HOME,SWEET HOME...「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン」
けたたましくインターホンが三回鳴る。
その音で叩き起こされた。これは……、来たな。
いつからか忘れてしまったけれど、来ると必ずコレをするようになった。もしかして、五百年前のあの合図のつもりなんだろうか……。
ソファで寝ていた。急に起こされたので、まだ頭がはっきりしない。顔の横に落ちていたスマホを見るとまだ朝の七時前。寝ぼけたままインターホンのボタンを押した。
「……はい」
「おーい、開けてくれよ。ったく相変わらずめんどくせぇな。なーにがセキュリティだ、ナマイキに……。あぁ? 女子か?」
案の定メサールだ。マンション下のインターホンの前で悪態をつく姿が目に浮かぶ。
訪ねて来てくれて嬉しい気持ちと、無性にイラッとする気持ちが戦っていたけれど、イラっとする方が勝ってしまった。
「開けなくていいんですね。じゃ、さよなら」
「あ! おい! ブツッ」
この物件に引っ越してきてからもう半年。引っ越ししたての頃はごくたまに会うくらいだったメサールが、最近ではよく俺の部屋まで訪ねてくるようになった。あの時、メサールがふらりと家から飛び出していった日、オトコの家に遊びになど行くものかと強気で言っていたくせに。
それを思い出してしまうせいか、こちらも意地になっている。そういう自覚もある。素直に部屋に入れてなぞやるものか、という意地がこちらにもある訳だ。
「ガチャガチャッ」
「え?」
そんな事を考えてぼんやりしていると、期せずして玄関のドアノブの音が……。不審者か……?
そして、またインターホンが三回鳴る。そんなはずは……。ぞわぞわする。
半信半疑のまま玄関に向かう。うっすらドアを開けチェーン越しに覗くと、眉をひそめ不良のような顔をしたメサールがドアの隙間から睨みを効かせていた。
「おい〜、開けろや……。締め出す気か?」
「なんでここまで来れたんですか? 俺、開けなかったけど?」
「通りがかりのやつがあのドア開けたからな。いや、それはいいだろ、何で開けねーんだよ。意味わからん」
「だって、どうせ家帰るの面倒なだけですよね? うちはホテルじゃないので、じゃ」
ドアを閉めようと手をかけると、すかさず隙間に身体をねじ込んでくる。
「おー、ちょちょちょ! 閉めるなって! ね〜頼むよ〜入れてくれてよ〜。俺めっちゃ眠いわ〜」
今日はやけに食い下がるし、なんだろうその甘えは……。やはりイラッとするのが勝ってしまった。決して会いたくない、という訳ではないのだけれど……。
「家、帰って寝てください。帰らなくなるから嫌なんですよ」
「ちゃんと起きたら帰るから、な? 開けてよ〜」
ニカニカと笑いながらドアに挟まれているメサールを見たら、何だか同情してしまった。全くこの人は……。
「……、もう、はい、どうぞ」
チェーンを外してドアを開けると、途端にバタバタと家に上がってくる。
「んだよ、結局開けんなら渋るなよ。よぉ、イケメン元気だったか?」
メサールはココイチのキメ顔でニッと笑った。さっきの甘えを微塵も感じさせない。これに騙されてはいけない。
そういえば二週間ぶりくらいか。こないだ会った時は朝帰りでベロベロで、しかも朝の四時に起こされた。多分その前例があるせいも、あるな。
その時も締め出そうかと思ったが、道端で寝られても困るのでついドアを開けてしまった。
というのも、ここはメサールの行きつけの店から徒歩圏内。始発を待たずに転がりこめるとあって、ちょくちょく連絡をよこすようになった。決して、決して会いたくない、と言う訳ではないのだけれど……。
