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    choko_bonbon

    @choko_bonbon

    メモ代わりの、あらすじズラズラ。
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    choko_bonbon

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    大人の七海さんの元へ、コーセン時代の若い七海君がやってきた!
    最終的に5×77(??)になる予定の導入です。
    まずは7×7のターン。

    業な成り行き①休日であることを考慮すると、その電話がかかって来たのは早朝と言って差し支えの無い時間だった。寝入ったのは殆ど朝方の時分であったため、当然のごとく眉間に皺が寄る。それを揉んで癒そうとする手の感触は、まさしく焼け石に水。なんとか布団の外に置いてある携帯へ手を伸ばせたのは、社会人である大人としての、なかば意地だった。
    鳴っていたのは仕事用の携帯が。持ち上げたディスプレイに現れるのは、信頼する補助監督の名である。
    彼なら絶対に、この時間は未だベッドに突っ伏しているだろうことを、簡単に予想してくれているはず。あの気遣いの彼が何故。その疑問は、それだけ緊急性の高い事案が起こっていることを知らせる。
    ぐっと目を閉じ、血流を頭に回すイメージで、己の身体に覚醒を促した。
    ひどい疲れがあちこちに残る。しかし、この程度で嘆いていては一級術師として名折れ。できれば、あと三時間は寝かせて欲しかったと訴える身体を、プライドという鞭で叱咤し。
    自分で選んだ仕事だ、仕方あるまい。そう心身を諭すのに、短く息を吐いて集中。掠れ気味になっているはずの喉を慮り、努めて冷静な声を意識して通話ボタンをタップした。
    「はい。七海です」
    「伊地知です。すみません、こんな朝早くに。それも……お休みのところを」
    「いえ。それだけ困ることがあったのでしょう。それで伊地知君。用件は、」
    この際、労わりの言葉は貰うだけ無駄だ。一分一秒を惜しみ、話の続きへ水を向けると、電話口の声はためらいがちに事の次第を語りだす。
    「実はその……少々、と言いますか。大いに困った事案が発生いたしまして。それが……七海さんでなければ、対応の難しい事案なのです」
    「というと?」
    「電話でご説明するより、一度高専に来て頂くか。もし七海さんがよろしければ、ご自宅へお伺いしても?」
    ありがたいのは、圧倒的に後者だ。
    なにせ怠さの色濃い身。これから顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、着替えを済ませて。平日真っ只中の通勤時間を直撃する電車を使用して高専へ向かうとなると、想像だけで辟易する。それらひとつひとつの手間段取りを考えると、すぐ動ける側から来てもらう方が、時間の節約に繋がるだろう。
    そこで考えを巡らせ思い出すのは、もしかすると伊地知君を招くことになりかねない、リビングの場景だ。
    悲しいかな久方ぶりとなった定時に、喜び勇んで帰ってきたは良いものの。昨夜は、溜まった眠さ怠さと、食欲やらなんやらに呑まれ。おぼろげな記憶なのがいけない。とんとん、こめかみを指先で叩き、時系列順に思い返す。
    連勤明けの楽しみとして、夕食は出来合いを買ってきた。その後片付けは、几帳面な性格上、昨夜のうちに済ませた、はず。むしろ、連勤を越えた身であるからこそ、玄関からリビングまでは通常通りの綺麗さを保っていたと、一旦は胸をなでおろし。
    そも、補助監督のなかでも特に信頼を置いている伊地知君が相手であろうと、プライベートを大切にしてくれる彼が、リビングにまで上がってくる可能性はかなり低いことに考え至る。いくら緊急性が高かろうと、高専外で出来る話なら玄関先で済む話なのだろうと楽観的に捉え。
    「では、お手数ですが、来て頂いても?」
    と言葉を返した。
    起き抜けであって、ここまで思考を巡らせるのに二秒あれば充分。頭にたっぷりと血の行き渡っていることを、ひとり認める。
