肆番隊「肆番隊はどうよ」
集会が終わり、少しずつ人が捌けていく。その波に乗って友人たちと合流すべく一歩踏み出したところで足は再び地面に縫い止められた。振り返ってみれば、そこには東京卍會の総長を務める佐野万次郎や副総長の龍宮寺堅といった錚々たる顔ぶれが並んでいる。
「どうとは」
脈絡なく投げかけられた言葉に千堂敦ははてと首を傾げた。
千堂が肆番隊の副隊長に収まって早数ヶ月。想像していたよりずっと平和な日々を過ごしている。厄介なことに首を突っ込むことなく、巻き込まれることもなく、それこそチームに迷惑をかけるような面倒事が起きた記憶もない。だから、どうと言われても千堂には答えようがなかった。
「一虎が隊長だとぶっちゃけ苦労も多いだろ?」
あいつ、ワガママだからさ――紡ぎ足されたその言葉に卑下する意図はないのだろう。穏やかな声が空気を震わせた。
「あー、そういう」
成程知りたいのはそっちか、と合点がいった顔で千堂は苦笑する。一つ年上の創設メンバーが顔を揃えて声を掛けてきた意味を正しく理解した瞬間だ。
己が隊長である羽宮一虎を、彼らなりに心配しているのだろう。警戒心が強く、慣れるまでに時間を要するタイプの人間と知っているからこそ、友人として心配しているのだと察して千堂は表情を崩す。仲間思いな男たちで結成したこのチームならではと言うべきか、仲間が仲間を気に掛ける様子は決して珍しい光景ではなかった。
「そういう意味なら、まぁ手の掛かる人ではありますけど、根はいい人っつーか、仲間思いな人なんでオレも含めて隊員皆楽しくやってますよ」
警戒心の強い猫みたいな人だが、一度心を許すととことん甘え倒す。今となってはどちらが年上か分からない時すらあるが、信頼の証と思えば悪い気もしない。羽宮に甘えられることは、同時に彼の信頼の証でもある。肆番隊の隊員は早い段階でその事実に気付き、彼の信頼を得ようとあれこれ世話を焼くのが暗黙のお決まりとなっており、その光景はなかなか愉快な絵面であると千堂は笑いながら明かした。
きっと、それは自分より遥かに付き合いの長い彼らにだって心当たりがあるに違いない。事実、佐野は安堵した顔に笑みを浮かべた。
「一虎は誤解されやすいからちょっと心配だったんだけど……うん。問題なさそうだな!」
千堂の言葉から、隊の雰囲気が思い描いていたよりずっと穏やかなものであると察したのだろう。まるで自分のことのように佐野は喜んでいた。
「アイツはオレらの中でも群を抜いて仲間思いな奴だけど、警戒心も人一倍強いから距離感掴むの難しかっただろ?」
笑いながら訊ねてくるのは龍宮寺だ。彼の言葉に同調するよう頭を縦に振るのは三ツ谷隆と林田春樹である。彼らにも身に覚えがあるのだろう。慣れるまで長いんだよな、と言い合って笑った。
「あー……どうだろ?」
千堂は同意せずに首を傾げる。羽宮とは隊長副隊長という関係性以前に、同じ中学校に通う先輩後輩の関係だ。その点で言えば、もしかしたら最初から多少ハードルは低かったかもしれない。加えて、東京卍會加入前に拳で語り合った仲だから、他の隊員より彼の警戒心を解く時間も短かったかもしれないと千堂は語る。
「それって噂の溝中事変?」
「そっす。あれ以降一虎君との距離がグッと縮まった気がします」
溝中事変なんて大層な名が付いているけれど、中身は単純なもので、生意気な新入生として目を付けられた千堂が上級生の羽宮に喧嘩を売られただけの話だ。その頃既に東京卍會は界隈で名の知れたチームとなっており、共につるんでいた仲間たちは皆この世の終わりみたいな顔をしていた。実際羽宮相手に全く歯が立たなかったのは言うまでもない。しかし、仲間を守るため何度倒されても何度だって立ち上がり、最後まで背を向けなかった。もういいと仲間たちが震える声で叫んでも逃げずに対峙した。勝負の行方など火を見るより明らかな状況で、それでも逃げなかった千堂に羽宮が一目置くのは自然な流れだったと言えよう。止めを刺されることなく、その気骨ある性格が気に入ったと言って振り上げた拳をトンと千堂の胸に当てて笑った羽宮は、そのまま満足げな顔で去っていった。そして、何故かその翌日から彼に良い意味で毎日絡まれるようになったと千堂は振り返る。伺いを立てられることなく半ば強引に東京卍會の集会へと連れていかれ、「今日からアツシは肆番隊の副隊長な!」と言われたのは、それから一ヶ月と経たない中での出来事だった。
「確かに、あのタイマン以来一虎の奴、しょっちゅうアツシの話してたな」
場地圭介が八重歯を覗かせながら笑う。口を開けばアツシの話ばっかだったわ、と言ってケラケラ笑い声を漏らした。
「しかも見るからに嬉しそうな顔しちゃってさ」
