匣の中にて開戦準備 気まずい。
それはおそらく目の前にいる相手もそうだろう。触れ合う肌は布越しにじんわりと体温を感じ、こちらに気を使ってだろうか細く吸って吐く呼吸の吐息さえ頬や首筋に感じている。
足の置き場が悪く、もぞりと動かすと己の足の間に向かいあわせの相手の右脚が入り込んでいるようで動きづらかった。
「……三日月宗近」
耐えかねたように向かいの男が低く自分の名前を呼ぶので、三日月もうむ、と低く応える。
「これはどういう状況だろうなあ……」
「全くもってわからんが、ああ、くそ。こんな驚きは求めていないぞ」
暗闇の中、苛立つように吐き捨てる眼前の男をどこか隙間から入ってくる光がか細く白く照らす。
「同感だ」
三日月は今、細長い鉄の箱のような物に立ったまま閉じ込められている。
同じ本丸の仲間、鶴丸国永と共に、である。
ことの起こりはなんであったか。
三日月と鶴丸は他の隊の刀たちと共にごくごく普通の遠征へ赴いていた。資源と手入れ札などの報酬を目的とした、いつもと変わらない日常業務の一つである。
行きなれた遠征先で手順も方法もすっかり頭に入っている。つつがなく遠征の目的を果たし、さて帰ろうと隊長の山姥切国広が時空転送のまじないの機械を取り出しぴぽぴぽとやる。三日月は部隊が本丸へ帰還するまでの短い間にじじいらしくよっこらせと近くの岩場に腰掛けて休む姿勢を取り、鶴丸はなにか面白いことは無いかと近くの茂みをがさがさやり、見つけた虫などを大倶利伽羅へけしかけ嫌がられていた。
さあ、戻るぞ、と準備のできた山姥切国広が声をかけ、機械のボタンを押す。そうすれば身体は光の粒子となり時空を飛び、次に目にするのは見慣れた本丸の転送門の前のはずだ。
しかし、目を開けるとなぜか鶴丸と三日月は向かい合わせにふたり、ぎっちり狭い箱の中に詰まっていたのである。
「状況を整理しよう。三日月宗近、後ろの壁は探れるか」
「ああ、さっきからやっているが全く何も無い。取っ掛りもない、金属か…すべすべした素材のようだ」
「そうか、こちらはなにかでこぼこしたものはあるんだが、押しても引いても駄目だな」
箱の素材はひやりとしている。両手を広げようとしたが、すぐに壁にぶち当たった。四方はずいぶん狭い。
三日月が確かめるようにごんごん、と軽く後ろの壁を拳で叩くと思ったより音は大きく中で響いた。う、と鶴丸が首をすくめる。
「すまん」
「いや……こうも中で反響するとなると大声で助けを呼ぶ訳にはいかないな」
「そうだな…そもそもここが本丸なのかもわからん、もし外に時間遡行軍でもいたら笑えないなあ」
「嫌なこと言うな、きみは」
「ははは、このまま水の中に沈められでもしたらまさに一巻の終わりだ」
「やめろよ、想像したくもない」
嫌げに眉を顰める鶴丸の顔がうっすら見えて三日月は笑った。上に目線を向けると鶴丸の背中側に横一文字に細い溝があり、そこから光が漏れている。どうやら窒息の心配などはなさそうだ。
「時空転送の失敗だろうか」
「俺たちだけか?」
「皆ばらばらに転送されていたとしたらまずいなあ」
「転送ログはこんのすけが全て記録しているはずだが……解析に時間がかかるだろうな」
「だとしたら待つしかないだろうな」
「だろうな。……とんだ厄日だぜ」
はああ、と大きく鶴丸がため息をつく。うんざりした様子には三日月も同意した。なにしろ昼前からの遠征でまだ昼食を戴いていないのだ。昼食の献立を思い出すと腹の虫がなりそうなので、気をそらすように眼前の男に雑談を振ることにした。
「お前は存外喋るのだな」
「そりゃあこの訳のわからない状況だ。現状把握くらいするだろう」
「まあ、そうか。そうだな」
「きみこそ、冗談とか言うんだな」
