ことのはじめ すがすがしい風が頬を撫でた。ほどほどによい日差しを送ってくる空は白い絵具を多めに混ぜた青色である。足元は青々とした芝生が敷かれ、遠くでは小さな子供がきゃらきゃらとはしゃぐのをほほえましそうに見つめる父母の家族、肩を寄せ合いささやきあうカップル、スマートフォンを自分たちに向け写真を撮る年若い女性たちなど、人々が皆思い思いに自由な時間を過ごしているようである。
そんな人々をぐるうりと眺めた鶴丸国永は困った様子で顎を撫で撫でため息を漏らした。
「はてさて、どうしたものか」
「どうしたもこうしたもあるまい」
溜息とともに漏れたぼやきが隣のおとこに掬われる。鶴丸は胡乱げに彼を振り返り、ぎょっと目を剥く。
「きみ、なにしてるんだ」
「そこのコンビニでサンドイッチを買ってきた。天気がよいから、外で飲み食いしたら気持ちよかろうと思ってなあ」
いちごが入っているのがあった、と嬉しそうにのんきなことを言いながら彼は鶴丸の足元に腰を下ろしたようだった。隣でなにやらがさがさ聞こえると思ったら、この男がビニールの中のものを広げていたようである。立ちすくむ鶴丸をにこにこと見上げる一対の月の瞳。風に吹かれる深い青色の髪。ぞっとするほど整った顔の貌。こんな状況だというのに、彼は華々しく微笑んだ。
三日月宗近。鶴丸は彼とともに令和の世での遠征任務を仰せつかった。任務は長期に及ぶというが、任務についての仔細は何も知らない。目の前でサンドイッチをぱくりと頬張った三日月もなにも聞いていないという。なにしろ今日も出陣だ演練だと準備をしているところに、あるじである審神者に突然「これから現代遠征よろしくね」といわれほいさほいさとそのまま遠征ゲートに連れていかれたのである。
ゲートで矢継ぎ早に「しばらく令和の世で暮らしててほしいんだよねえ。任務は都度通信とかで伝えるのでとりあえず現代で待機。武装は任意で出来るけど、本体出したら普通に銃刀法違反だから気を付けて。あとは、えっと、詳しくはこんのすけに聞いて! 仲良くね~」と説明され、それっきりゲートから令和時代にポイである。そうしてうにょんうにょんと時空を飛ばされ降り立ったこの公園で待っていたこんのすけに「家でも借りて待機していてください」とぞんざいな説明を受けて今こうして呆然と突っ立っているわけである。
もともと気分屋というか、その時の思い付きであれやこれやと行動するあるじであったが、まさか任務の采配までこうだとは。そういう任務があるのならは出来ればもっと早くいってほしかった。鶴丸は戸棚の中の饅頭を思い、何度目かわからない溜息をついた。
「今のところは、長期休暇を得たと思っていてよいのかな」
「きみはのんきだなあ……」
「最近はおれもおまえも働きすぎていたように思える。給料分以上に働いていただろう」
「ううん、それはそうだが」
ふたつめのサンドイッチをぱくりとした三日月は嬉しそうだ。確かにここのところ働きすぎていた気はする。三日月とはここ数か月同じ部隊で顔を合わせていた。起きて朝飯を食ったら出陣、出陣、時々演練、遠征、出陣。そんな生活ばかりで、戸棚の饅頭は給料分以上は働いているぞ、とぼやく三日月のご機嫌取りのためのものであった。
あるじの采配に文句はない、使ってくれるのは嬉しいといいつつも、薄暗い鶴丸の部屋で饅頭を食べて頬を緩める三日月の表情は、今こうして新しくビニールを剥いたサンドイッチをもぐもぐとしている顔と似ていて胸の奥がことりと鳴る。
「とりあえずは住むところを探そう。身分証が必要だったな」
「ああ、それならたしかここに」
「貸してくれ。きみに持たせていると知らんうちに失くしそうだ」
失敬な、と思ってもいなそうな顔で言う三日月から身分証を預かり鶴丸はあたりを見回した。公園の出入口はすぐそばで、大通りをはさんだ向こうはそれなりに栄えた街のようである。サンドイッチを食べ終えた三日月宗近も立ち上がった。頬にパンくずがついているのでそっと払ってやると、ん、とされるがままに長いまつげをぱちぱちとさせる。
ここ、と胸の奥で何かがうずく。それは本丸でも時たま三日月に対して感じる不思議な胸の疼きであった。鶴丸はいつものようにその疼きを無視して、支給のスマートフォンでとりあえず住む場所を斡旋してくれる店を探すこととした。
何かが始まるような、始まらないような二人の生活がこれから始まる。