あつきた「なんで治なん?」
考えるより先にそれは口を衝いて出た。部活の話題から唐突に方向転換した脈絡のない言葉に角名はこてんと首を傾げて「何が?」と言う。
「付き合うの、治がええなら俺でも良かったやん」
片割れの治と角名から揃って交際の報告を受けたのは一月ほど前のこと。一年の頃は自分と同じくらい彼女を取っ替え引っ替えしていた治が二年に進級してぱたりと彼女を作らなくなったことに少なからず疑問を抱いていたが、治曰く角名を好きになったから適当に付き合うことをやめたらしい。角名は角名で治に好意を抱いていたようで、このたび晴れて付き合うことになったというから驚きだ。
「それ本気で言ってんの?」
眉根を寄せた角名が正気を疑うように顔を歪める。しかし、何故そんな顔をされるのか侑にはさっぱり分からなかった。
「おん。やって、俺もツムもパーツは一緒やんか」
二人の交際自体に何の感慨もない。男同士という点においても当人同士がいいなら侑としては別にどうだっていい。そんなことより、何故治だったのか――ただその一点だけが気になった。
「確かによく似てるけどそれって見た目の話でしょ?」
「……? 見た目以外何があんねん」
きょとんと目を丸めて侑は首を傾げる。治とは一卵性双生児で、今でこそ髪色で区別できるが高校に進学するまで同じ色をしていたから間違われることなど日常茶飯事だった。
「えー、そこから説明しないといけないの?」
あからさまに面倒そうな表情を浮かべる角名を前に、侑は「その顔やめえや」と言って顔を顰める。今この場に治が居たならば、きっと彼は面倒臭いと言って丸投げしただろう。銀島が居ても彼に任せて逃げたに違いない。しかし、今この場所には侑と角名の二人しか居ない。治と銀島は激混みの購買までパンを買いに出掛けていた。
「とりあえずさ、侑が今まで付き合ってきた子たちの基準て何?」
その質問に何の意味があるのか分からないまま、侑は深く考えることなく口を開く。
「は? そんなもん顔以外何があんねん」
逆にそれ以外何があるのかと問いたいが、言葉を紡ぎ足すより先に角名が声を漏らした。
「うわぁ。さすが人でなし」
「はぁ? ケンカなら言い値で買うたるわ」
少し腰を浮かせると、角名は距離を取るように身体を仰け反りながら苦笑を浮かべる。
「まぁ期待を裏切らない回答だったからいいけどさ。そもそもそれが間違いなんだよ」
「あ? どういうことや」
「まずもって、理由は人それぞれだから一概には言えないけど付き合うってそんな単純なもんじゃないよ」
「意味分からん」
経験上付き合うことに難しさを感じたことはない。告白してくる女の顔が好みの範疇ならばオッケーする。ただそれだけのことに難しさを覚えるはずもなかった。だが、角名は単純ではないと言うから意味が分からない。理解ができなくて頭上に疑問符を並べる侑を一瞥した角名は言葉を探すように視線を空に投げた。
「なんて言えばいいんだろ……顔が好みって言うのが一つの指標になるのは否定しないけどさ、どんだけ顔が好みでも性格が合わなかったら一緒に居て普通にしんどくない?」
「そらまぁ、そうやな」
確かに顔が好みでも価値観が合わなくて面倒臭くなることは多々ある。そうして面倒が積み重なっていく内に別れを切り出されるのが侑の恋愛だ。
再び戻された視線が侑に注がれる。
「侑と治は確かに見た目だけで判断するならぶっちゃけどっちでもいいだろうね。なんせ瓜二つだし」
「せやろな。どいつもこいつもこの顔と付き合えるなら俺でもツムでもどっちでもええ言うとったわ」
中学時代から異様にモテるようになった侑と治はその頃から彼女が途切れたことがほとんどない。来る者拒まず去る者追わずで人数もそれなりだ。しかし、その中で顔ではなく中身まで好きになって告白をしてきた女は恐らく皆無に等しい。顔のいい男が彼氏というステータスを求めていた。実際侑に告白してきた女が治にも告白していたことなんて一度や二度ではなく、元カノが治の今カノなんてこともあったくらいだ。
侑の口から語られた言葉に角名は納得の表情で肩を竦めた。
