薄暗い感じがするだけ 二人の兄は双子だ。二卵性双生児の為、顔は全く似ていない。声質も体格もまるで違う。双子だと気づく者は殆どいなかった。
四つ離れた兄達は、息が合う。そういうところだけが、兄達の双子らしさと言えた。
それに不満を覚える理由は無い。しかし、理由は無くとも感情はついていかない。幼き頃から抱えている負の思いが間違っていることぐらい分かっていても、蓋することはできなかった。
兄達と血が繋がっていない事実を知らない訳ではない。
ただ、それを他人から悪意をもって改めて突き付けられると、理性と感情は相反する。
「一馬、弁当箱」
「ん」
言葉少なに返事をし、空の弁当箱を学生鞄から取り出して渡した。
大河はそれを受け取り、中身が空であることを確かめる。そして、満足そうに笑った。
「量、足らんかったか」
「…いや、大丈夫だ。丁度良かった」
「そうか。なら良かったわ」
四つ離れている兄達は、先に大人になった。自分はまだ、この春に高校生になったばかりだ。
またチリリと胸の奥が痛む。説明のつかないその痛みに小さな腹立たしさも覚え、思わず首を振った。
大河が首を傾げる。
「どないした」
「何でもねぇ」
「そない顔して…おい、吾朗っ」
「なっ」
「なぁん?」
奥から吾朗が出てくる。
今よりもっと自分が小さかった頃にあげたエプロンで両手を拭いている。夕飯の支度の途中であったことは明白だ。
「一馬が調子悪いみたいなんや」
「えぇホンマに? 熱でもあるんか」
「ちが、何もないっ。別に大丈夫だ。熱なんか、」
「そないなこと言うて、また隠さんでもええ」
吾朗の苦々しい顔に苛立ちが募る。
その言い分は過去にしでかした自分の所業を指し示していることは理解できるが、それも数年前の話だ。今更蒸し返されると、今も自己管理のできない子供と言われるようで気分が悪い。
眉間に皺が寄る。しかし、これを見られればまた突かれることだろう。隠すように俯いた。
「熱はない。風邪すら引いていない」
話しかけないで欲しかった。兄達に心配させるとなれば、それは”余計なこと”を生み出す要因になるだろう。
事実、大人になった兄達は働きに出ている。生活費の為に、自分の学費の為に。
「吾朗」
「分かっとるわ、大河」
目を見合わせた兄達が頷く。
吾朗のエプロンが外され、大河が弁当箱を床に置き、それらを契機として二人そろって隣に座った。
息の合わさった行動に息が詰まる。
「一馬」
「一馬ちゃん」
周囲の人間は、自分を頑固者だと言う。しかし、兄達も同じぐらいに頑固だ。
きっと自分が話すまで梃子でも動かないだろう。夕飯を食べる時間は遅れ、弁当箱は水に漬けられず汚れが張りつく。
胡坐をかいた膝の上で拳を握る。切っていない爪が掌に刺さった。
始まりは、友人と共に帰路についていた時だ。一週間近く前に喧嘩で殴り倒した不良達から、明確な悪意の詰まった言葉を投げつけられた。
自分と兄達は血の繋がりがない。今更気にする必要はない。血の繋がりが無くとも、紛れもない家族だ。他人に切り離せる事柄ではない。その筈だった。
だが、他人から見ればそれは確かに張りぼてに過ぎなかった。
「俺は荷物だから、邪魔な存在なんだ。アンタらにとって、俺は、」
「一馬ッ」
「くだらねぇことを言われたってことぐらい、分かってんだッ」
大河の遮るように発せられた言葉を、さらに被せて潰した。
「そんなこと分かっている。分かっていんだよ。けどな、頭で分かっていても、無視できる訳じゃねぇだろッ」
思わず出た大声に、喉の奥にツキンッと痛みが走る。
「アンタらは双子だ。言葉にしなくても互いの思っていることが分かる。けど、俺には何も分からない。一緒に年を重ねて先に進める。けど、俺は一緒に進めない」
何気なく鼻をすすって、漸く自分が泣いていることに気づいた。
握りしめたままの拳で拭いても擦っても、勝手に出てくる涙は止まらない。こういうところが自分のガキ臭さを物語っているに違いなかった。
「ずっと後ろでアンタらを見ているしかない。二人で話して、二人で笑って、一緒に大人になれたアンタらに、」
ぐちゃぐちゃと声が崩れていく。涙と共に鼻水も垂れ、何度啜ったところで最早意味がない。酷い顔をしているだろう。
「……兄さん達に手が届かない」
心情を吐露することは、とても恥ずかしいことだ。
だが、もう止められはしない。
大河が震える背中を摩る。吾朗が汚れた拳に触れる。
「寂しいんだ。ずっと、ずっとずっと寂しいんだよッ」
濡れ切った声で叫んだ。
顔は俯いたままなので、二人の様子は分からなかった。どのような顔をして自分を見ているかも、怖くて確かめられない。
此方の感情を知ってか知らずか、前方からどちらのものとも知れない小さな笑い声が聞こえた。
だが、それは単に馬鹿にするようなものではなく、柔らかく温かいものに思えた。
「すまんかったな、一馬。そないなこと思わせて」
「ずっと内緒にしとったんか、一馬ちゃん」
唐突に吾朗から強く抱きしめられた。驚いて反射的に離れようとしたものの、横から手を伸ばして頭を撫でる大河の力が強くて動けない。
僅かに濡れる吾朗の服にハッとする。涙やら鼻水やらがこのままではべたりと張りついてしまう。しかし、吾朗に気にする様子もなかった。
「もっと話してくれや。まだあるんやろ、内緒にしとること」
「話さんとたぶんコイツこのままやで。諦めるんやな、一馬」
吐露してしまった感情のこともそうだが、それ以上に今の状況が恥ずかしくなってきた。
もぞもぞと動いてみせるが、大河の言葉通りに離してくれる様子はない。
「きっと俺らは調子乗っとったんや。大人になったっちゅう事実に。これで漸く一馬ちゃんにもっと楽させられる思うてな」
「昔から色々我慢しとってくれやろ。せやから、もっと贅沢させたろ思っとったんや」
「これからはもっと話そうやないか。家族やから、なんてアカンわ」
「俺らもちゃんと話さなアカンな」
頭上で勝手に話が進んでいく。止められる気配はない。
「そや、今日の夕飯なに食いたい?」
「もう作っとるやろ」
「まだ平気や。なぁ、一馬ちゃん。なんかあるやろ?」
「あ、ちょお待て」
「お前には聞いてへん」
「ちゃうわ。当てたる」
「はぁ?」
「一馬の食いたいもん、俺が当てたる言うとるんや」
「なんやそれ。俺も当てる!」
謎の対決が始まった。
おかしな空気に気分も落ち着き、もう一度逃げようともがいてみるが敵わない。仕方なく大河の謎の提案に乗って、答えを用意しようと考えてみる。
「俺は決めた」
「俺も」
「じゃあ言うで」
「おぉ」
飛び出した料理名は”カレー”だった。
「どや、一馬ちゃん」
「あたりやろ、一馬」
漸く顔をあげて、酷い顔を晒す。
二人の顔をそれぞれ見てみれば、此方を嗤うことはなく優しくて柔らかな微笑みを浮かべているだけだった。
少し乾いた舌を動かして、答えを出す。
「カレー」
そして、わあわあと二人の家族は騒ぎ出した。