    「勿論です。むしろ休日のところへ押しかけるようで、すみません」
    「いえ。君のことですから、随分なやんでくださったんでしょう」
    「そう言って頂けると、救われます。それにしても良かった。実はすでに、七海さんのお宅へ向かっているところだったのです」
    「それならそうと言ってください。考えるだけ無駄だったでしょう」
    口ぶりから察するに、高専とこちらとでは、すでにこちらの方が近い様子。自宅へ呼びつける返事を予想されての行動に、喜べばいいのやら頭を抱えればいいのやら。なにより先に、身支度を整える必要がありそうだ。
    これ以上、伊地知君に心労をかけさせるのは申し訳なく。起き抜けでベッドの上に居ることなど弁えているはずであっても、一応は配慮し、腰に纏わりつくシーツやらなにやらは静かに引き剥がす。
    「それでは。到着するころ、またご連絡いたしますね」
    「わかりました」
    終話となった携帯をベッドサイドに置く横目で、最悪の目覚めに溜息をつき。高層階でありながら、カーテンを開けるのを憚られるほど煩雑としたベッドと、その周囲を見遣った。
    部屋全体が、常と比べて荒れ放題。なんとも頭の痛くなる光景である。今日は洗濯日和と聞いていたから、シーツも枕も、好きなだけ散らかしたのに。このまま仕事に直行となった場合、この乱れをどうしたものか。
    せめてもの慰めは、ここが他人の不可侵を約束された寝室ということ。万が一にも伊地知君の目の及ばぬここは、どれだけ雑然としていようとも、扉を閉めてさえいれば安全だ。
    性格上、どうしても片付けを先にしておきたいが、ここは腹をくくり。だいぶ余計なものの居座る寝室に後ろ髪を引かれる思いで、身だしなみを整えようと、ベッドから脚をおろす。
    未だ夢心地を主張する両足では、床を掴むのに些か苦労して。それでもなんとか、迫る到着に急かされ、寝室をひとり抜け出し。気怠くスリッパを鳴らして洗面所へと向かった。

    顔を洗うついで、シャワーを浴びるのに入った浴室。
    「派手にやってくれたな……」
    縦に長い壁面の鏡に映る己を見て、独り言ちた。
    わん…と浴室に響いた掠れ声は悲壮に満ち、疲労の色濃い四肢と相まって酷いもの。細かな痣が身体の全面に散らばり。手首と足首にはそれぞれ、大きくわし掴まれた手形が浮かぶ。
    鋭い歯型さえあちこちにみられる、この身の惨状は、心配性な伊地知君にちらとでもみられたら、おおいに困惑されること請け合いだ。両手の指分以上の連勤となったことへ、しこたま頭を下げられるだろう。
    そう心配されるだけなら良いとして。高専へ拉致され、惨状の治療を家入さんに頼まれでもしたら一大事である。
    一級術師ともあろう人間が、こんなザマになっていると知られるのは正直言って恥ずかしい。且つ、これらのせいで任務を減らす算段が組まれたら――仕事が穏やかになるのは歓迎できたとて――それこそ、やはり出戻りは貧弱、と周囲に思われそうで癪に障る。
    「結局いつもの、ですかね……」
    休日くらい、手触りの良いカシミヤかウールの、サイズに余裕のあるゆったりした服を着て過ごしたいのに。これら四肢の惨状と、仕事の話をする状況とを考慮するに、仕事着としているスーツ一択か、と。浴室を出た身綺麗な身体で袖を通すのは、常の青シャツである。
    寝室のクローゼットを前に、スラックスを吊るためでもあるホルスターとジャケット以外を身に着けたところ。タイミングよく、携帯が到着の合図で振動する。
    「あ、七海さん。いま下に到着しました」
    「いま鍵を開けますので。どうぞ、なかへ」
    「はい、恐れ入ります」
    携帯を肩と頬とで挟みつつ、掛布団だけはきちんと直してから、オートロックを外してやるのにインターフォンの元へ足早に向かった。

    常の送迎のおり幾度となくここを訪れたことのある伊地知君は、エントランスを抜けると迷わず玄関前までやってくる。さて、重い扉を開けると。
    「七海さんっ! せっかくのお休みのところ、本当に申し訳ありませんっ」
