チョロ松、本気出す。カラ松の元で働き出してから一週間。
まだ他の三人には言わないまま、チョロ松はいつものように目を覚ました。
「ふあ〜…」
「チョロ松にーさん!おはようございマッスル!」
「おはよう、十四松。早いね」
「うん、朝ご飯食べたらやきうしに行くっす!にーさんは?」
「僕は今日はにゃーちゃんのライブ」
「おお!いいっすね!」
「よし、顔洗って来よう」
「おれもー!」
それを二人挟んだ場所で聞いていたカラ松は口元が緩みそうになるのを堪えていた。二人とも、普段と変わらないやり取りだ。
「…十四松の声、うっせえ…」
一人おいて、そんな寝惚けた声がした。
見るとおそ松がまだ開ききっていない目をシパシパと瞬かせているところで。
「いつもの事じゃないか。俺も顔洗って来よう」
「お前も出掛けんの?」
「ああ、今日もカラ松girlsを迎えに」
「あーハイハイ。…何時よ、…8時か、起きないと朝飯食いっぱぐれるな」
「ついでに一松とトド松も起こしてやってくれ、俺は顔洗って来る」
布団から抜け出しいつものパーカーに着替えると一階へ降りる。洗面所でチョロ松と十四松が待っていた。
「おはよう、カラ松」
「おはよーございマッスル!」
「おはよう、二人とも。今日もよろしく頼むな」
「うん」
こそりと目を合わせ三人で笑う。
出る時間はバラバラだ。
今日はライブに行くと言ったチョロ松が一番先に出る。それから十四松、カラ松。
この辺り、会社勤めではない分融通が利くのがいい。
全員揃っての食卓は賑やかだ。食事に遅れると何も残っていない松野家ではニートだろうが席につかなければ白米すらない時があるから、朝食と夕食は大抵全員で取る。
「じゃあ行ってきます、帰りは遅くなるから夕飯いらないよ」
「分かった、マミーに伝えておこう。気を付けてな」
「行ってらっしゃーい!」
朝食を早々に終えたチョロ松がいつものライブスタイルにリュックを背負い家を出る。ぶんぶんと手を振っている十四松も、もうユニフォーム姿だ。
「じゃあおれも行ってきマッスル!」
「もう行くの?気を付けてね」
「行ってらっしゃーい」
バットを担いで飛び出す十四松を見送り、カラ松も空いた食器を手に立ち上がる。そのまま台所へ運び二階に上がるとパーカーからいつもの革ジャンと黒のスキニーに着替える。愛用の手鏡で髪を整えるとパーフェクト・カラ松の完成だ。…もちろんそれは表向きの事。
「ふっ…じゃあ行ってくるぜ、マイブラザー」
厨二病を拗らせたように見せてるのは全て演技で、いずれは話すつもりではいるがもう少しだけ気付かれたくはない。チョロ松、十四松と言う味方が出来たのはカラ松にとっても心強い事だった。
いつもの革ジャンにサングラス、髑髏バックルのベルトに黒のスキニー。その格好も事務所に着くまでだ。
「ああ、カラ松来た?僕、後で名刺取ってくるからちょっと外出するよ」
「分かった。俺は今日は外出の予定はないから」
事務所に着くと既にスーツに着替えているチョロ松に迎えられながら、仕事部屋に入る。打ち合わせも何もない時のカラ松は、普通の20代男性がするようなシンプルな服装だ。
「そう言えば十四松は?」
黒のタートルネックとグレーのロングカーディガンに着替えたカラ松がキッチンに向かいながら、自分より先に出た弟の姿が見えない事に首を傾げた。
「文房具屋に寄ってから来るって。コピー用紙が切れちゃったみたい」
「そうか。じゃあ俺は仕事部屋にこもるから後よろしくな」
律儀に自分の前にもコーヒーの温かい湯気が立ち上るカップを置いて仕事部屋に向かうカラ松の背中を見送り、チョロ松はワイシャツの袖を捲った。
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「英会話を習う?」