俺の平和で穏やかな生活が、一瞬であの青木家のバタバタとした空気感に戻ってしまい、たまらなく寂しくなってしまう。
「ちょっと、居間は禁煙なんだけど」
油断するとどこでもタバコを吸おうとする。青木家では良くても、ここは俺の家。断じて許さない。
「あー、一本くらいいいだろ」
「絶対一本じゃ終わらないよ。ベランダ行ってよ」
「こまけぇな〜。一人暮らしがなんだよ」
「灰皿持って行って。散らかさないで」
メサールは既にタバコに火をつけようと構えている。相変わらず喫煙マナーもへったくれもないから、カイ特性灰皿を我が家にも用意した。
「へいへーい。よー、今日、パン屋はどうよ。仕事あんの?」
メサールはベランダの窓を少し開けてその前にあぐらをかくと、タバコに手早く火をつける。パチンとライターの音が聞こえるタイミングでタバコをふかし始めた。
その動きはいつもながら鮮やかで、他愛無い日常の所作であってもつい見入ってしまう。華がある、とはこういう事なのだろうか。
「今日はシフト入ってない……。ね、知ってるよね絶対。休みだと分かって来てるよね?」
途端にメサールはニヤリと目を細めて不敵に微笑んだ。笑った口の端からふーと煙を吐いている。
「んなわけねー、たまたまだ。なに? 俺がお前の休みまで把握してると思ってんの? やだぁ、可愛いねぇ、はは」
しまった。罠だ。かなり恥ずかしくなってしまった。声が小さくなる。
「……、もう適当に寝たら帰ってよ。全然元気じゃないか……」
「おー。あ、風呂貸して。あと、着替えも貸して。それと、お腹空いた」
「はぁ? うるさい。何もないよ、買ってこないと」
「買ってきて〜腹減った〜。お前も腹減ってるよな?」
「ん、あーまぁ……。じゃあ、適当に待ってて下さい。コンビニ行ってくる。何、食べるの?」
「んー、任せた。パン以外。お前すぐパン買ってくるから飽きたわ、別のがいい」
「買ってきてあげるのになんだよ……、じゃ、大人しくしててよ!」
寝巻きを脱いで適当に着替えると財布を掴んだ。ご満悦のメサールを部屋に残して、すぐそばにあるコンビニまで歩く。なんで俺がと思いつつコンビニに入ると、結局メサールの気に入りそうなものを探していた。
寂しいのか知らないが最近はよく何か頼まれる。以前はこれとは逆で、メサールが先回りしてやってくれていた。
まぁ、その時は嬉しかった訳だから、少しくらいは聞いてやってもいいかと納得しているけれど。
「あー、お酒いるのかな……。とりあえずビール買っておくか。それと、ツマミ?あー、うちでダラダラ飲まれるのもちょっとな、いや、パンでいいや、やっぱり。今日はー、チョコチップメロンパンと、メサールはしょっぱいのにしておくか」
タンタンタンタン。軽快に音を立ててマンションの階段を登る。俺の部屋はニ階の一番奥にある。誰かがいると思うと部屋に帰るのが楽しみになる。
家に入ろうとすると廊下の窓から隣の民家のベランダが目に入ってしまう構造で、今日は隣人と目が合って気まずくなった。向こうも気まずそうにしている。軽く頭を下げてそそくさと鍵を探す。
俺の給金から考えるとこの物件は贅沢だなと思う。初めて借りるので、ボンに相談したらここを紹介された。財団関係の管理会社が経営しているお陰か、家賃が格安で助かっている。
家探しの条件は色々ありそうだけど、俺は駐輪場がちゃんとしていればそれでいい、という曖昧な基準しか持っていなかった。
ガチャッ、バタン。
「ただいま。あれ? メサ——」
「おー、おかえりー」
「ちょっとー! そんなカッコで部屋歩かないでよ!」
本当に風呂まで入ったらしく、メサールはほとんど裸でウロついていた。目のやり場に困る。他所で見せ場があるからか、維持しなくてもコレなのか。少なくとも今の俺よりはいい身体だと思うが、ウロつかれては欲しくない。けして……。
