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    こむぎこ

    千銃士Rの文字書きアカウントです。
    銃マス(特にエルマス/ライマス/スナマス多め?)しか書いてません。
    R18も書くので18以下の方はごめんなさい🙇‍♀️

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    こむぎこ

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    ファルマス/銃マス
    自分の行動原理がわからないファルと自分の気持ちに気づきかけているマスターのお話。

    #銃マス
    gunSquare
    #ファルマス
    falmouth.
    #千銃士R
    theThousandMusketeersR
    #1014Rプラス
    1014rPlus

    「あ! いたいた、ファル!」

     目当ての人の姿を視界に捉えて、マスターが小走りで彼に駆け寄った。目当ての人物――ファルは自室前で名前を呼び止められ足を止めた。

    「おやマスター。どうしました?」
    「ちょっとファルに渡したいものがあって。ごめんね、部屋に戻るところで引き留めて」
    「いえ、今しがた呼び出しが終わったので部屋に荷物を取りに来ただけですから、お気になさらず」

     穏やかな笑みには似合わぬ台詞に、マスターは驚きと不安が入り混じったように目を張った。

    「呼び出しって…また何か…しちゃったの?」

     また、というのは彼に多々前科があるからだ。と言ってもとある理由から再召銃をされたファルの状態はとても不安定で、彼が無意識下に行っていることが多くその問題行動を咎められたとて改善が中々に難しいのが現状だ。

    「ええ。よく覚えていないのですが、どうやらそのようですね」

     自分のことを、まるで第三者のことのように話す。やはり今回も無意識にしてしまったことだったのだろう。

    「…そっか」

     マスターにはそう返すことしか出来なかった。彼になんと言葉をかけたとしても、何も変化が起こらないことはわかっていたから。

    「それはともかく、何か御用でも?」
    「あ、うん。これをファルに渡したくて」

     そう言ってマスターは腕に抱えていた数冊の本を差し出した。ブックバンドにまとめられたその本の束には、図鑑から歴史書、漫画、詩集までよく言えば幅広い分野、悪いように言えば節操無しともいえる品揃えだった。
     差し出された本を一瞥したファルの目がわずかに開かれ、金の瞳が顔を覗かせた。少しだけ、鼓動が弾む。

    「なぜ私に本を?」
    「本を読んだら、したいこととか興味のあるものが見つかるかなって思って。迷惑だったかな…」

     ファルは差し出された本の束を受け取り、少しの間、無言でそれを眺めていた。

    「いえ…ありがとうございます。ご厚意はありがたく頂きますよ。…あぁ、そうだ。少し待っていてください」

     何か思い出したようにそう言って、ファルは自室のドアに手をかけ中へと入っていった。
     言われた通りその場で待っていると、彼はほんの一分足らずで部屋から出て来る。片手には、先ほど贈った本の束の代わりにころんとしたフォルムのガラス瓶が抱えられていた。

    「お礼と言っては何ですが、あなたに差し上げます。私には不要のものですから」

     差し出されたそれを受け取ると、どうやらそのガラス瓶の中には乾燥させた茶葉や花が入っているらしい。

    「いいの? ありがとう。これ、ハーブティー?」
    「ええ。疲労回復に効くローズヒップや入眠作用のあるカモミールが配合されているとか。今のあなたに必要なものかと思いまして」
    「え?」
    「顔色が少し悪いように見えます。寝る前に飲まれるのが良いでしょう」

