真武「真ちゃん、タケが来てくれたぞ」
部屋の扉を開けた瞬間、片隅で膝を抱えている真一郎の見慣れた姿が目に飛び込んできた。此処に呼び出した張本人である今牛は真一郎に声を掛けるもののソファーから一歩も動こうとはせず、意識の殆どはテレビゲームに向かっている。対戦相手の荒師に至っては全意識がゲームに注がれているのか無反応だ。
「タケミチ〜っ!」
勢いよく顔を持ち上げて、情けなく眉を下げた面で真一郎が躙り寄って来る。その様子を何とも言い難い顔で明司は見ていたが、やがてそっと目を逸らした。
「オレを慰めろぉ」
距離を縮めてきた真一郎にそのまま抱きつかれた武道は腕の中で苦しげに声を漏らす。こういう状況は決して珍しくない。それこそ日常茶飯事だから、すぐに察した顔で苦笑した。
「まーた振られたの?」
指摘すると間髪入れずに「またって言うな!」と言葉が返ってくる。頭をぐりぐりと肩に擦り付けながら悲しげな呻き声を漏らす彼ではあるが最早同情の余地はない。振られるたび呼び出され慰める身にもなって欲しいものだ。最近は呼び出しの頻度も高くなっており、どれだけ惚れやすいのかと呆れるばかりである。
ゲームは決着がついたのか、荒師ががっくりと肩を落として項垂れている。その隣で今牛が勝ち誇った笑みを浮かべながら振り返った。
「通算十六連敗は普通にまただし、そもそもその気がないくせに告ってんだから真ちゃんの自業自得でしょ」
「ワカ、シャラップ!」
今牛の意味深長な言葉を真一郎が制止する。彼女を作ることから失恋を口実に慰めてもらうことへと目的がすり替わっていることを知っているのは極一部に限られており、武道は知らない側の人間だった。そのため、気になる発言ではあったものの深くは考えず、単純に記録を更新し続けている事実に呆れた。真一郎の惚れっぽい性格は重々承知しているが、そろそろ懲りてもいい頃合いだと内心に思う。
「真一郎は格好良いのになんで振られちゃうんだろうねぇ」
いくら惚れっぽい性格とは言え、東京中の不良が憧れる黒龍の総長であり、人柄的にも申し分のない真一郎が振られ続ける意味が分からない。少なくとも武道は自分が女であったなら一も二もなく承諾するし、末長く付き合いたいと思える誠実な男とも思っている。
「ううっ、もうやだ。オレに優しくしてくれるのはタケミチだけだよ」
背中を摩りながら不思議そうに呟く武道を真一郎はより一層強く抱きしめた。傍から見ると、図体のでかいガキのよう。
「いつも思うけど、総長のこんな情けねぇ姿は下の奴らに見せらんねぇな」
呆れ顔で肩を竦めるのは荒師だ。同意するよう今牛が「それな」と言って苦笑する。確かにこんな姿をチームの仲間に見せるわけにはいかない。きっとどんな姿であっても彼を慕う気持ちは変わらないだろう。そういう仲間たちが集ったチームだから、見せたところで然程問題はないと思うけれど、自分たちだけが知っている総長の情けない姿という特別感を共有したくない気持ちも確かにあった。
「オレたちだけの特権みたいな扱いにしてるだけとも言うけどね」
「それは……心当たりがありすぎて否定できねぇな」
見せられないのではなく、見せないようにしている感を否めない面々が揃って決まりが悪そうな表情を覗かせる。
「でもまぁオレたちにはどんな情けない姿を見せても受け入れてくれるって分かっててやってるから真一郎がたち悪いのは確かだけどね」
「そういうとこ、ホント人誑しだよなぁ」
黒龍は単に力だけでのし上がったわけではない。白豹や赤壁等元々名の通った不良が集まっているのだから強いのは当然だが、大前提として真一郎の人柄に惹かれて強い不良が集まって来たから黒龍は強くなったのだ。癖の強い不良でさえ、真一郎の人柄に触れてしまえばたちまち絆される。そういう場面を武道は何度もそばで見て来た。今牛や荒師は絆された面々の筆頭である。
「そこが真一郎のいいところでもあるからね」
ただ強いだけの不良ならばいくらでも居るけれど、不良が憧れる不良は何処を探したって真一郎以外に存在しない。彼のカリスマ性は努力で手に入るものではなく、生まれながらにして備わる天性のもの。人々を魅了して止まない彼の最大の魅力である。