「あー? 仕方ねぇだろ」
「いや、もうちょっと……、待ってて! てかそこのソレ! 被ってて!」
焦っていて「ブランケット」という言葉が出てこなくて、指差しながらソレソレと叫んでいた。クローゼットの引き出しから適当に服を掴み出すとメサールに放り投げる。
「はい! ちょっと、早く着てよもう……」
「お、サンキュー。えー、パンの_T_シャツとか鬼ダセェな。はは、似合う?」
「うるさい、今洗濯しててそれしかないよ。俺のお気に入り貸してあげてるんだから、文句言わないで」
メサールは「へ〜」と言いながらパン_T_シャツを着ると、胸のクロワッサンプリントを繁々と眺めている。かなりシュールな絵面になってしまった。
テーブルに置かれたビニール袋を見つけて覗き込んでいる。
「どれ、何買ってきたのよ? ちょ、結局パンじゃん……。あー、でも嬉しいねぇ。はい来た、ビール。飲んでもいいよなぁ?」
「いいから飲んで寝てよ。そして起きたら帰ってよ……」
「いやー、素直じゃないねぇ。俺のこと大好きだろ?」
「いやー、うるさい……。早く寝てくれよ……」
からかうにしても他のにしてほしい。半分わかって言ってるのかと思うと腹立たしいし、恥ずかしい。
メサールは軽快な音を立てて缶ビールを開けると、ソファに座り込んだ。俺の場所……。仕方ないのでソファとテーブルの隙間に腰を下ろす。
「どうよ、一人暮らし。慣れたか?」
「うん、まぁね。もう半年も経ってる」
適当に返して気分を落ち着かせる。ふぅとため息が出た。
「そうか、そりゃ良かったな。俺はてっきりすぐに帰ってくんじゃねーかと心配してたけどなぁ、そっか」
「帰らないよ、しばらくは。一人でちゃんと仕事して生きていくって決めたんだ。パン屋ももう少し頑張ればきっとフルで働けるようになるし」
「へー、偉いなぁお前は。俺は悲しいよ、なんで俺はこうなんだろなぁて。あ、ビール無くなった、それくれよ」
「早いな、やだよ、俺のだよこれ。買ってきたらいいじゃない」
「えーめんどくせえ。行きたくない。じゃあいいわ、奥の手がある」
振り返って見上げるとメサールはニヤリと笑いかけた。そして台所に向かいしばらくゴソゴソとしていたが、戻ってくると得意気に酒瓶を掲げている。
「はぁ? なんでそんなとこからお酒出てくるの? 俺のいない時に隠してたの? もう最悪……、いつだよ」
得意気にへへへと笑い勝手に戸棚からグラスを取り出した。
「堅いこというなや、お前にもやるよ。これはいいモンだぜ? たまにはいい酒を飲め。ハッポウシュとやらばかりじゃぁ、つまらん」
グラスに並々と酒を注ぎながら楽しそうに語る。その横顔はまるで子供だな。
「俺はいいよ、帰ってトナリさんと飲めば? カイさんもいるよね? というか今もう早朝だよね?」
「あ〜ダメダメ、トナリは子供返りして全然飲めなくなった。カイは泣き上戸でめんどくせぇし。あ、まだ俺の飲み会は終わってないんだわ」
酔って泣いているカイを想像して思わず吹き出してしまった。
「ふふっ、はは、カイさんて泣き上戸なの? 知らなかった、それは見たいかも」
「やめとけ、めんどくせえぞ。ずっと絡まれて泣かれて大変だった……。多分親父の話かなんかだろうが、ほとんど何言ってるかわからねぇ」
「ははは、カイさんには悪いけど、ふふ」
「まぁ、だから外で飲むしかないんだよな。それで、気づいたらここにいる訳よ」
「何も用事ないんだよね、本当は。何しに来たんだよ」
「何もなくてもいいだろうよ、お前が家に帰らないからだろぉが……」
メサールはジトリと横目でこちらを見た。俺のせいとでも言わんばかりだな。
「もう独り立ちしてるし。そうそう帰らないよ。まだ半年だよ?」
「まぁ、そうなんだけどよ……」