     ファルはマスターの目元のうっすらとした隈を見つめ、にっこりと微笑む。顔色の悪さと普段しない化粧で隠したはずの隈を指摘されてしまったマスターは苦笑する。

    「やっぱりそう見える…よね。隠したつもりだったんだけどな」
    「貴銃士は目聡い者が多いですから」

     ファルにしてはコミカルな言い方が妙に新鮮で、マスターは花が綻ぶように笑った。

    「あはは。ありがとうファル。ありがたく頂くね」

     和らいだ表情のままマスターが改めて礼を言うと、ファルからの反応がないことを不思議に思った彼女が「ファル?」と首を傾けた。

    「ああ…いえ。どういたしまして。私の方こそありがとうございます」
    「どういたしまして。そろそろ行くね。呼び止めちゃってごめんね」

     じゃあ、と軽く手をあげてマスターはガラス瓶を大事そうに両手で抱えながら去っていった。その姿が見えなくなるまでその背を見つめていたファルの顔からは、いつもの微笑が消えていた。

     すっかり月が夜空に昇った頃、マスターは購買部の備品室から借りてきたケトルを手にザクロ棟を目指して歩いていた。夜に出歩く必要はないからか構内の灯りは必要最小限であるため周囲は暗く、ここが構内でなく外であったなら一人で歩くのは憚られただろう。
     訓練棟を横切ったあたりで、視界の端に人影を見つけた。まだ消灯時間前とはいえこの夜更けに誰だろうかと目を凝らす。

    「…ミカエル?」

     マスターが近づくと、夜空を眺めていたミカエルがこちらを向く。

    「…きみかい」
    「どうしたの、こんな時間に」
    「見ての通り、星を見ていたんだよ」

     そう言ってミカエルが再び夜空を見上げたので、マスターもそれにつられて空を仰いだ。灯りが少ないからか、星明りがよく見える。満天の星空とまではいかないが、肉眼でも星座が確認できるほど美しい夜空だ。
     その美しい夜空の下に立つミカエルも、彼の静謐な雰囲気と相まってとても神秘的に映る。

    「きみこそ、どうしたんだい。夜風が冷えるよ」
    「ハーブティーを飲もうと思ったら備え付けのケトルが壊れていて…慌てて備品室から借りてきたんだ」

     マスターがそう言うと、ミカエルの目が微かに見開かれる。

    「…それは、ファルから?」
    「えっ?」

     どうしてわかったのかと言わんばかりに驚くマスターの様子からミカエルは質問の答えが是であると汲み取ったらしい。彼は目を伏せ「…そう。ファルから…」と呟く。

    「…どうしてファルからだってわかったの?」
    「簡単なことだよ。ファルがハーブティーを買ったことを知っていたからさ」
    「え? でも…自分には不要のものだからって…」

     確かにファルはそう言っていた。けれどミカエルの話ではどうやら自分で購入していたもののようで、マスターはその矛盾を辿っていきついた一つの考えに、ほんの少しだけ期待してしまう。

    「ああ…どうか今のは聞かなかったことにしておくれ」
    「えっ? う、うん…わかった」
    「ところでマスター」

     わかりやすく話を変えるようにミカエルがそういう。

    「君も…随分とファルに心を砕いているんだね」
    「そうかな…?」
    「うん。僕にはそう映る。それは何故? 憐れみ?」

     静かにそう続けたミカエルに、マスターは思わず声を張り上げてしまった。

    「それは違う」

     自分でも大きな声を出してしまったことに戸惑った様子で、マスターは少し視線を彷徨わせてから、再びミカエルを見た。

    「…ファルのことが知りたいと思うし、ここにいる間は自由に好きなことをして穏やかに過ごして欲しいと思ってる。だから少しでもその手助けができるなら…そうしたい」
    「……」

     向かい合う二人の間に、夜の静寂が流れる。ミカエルは静謐な瞳でじっとマスターを見つめていたが、やがて彼はそっと睫毛を伏せた。

    「そうかい」

     短くただそう口にしたその口元は、微かに持ち上がっているようにも見えた。

    「時間を取らせて悪かったね。夜風が冷えるから早くお戻りよ」

     そう言って、ミカエルはマスターに背を向けて歩いて行ってしまった。向かった先は寮室ではないようだったが、マスターはなぜかその背中に声をかけることが出来ないまま見送るだけだった。