「侑が捻くれた考え方しかできない原因て元々持ってる素質もあるんだろうけど、多分周囲の扱い方も大いに影響してる気がする」
「なんの話や」
「お前らって多分ずっと個としての感覚が曖昧だったんだよ」
また意味の分からないことを角名は言う。そもそも母親の腹の中からずっと一緒に居る治は侑の半身と言っても過言ではない。いつだって周囲もセットで扱ったし、それを苦に思ったこともない。最早そういうものと受け止めている侑に個としての感覚などあるはずもなかった。
「まぁそう思わせた周りが悪いんだろうけどさ。少なくとも俺は一度だってお前らを同一視したことないよ」
今ひとつ腑に落ちなくて眉根を寄せると、角名は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「見た目がよく似てるのは否定しないよ? でも、お前ら中身は全然違うからね?」
大体治は侑ほど人でなしじゃねぇし、と言って彼はからりと笑った。
「そうかー? そんな変わらへんやろ」
「冗談。俺の彼氏を悪く言わないでくださーい」
ちょいちょい挟まれる惚気に堪らず顔を歪めるが角名は軽く受け流して笑みを零した。
「俺は治だから好きになったの」
砂糖を煮詰めたような甘ったるい声が空気を揺らす。幸せそうに綻ぶ表情に少しの照れ臭さを乗せてきっぱりと言い切る角名の姿に侑は息を呑んだ。初めて見る類の表情に何故だかドキッと心臓が脈を打つ。侑ですらこんなに感情が掻き乱されるのだ。角名のまっすぐな好意を注がれる治は堪らないだろう。たった一人に愛される喜びを知った治がひどく羨ましく思えた。
「侑のことは友達としては普通に好きだけど、それ以上になることはないって断言できる」
「……なんやそれはそれで腹立つわ」
直視することができなくて、すっと視線を逸らしながらどうにか言葉を返すが心臓はバグを起こしたかのようにまだドクドクと早鐘を打っている。そんな侑の心の騒めきなど知る由もない角名は「まぁでもさ、」と言って笑みを深めた。
「俺が治だから好きになったように、侑のことをちゃんと見て好きになってくれる人だって必ず居るよ」
優しい声に乗せて諭すように紡がれるが、そんな人間が居るとは思えない。治が角名に出会えたのは偶然が重なり合った奇跡みたいなもので、そうそう起こりはしないと内心に思いながら侑は「せやな」と心にもない言葉を返した。
*
「――てことがあったんですわ」
あれから数日後、侑は部長の北信介に誘われて帰り道を共に歩いていた。決して調子が悪いわけではないけれど、今ひとつ気分が乗らず時折感情が抜け落ちたように表情を無くす侑の異変に気付いた者は居ない。治でさえ然程気に留めていなかったからきっと巧く隠せていたはずなのに、どうしてか北だけは騙されてくれなかった。
「それで、治が羨ましなったんか」
何があったのかと問われ渋々先日の出来事を語ると、北は心底呆れたようにため息を漏らす。くだらないとでも言いたげな表情を横目に入れながら、侑は拗ねたように唇を尖らせた。
「やって、サムだけズルいですやん」
元は一つだった。そのはずなのに、治はたった一人に愛される幸せを知った。自分は知らないのに何故治だけ、と思わずにはいられない。
「ズルいっちゅう感覚がそもそもよう分からん。それは羨ましなることなんか?」
「は?」
「双子だろうと侑は侑やし治は治やねんから比べること自体間違うとるわ」
何故だか北は不満げに眉根を寄せているが、侑にはその反応の意味が分からなかった。ずっと一緒に生きてきた片割れは言うなれば写し鏡だ。侑は治で、治は侑だった。その認識自体が彼は間違っていると言うのだから訳が分からず侑は困惑した。
戸惑う侑を横目に見た北は改めて口を開く。
「せやから治には治の良さがあるように、侑には侑の良さがあるやろって話や」
そうなのだろうか、と心の内側に問いかけてみるけれども答えは出ない。しかし、治だから恋をしたという角名の言葉は言うなれば治にしかない魅力に惹かれたということ。治には治の魅力があるというのならば、確かに自分にしかない良さもあるのかもしれないと思った。思ったけれども、それが何か考えてみても侑には分からない。
