアズールに向ける。
    「アズール、イデア先輩のところに行くんだろう?ボクも同行するよ」
    「…リドルさん、が?」
    「何故って顔をしているね。だってそうだろう?今回のパーティーにはイデア先輩の協力が不可欠。準備が滞りなくできなければ、ホスト側としての面目が丸つぶれだ」
    ハーツラビュル寮とオクタヴィネル寮の共同で開催されるパーティでは、モストロラウンジが開放されることになる。そうして、そこにはゲストを楽しませるためと称した、ゲーム大会を催しているのだ。
    そうして——それの格を担うのが、他でもないイデアだ。
    企画書を捲ったリドルは更に眉間の皺を深くする。ずっとこの企画書をメールで出しているけれど、イデアの返事はない。
    企画をしたのはアズールだが、コンピューターゲームを催し物でやりたいと言ったのはリドルからだ。時間が足りなかった、1ステージだけなんて悔しいじゃないか、アズールよりうまくやらないと気が済まないよ、とややこしいことを言って。
    「悔しいことを言うけれど、今回のなんでもない日のパーティーの主役はイデア先輩だよ。主役がいないパーティーなんてありえないじゃないか」
    呆れたように吐き捨てるリドルに、アズールは同意しなかった。出来なかったといった方が正しいのかもしれない。
    「こういう場は、イデアさんがお好きではないのはわかっていますから、なんともいえませんけれど」
    「……ふうん。意外だな。君は随分と先輩に甘いね」
    「『あんなの』でも、僕の貴重な先輩ですから。……無理をさせてまで引きずり出すものでもないでしょう」
    たとえどんな尾鰭がついていようと、あの襲撃はイデアの判断ではなかった。それは、何よりもアズールたちがわかっていることだ。リドルが言うように、きちんとパーティーへ出席してくれれば、この状況を打破する一手にもなる。だけど、無理やり引きずり出したそれに何の意味があるのか。イデアのことだ、そうやればやるほど意固地になるにきまっている。
    「時間が来ればそのうち出てくるでしょう。…しつこく訪問したって、彼のいる場所は貝のように閉ざされているんですから」
    蛸壺とは違う。覗き込もうとしても僅かな隙間もない扉の向こうで、ずっとノックしているわけにもいかないだろう。壊そうとはしないんだね、と物騒なことをリドルが言うものだから、アズールは肩を竦める。
    「リドルさんは随分とあのコンピューターゲームが気に入ったようだ。どうです?僕がゲームをご用意しましょうか?」
    「結構だよ。ああほら、早く行こう、時間が遅くなってしまうよ」

    リドルと二人でイグニハイド寮まで訪ねてはみたものの、結局のところリドルが大声を出しても、アズールが甘い言葉をささやいてもイデアが部屋から出てくることはなかった。呆れ果てたリドルが叩きつけるように企画書を投げつけたけれど、全く出てくる気配もない。アズールは角をそろえて、イデアの部屋に磁石で扉に張り付ける。メッセージで、おいておきましたとだけ送る。返信も何もないだろうことは目に見えている。
    リドルは終始おこっていたけれど、イデアの心情を考えれば無理もない話だ。そんなに簡単に出てこれたら、自分たちだってこんな突拍子もないことを発案しない。
    鏡舎で別れた後に、アズールはリドルを見送ってからイグニハイド寮へ続く鏡を見つめる。青い髪の毛が出てこないかと、ありえもしない空想していると、自然とから口から言葉が零れた。
    「……イデアさん」
    しばらく会っていない青い炎のことを思い出すと、アズールの足はピタリと止まっていた。鏡舎はそれぞれの寮に通じる通路だ。イグニハイド寮のケルベロスの紋章を見上げながら、アズールはぎゅ、とこぶしを握る。
    「………言いたいことはたくさんあるんですけれど、いつになったらあなたはでてくるんでしょうか」
    周りに誰もいないことを確認して、アズールはぽつりとつぶやいた。それはまるで、自分がイデアに会いたがっているような言葉にも聞こえる。帽子をおさえながら、アズールはふるふると首を横に振る。
    「――あなたのことを、僕は何も知らなかったんですよ」
    家のことも、魔法士としての資格が不十分なことも、ブロットが彼の魔力となっていたことも、そうして、それらの運命を受け止めながら、この学園生活を送っていたことも、何一つアズールは知らなかった。知ったところで、イデアの価値が変わるのか、と聞かれても、アズールにとってイデアは、『イデア・シュラウド』でしかない。
    一つ年上の、ボードゲーム部の先輩で、イグニハイド寮の寮長で、オルトの兄で開発者で、異端の天才。
    たくさんの肩書があるイデアだからこそ、アズールは彼を信頼したし、好ましく思っている。
    こうして長い時間顔を合わせないでいることが、寂しく思えるくらいにはアズールはイデアのことを憎からず思っているのだ。
    「………なんて、バカバカしいにもほどがありますかね」
    自身の感情に失笑しながら、アズールは肩を竦める。
    今週末は、「なんでもない日のパーティー」。アズールにとってそれは、稼ぎどきなのだ、と自らに言い聞かせて、アズールは足を踏み出した。