     何とも言えない気持ちを抱えたままザクロ棟の自室へ戻る。
     ケトルでお湯を沸かし、茶葉の入ったティーポットへとお湯を注ぐ。お湯が注がれて茶葉が舞い上がり、また沈んでいく様子をぼんやりと見ていた。

    「私の為に買ってくれた…のかな」

     椅子に座って机に両肘をつき、蒸らしているティーポットに向けて呟く。
     けれどすぐにいやいやと頭を振って、我ながら良いように考えすぎかと苦笑した。

    「…なわけないか。何考えてんだろ、私」

     独り言で照れ隠しをするようにまた呟いて。
     それからマスターは蒸したティーポットからカップにハーブティーを注いだ。立ち上る湯気と共に香るハーブに、うっとりと目を閉じる。

    「良い匂い…」

     匂いを嗅いでいるだけでリラックスできるのだから、きっと今日はよく眠れていい夢が見られるだろう、と胸を弾ませてマスターはカップに口をつけた。



     ふわふわ。ふわふわ。身体が浮いているような温かい浮遊感と、ハーブの良い香り。
     とっても気持ちが良くて、心地よい。ずっとこうしていたいと思う抜けがたい夢心地。
     ふいに、微かに唇に何かが触れた気がした。

     ぱちっと目を開けたマスターは、まず鳥のさえずりが耳に入って、それから窓から差し込む朝日で完全に目が冴えた。

    「久しぶりにぐっすり眠れた気がする!」

     ベッドから降りて、ぐぐーっと伸びをする。深く眠れたからなのか、普段よりも体が軽く感じて、頭もすっきりしている。
     ハーブティーのおかげだろうか。
     テーブルの上の飲みかけのティーポットに目をやり、そして洗ってあったカップにすっかり冷めているハーブティーを注いで飲んだ。

    「うん、冷めても美味しい」

     ホットの時とは違って清涼感があり喉が爽やかに潤される。
     その後いつも通り洗面所で歯を磨き、顔を洗う。タオルで顔を拭きながら流し忘れが無いか鏡を見ていると、唇に目が留まった。
     そっと中指の腹で唇に触れてみる。

    「……気のせい、だよね」

     ――夢心地の中、微かに唇に何かが触れた気がするなんて。
     考えすぎかとマスターはひとりごちて、身支度を整え始めたのだった。

     それからマスターは寝る前にハーブティーを飲むのを習慣にしていた。ファルの勧め通り寝不足と疲労回復にとても効果があり、すっかり身体は調子が良くなった。
     けれど一つ、困ったことが増えた。
     寝ている時に、唇に何かが触れる夢を見るようになってしまったのだ。はじめは夢の中でも気のせいかと思うほど軽いものだった。だが日を追うごとに内容は変化して、気のせいではなく確かにキスをされているのだと認識できるようになり、そして唇を啄むようになり…触れるだけでなく唇を覆うようになった。どんどん深くなって、時間も長くなった。
     目を覚ますと誰かがいるわけでもなく、やはり夢の中の出来事なのだと理解する。
     またあの夢を見たマスターは、朝目が覚めてからそっと自分の唇に触れてみる。寝起きでひんやりとした唇がただそこにあっただけだった。

    (夢だとして、それを毎日見るなんて。もしかして私の願望がみせる夢?)

     夢は深層心理から脳が見せるものだと見聞きした覚えがある。となると、あの夢は自分の深層心理からくるものなのだろうか。
     マスターの脳裏に、柔らかい黒髪を揺らすかの人の姿がふと思い浮かんだ。
     それが誰であるか自覚したマスターは、瞬時に顔を真っ赤にして、頭を振った。

    「何考えてるの私! …ファルのこと考えるなんて」

     誰も見ていないというのに、赤らめた顔を両手で押さえて布団に埋まる。

     それからもその夢は続き、マスターは体調はすこぶる良いが悶々とした日々を過ごしていた。
     そうしてついに、日課にしていたハーブティーを飲み切ってしまう。とても良かったのでファルにどこで買ったのかを聞こうとも思ったが、ミカエルからは聞かなかったことにしてほしいと言われ、かつあんな恥ずかしい自覚をしてしまったのもありとても声をかけられなかった。
     久しぶりに何も飲まずにベッドへと入ったマスターだったが、身体が慣れたのかすぐに眠りにつくことが出来た。
     キィ、と小さく音がして、誰かが部屋へと入ってくる気配がした。微かな足音が近づいてくる。

    (――これは、夢?)

