ウソから出た……。 「こんばんはマリィ、この間約束していた『桜の練りきり』明日学校に持っていくわね」
「久しぶりにマリィに会えるのは嬉しいけど、春休み最後の土曜日が登校日だなんてついてないよ~」
届いたメッセージに、ありがとうとスタンプで返信する。
久しぶりに二人に会えるのも、ひめ椿屋の新作和菓子も本当に楽しみ。
「ヒカル、そんな風に言わないの。インフルエンザで学校閉鎖になった分の登校日数と授業数の補填なんだから仕方がないじゃない」
「だって~、面倒は面倒じゃん。マリィはひかるたちに会えるのとか、桜のお菓子なんかより、ずっとずっと楽しみなことがあるんだろうけどさ~♪」
そう言われて思わず顔が赤くなる。この間、お泊まりした時に、二人に初めてわたしの気持ちを打ち明けた。
「真っ赤なマリィ可愛い♥️」
わたしの返信スタンプのあとすぐにからかうようなメッセージが届く。
ひかるちゃんの言う通り、
明日が、登校日が楽しみ。
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御影先生に会える││
三年生になったらクラスが離れちゃうかもしれないから、明日の登校日が先生をじっくり見つめていられる最後になるのかも…。
もちろん三年生になっても生物の授業はあるけれど、週に数回だけだし、授業はすぐ終わっちゃうし。
想像してちょっと泣きそうになる。
どうか今年も御影学級の生徒になれますように。
願いを込めて窓の外の星空を見上げる。
遠くで瞬く頼りなげな光にさえ、真剣に手を合わせてしまう。
初詣でもしっかり神頼みしたし、大丈夫だよね、大丈夫だと信じたい。
□ □ □
校門をくぐると、御影先生が新二年生の女の子たちに囲まれていた。
やっぱり他の学年の子にも人気なんだな。
わたしが先生に気が付くのと、先生がわたしに気が付いたのがほとんど同時くらいで、ペコリ会釈をした瞬間に、先生を囲む輪がドッと笑いに包まれた。
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「言うよねー、それめちゃ小次郎先生っぽい」
「みかげっち、ウケるー、オモロ」
「エイプリルフール意味ねー」
先生が一人の女の子の頭を優しく撫でた。チクンと胸を刺す痛みとモヤっとした思いを抱えたまま、輪の隣を足早にすり抜けた。
早く教室に行こう。
なんのアドバンテージにもならない『御影学級の生徒』そんな肩書きにすらすがってしまう。
本当はわたしだって、あんな風に…。
ちゃんと授業に集中しなくっちゃ、と思えば思うほど、思考が逸れて、板書をノートに書き写すのも追い付かない。
真面目ちゃんなのに。
真面目じゃない。
昼休みの廊下は、学食へ向かう人、購買へ走る人、たくさんの人だったけれど、頭ひとつ飛び出した御影先生の後ろ姿だけはすぐに分かった。
背が高いからだけじゃない、わたしの目はすぐに御影先生を見つけてしまうように出来ている。
例え園芸部の畑にいても、例え体育倉庫の前にいても、わたしの目は自然に御影先生に吸い寄せられる。
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「せんせぇ」
後ろからスーツの上着の裾を掴む。
本当は今朝のあの子みたいに小次郎先生って呼んでみたかったけど。
「ん? 美奈子どした?」
いつもとは違う呼び方を気にする素振りもなくて、いつもと同じ優しい声
騒がしい廊下でわたしの声が聞きにくいせいか、御影先生が少しかがんでくれて顔が近くなる。
ウソをついてもいい日、そうだとしてもウソをつくのは緊張する。
大丈夫かな?
御影先生怒っちゃったりしないかな?
今朝のあの子たちと先生のやり取りを思い出す。
「せんせぇ…わたし、お腹痛い…」
ウソをつくという緊張からか、口から出た言葉が頼りなく震える。
「エイプリルフールだなぁ?」
そう言って今朝、あの子たちに向けたみたいな笑顔が見れると思ったのに。
先生がスーツの上着をバッと脱いで、わたしのお腹の前で袖を結ぶ。
え? 脱…?