    ものすごい速度で、腰を九十度に曲げるお辞儀に、お目見えである。その角度、手指が緊張で伸び切った様子などが、なかなか様になっているのが物悲しい。
    お互い苦労続きの仕事であることに、短く溜息を吐きかけたところで。申し訳なさと焦りを見せる彼の後ろ、伊地知君よりはすこし高く、こちらと比べたらすこし低い、ちょうど中間の位置に金髪の頭が見えた。
    視線に気づいた伊地知君が立ち位置を横に変え、紹介の要領で斜め後ろに立っていた人物を手の平で指し示す。
    「緊急の事案と言うのが、こちらの方です」
    晒された顔を一目見るなり、ひゅっ、と喉奥で息が詰まった。
    金の髪は、染めたものなら高専内でも、補助監督の間で幾人か見かけていた。全身黒い服装であることも相まって、てっきり新入りの補助監督と顔合わせをするのだと踏んだのが、空振りに終わってしまう。
    「なんの冗談、ですか……それ、は」
    「いくらなんでも、七海さんに冗談など仕掛けませんよ。本当に、我々にもなにがなんだか……」
    金の髪色は地毛だと分かった。
    黒の服装は高専の制服だった。
    背の伸び具合に対して筋肉が追い付かない、不安定な成長期真っ只中の青年。
    その姿はまさしく。
    「私……じゃないですか」
    「は、はい。念のため家入さんにはここに来る前に診て頂いたのですが。どうも……その、お若い頃の七海さんご本人、のようで」
    伊地知君の説明と、私の驚きようから、対面している相手が自分自身だと確信したらしい青年は。だらりと下げていた手に力をこめ、状況の読めない事態に困惑を浮かべながらにして、挑む視線を投げて寄こした。若い頃の――五条さんに言わせると、今でも充分らしい――血気盛んな風情に懐かしさが込み上げる。
    もう何年も前にやめた耳にかかる長い前髪。
    異国情緒を匂わせる目鼻立ち。
    それら己でありながら、見慣れぬ顔立ちのなか。うすい唇を前歯でわずかに噛む、不安の表れが今と重なる。
    「まったく。だから呪術師なんてクソなんだと……あれほど、」
    「すみません、七海さん」
    「君のせいでないのなら、無駄な謝罪は不要です」
    事態の原因は皆目見当つかず、理解とて遠いが。伊地知君をはじめとした、補助監督側の言わんとしていることは粗方把握できる。要するに、状況が分かるまで彼の子守をしろと。休みのところを叩き起こされた理由は、そんな話なのだろう。
    詮索大好きな女性陣を含む、高専の後輩連中に見つかっているのかは、これから確認するとして。とり急ぎ青年を高専から引き離せたことは正解に思う。現役の高専生らに見つかったら最後、年若い自分がなにをどうされるか、知ったもんじゃない。一番に怖いのは、この頃の自分を知っている家入さんであろうし。
    いや、むしろここに連れてきてしまったことの方が、最も選んではならない選択肢だったのでは、と。寝室の有様が頭をよぎるも。相手は心配性の伊地知君に、状況への不安はひとしおな青年。この場の年長者として、自分が真っ先に落ち着いてやるべきだと気持ちを改める。
    「分かりました。私に任せたいのは、状況が改善するまでの、彼のこも……いえ、護衛、ですね」
    子守り、という言葉に途中で軌道修正をかけたのは、自分自身の性格を熟知しているから。甘くみられた言葉を吐かれたら、いくら自分を相手としても、へそを曲げる青年のはず。ちらりと流し見した青年の表情は相変わらず、警戒心に満ちている。
    「一緒に居て下さるだけで、当面は大丈夫かと。この事案は、我々の方で責任を持って、詳しく調べさせていただきます」
    「そうしてください」
    キャパシティを優に超えた情報と状況に、冷静さを保つ表情の下で慌てるが。そんな心情、おくびにも出さないのが一級術師たるもの。
    伊地知君には戻るよう言って、青年を玄関奥へ迎えるのに半身をずらす。状況査定に探索、詳細な下調べなら、窓や補助監督の方がエキスパート。餅は餅屋。そのうえ本日は休日という盾があり、私に出来ることは青年と共に過ごす程度が限界だ。
    「それでは。何卒よろしくおねがいします、七海さん」
    「伊地知君の方こそ。頼みましたよ」