     ぎしりとベッドが軋んで、衣擦れの音がした。これは夢ではないと、マスターは目を開けるよりも先に身を強張らせる。

     そして、唇に何かが触れる。柔らかい感触。

    (え…っ)

     唇に触れているのは、紛れもなく誰かの唇だ。
     マスターが混乱を極めている間にその人は何度かキスをして、またベッドを軋ませて離れていく気配がするとすぐに部屋を去っていった。

    「―――――!!!!!!!」

     文字通りマスターは飛び起きた。口元を手で覆い、顔を真っ赤にさせている。心臓は今にも胸から飛び出してしまいそうなほど早鐘を打っていた。

    (夢じゃ、なかった…!)

     夢だと思っていたキスは、現実だった。
     一体誰が? 何の目的で?
     頭の中に疑問符が溢れて止まらない。
     一体誰なのだと考えるたび、マスターの脳裏にあの黒髪がちらついて、考えに集中できなくなる。
     ぐるぐると頭がパンクしそうな程悩んだが、答えが出るはずもなかった。



    「マスター」

     ――バササササ。
     背後から声を掛けられたマスターは大きく肩を震わせて、持っていた教科書をすべて床へとぶちまけた。
     声をかけてきた主は「おや」と声を上げてから、床に散らばった教科書を拾い集めてくれる。マスターも慌てて一緒に拾いはじめた。ちらと彼を見れば、手を動かすと黒い髪が緩く揺れて、それが今朝の想像と重なってしまいマスターは気づかれないように俯きがちに頬を染めた。

    「どうぞ。申し訳ありません、驚かせてしまいましたね」

     声をかけてきた主、ファルはいつもの笑みを浮かべ、マスターに教科書を渡す。

    「あ…ありがとうファル。私が勝手に驚いてしまっただけだから、ファルは悪くないよ」
    「そうですか」

     にっこりと笑みを湛えるファルはいつも通りで、マスターは今朝のことは極力考えないように努めた。

    「そうだ、この間の本。何か気になるものがあったら良いんだけど」
    「あぁ、あれですか。ええ、全て目を通させて頂きましたよ。あの、童話集…と言うんですか、あの本」
    「グリム童話?」
    「ええ。まさか図鑑や歴史書の中に混じっているとは思わず空目しましたが、読んでみると中々興味深いものでしたよ」

