ファンシティのその道は別の目的で探し歩いていた。最初はそんなに真剣に相談するつもりはなかったのだ。偶然、何となく、以前も通ったことがあるな、と思うと、突然聞きに行きたくなってしまった。
だって、全然、気づいてくれないんだもの。
夕暮れ時、レナはある建物の中に、一人足を踏み入れた。
「恋愛としてはかなりいい線行っています。でも油断は禁物ですよ」
目の前の水晶玉に映る自分は逆さになっている。店じまい前に駆け込んだこともあり、息切れと不安で我ながらひどい顔だ。結果がひとまず予想より良かったので、レナは胸を撫で下ろした。それなのに。
「油断……。はい、気をつけます」
礼を言って席を立ち、振り返った先で、相性を占った当人が立っているとは、夢にも思わないではないか。
「ゆ、だん……」
目が合ったディアスは相変わらず無表情だ。
「……………」
踵を返し、扉を開けて外に出ようとするディアスを、後ろからレナの声が追った。
「ねぇディアス……どこから聞いてた?」
「かなりいい線、辺りだな」
ディアスは振り返らずに答える。
「相手の名前……聞こえた?」
「聞こえなかったが、そのくらいわかる」
「えっ……?」
レナは唾を飲み込んで続きを待った。ディアスが振り向いて答える。
「クロードだろう?」
……拍子抜け、という表現はこういう時に使うのだろうと、レナは思った。
本当に、全く、今までのアピールが伝わっていない。
レナは返事をせず、ディアスを追い越して先に扉を開けた。広場に出る前に、頬を膨らませて睨む。
「ディアスのばか、鈍感」
小言を言われ、ディアスは腑に落ちない顔を浮かべた。
「……俺が悪いのか?」
レナに続いて広場に出る。賑やかな人々の声と夕日が空に溶け合ったファンシティの空気を、ディアスは一人静かに吸った。故郷の自然に囲まれた穏やかな空気と、ここはまさに正反対だった。息苦しくはないが、やはり世界が違うのだと思い知らされる。
ただ、目の前の幼馴染だけは成長こそすれ、心根は変わらない。彼女を見ていると懐かしくて、安心できた。
レナは闘技場入り口の前まで来ると、ディアスの方へ振り向いた。
「ここで、あなたがもう一度クロードと戦って、あなたが倒れた時……わたしが駆け寄った意味が、わからない?」
風が吹き、レナの髪が靡いた。真っ直ぐな瞳で、目を逸らすことなくディアスを見据える。
変わったこともある。レナは強くなった。もしかしたら、自分よりもずっと。それはきっと、自分の見えないところで、クロードと経験を積み重ねてきたからだろう。
だから、もう故郷を重ねて、レナに精神的に寄りかかってはいけないのだ。
ディアスは長い息をついて、両腕を胸の前で組んだ。
「……俺が負けたから、同情したのだろう」
レナは開いた口が塞がらない。
どこまで武装解除させれば、この人はちゃんと見てくれるようになるのだろう。
「………………………………。〝妹〟も、いいことばかりじゃないわね」
レナがしばらく、通じない相手を疲れた目で見ていると、ディアスの背後から見知った人が歩いてきた。
「あぁ、先程のお客様。どうも」
仕事を終わらせて、帰宅途中の占い師だった。レナがペコリと軽くお辞儀をすると、ディアスと相対していた空気を読み取り、レナに向かって再び声をかけた。
「お客様、特別サービスです。進展が欲しい時は、既成事実を作るのも手ですよ、一つのね」
言い残して、再びどこかに去っていく占い師へ、ディアスは独り言のように文句をつけた。
「無茶苦茶を言う奴だな……」
まさか自分がその対象だとは露ほども思っていないのだろう、とレナは悟る。これでは一生関係が変わらない気がする。
何がしたい、というわけでもない。知ってほしいだけなのだ。昔から秘めている自分の好意を。
もう何年も我慢した。我慢した結果、二年前に死ぬ程後悔を繰り返した。いなくなるのがわかっていたら、何もかも打ち明けていれば良かった。
だから、再会してからは我慢するのをやめた。
「きせいじじつ……」
レナの口から、占い師の言葉がオウム返しにポロリと零れた。それからディアスに正面から近寄る。
「? レナ?」
そんな、大したことはできないけれど。
レナはディアスの片手を取って、小指と薬指だけをぎゅっと握り、自分の胸の方へ寄せた。
………今のわたしには、これで精いっぱいみたい。
しばらくそのままにした後、されるがままだったディアスに手を返す。
「今の、わたしが他の人にしても怒らないのなら、もういいわ」
時間使わせてしまってごめんなさい、と頭を下げて今度こそディアスの元から去ろうとした時、タイミングよく植え込み越しで、クロードが闘技場方面に歩いて来るのがレナの視界に入った。レナは思い出して声を上げた。
「あ、クロード! ちょっといいかしら」
レナの通る声に気がついたクロードは、足を止めて笑って手を振り返す。ディアスは、そちらへ早歩きで向かうレナの背中を見ながら、先程の手の温もりを思い出していた。
今から、クロードに〝同じこと〟をしたら?
急にディアスに、靄がかかった、落ち着きのない塊のようなものが胸の下辺りに現れた。
……妹に恋人ができるなら本望だと、心から思っていたのに。思っていたはずなのに。
ディアスは歩幅を広げて早歩きで踏み出すと、クロードの元へ向かっていくレナを追い越して振り向き、立ち塞がった。
「何の用事だ」
「えっ……クロードに?」
「クロードじゃないとできない事なのか?」
「う、ううん……そういうわけじゃないけど」
「俺が手伝う」
え、という声が口から漏れた後、若干の居心地の悪さを残した面持ちで、レナが続けた。
「あのね、セリーヌさんが人物画を描きたいから、モデル探しを頼まれていたの。女性だと恥ずかしいだろうから、男性でお願いされて……誰でもいいって言ってたから、たぶん……その……」
「………………………脱ぐのか」
ディアスの答えに、レナが顔を赤らめて両手で覆う。
「あ、〝安心なさって、上半身だけですわよ〟……って」
ディアスは思わず、細長いため息をついて天を仰いだ。
「ディアスは嫌がるだろうから、クロードにお願いしようかと思ったの……」
「……………」
言った手前。男に二言はない。心頭滅却すれば。ディアスは何度も自身に言い聞かせる。
「案内しろ、レナ」
「いいの……?」
「二度目はない、一度だけだ」
レナは了解した様子で頷くと、クロードに目配せをしてジェスチャーで謝る。クロードが気にしないで、と口の形だけ動かして手を振ったのを確認してから、ディアスを見て宿屋の方へ指差した。
「今日はもう遅いから、とりあえずセリーヌさんに報告に行きましょ。今部屋で待ってると思うから」
「……さっさと終わらせてくれ」
ディアスは手で頭を押さえて歩き出す。
レナも並んで一緒に歩き始めた。レナが歩きやすいよう、ディアスは普段のペースから少し落とす。その気遣いに気づいたレナは、ふふ、と笑って呟いた。
今は、そばにいられるだけで幸せなのかも。
「何か言ったか?」
ディアスの問いに、レナはゆっくり首を振る。
顔を上げて、空を眺めた。もう直に日が沈む。
「ここも、綺麗な星、見れるといいなぁって」
「……アーリアに勝てる所は、そうないだろうな」
気持ちが伝わったら、一緒に帰ろうと言おう。いつか二人で故郷の夜空が見られるように。
レナはそんな想像をして笑った。