「タケミチ、それってオレのこと口説いてんの?」
腕の力を少しだけ緩めた真一郎が見下ろすよう視線を絡めて来た。切実に、いじらしく顔を赤らめないで欲しい。口説いている気などさらさらない武道は、面倒そうに嘆息を漏らした。本気でそう思うのならばいっぺん病院に行くことをおすすめしたい。
「ううっ、オレの純情弄ばれた」
「口説くより口説かれたい派なもんで」
弄ばれたと言いながら、ちっとも腕の中から解放してくれない真一郎のちぐはぐな行動に呆れながら武道は雑に彼の頭を撫でた。そんな武道の耳に、今牛の楽しげな声が届く。
「じゃぁタケ、オレに口説かれてみる?」
甘ったるい声に乗せ、女ならばイチコロだろう仕草で言う今牛を、焦った顔で制止するのは荒師だ。「おい、ワカやめろ」と言う彼の声には浮かべた表情に違わない焦燥が孕んでいた。
「ワンナイトで捨てられる未来しか想像できないから却下」
何故荒師が焦っているのか知らないが、今牛に口説かれたところで武道の心が揺れる可能性は万に一つもない。黒龍きってのモテ男である今牛だが、泣かせた女の数も断トツだ。明け透けな事情まで把握している武道としては一考の余地もないくらいなし寄りのなしである。
「じゃぁ、オレでどうだ?」
ならば、と便乗したのは明司だった。しかし、軍神であろうとやはり武道の返答は変わらない。
「却下。ベンケイくらい誠実になってから二人とも出直してこい」
「バッカ! オレを巻き込むんじゃねぇ!」
チラチラと真一郎の顔色を窺いながら荒師が顔を引き攣らせる。その視線に気付いているのかいないのか知らないが、真一郎は武道を隙間なく抱きしめ直した後、「テメェら」と地を這うような声で空気を震わせた。
「いくらオマエらであろうとタケミチだけは譲らねぇぞ?」
いや、そもそもオレは真一郎のものでもないんだよなぁ――そう内心に思うけれど、殺伐とした空気が声に乗せることを許さない。そんなんだから女の子に振られるのではないかと見当違いなことを思いながら武道は宥めるようにその背中をポンポンと優しく叩いた。
「とりあえず真一郎は早くオレ離れしような」
そしたらすぐに彼女もできるよ、と言葉を紡ぎ足す中、そうじゃねぇと言いたげな顔で天を仰ぐ者数名。
「全然オレらの忠告響いてねぇのウケんね」
今牛の呆れまじりの声が響く。何のことかと言いたげに聞き返すと、今牛ではなく荒師の方が口を割った。いやに真面目な声に乗せてそれは紡がれる。
「何度も言っちゃいるが、オマエはシンイチロー並みに弱いんだから、もしもの時は全力でキンタマ蹴り上げるんだぞ?」
そう言えば、と武道は振り返る。これまで何度も荒師に言われていたことを思い出す。今牛には「オレらには止めらんねぇわ」と言って謝られたし、明司には「ああ見えてかなりの策士だからケツには気を付けろ」と謎に警告されたこともある。しかし、それらの言葉が何を指すのか分からず、ずっと聞き流していた。今でもその言葉の意味は分からないまま、武道はきょとんと目を丸める。
「もしもの時ってオレ男だし、そもそもオレに興味を持つ物好きなんていないから大丈夫だよ」
危機感の欠片もない呑気な言葉を放つ武道を見つめながら重なる三つのため息。オマエを抱きしめているのがその物好きなんだよなぁ――と三人は心の中で思うけれど、馬に蹴られたくはないから大人しく口を噤んだ。賢明な判断である。
「何があろうとタケミチのことはオレが守ってやるから心配すんな」
三人のため息を掻き消すように、満面の笑みを浮かべて真一郎は言い放つ。唐突に繰り出される彼のこうした無自覚男前発言は本当に心臓に悪い。防御なしに食らうとそれこそイチコロで、自分が女なら完全に「抱いて!」と言っているところだ。まさかその発言さえせっせと外堀を埋めている真一郎の計算の内なんて知る由もなく、武道は不覚にも火照り出す顔を隠すよう彼の胸に埋める。早鐘を打つ心臓が喧しい。バグを起こしたようにドクドクと脈打つ耳障りな心音の意味には心当たりがあった。けれども、いやいやまさかと否定する。真一郎相手に恋心を抱くなんて、そんなはずはない。恋であるはずがない。そう信じたい思いに反して、心を射抜かれるその日に向かって既にカウントダウンは始まっていた。