「絶対アツシを副隊長にするって意気込んでたよな」
彼らから聞く羽宮の様子に、千堂はどう反応したらいいのか分からず曖昧に笑うことしかできない。預かり知らぬところで自分の話題が出ていたのだ。何を言われていたのか気にならないと言えば嘘になる。しかし、彼らの口ぶりから悪口ではなさそうだ。なんせニヤニヤとした笑みが四方八方から注がれている。これは、間違いなく下手に突っ込んだらこちらが居た堪れなくなるやつだ。
「まぁとにかくさ、一虎のこと、これからも宜しく頼むよ」
まるで親のような慈愛に満ちた瞳を向けられた千堂は照れ臭そうに首肯する。大切な仲間のそばに後から加入した自分が居ることを総長たる佐野が公に認めてくれたのは純粋に誇らしい。自分を信頼し、託してくれたのだと理解すれば身が引き締まる思いでもあった。
「なになに、何の話してんの?」
会話が途切れたタイミングで背中にズドン、と容赦ない重みが圧し掛かる。誰の仕業かなんて振り返らずとも理解できた。
「ちょ、一虎君重い!」
「隊長様に向かって重いはねぇだろ」
羽宮はそう言って更に体重を乗せてくる。背中から押し潰すように殆どの体重を掛けられて千堂の顔は歪むが、当の本人は楽しげだ。
「いやマジで重いから離れて!」
「なにそれ、フリ?」
絶対離れてやんねぇ――ケラケラと笑いながらついに足を地面から離した彼は、千堂に全体重を掛けた。図らずも羽宮を背負うことになった千堂は「マジで重い」と非難するが、その程度で離れる羽宮ではない。むしろ、どこ吹く風である。
こういうことは決して珍しくない。千堂にとってはそれこそ日常的なスキンシップの一つに挙げられる。学校でも終始この調子であり、教師や羽宮のクラスメートには羽宮の保護者と呼ばれているくらいだ。ちなみに同級生は羽宮を、顔は美人だけど可愛い印象のが強いと口を揃える。つまり、見る角度によって印象は異なるが、彼のこのスキンシップは溝中では当たり前に見られる光景だった。
しかし、佐野たちにとっては新鮮な光景だったのだろう。付き合いが長いからといって相手の全てを知っているわけではない。事実、珍しいものを見たように目を丸めていた。
「……ホント、よく懐いてんなぁ」
龍宮寺の口から無意識に漏れた言葉が空気を揺らす。その目はやはり見開かれていた。
誰に宛てるわけでもなく漏れた言葉を拾い上げた羽宮が首を傾げる中、場地がふっと笑みを零す。彼もまた珍しい光景を目の当たりにして驚いていたものの、その表情は何処か安心しているようにも見えた。
「一虎がオレたち以外にここまで気を許すって珍しいな」
うんうん、と皆が首肯する。彼らが抱く羽宮の印象がよく分かる言動を前に思わず千堂は笑ってしまった。
「は? んなことねぇだろ」
「そんなことあるわ」
「そうか?」
肝心の本人には自覚がないのか首を傾げている。その両極端な反応に千堂は益々笑いが込み上げてくるが、ここで笑えば羽宮が機嫌を損ねることを知っているから必死に堪えた。なんせうちの隊長は短気なのだ。
「ま、何れにせよ一虎のことはアツシに任せとけば問題ないし、肆番隊は安泰だな!」
話を纏めるように佐野がいい笑顔で言い放つ。しかし、雑なその纏め方は、話の流れを把握していない彼にとって理解し難いものだったのだろう。羽宮は頭上に疑問符を並べた。
「は? なにそれどういうこと?」
「アツシがしっかり者の副隊長って話」
解を示すのは三ツ谷だ。彼に続くよう皆が口々に千堂を褒め称え、当の千堂は酷く困惑した。光栄に思うが、特別なことは一つもしていない。普通に接し、普通に立ち回っているだけの千堂にしてみればただただ居た堪れなかった。
「ふーん」
皆の言葉を軽く聞き流した羽宮が不意に背中から降りて隣に立つ。
「そういやアツシ、山岸たちが探してたよ」
「あ、やべ」
一緒に帰る約束をしていた友人の名を出され、千堂はやばいと顔を歪める。もう随分と待たせてしまっていることに気付き、慌てて「オレ、帰りますね」と言えば、「おう。気ぃつけて」と羽宮は手をひらひら振った。その後で佐野たちにも頭を下げて、足早にその場を離れていく。
だから、知らなかった。
「……先に言っておくけど、どんだけ褒めたってアツシは絶対他の隊にはやらねぇかんな」
自分が去った後、羽宮がむすっとした顔で周囲を牽制していたなんて知る由もない。アイツはオレが見つけたオレの右腕だから、と言い放っていたことを知ったのはそれから暫く経ってのこと。
「いやマジでビックリするくらいよく懐いてるわ」
アツシすげぇよ、と笑いながら教えてくれた佐野の隣で、可哀想なくらい顔を真っ赤に染め上げる羽宮が居たのは言うまでもない。