「駄洒落の好きな兄弟がいるのだぞ、俺も冗談くらいは言う」
「あいつの駄洒落は面白くない」
「それはまあ、同感だ」
は、と鶴丸が片頬を上げた。笑った、と言うには些か意味のこもった笑い方だ。
「きみとこんなことでふたりきりになるとは」
「そうだな」
思えばこうして鶴丸と向かい合うのは初めてである。物珍しさに目の前の男を観察する。細い隙間から入ってきた光はかれの髪を照らし、一本一本がきらきらと反射していた。逆光になっても白い肌は輝くようで、その顔の中央に座する大きな二対の琥珀の瞳は気まずそうに、けれどもこちらを伺うように三日月を見ている。目線は近く、僅かばかり彼の方が高い。確か身長は三日月の方が高いはずであったが、鶴丸は底の高い下駄を履いているせいだろう。よくあのような履き物で戦場を跳んだり跳ねたりできるものだ、と三日月が狭い足元に目をやろうとすると、ぐ、と己の足の間に挟まった彼の足がさらに奥に入り込んでくる。体が密着し、鶴丸の吐息が耳元にあたった。
「鶴丸、」
些か近い、と文句を言おうと声を尖らせたが、とすん、と右肩に重みがかかった。三日月、と呼ばれる。
「俺がきみを避けていたのは気づいていただろう」
気づいていた。気づいていて、まあそう言うこともあろうと生来ののんびりさもあり、こちらから鶴丸に話しかけることもしなかった。
三日月がこの本丸に顕現した時にはほぼほぼ本丸の戦力は出来上がっており、初期に顕現した鶴丸との練度差は大きかった。
びしばし扱かれ練度をあげ、同じ部隊になることはあれど、業務的な伝達などもこうも人数が多ければわざわざ誰それを探して、などは稀なことである。
本丸に驚きを、と駆け回る鶴丸を縁側から見かけることはあった。だが彼は決して三日月をその驚きの渦に巻き込もうとすることはなかったし、他の刀のように親しげに肩を叩いて激励されたり、遊びに誘われることもない。ついと視線を向けられることはあったが、その視線は冷たく、時折熱く、意図はわからないけれども嫌われているかあるいはよくない感情を抱かれているのであろうと三日月は思っていた。三条である自分とその筋道の向こうにいるとされている五条の鶴丸。親しく話してみたいと思ったこともなかったが、相手がその気でなければ仕方ないとも思う。諦めが良いのは年の功であろう。
故にこうして二人きりで相対して話すのは実は初めてであったのだが、なぜか今までにないほど密着している。
ふ、と耳元で吐息が髪をくすぐる。
「お前は俺にさほど興味がないのだと思っていたが、」
「ああ、そうかあ」
まあ、そうだよな、と鶴丸は笑う。
「違うのか?」
ううん、と鶴丸は困ったように笑ったまま黙ってしまった。そのまま沈黙が流れる。右肩だけが重い。だが三日月はその重みを少しだけ嬉しく感じていた。鶴丸には嫌われていると思っていた。しかし彼からこうも密着してくるならば、もしやそうでないのではないかと思ったのだ。嫌いな相手に自分からくっつこうなど、流石の三日月でも思ったことはない。
「違うなら、嬉しいぞ。前々からお前とじっくり話してみたかった」
「……」
「三条邸にいた頃からお前のことは気になっていた。父上のお弟子のもとで、それは綺麗な白い太刀が生まれたと聞いてなあ。過去のあるじのもとにいた頃も漏れ聞こえてくる同胞の噂の中にお前の噂が混ざって聞こえることがあったからそれだけは詳しく聞いていたものだ。顕現したこの本丸にお前がいると知った時はとても嬉しかったものだが……、鶴丸?」
ざり、と狩衣と肩の防具の吊り具に白い髪が擦れた。あまりに黙っているのでよもや寝ているのでは、と思ったが聞いてはいるようだ。