     マスターは手あたり次第に選んだ為、そんなものまでも選出していた。しかしながらファルがそれに興味を惹かれるのは少々意外に思い、目を丸くする。

    「本当? 選んだ手前自分で言うのも変だけど、なんだか意外だな」
    「嘘は言いません」
    「ふふ。でも気になるものがあって良かった」

     マスターはほっと顔を綻ばせた。いきなり渡したので迷惑に思われていないか不安だったが、お気に召したものがあったようで一安心したようだった。

    「あのような空想話など誰かに頂かなければ読む機会はありませんからね」

     にっこりとそう告げたファルに、マスターは果たして本当に迷惑に思っていないのか、一抹の不安を募らせたのだった。

     ――夜の帳が降り、誰もが夢うつつに布団に潜る頃。またその人はやってきた。
     一体誰なのか気にはなるが何故だか知ってはいけない気もして、マスターは目が開けられずにいた。近づく気配に微かに身を固くして。
     顎に手がかけられ小さく顎を引き、薄く開いたマスターの唇へ温かなものが入ってきた。舌だと認識するも、ついぞどうして良いのかわからずマスターは固く目を閉じたまま、それを受け入れる他なかった。
     自分のものではない舌の感触と、ほんのわずかに聞こえる吐息に心臓が高鳴り、この静寂の部屋の中で相手に聞こえてしまうのではないかと余計な心配をした。
     奇妙な逢瀬はほんの一時。その人は何度かマスターに口づけをして、静かに去っていく。
     はじめは触れるだけだったキスが、だんだんと過激になっていて、マスターは果たして本当にこのままでいいのかと頭を抱えた。
     いっそのこと、部屋に鍵を掛けてしまおうか。いやそれはダメだとすぐに否定する。もともとは施錠していたが、ある夜森で戦闘をしてきたスナイダーがマスターの部屋を訪ね、鍵がかかっていたドアを蹴破って入ってきたことがある。せめてノックをしてと伝えても、中々改善されずこのドアももう三枚目だ。これ以上教官の胃に穴をあけるわけにもいかずに、ついにマスターは施錠を止めた。ここ最近は落ち着いているが、いつまたそうなるかもわからない。

    (もしかして私…期待している? あれが、誰かであってほしいって)

     完全に拒むことが出来ないのは、目を瞑って相手がわからないままであれば、自分が期待する相手を望んだままでいられる。そんな浅ましさからなのだろうか。
     やはりいくら考えても答えは出ないまま。
     事態が変わったのは、ある夜のことだった。いつも通りにキスをして、そしてその人はマスターの耳元で微かな声で囁いた。

    「マスター」

     声とは言い難い吐息のようなものではあったが、マスターは確かにその声に聞き覚えがあった。
     一人残された真っ暗なベッドの上で口元を覆うマスターの顔は暗闇でもわかるほどに赤く、瞳が潤んで揺れていた。

    (…ファル? あの人は、ファルだった? …どうして? 何故こんなことを?)

     内心混乱しつつも現金に喜んでしまっている自分がいて、マスターは小さな嫌悪感に苛まれた。
     その次の日、当然と言えば当然だがファルのことをまともに見られなくなった。
     普段顔を合わせない日もあるというのにその日はよくファルを見かけることが多く、ついに本人に声をかけられてしまう。

    「マスター、どうかなさいましたか」

     挙動の怪しいマスターにそう声をかけてきたファルはいつもと全く変わった様子はなく、あれは自分の勘違いだったのではないかと思ってしまうほど、いつも通りで。

    「う、ううん! なんでもないの」

     目聡いファルには通用していないだろうなと思いつつ、笑って誤魔化すしかなかった。



     その日の夜、今までで一番深く長いキスをされた。流石にマスターも息が上がってしまうほどの熱い口づけの後で、闇夜にファルの低音が響いた。

    「…マスター、起きているんでしょう? これ以上寝たふりをしていると、本当に危ないですよ」

     頬を紅潮させ少し息が上がっているマスターが戸惑いがちに目を開くと、自分を見下ろすファルの姿が見えた。

    「……気づいてたの?」
    「ええ」

     こんな時だというのに、ファルはいつも通り。自分がおかしいのかと錯覚してしまいそうになる。

    「…いつから?」
    「私は割と夜目が効く方なので。あのハーブティーのガラス瓶が空になっていたのが見えた夜…あなたが驚いたように身を固くしたのがわかりましたよ」
    「そ、そんなに前から? なんで黙ってたの?」
    「あなたが寝たふりをしていたので、一体いつまで続けるのか興味がありました」