    青年が、おずおずとした動作ながらしっかりと伊地知君に腰を折るのを見て、こちらも頭を下げて扉をしめる。
    ――あと三時間は寝かせてほしい。
    そんなちいさな願いさえ夢と消える、呪術師と言う仕事を、これほど憎んだのは久しぶりのことだった。

    高専の一年である。と彼、七海建人は言った。
    そのほかにもいくつか質問をしてみて、彼が自分自身の若かりし頃であると確信する。
    そも家入さんの慧眼をもってして認められているのだ。きょろきょろと辺りを見回しては、膝にのせた両の手指を絡ませ、どうにも落ち着かぬ青年は七海建人で間違いない、のだが。
    パラレルワールド。
    または、並行宇宙。
    はたまた、バックトゥザフューチャー的な、あれそれか。
    考えてみても始まらないので、お腹が空いているかもしれない彼のため――本音を言えば、己のためが九割の――朝食を用意することにした。
    こんなことであれば、カシミヤのハイネックに着替えたいところだが。青年を短い時間でも一人にしてしまうのが心配で、結局はシャツにスラックス姿のまま、エプロンで汚れを警戒するにとどめた。
    材料は一通りあったので、ものの五分程度でサンドイッチが用意できる。あいにく根菜類を切らしており、コンソメスープが具無しになったのは次回の改善点。ベーコンだけでも浮かべれば良かったか迷い、今更サンドイッチから引き抜くことも悲しい話だったので、乾燥パセリを散らしてお茶を濁す。
    「食べられますか?」
    「あ、すみません、いただきます」
    幼い自分になど、どう接したものか。高専の一年では、どれだけの経験をしたものだろうと頭を働かせていく。
    他愛のない会話ひとつで、未来、現実、過去、そしていまの肉体に重大な影響を及ぼすSF作品を、数多読んできたが故に、すこし臆病になって。サンドイッチを齧る青年の様子を無言で窺うと。はくり、頬を膨らませるまで大きくかぶりついた彼は、その頬をわずかに染めることで喜びをあらわにしているところだった。
    昔、彼と同じ年齢の時には信じていなかった同期の言葉。『七海は食べ物に関することだと、わかりやすいね』という声と笑顔が思い出される。あのときは『そんなことありませんよ』なんて適当にあしらって申し訳なかった。なにせ恥ずかしさに敏感な年頃だったのだ。
    今更となるが、至極納得の面持ちが眼前で繰り広げられ。ほらね、と得意気なあいつの顔までありありと浮かぶ。苦笑とともに心のなかで謝罪を繰り返した。
    「ぁ、あの……」
    「はい」
    スープに口をつけていた青年が、わずか上目遣いの格好でおずおずと。なにを尋ねられるのだろう。こちらは慎重に言葉を選ぶ必要があるぶん、その制約は存外、私を緊張に導いて。心臓を大きく高鳴らせる、冷や汗の心地に反して、青年は鼻先を赤らめた。
    「このサンドイッチの作り方、を……教えて頂けますか?」
    なんてことはない質問に、無駄な心労から解放される。ほう…と小さくついた息を、安堵のそれと知らぬ青年が答えを待つ。
    「お口に合っていたようでなにより。作り方は簡単です。マスタードにこだわればいいだけ。あとはいつも通りの手順で、みちがえりますから」
    「マスタード、ですか。なるほど」
    脳内でメモをとる彼は、自分の時代、あるいは自分の世界へ戻り次第、早速マスタードを買いに走るだろう。案外と値の張る調味料を見て、給料の出る学校で良かった、という感慨までが安易に予想つく。
    「他には?」
    「え?」
    ごちそうさまと手を合わせたのは同時。その言葉の続きで問うと、話題のマスタードを口の端に付けた青年は、きょとんと瞳を丸めて紅茶を一口あおる。
    いくら身長が高く、声変わりを経験した男の子と言えど、子供っぽいところはまだまだ。伸ばした指先で、ツイと唇の端を拭いあげて汚れを拭い取る。現役の高専生ならいざしらず、彼は自分自身。己を相手に格好つけたり、懇切丁寧に接するのも馬鹿らしくて、汚れた指先は舐めることで綺麗にした。
    「なにし、て」
    「自分相手に格好つける必要などないでしょう。それで? 他に訊きたいことはないのですか?」