「まあ、お前が俺を避けているのであればそれはそれで良いのだ。ただ、俺は小さな刀の精であった頃に生まれたお前が俺と同じくこの世をここまで渡ってきてくれたことが嬉しい。お前が息災であれば、それで良い。それだけはお前に伝えたかった」
顕現して審神者から大勢の刀剣たちの前で紹介を受けた時、その中に鶴丸がいたこと。近しい縁をもつ小さな同胞のゆく先が自分と同じようにまだまだ続いていたこと。戦乱でたくさんの同胞が零れ落ちていくのを見ていた三日月にとってそれはとても喜ばしいことであった。
鶴丸から避けられていることに気づいた時、それを伝えられないのは少しばかり寂しく思ったものだが、そうでないのであれば今こそその喜びは伝えておきたかった。
「鶴丸」
三日月が呼ぶが、鶴丸は黙ったままだ。近すぎて顔を覗き込むこともできない。よもや遠征で怪我でもしたかと手を伸ばして細い身体をぺたぺたと遠慮なく探ると驚いたのかがばりと顔が上がって密着が解ける。触診の結果怪我はないようだが、その顔は薄暗い中でもわかるくらい熱を持ったように真っ赤になっていた。
「鶴丸、どうした、熱でもあるのか? 真っ赤だぞ」
心配になって頬を触る。やはり熱い。髪をかき上げると耳まで真っ赤だ。少し汗をかいているのか肌がしっとりとしている。うう、と鶴丸はうめいた。
「きみ、そう無遠慮に触るなよ」
「様子がおかしい」
「なんでもない、」
「そのようには見えないが」
「本当になんでもないんだ!」
大声がわん、と箱の中で反響して二人とも思わず黙った。すまん、と鶴丸が蚊の鳴くような声で謝る。
「……きみも俺のことをよく思っていないと思っていた」
「まさか」
「ああ、そうだよなあ。きみは、マイペースで、おっとりしていて、案外諦めが良すぎる所がある。俺がきみを嫌っていると思って気をきかせてくれてたんだろう? その自己犠牲的な性格も知っていたはずなのにな」
鶴丸は眉を下げて自嘲するように笑った。頬はまだ赤い。
「俺もきみの噂はずっと聞いていた。墓の中にいた時さえ、風や草花、獣どもを使ってきみの話を探していた。この本丸できみとまみえた時、すぐにでもきみの元に飛んでいきたかったんだが、噂に聞いたきみの実物があまりにも、想像以上に、あー、あれだったから」
「あれ」
「だが、失敗だった。きみが俺のことをそんなに気にしてくれているなんて、知らなかった」
ぐ、と白い顔が寄せられる。寄せられて、寄せられたまま、口付けられた。ちゅ、と可愛げな音がして唇はすぐに離れていく。
「は」
こんなに近くで彼の瞳を覗き込んだことはない。飴色が煮詰まったような複雑な色。その奥にぽかんと口を開けた己の顔が見えた。自分の驚いた顔はなかなか新鮮でぼんやり見つめてしまうがぐいと手を取られ目を白黒させる。とんだ急展開にじじいはついていけない。いや、鶴丸とて同じじじいのはずなのだが。
「兎にも角にも早くここから出たいな。早く本丸に帰って、きみへのアプローチを考え直さなきゃならない」
「あぷろ……なんだ? 何を言っている?」
「それは本丸に帰ってからのお楽しみだ。三日月、覚悟していろよ」
隙間から入り込んだ光がきらりきらりと鶴丸の瞳を輝かせている。なんだかとても嬉しそうで、わくわくしているようだ。赤いままの頬も輝く瞳も、楽しそうに上がる口角も今までは正面から見られなかったものだ。笑いかけられるのも、初めてだ。鶴丸が嬉しそうならば、まあ良いか。三日月は何もわからないまま微笑み、頷いた。
そうしてしばらくしたのち、こんのすけを連れた審神者と山姥切国広によって厩の用具入れロッカーから無事に救出された鶴丸国永と三日月宗近であったが、態度の急変した鶴丸とよくわかっていない三日月が本丸中を巻き込んで恋のドタバタ劇を巻き起こすことは、今ここにいる誰一人予想もしていなかったのである。