おいかけっこ 影山はキスするのが好きだ。どこであろうと、人が居ようと関係なくしてくるもので、国見は一度真剣な話し合いの場を設けたことがあった。まず互いの学校ではしないこと。例え隠れていても、誰に見つかるか分からないから駄目。勿論合宿先でも駄目。
当然影山が納得するわけもなく、全部だめだめって、じゃあいつならいいんだよ……とすぐ喧嘩腰になってしまう。というよりあからさまに不貞腐れる。どうしてそんなことが分からないのだろう。国見は一人冷静に、オレンジジュースを飲みながら考えた。
自分たちが恋人であるということを、他の誰にも話していない。二人だけの秘密だ。だからこそ学校や部室でチュッチュされるのは困る。このままでは絶対バレる。隠したい国見と、いっそバレてもいいと思っている影山。この時点で感覚に差があった。
「……男同士で付き合ってるってバレたら、俺も男だけどアリなのかも、ってやつが出て来るかもしれないだろ。そしたらどうすんの。俺がモブに狙われたら」
当時、思いついた最終手段はこれだった。我ながら発想力は満点だと思う。
「俺は嫌だけど、影山はそれでもいいの……」
国見は伏し目がちに言う。影山は机に拳を叩き付け、いいわけねえだろ!と叫ぶ。
「じゃあも……そいつからお前を守るってことだろ」
「うん。そうそう。だからなるべくバレないようにしようってこと」
「逆にそいつがお前を狙ってるとして、それが俺に分かったら、してもいいのか」
影山の言っていることが理解できない。国見は柔らかいストローを齧る。
「……どういうこと? してもいいってなにを?」
「キスをだ。お前モテそうだからな。国見を狙われてるって分かったら、その時はどこでもキスしていいんだろ。俺のものだってはっきり言っとかねえと」
まさかこんな言葉にキュンと来るなんて。本人は言い流したものの、国見はまだ台詞を受け止めきれずにいる。
正直な身体が熱を帯び、自然と顔が赤面する。影山は常に感情をストレートに伝えて来る。嬉しくて、こそばゆい。
「絶対無いと思うけど、もしもの時はね。……してもいいよ」
なんて、安易に約束しなければ良かった。国見は隣で楽しそうに語っている同級生を見る。彼は青城の新聞部で、バレー部の取材に来たメンバーの一員だ。
及川さんの話題で一人盛り上がっているのだが、問題なのは、彼の背後にくっ付いている影山の方だ。
体育館の隅で会話していることに気付いた影山は、彼の背後へ回ると、肩越しに国見を見つめた。不服そうに口を尖らせ、何話してんだよ、と表情が訴える。
「……と思う。許可さえ頂ければ、すぐに実行したいと考えているよ!」
いつ終わるのだろう。一向に会話の終わりが見えない。影山の不機嫌な、完全に嫉妬に染まっている目を見て、まさか彼を『自分を狙っているモブ』認定しているわけじゃないだろうな……と不安を感じ始める。
影山が一歩を踏み出す。このままでは何を言い出すか分からない。国見は慌てて彼の前に立ちはだかる。
「ちょっ、ちょっと待っ、影山」
「なんだよ」
「違う違う。ただの新聞部だからな。及川さんについて聞かれて……」
言葉を塞ぐように、肩へそっと手を乗せる。影山の真剣な瞳は有無を言わさない。自分はいつから、こんなに影山に甘くなってしまったのだろう。
こんな表情をされると、国見はいつも言葉を飲み込んでしまう。結局何も言えなくなってしまう。
そして影山の顔がじわじわ近付いて来る。まさか本当に……ここでするつもりだろうか。国見は高鳴る心臓を抑え、唇を噛み、強く目を閉じた。
「向こうで新聞部のやつが呼んでたぞ」
「ありがとう影山君! それじゃあまた!」
慌ただしく去っていく足音。息が苦しくなり、国見は固く結んだ唇を開ける。肩に指が触れているものの、影山は一向に何もしてこない。
「……えっ」
恐る恐る片目を開けた時、キョトンとしている影山と視線が合った。
「なんだ。今はしていいのかよ」
「ちがっ!」
「し損ねたからもう一回頼む」
国見は真っ赤な顔で俯き、影山の手を振り払う。
違う。勘違いしてキス待ちしていたとか、本当はしてもいいと思ったとか、そういうことじゃないから。
「今そういう感じだっただろ」
「目を閉じてただけだ……」
「違えよ。いつもキスする時の顔してた。俺ずっと我慢してんのに、やっても良かったんだな」
もういい。いいから今は放っておいてくれ。そんなこと言ったって影山に通じるわけがなく、このまま……皆がいる前でキスされるよりマシだ、と国見は一目散に走り出す。
「いいからっ、もうついてくるなっ」
「お前が逃げるからだろ。なんで逃げるんだよ。あいつともっと話したかったのか?」
影山が叫びながら国見の後を追い、仲良く追い掛けっこしている二人の様を、バレー部のメンバーは微笑ましく見つめている。
皆が二人は恋人関係だと気付いている。それを知らないのは、影山と国見だけなのだから。