    食器類の片付けに勤しむことで、話題については彼に任せてしまう。青年からの片付けの申し出は手の平で制し、紅茶を楽しんで、と食洗器に皿を突っ込んだ。
    「教えてほしい……こと、なら。他に、あると言えば、ありますが」
    逡巡の後に青年は、膝頭をきゅっと握りしめて言った。
    「勉強ですか? それとも、戦いに関することでしょうか。私でお答えできそうなことであれば、なんでも」
    未来になにかしらの影響を及ぼす話題であれば、こちら側で却下することを暗に示し。青年もそれを分かっていてか、ううむと悩ましげな声と共に俯き続ける。
    やがて、色の白いことから目立つ赤らみを、頬と耳の縁取りにぼんやり浮かべ。何事かと訝しむこちらを余所に、ぽしょぽしょと薄い唇から、ちいさな呟きを零した。
    「あ、の……、…………の、ですが」
    「なんです? 聞こえませんでした」
    すっぱり告げると、彼は紅色に染めた目尻をキッと釣り上げて睨んでくる。そう威嚇の表情を向けられたとて、聞こえなかったものは聞こえなかったし。なにより自分の若い頃であると、睨みとて可愛らしいもの。もう一度をせがむ。
    「はっきり言ってください」
    「で、すから……私にっ、教えてほしいんです」
    「なにを」
    主語を欠いた抽象的な言い方は嫌いだ。あからさまに眉をひそめると、青年は叱られた犬猫よろしく、肩を竦めて唇を噛む。こちらは見覚えのある顔立ちながら、あちらからすれば年上の男に他ならない。それが不機嫌な表情をすれば、それこそ恐ろしいだろう。威嚇じみた声音になったことを短く謝罪しておく。
    しかし、それほど思いつめるまで教えてほしいことなど、その齢の私にあったのかと不思議に思った。一年、と言っていたが。すでに将来のことへ不安や恐れを感じているのでは。このまま呪術師となるべきか、道を違えて良いものか。明るい表情で正義を遂行する同期を、裏切っている気持ちに苛まれているのでは。など。様々な憶測が頭のなかを通り過ぎる。
    元より、この年代の青少年は扱いに困る。いまでも高専の後輩には手を焼いているのだ。なんでも、とは安請け合いが過ぎたか。ここに至って後悔し始めたって遅いのだが、なにせ一番身近で教職についている人間が、あまりにも適当で、杜撰で、ちゃらんぽらんであったことが災いしたと。青少年に対する自己の軽率な判断を慰める。
    「どれだけ真剣に信じているか知りませんが。私はあなた。自分相手に、怖いとかなんとか、思うだけ無駄ですよ」
    一度は伸ばした手。引っ込めるのは憚られ、相変わらず俯きがちにもごもごと、口内に留められた言葉を催促する手段として。押して駄目なら引いてみる、あるいは、寄り添ってみることを思いついた。
    まずはダイニングテーブルに座る青年の手をとって、ソファに呼びつける。ぐっと近寄った膝と膝を突き合わせ、手を握ってやった。瞳を覗きこめば、金の睫毛をふるりと瞬かせ、赤に染まる目尻に戸惑いが浮かぶ。
    同じ色の瞳、なのだろう。
    憧れていた南国の空、穏やかな海らを匂いたたせる瞳は我ながら美しい。視線に圧をこめ、嵌る双眼を見つめかえす。
    「なにを訊かれ、教えを乞われようと。秘密にしてさしあげられます。自分自身ですから」
    「そう、です……よね。こんな恥ずかしいこと、むしろ、自分自身だから言えるんでしょうし」
    恥ずかしい?
    変貌した顔立ちや立ち振る舞いのせいで、怖がられているものと思い込んでいたが。事実、青年の顔は言われてよく観察すると、羞恥に苛まれている表情にも見えた。自分の立場に置き換え考えてみるに、なるほど、恐怖より羞恥の方が言葉を濁らせるのに納得のいく理由である。
    覚悟を決めたらしい青年は、それまで握られるだけであった手をくるりと返し、逆に握り込んでくる。
    玄関で招き入れた頃のおずおずとした気概は薄れ。出はじめたばかりの喉仏が、ちいさく上下した。
    それらの仕草、表情に、こちらの喉仏も思わず動く。なにか不味い事態に足を突っ込んだような直感は、働かせるのが、どうも遅かった。
    「キスの仕方を、私に教えてください」
    「は?」
    いま、彼は、なんと言った?
    キス? の、仕方? だと?
