意味合い ブラックサンシャインは、名も知らぬチームの若者に絡まれていた。
薄暗い路地裏、埃っぽい空気、転がる空き瓶。チンピラに絡まれるロケーションとしては最適かつ最良である。故に今、彼は数名の若者に囲まれ、頭を搔いていた。
「おい聞いてんのか! てめえらブラッディパエリアのせいでこっちは商売あがったりなんだよ!」
真ん中のぶよぶよとした皮膚の男がブラックを見上げ捲し立てる。男の鰓からふしゅうと漏れる臭いに、ブラックの目つきは益々剣呑さを増す。ドブのような悪臭の中に嗅ぎなれたものが混ざっていた。彼自身も嗜むハッパである。見れば他のゴロツキどもの目もどこか焦点を結んでいない。彼は顔を顰めた。
三文芝居のように安っぽい彼らの言い分は完全に言いがかりである。大方、許容量以上のハッパを吸って気が大きくなったのだろう。そもそも彼らが人のシマで荒稼ぎしようとしたのが間違いだ。
「言いたいことはそれで全部か?」
漸く口を開いたブラックに、男たちは一瞬口を噤む。ああ、所詮三流だ。ブラックにとって多勢に無勢な状況を作っておいて、それでいて彼の一言に怯んでいるようでは、この後の展開もたかが知れたもの。
どか、と派手な音が響き、右の男が吹き飛んだ。何の前触れも無しに叩き込まれた蹴りが腹に食い込み、彼を瓦礫の山へと連れて行ったのだ。後の連中は動くこともできない。こうなれば彼の独壇場である。力量差も分からず数で優位を取った気になっていたチンピラなぞギャングのボスの敵ではない。
瞬く間に立っている者はブラックサンシャインただ一人となった。
「くたばれ」
容赦なく振り下ろした足の下で、バキと不快な音が響く。リーダー格の男の顔は既に原型を留めていない。醜い生き物の断末魔のような声が漏れる。
呻き声と痛みにのたうつ男等を尻目に、ブラックは路地を後にする。
「……くそ……おぼえてろよ」
微かに聞こえた声に彼は立ち止まった。振り返れば「ひぃ」と小さい悲鳴が上がる。発言と動作が乖離した連中を、羽虫を見るような目で見下ろす。
ブラックは、緩慢な動作で右手の親指を下げた。
✿✿✿
「あ、センセイだ! おーいセンセイ! 俺だぜユーニッド!」
「だあああうるさい! いちいち名乗るな分かってるわ!」
今日もドクターの部屋の前に賑やかな声が響く。原因は主に元更生対象とその担当職員だ。元更生対象――ユーニッドは、マインドハックによる処置以降、ドクターに懐き、自由時間が出来ればこうして部屋の前に現れるようになったのだ。丁度部屋から出てきたドクターは、当然のように話しかけてくる大きな男に、慣れた様子で「今日は何の用だい」と語りかける。
にこにこと満面の笑みを浮かべたユーニッドは、大好きなセンセイに質問されただけで喜びを隠しきれないようだ。
「センセイ! これ見て!」
言うなりユーニッドは握った左手の親指を下へと向けた。よりによってドクターの眼前で。
これにはドクターも無言である。新米隊員は真っ青だ。
「おい馬鹿ウニお前なにやってんだ! 失礼だろ! すみません先生!」
新米隊員が慌ててユーニッドの腕を下ろす。彼は何故怒られているのか分からず、キョトンとした顔でされるがままになっている。
浮かんだ別の選択肢を飲み込み、ドクターは「わたしのことが嫌いになったのかな? ユーニッドくん」と問いかける。
「え!? まさか! 嫌いになんてなるわけないだろ! あのね、指でハート作るの流行ってるんだって。レクリエーション室のテレビでやってた」
「だからセンセイと一緒にやってみたくて」と、続けるその顔には悪気の欠片も無い。新米隊員は呆れ顔だ。
「お前なあ、いきなりそれはかなり心臓に悪いぞ。笑顔で『死ね』って言ってるのと一緒だぞ」
「ええ!? 俺そんなつもり全く無いのに! うーん……ごめんねセンセイ」
一転して叱られた犬のように謝るユーニッドに、ドクターは「悪気がないならしょうがない」とフォローを入れる。
「おい、そろそろ独房に戻る時間だ。とっとと行くぞ」
「もうそんな時間? そっかあ。時間厳守だから帰らないと。……あ、そうだ! 他にもハート作るポーズ色々あるんだって! 次リベンジさせてくれよな!」
「先生を巻き込むなトゲボール! あと当たり前のように抱えるな! 走るなあああ!」
いつも通りと言わんばかりに片腕で新米隊員を抱えたユーニッドはあっという間に走り去り、曲がり角で見えなくなった。後に残されたのはドクター一人。
「指でハート、ねえ……」
元ギャングのボスが随分と可愛らしいことを言うようになったもんだと、ドクターは独り言ちる。同時に、先ほど言いかけて止めた言葉が脳裏に浮かぶ。
――その動作が随分と様になってるね。ブラックサンシャインくん。
ドクターが選ばなかった選択肢は、想起されるはずだった「誰か」をも抱え込み、過去へと押し流されていく。彼は踵を返し自室へと戻った。たくさんの花の香りに包まれて、「誰か」への言葉はふわりとどこかへ消えていった。