「はい、パン食べて、寝て帰る。ね?」
買ってきた焼きそばパンを差し出した。不満だという顔をしつつ素直に焼きそばパンを受け取ると、いじいじと巻かれた包装をめくっている。
メサールは元々こんなに寂しがり屋だったのか。前世の姿を想像して今と比べると、かなり違和感があるような。
俺のクロワッサン_T_シャツを着て、酒に酔い年下の男相手に寂しいから帰ってこいと懇願している。新たな一面なのか、現世の荒波に揉まれ貴族の尊厳はどこかに失われたのか。
「……そうドライにするなよ〜。家帰ってもよ、トナリに絡まれるか競馬新聞読むくらいしかすることなくてよ」
「はたらけ。働けよ、そろそろ」
「無理言うな。設定を無視するな。え、寂しくないのかよ? 喜ぶかと思ったけどなぁ、へへ」
憎たらしいやら、嬉しいやら。俺も複雑な心境だ。しかし、こちらにも意地がある。
「喜びません、こないだなんか朝の四時に叩き起こされてさ。だってどうせ俺のところへ来ない日は、オネエチャンの所に行ってる訳だよね? そっち行けばいいじゃない。何でわざわざ……」
「あー、分かったぞぉ、ヤキモチだな。俺がネーチャンのとこで油売るのが気になったか? あ〜それでか、納得だわ。だーから締め出したりすんのか、あー、なるほどねぇ」
「……、本当ポジティブだね。ある意味尊敬します。帰って。もう言い残すことはないよね」
「怒んなって! すぐ怒る。はは。いいね、その眉毛。懐かしいわ。まぁそれが見たいんだけどよ」
「どんだけ寂しがり屋ですか? 俺がいないとダメなんだね? わざわざ押しかけてくるなんて」
「お、言うよね〜。そう来なくっちゃよ。そうさな、寂しいかもしんねぇ。お前帰って来ないし張り合いがなくてよ」
「……素直に言うの反則だよね。喧嘩にならないよ、それじゃ……。俺はしばらく青木家には帰らないよ。なんだろう、帰るともう戻って来れない気がして。みんなの顔見たら、一人の部屋に戻るの切ないからね」
俺もつられて素直に気持ちを述べてしまった。正直、俺だって帰りたい時はある。せっかく独り立ちを決心したのに、揺るがせないでほしい。
引っ越しの日はみんなが手伝ってくれて、最後に別れる時は泣きそうに辛かったのに。あの時はメサールは手伝いに来なかった。それなのに後からやって来るとは。
「あーまぁ、わからんでもないな……」
「だからさ、空気読んでよ。頼らないように頑張ってるんだから。結局メサールがここに来たら独り立ちの意味がないよ」
「まぁ、それも、そうなんだけどよ……。毎日じゃねぇしな。たまーにだろ?」
「だってどんどん増えてるじゃない。だから言ってるんだ。聞いてるの?」
「へぇ、へぇ〜。気をつけますよ。そんなこと言って後悔すんなよ。じゃ、寝るから」
「……」
グラスの酒を飲み干しソファに横になると、先程引っ張り出したブランケットを被って本当に寝てしまった。
一人暮らしといえば憧れのソファ。俺の癒しの場所……。それを奪われてしまっては俺はどこで寛げばいいのか。
でも子供みたいにスヤスヤと寝ているメサールを見たら、起こす気にはなれなかった。はぁとため息が漏れる。同時にソファの手すりにもたれかかった。
チョコチップメロンパンを食べながら何気なくスマホをチェックすると、メサールからのメールが未読だった。
『おい、玄関開けとけ』
添付された画像には缶ビール片手に泣き崩れるカイと、酔い潰れてうつ伏せのトナリが写っている。
「ふふっ、確かに、これは酷いなぁ」
チラリと横を見るとメサールが安らかに眠りこけている。
ここに来て、今までにない寂しさに襲われた。
これが、「ホームシック」というやつだろうか?
ものすごく寂しいけれど、でも帰るところがあるって幸せだな。
「今度引っ越す時は、アパートにするか……」