    頭のなかが真っ白になる。
    改めて言葉の意味を咀嚼してみて、やはり、意味も訳も分からずじまい。
    あいた口が塞がらないとの慣用句が現実に起こり得るものだと、身をもって知る。
    「なぜそう、そういう、話に、」
    やっと告げられた言葉はたどたどしく。虚を突かれた仕草は、目前の青年が羞恥で手一杯だったのが不幸中の幸い、指摘されずに済む。
    「あの、私……好きな人が、いるんです」
    「あぁ、そう。そういう……はい、それで?」
    繋いであった手がやけに熱く感じられた。手の平にじんわり汗をかいてきたのは、緊張のせいであると分析してはみたものの。まず頭を働かせるべきはそちらでないだろうと、現実逃避を途中で断つ。
    「私の好きな人が誰だか、あなた、知っています、か?」
    この年頃の子供は、なにかにつけてすぐ色恋沙汰で頭を悩ませる。これなら高専の女の子連中を宛がった方が、この手の話題に聡いのでは。そう端的に考えてみたものの、青年が教えを乞うのがキスの仕方という状況を思い出して、余計な提案は、鼻先を左右に振って追いやった。
    「わた、し……五条さんが、好き、なんです」
    「すみません、勘違いさせました。それは存じています」
    左右に振った頭が、いいえ、を表していると思われたらしい。それにはきちんと訂正を。
    だからこれ以上その名前を呼ばないでほしい。
    なぜなら。その焦がれる心は。大人になった今でも、心中に溢れかえり。悩まされている真っ最中であるから。
    手の平で青年の薄い唇を押しやり。黙れ、と強引な所作を施す。五条さんの名が青年の姿で語られると、それだけで情けなくも、耳の縁に血液が集まってしまう。
    「じゃああなた、も、五条さんのことが、好きなんですね?」
    「いえ、その……、まぁ、そう……ですが」
    「良かった。私一人じゃ、なかった」
    なぜあんな人に、という呆れ。それでも、五条さんの名前が出ただけで赤くなれば、認めざるを得ず。複雑に入り混じる心地で目頭へやった手の、指の隙間から見遣る青年は、先程とはうって変わって悲壮の色合いを強めていた。
    目元にさされていた朱はどこへやら。いまにも泣きだしそうですらある年若い子の、急な心情の変化についていくのは難しい。いったい何だと言うのだ。
    「どうし、」
    「同じく焦がれているのなら。あの人……五条さん、に、身体だけでいいから私を好きになって欲しい気持ちも、分かってもらえます、よね?」
    一ミリも同意できなかった。なにを馬鹿なことを言っているのだろう。
    なにか言いたくて開く口だが、思い詰めている青年に何事かの刺激を与えるのはいかがなものかと開いたままになってしまう。
    涙なぞ持ち合わせていない鉄面皮のような表情が、さめざめと嘆きを露にするのは、相手が自分だからと油断しているおかげ。安心してのことと言い換えていいだろう。
    自己との対話に等しいいま、一時だけ肩の力を抜くことができた彼。
    可哀想に。いい加減で杜撰な先輩に、ほのかな恋心を抱いてしまっている青年と、長さだけは殆ど等しい指を絡める。たったそれだけの接触で、ほっと肩を撫でおろして吐かれた息が、ふたり分の手指にかかった。
    「すみません。いま、私、ていの良いことを言いましたね」
    「そうですか」
    「五条さんには、好きになど、なってもらえなくて良いんです。ただ、私の身体へ触れて欲しい」
    俯いた睫毛が震える。泣きだしてしまうのかと心配になった。
    「勿論、女性との噂は度々聞いています。あの人、顔は良いですから。モテるんでしょうね。そんな人にとって、後輩の、ましてや男からの恋心なんては邪魔なだけ」
    上向いた瞳は、うっすらとだが潤んでいた。それが山なりにしなって、笑顔を形作る。
    「心を向けてもらえることなど、絶対にないと分かっているから。余計に思うんでしょうね。触れてもらうだけでも、と」
    返事を挟む隙は一切なかった。
    言葉をつらつら重ねるのは恐怖しているから。自分の気持ちを誰かに否定されるのを、酷く恐れている。
    「馬鹿な考えなのはわかっています。いつも、つっかかってばかりで。あの人には正面きって『かわいくねー』とかなんとか、罵られてばかりなのに。心は元より、身体だって土台、無理な話なのは、」