「いつからだ、少しだけ我慢できるか」
御影先生の言葉のすぐあと、わたしの身体がふわり宙に浮いた。
抱き上げられたわたしのスカートの中が見えちゃわないようにしっかりと袖が結ばれた先生のスーツ。
ひゅーとあちこちから声があがり、黄色い歓声と、からかうようなヤジが飛ぶ。
「みかげっちってば、大胆ー☆」
「とりあえず保健室行くぞ」
周りの言葉には答えず、わたしに向かってそう告げた。
なんで…どうして…どうしよう…
スーツの袖、しわしわになっちゃう
本当はもっと考えることがあるような気がするけど、耳の奥がしゅんしゅんと音を立てて、熱くて何も考えられない。ただお腹の前で縛られた先生のスーツの袖を見ていた。
わたしを抱き上げた先生の表情が見たいけど、恥ずかしすぎて顔が上げられない。
「大丈夫か? そんなに痛むか?」
わたしの顔を覗き込む先生の心配そうな視線に首をブンブンと大きく横に振る。
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「失礼しますっ、先生ー?」
保健室の扉を足で開けながら大きな声で保健の先生を呼ぶ。
「あー、んだよ、いねぇのか」
「ちょっと待ってな、クスリクスリ…内服薬の棚って勝手に開けてもいんだっけかな」
わたしをベッドに下ろすと、薬棚の扉に手を掛ける。
「鍵…そりゃそうか、施錠してないはずねぇか」
くしゃりと髪を掻き、こちらに向き直る。
「我慢できないくらいしんどかったら、病院連れて行く。大丈夫そうなら、ちょっと休んで…」
「ごめんなさい!」
御影先生の言葉に慌てて被せる。
「ごめんなさい、御影先生…ウソなの…お腹痛くないの…あの…エイプリルフールで…わたし、先生に…」
一瞬驚いたように目を見開いて、そのまま深いため息を吐く。
「…はぁ~…なんだよ、なんだよ焦った」
先生が崩れるみたいにしゃがみこむ。
保健室のベッドに座るわたしの左ひざの上に、先生の額がコテンと乗った。
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「なんだよもー、おまえ今日ずっと授業中も上の空でおかしいなって思ってたのに、あんな震えた声で腹痛いって」
「ごめんなさい」
「普段あんな風に俺のこと呼ぶこともないし、よっぽどしんどいのかって」
「ごめんなさい」
ごめんなさいと繰り返しながらひざの上、先生の柔らかな髪を撫でる。ふわふわ、ふわわ、髪の毛の隙間から覗く耳が真っ赤、多分わたしの耳も同じくらい赤い。
「いや焦ったー。んとに、腹は痛くねぇんだな?」
わたしを見上げる先生の瞳はびっくりするくらい優しくて。
「痛くないです…今朝、二年生の子の頭を…先生が撫でてあげてるの見て、いいなぁって」
「へ? 頭? 別に撫でてねぇな」
「え?」
「今朝だろ? すれ違った時の、あー、頭に花びらが半端なく積もってたからはらったけど」
「お腹痛いって言って、みんなで笑ったあと、先生が頭を撫でてあげてるみたいに見えて」
モヤモヤした気持ちの理由を口にすると、呆れちゃうくらい子供っぽいヤキモチで、面倒な生徒だって思われちゃうかな。
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「…おまえも俺に撫でて欲しかったってことか?」
イタズラっぽく笑うと立ち上がって、わたしをポンポンと撫でたあと、大きな手のひらが頭の上で動きを止めた。
「卒業まで、あとちょうど一年だな」
「?…はい」
「今はまだ、おまえに言ってやれる言葉はないけどな、この右手が撫でるのも、触れるのもおまえだけだよ」
「?…先生それって」
「分かんなくていい、まだ分かんないままでいいから、今年一年ずっと考えてろ、いいな?」
頭の上に置かれた先生の手がわたしの頬を滑り落ち、小指がわたしの唇をそっと撫でる。
カーテンを揺らした風が、二人の間に春の香りを運ぶ。
先生のこの宿題の答えを知るのは。