    イデアから資料を見たと連絡が来たのはその日に夜のことだった。珍しいこともあるもので、メールではなく通話だ。
    あのイデアが、自分から連絡してくるなんて。変にどぎまぎしながらアズールは通話ボタンをタップする。
    『……あーアズール氏、乙……』
    「イデアさん」
    弾む心をどうにか抑えつけながら、精いっぱいに紳士的な声で応答すれば、電話越しの相手は、逆に委縮したようだ。普段の行いだよ、といつだったか言われたのを思い出す。んんん、と咳ばらいをしながら、どうしたのですか、とできるだけ優しく問いかけ直すと、イデアは更に声を小さくした・
    『……な、なに、妙にご機嫌じゃない…? 対価? マドル?』
    「一体人のことを何だと思っているんですか、あなた」
    いくらアズールとはいえ、精いっぱいの気遣い――というよりは、心底の心配を無下にされたのでは、さすがに気分が悪い。偉ぶって仰々しい敬語を使った方がイデアとしては安心するようだ。
    「それで、なにか僕に言うことが?」
    『あ。ああ、そう、だ、そうだった。…ええと……資料トンクス。部屋の前においてくれたでしょ。受け取ったから……』
    ボソボソと言われた言葉にアズールは妙にこそばゆくなる。なんだか、ちょっとイデアらしくないしおらしさだ。素直に礼をするだけのために通話をしてくるなんて、明日は嵐だろうか、それとも真冬に似つかわしくない日照りだろうか。一瞬だけ考えを巡らせている間に、言葉は止まっていた。
    『……アースマソ。メールで言えって話だよね。ハーこれだからコミュ障は……』
    「あ、ああ、いえ、すみません。わざわざありがとうございます」
    『……いや、こっちこそスマソ。じゃあ…』
    要件のみを伝えて切ろうとするイデアに、アズールは思わず声をかけていた。一瞬、へ、と声が聞こえて、通話の終了が妨げられる。これはチャンスだ、立て板に水とばかりに、アズールはそのまま言葉を続けた。
    「イデアさん! あの、部活! ! そう!部活に来てください!」
    絞り出した一言は、思ったよりも必死なものだった。声を掛けてから、アズールは自分が発した言葉の意味を考えていた。何を言ったんだろう。何を彼に伝えたんだろう。部活に来てください。まるでこんなのアズールがイデアに会いたいみたいじゃないか。否、それは嘘ではない。イデアには聞きたいことがたくさんある。魔法のこととか、あの落とし前をどうつけてくれるのかだとか、これからの自分たちの関係のことだとか、あの冷たい島の中でいいたいことは山のようにあったのだ。
    『……部活?』
    「そ、そうです。部活。ボードゲーム部」
    『………なんで』
    「なんでと言われましても……部活動は、この学園の生徒であるなら参加は義務でしょう」
    『拙者にそれ言う?』
    その通りだ。寮長会議はおろか、授業ですらリモート参加のイデアが部活に出てくるなんて奇跡にも近い。これまでが普通じゃなかった、ということを嫌でも突き付けられる。
    灯りを絞った部屋の中で、アズールは滑稽なくらいに切実だった。落ち着いた調度品たちが自分をなだめすかしてくるようだ。ちょっと落ち着けよ、お前らしくもないぞ。そんな声が聞こえてきそうなくらいだ。
    「あなたがいないと僕のチェスの相手をしてくれる人がいないんですよ」
    『…なにそれ。拙者と互角だとおもってたん?』
    電話越しにイデアは少しだけ笑う。フヒ、とか、例の人を小ばかにしたような笑顔を画面の向こうでは浮かべているんだろう。実際に見られないのがまた腹立たしい。こほん、と咳ばらいをしながら、アズールはスマフォを耳に押し付ける。イデアの声が少しだけ近くに聞こえる。
    そうだ、聞きたいことがあったのだ。こんなことで押し問答をするつもりはない。感情的になって押し流されて、好機を逃してしまうのは商人としてあるまじき行為だ。端くれとはいえ、自分は経営者だ、チャンスに食らいついてものにするくらいの気概がなくてどうするのか、と言い聞かせて、アズールはずれた眼鏡を直した。
    「ーーイデアさん、今日は、どうして電話してきたんですか」
    『え、いやその』
    「だってそうでしょう。お礼なんてあなたらしくもない。少なくとも、電話で伝えてくるなんて、僕の知っているイデアさんじゃしませんよ」
    『………いや、その……』
    「もしかして――僕に、『お願い』があった、とか?」
    笑いながら問い詰めると、イデアはアッアッ、と妙に上ずった声を出した。煽る割に、イデアは嘘がつけない。商売に向いていない人間だ、屁理屈はあんなにうまいのに、とアズールは思う。
    イデアのお願い――それは、いわゆる弱みと同義だ。ずっと知りたかったイデアの秘密。イデアの弱み。誰も知らない、イデア・シュラウドいう天才を暴くようで、とてもドキドキする。
    図星でしたか?と笑って見せると、イデアは観念したようにア~~~と大きく項垂れたようだ。ぼふりとベッドにおちていくような音がして、そうして、小さな声がポツリ、と落ちた。
    子供が泣いているみたいな、小さな声だ。失ってしまったおもちゃを想うような切ない声に、アズールは言葉を失う。
    『……魔法が、使えなくなったんだ。』
    吐息の中で聞こえた声に、アズールは目を瞬かせた。どういうことですか、と聞くことも忘れて、チクタクと落ちる時計の音だけが響いている。

    ーーー
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