    自分が一番、よくわかっています。
    言葉の最後は殆ど、掠れ切った吐息だった。
    冷徹な印象を持たせる凛と張られた声が、吹けば飛ぶ、からからに乾いた吐息になるまで、彼の恋心はすでに憔悴していた。親しい同期や、なんだかんだと面倒を見てくれる先輩連中。彼らには一切話せてこなかった思いがぼろぼろと、溢れていくのを止められないでいる。
    「きっかけ、は、あったんですか?」
    好きになるきっかけ。
    心は諦める代わり、触れてくれと切に五条さんを乞う、きっかけ。
    揺らぐ瞳を見つめると、ほのかな朱色が舞い戻ってくる。
    「わかりません。ですが……いつだって私は、あの人のことを」
    「目で追ってしまう?」
    「はい。気になって仕方がない。次はどこですれ違えるか、声をかけてもらえるかと」
    「楽しみになっている、んですね」
    「そうです。やっぱり私だ。そこまで分かってるなんて」
    伏せた睫毛の奥ではいまごろ、これまでに受けたちょっかいの言動を、事細かに思い出しているのだろう。入学当初は、どうしようもない人とだけであったはずの印象が。いつのまにか自分の心は、彼の強さに浸食され、構われるしつこさに魅入られてしまった。
    どうしてこう若い時分には、粗野な仕草が魅力的な所作と映るのだろう。大人になったところで結局、心底惹きつけられている自分のことは棚上げだ。
    「私だって男ですから。好きな人と、キス、だけでいい。したいんです。あの人に触れたい」
    囁く声は小さくて、けれどはっきりとした輪郭を持ち、鼓膜を震わせる。
    「それでもし、キスが上手なことで私の身体に、ほんのすこしでも利用価値を見出してもらえたら。唇以外にも触れてもらうこと、だって……」
    「叶うかもしれないだろう。ということですか」
    「えぇ。短絡的思考の、希望的観測なんでしょうけれど」
    「そ……う、ですね」
    はっきり答えを言ってやって良いものかどうか、瞬間迷って答えが濁る。さりとて、はじめから相手の心を諦め、直情に任せて、身体ならと逃げに似た姿勢へはじれったさが募る。
    勝手にやさぐれているより、さっさと想いを告げてしまえばいいのでは。
    乱暴だが、自分自身と唇を重ねるよりもよっぽど良い考えに思っても、青年は頑なだった。
    「五条さんに、気持ちを伝えてみては?」
    「そんな素直に言えるのなら、それこそキスの仕方くらい、あの人に習っていますよ」
    ふふ、と笑まれたところで、こちらの感想は溜息だ。同意もなにも出来たものでない。
    やはり青年からみた大人の自分は、身上をよく理解してくれるなにを言っても大丈夫な人、程度の認識で。対してこちらは、なまじ若い頃の己の容姿に見覚えがありすぎて、どうにも心掻き乱されるというのに呑気なものだ。
    「いいんですよ。五条さんが私に興味を持って、一度でもキスをしてくれたら。それだけで恋なんて諦められます。この気持ちなんて、無視していられます」
    「それが一番、難しいことのように思いますがね」
    「どうでしょう。私の方が上手だとか言って煽れば、簡単にのって来そうではありませんか?」
    一番難しい。その感想は、彼が恋心を諦めることの方。
    「そんなことで、君の想いは晴れるんですか」
    どうせ大人になっても恋心は燻らせている。好きなら好きと言葉にして、一度の思い出としてキスをせがめと思うも。まぁ、そんな大胆なことが、反発続きの人間相手にできる自分とは己が信じずに提案し、青年がまた笑う。
    「私の気持ちなど、どうでもいいんです。あの人はそもそも、いけ好かない男の後輩に情けなど、かけてくれやしません。ならば煽って、それで一生の思い出を頂く方が最適解です」
    滔々と語る青年のなかで、段取りはもう決まっているのだ。想いを伝えて玉砕すれば、からかい上手な男へ更なるネタを提供するばかりか、周囲からは生温かな視線を投げられるのがオチと踏み。ならば、どちらからともなく常の流れでつっかかり。喧嘩の末の若気の至りとして、度の過ぎたあやまちを犯す方が、自分も相手も深く傷つかずに済むと妄信している。
    「若さ故の、馬鹿な考えだとでも思われているんでしょうね」
    にこやかな顔は、傷つきたくなくて予防線を張り、たとえ傷ついても泣かないよう、先に自分を痛めつけている者のそれだった。