「うん。取引先に外人がいる事も多いし、僕も会話くらい出来ないとこの先困ると思うんだよね」
12時を過ぎて気分転換にとカラ松が作った昼食を食べながら、チョロ松が切り出す。
カラ松も十四松も食べる手を止めてじっと凝視したままだ。
「…何、僕がやる気出したらおかしい?」
「いや、」
「チョロ松にーさん、すげーっすね!英語やるの!?」
「うん。カラ松みたいにドイツ語やフランス語までは無理でも、英語くらいはね」
「それならわざわざ教室通わなくても俺が」
「ダメだよ、カラ松は仕事あるでしょ。僕もやるなら本気でやりたいし、きっとカラ松相手だと甘えちゃうと思うんだよね」
「そうか」
「ここから五分くらいのとこに英会話教室あってさ、パンフレット貰って来た。予約なしでレッスン受けられるみたいだし都合いいかなって。その間は留守にしちゃうけど、仕事に影響ないようにやるからさ」
「いいじゃないか、やってみれば。分からない事があるなら教えてやるから」
「ありがとう」
突然の打ち合わせや外出する可能性がある以上、予約制の授業は受けにくい。いつ行ってもレッスンが受けられるのはチョロ松にとって都合のいいやり方だった。と、それまで話を聞いていた十四松が口を開く。
「それ、おれも行っていーっすか?」
「え?」
「ここにいると時々英語の電話掛かって来るし、その度にカラ松にーさんに代わるのも…だからおれも英語、覚えたいっす!」
「よし、じゃあ一緒に習おうか、十四松」
「うん!」
一人だと途中で投げ出してしまうかも知れないけれど、一緒にやる相手がいるならきっと続くだろう。チョロ松はそう考えて頷いた。一方の十四松はオムライスを口に運びながらパンフレットを眺めている。
「授業料はどれくらいなんだ?」
「一回の授業で2000円かな、それでも週一で通ったって月に一万いかないしね、それくらいなら僕だって出せるし」
カラ松程ではないにしても多少の貯金はあるし、兄弟と言えど仕事をしている以上この先給料だって入る。何より働くのならそれなりにきちんとした教養は付けたい、恥をかくのは今度から自分一人ではなくなるのだから。
「分かった。チョロ松は音感がいいからきっとすぐ話せるようになるさ」
「ありがとう、頑張るよ」
ふわふわ卵のオムライスを口に運びながら、三人は顔を見合わせて笑い合う。それから思い出したようにチョロ松が机の引き出しを開いた。
「そうだ、さっき名刺取ってきたんだ。どうせならデザインも統一した方がいいと思って。はい、カラ松」
「ああ、ありがとう。…へえ、いいじゃないか」
「でしょ?はい、これは十四松の分ね」
「わはー!かっけー!ありがとうにーさん!」
白地に青と緑、黄色が絡み合うような繊細な三本線で縁取られた名刺にはそれぞれの役職名が一緒に印刷されている。名刺を作るに当たって役職名くらいないとおかしい、とチョロ松が主張した結果だ。
「なくなりそうなら早めに言ってね、纏めて作ると割引きくから。十四松、これ領収書」
「ハイハイ!ただいま!」
「後でいいよ、ちゃんと食べちゃって」
「へへ、ハーイ」
「…このデザイン、チョロ松が作ったのか?」
「そうだよ。デザイン込みで頼むと高くなるからね。うちは三人しかいないし、それならいっそ作っちゃえと思って」
「…そうか」
じっくりと名刺を眺めているカラ松を放っておいて、食べ終えた皿を片づける。そのチョロ松の背中に兄の声が掛かった。
「チョロ松、事務所のウェブデザインやってみないか?」
「…は?」
「事務所のホームページをリニューアルしたいと思ってたんだ。センス、大したもんだと思うしチョロ松に任せたい」
「…分かった。会社のためになるなら僕も何でもやるよ」
次に名刺作る時は、WEBデザイナーの表記を入れた方がいいかな、なんて考えが一瞬過ぎったのは黙っておこう。そう決めてチョロ松はパソコンに目を向けた。