分からないというのに、それを北は知っていた。
「DNAは一緒やからどっちもおんなじくらい手の掛かる悪ガキなんは確かやねんけどアレやな。分かりやすいところで言うと、治より侑の方がバレーに対してまっすぐやし、純粋に楽しんどると思うで」
思いがけない言葉を浴びて二の句を継げず瞠目する侑を置いてけぼりにして北はなお言葉を連ねた。
「バレーに一切妥協せんところなんかは侑のええところちゃうか」
「えっ」
「あとはそうやな……お前の方が感情表現豊かやし、好き嫌いがはっきりしとるから見とって分かりやすいわ」
侑には分からなかったことを北は淀みなくスラスラと並べてみせた。幾度となく正論パンチを繰り出してきたその口で侑の良さを語る違和感は凄まじい。
「……最後のやつだけ褒められとる気ぃせんのですけど」
突然浴びせられた容赦のないデレに満身創痍の中、やっとの思いで口を挟む。すると北は何食わぬ顔で「褒めてへんからな」と宣った。
「そこは最後まで褒めたってくださいよ!」
「お前はすぐ調子に乗るからお断りや」
「北さんのいけず!」
駄々を捏ねるように喚くが北は笑うだけで相手にしてくれない。それ以上褒め言葉を連ねてくれることはなかった。
「とにかく、お前と治は似てるけど似てへんのやから羨ましがらんでええねん」
侑は侑らしく居ればええよ――と彼は笑みを深めるが、羨ましく思う気持ちは消えてくれない。治を想う角名のような存在にどうしたって焦がれてしまう。
「でもやっぱり羨ましいですやん。俺も俺やから好きになったって言われたいです」
しゅんと肩を落としながら言葉を零す。聞き分けのない子供みたいで情けないけれど、北相手に格好つけたところで仕方がない。今以上に情けない姿すら知る北には良くも悪くも繕わずありのままの自分で接することができた。
遠くで鳴り響くクラクション。散歩をする犬がキャンキャン鳴いている。その隙間を縫うように空気を震わせるのは北の声だった。
「……そういう素直なところなんかは特に可愛げがあってええと俺は思うとるけどな」
「えっ」
雑音に邪魔されながら届いた声に侑の足は縫い止められた。北の口から紡がれるには違和感のある類の言葉が鼓膜を揺らしたのだ。侑が耳を疑うのは無理もないことで、まん丸と見開かれた目に北を映す。つられるよう足を止める北に視線を注いでその言葉の真意を探ろうとしてみたが、残念かな彼の表情に特段変化は見受けられなかった。
「まぁなんや。ちゃんと見とる奴は見とるから安心しいや」
少しだけ地面から踵を浮かせてポンと侑の頭を叩いたかと思えば、すぐさまその身を翻して彼は再び歩き出す。
「ほな、気ぃつけて帰れよ」
「ちょ、北さん!?」
まるで何かを隠すようにスタスタと足早に歩いていく北の背中が少しずつ遠ざかっていく。次第に小さくなっていく背中を呆然と見つめることしかできない侑であったが、いよいよその姿が見えなくなったところでようやく我に返った。
「あの顔なんやねん……っ!」
腰が抜けたようにズルズルとしゃがみこんだ侑は火照る顔を膝に埋めて唇を噛み締める。北のあの表情を言葉で表すならば、きっと慈しむようなそれと言うのだろう。去り際に見えた耳は赤く染まっていた。
思い返してみれば北は出会った当初から自分たちを一緒くたにせず、いつだって個として見てくれていた。その事実に気付くと、彼が連ねた言葉に一層重みが増す。
「あかん……身体おかしなってもうた」
全力疾走した後のような速さで心臓が脈を打つ。顔は熱いし胸も苦しくて変だ。おまけにもっと自分だけを見て欲しい。他の誰にもあの顔を見せないで欲しい。そういう欲が次々と溢れてきて訳が分からない。未知の感覚に戸惑いすら覚えながらなんとか立ち上がった侑はふらふらと家路を急ぐ。
「俺、死んでまうかもしれん!」
帰宅して泣きついた片割れが話を聞いてゲラゲラ笑う。これが恋と知るのは一頻り笑われた後のことだった。