    慣れていますよ。平気ですよ。そう言いたげな指の先が伸び、唇へ静かに触れてきて、先を急かす。
    「私が自分自身とキスするなら、ノーカウント、ですよね?」
    「あまり、同意は出来かねますが」
    「今日くらい、大目に見てやってください」
    正直、これ以上くだらない恋愛ごとに、しかも己の恋に首を突っ込むのはごめんで。辟易とした気分ながら首を伸ばし、背を曲げ、唇を寄せてくる青年を迎えることにしてしまった。
    彼とキスをしたことで、いまの五条さんとの関係になにがしかの変化は訪れるだろうか。
    パラレルワールド、または、時間移動。どちらかの区別はつけてから触れ合うべきだったかもしれないが、青年を招き入れた時点で不可侵など越えている。
    毒を食らわば皿までとはよく言ったもので。若い自分を毒呼ばわりするのはなんだが、甘やかな毒、との言葉が嵌る存在に酔いが回る。
    蝕まれるのは理性。掻き立てられるは親心に似た自己保身。ようはただの自分可愛さで、若さ特有の悩みに身をやつす青年の、力になってやりたいと思ってしまった。
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    👏👏👏👍👍👏👍❤💘💘👏
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    recommended works

    Zoo____ooS

    DONE『地を這う者に翼はいらぬ』の続編です。(書き終わらなくてすいません…)
    呪詛師の七海と特級呪術師五条の五七。呪詛師と言いつつ、七海はほぼ原作軸の性格(のつもり)です。
    某風俗業界の描写があります。具体的な行為等は書いてませんが、苦手な方はお気をつけください。
    祈れ呪うな 前編いつもは閑散としている東京呪術高専事務室のお昼時だが、その日は常ならぬ緊張感がエアコンの効いた室内に満ちていた。電話番で一人居残っていた補助監督の山嵜の視線は、どうしても事務所の一角に吸い寄せられてしまう。高専の事務室は、主に補助監督や呪術師の労務管理を行う事務職員の仕事場で、高専の職員室は別にあるのだが、昼食で留守にしている事務員の机の前に、やたら大きな男が陣取っているのだ。白い髪に黒い目隠し、そして山嵜とは30センチは違うその長身。山𥔎は一度も口をきいたことはなかったが、この東京呪術高専、いや、日本全国の呪術師の中でも一番の有名人が、パソコンで何やら調べ物をしているのだった。
     昼時、のんびりとネットサーフィンをしながらサンドイッチを齧っていた山嵜は、ノックもなく突然開いたドアからズカズカと挨拶もなく入り込んできた男の姿に、驚きのあまり思わず腰を浮かせた。
    14069

    獰。。

    MAIKING支部で上げた、パン屋さんに出逢えなかったリーマン七海を拾った五条の七視点
    支部の方を読んでからでないと読みづらい不親切設計なのでよろしければそちらから読んでいただけると嬉しいです
    支部→ https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16539882
    昨今の飼い主は愛情が足りない見慣れない部屋の天井が目に映る。
    ここは…と脳内を巡回するがぼんやりと生温い液体に浸されているようではっきりしない。

    窓を見ると大分高い位置に太陽がいる。
    まずい、寝過ごしたとがばりと体を起こすがそのまま横に倒れ込んでしまった。
    なぜ、どうして、早くしないと、仕事が、と頭の中がこんがらがっていくがふと昨夜のことを思い出した。
    長身に白髪、あの美しい碧眼を包帯で隠した五条悟。

    ということは、ここは五条さんの家か…。
    くそ…と悪態をつきながらゆっくりと辺りを見回す。バカみたいに広いベッドにモノトーンで揃えられたサイドテーブルとチェスト。その上には薬とゼリーと水。
    バッグとスマホが見当たらない。

    ベッドからゆっくりと降りて扉を出る。人様の家を勝手に歩き回るのは申し訳ないが扉を一つずつ開け確認していく。リビングのドアを開けると机の上で探しものを見つけた。
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