     夜這いまがいのことをしていた割に全く悪びれるような素振りも見られないのはファルらしいといえばそうなのだが、マスターは戸惑いを隠しきれない。

    「マスターこそ、何故寝たふりなど?」

     今度はファルがそう訊ねる。その疑問ももっともだ。

    「…開けるタイミングを逃して…」
    「無防備ですね。そもそも部屋の施錠をしていないのはどうかと思いますよ」

     ぐうの音も出ない。それには一応の事情があるのだが、今この場では特に話す必要もないだろうとマスターは言葉を飲み込んで、それから、気になっていたことを質問した。

    「ど、どうして…その、こんなことをするのか…訊いても、いいかな」

     マスターがそう訊ねると、ファルは静かに目を閉じて考え込んだ後「わかりません」と言う。

    「…わからないの?」
    「ええ。何故でしょうね」

     目を開けて、怖いくらいにいつも通りに笑ってファルはそう言った。
     これも無意識下の行動だったとでも言うのだろうか。けれど、そうだとすれば起きているマスターに気づいて黙っていたこと、こうして声をかけてきたこととは辻褄が合わない。
     困惑しているマスターを見下ろしながら、ファルは微笑んだまま口を開く。

    「あなたに貰った童話の中に、キスで呪いから目覚める姫の話がありました。そんなもので呪いが解けるのは御伽噺らしいなと思いましたが」

     少し、間をおいて。

    「でも何故だか…あなたにしたらどうなるだろうと」
    「…わからないんじゃなかったの?」
    「わかりませんよ、自分でも。何故試してみたくなったかなんて」

     そう言って、ファルがマスターに寄せ圧し掛かるように身体を寄せた。

    「私が指摘しないままエスカレートしていたら、どうしたんですか?」

     マスターは返答に詰まった。どうしただろうかと。
     考えている間に、ファルとマスターの顔が近づき、思わずマスターはぎゅっと目を瞑った。
     しかし、しばらくしても何も変化はなく、代わりに間近で「ふふ」と小さく笑う声が聞こえる。

    「ですから、何故そこで目を瞑るんです?」

     目を開けると、少しだけいつもよりも柔らかく微笑むファルがいた。やはり、これにも返答に詰まった。

    「お、思わず…」
    「呪いの姫と違ってマスターは動けるのですから、抵抗なさらないとダメでしょう」

     ファルはそう言って、身体を離した。

    「姫の呪いは王子のキスで解かれ、二人はハッピーエンド…」

     ぽつりと、ファルがそう呟く。ファルの顔からは笑みが消え、マスターをじっと見つめている。

    「あなたはマスター。私は銃。キスをしても、何も変わらない」

     ファルが、そっとマスターの額にかかる髪の毛を優しく払った。

    「わかっていて…それでも何故、するのでしょうね」
    「…ファルの呪いは…解けない?」

     マスターの言葉に、ファルは「私の?」と目を開いて驚いたようだった。そしてすぐにいつもの“笑顔”になる。

    「私は呪われてなどいませんよ。どちらかと言えば呪われているのはあなたでは? この薔薇の傷はまさしく呪いそのものですよ」

     胸の上に置かれていたマスターの右手の甲に触れ、乾いた薔薇の傷を指でなぞった後、真っすぐにマスターの目をレンズの奥で鈍く光る双眸が射貫いた。

    「解けるかどうか、試してみますか?」
    「…解けたら…困るよ」
    「それもそうですね」

     彼は「でも…」と続け、眼鏡を外した。そして吐息がマスターにかかるほどの距離まで近づき、口端を上げる。

    「これまでも解けなかったのですから、今夜もきっと、大丈夫ですよ」

     ゆっくりと近づく唇に、マスターは胸の高鳴るのを感じながら、やはり目を瞑ってそれを受け入れた。
     啄むように触れるだけのキスから、愛おしむように下唇を食まれ、徐々に深くなっていく。互いの舌が絡み、薄闇の中で吐息が漏れる。離れては角度を変えて、何度も何度も交わった。
     今度こそマスターが薄っすらと瞼を開けると目の前にある瞳と目が合い、微かに細められる。

     呪いは解けるどころか、心は黄金色の深淵に囚われていた。きっとキスをする度に雁字搦めにされて、溺れていくのだろう。口づけを交わしながら、そんなことを考えた。
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