46 アル空「空、おはよう。今日もいい天気だよ」
耳に馴染んだ優しい声で目を覚ます。まだぼんやりとしている視界の中に、ミルクティー色が揺れていた。
「……アルベド」
いつの間に起きてたの、とからからになった喉が質問を投げた。
空の声に艶がなくなっているのは、昨夜の情事でアルベドから受けた愛に全身で応えていたためだった。腰にある鈍い重みも、噛み跡が残る肌も、彼の熱を受け止めた胎内も……まだ色香を残している。少し痺れる甘いそれを感じ続けるとまた彼を欲しくなってしまうから、なるべく感覚を追いかけないように軽く首を振り、まつ毛を震わせた空は、腕を支えにして身体を起こした。
「十五分程前かな」
「早起き〜……」
「そうでもないよ。時計も見えるだろう? 今日は休日だし、いつもよりずっとゆっくり起きてる」
「……そうだけど」
言うように、壁にある時計は普段の起床時刻をとうに過ぎ、各々研究や任務に向かっている時間を示していた。そういえば昨日の今頃は、璃月にまで出向いて討伐依頼をこなしていたな、と思い出して息を吐く。
日々途切れずに依頼される様々な任務をこなしていると一週間はすぐに過ぎていき、二人きりで灯火を分け合う休日は案外すぐにやってくる。そうして繰り返し編んでいく時間を、空は愛しく感じているし、アルベドもそうであったらいいと、肌を重ねるたびに思っていた。
「パンを焼いてきた。ジャムも用意してあるよ。一緒に食べよう?」
「ん……」
ベッドに腰掛けたアルベドは、空とのあいだにあるスペースにトレーを置く。そこには一枚ずつトーストがのった皿と、三種類のジャムが入ったココット、ホットミルクが注がれたマグがあった。
少食であまりレストランに行かないアルベドは、料理のしやすい環境を整え、今は自ら食事を作っている。研究に没頭するためにも削減したい時間だけれど仕方ない……としぶしぶキッチンに入るらしいが、空といる時にそのような面倒臭そうな表情は見せたことはなかった。曰く、「キミがいて、キミのために作る食事は話が別だから」ということだった。
焼きたてのトーストからは香ばしい匂いが立ちのぼる。膝上にはまだ毛布をかぶったまま、空はこんがり焼けたそれを手に取り、赤いいちごジャムを一口分だけ塗った。そしてジャムのある場所をかじって、ふふ、と頬を緩める。
「……おいひい」
「それはよかった。……身体は、大丈夫? つらいところはないかい?」
「ん、……へいき。俺の体力は平均よりあるし、結構頑丈にできてるって知ってるでしょ?」
「それはそうだけど。だからって無遠慮にしていい理由にはならないし、負担を強いているのには変わらないから。心配はさせてほしい」
「……まじめだな、アルベドは」
「キミに関することなんだ。当たり前のことだよ」
……どうしてそうやっていつも、こちらの心の波を騒つかせていくのだろう。
悪気もなければ冗談でもない。一部の迷いもなく真っ直ぐに伝えられる「大切」という空気を受け止めるたび、四肢をばたつかせて、「ずるい!」と叫んでしまいたい。
無自覚な優しさで撫でられると、結局がまんしていた彼を求める思いが走り出して、それは口までも動かしてしまう。
「……ごはん、食べたら」
「うん?」
「トースト、食べ終えたら。もういっかい、……夜のつづき、してほしい」
「……、……今日は休日だよ」
「うん」
「たしか、釣りにでも行こうかって話していたはずだけど」
「うん」
「……延期になってしまうかもしれないよ?」
「いいよ」
だって、
「アルベドのことだけ考えたいから。……今日は君と、くっついていたい」
外は快晴なのだろう、窓から差し込む陽光はレースのカーテンを白く輝かせている。きらきらの光の粒子はアルベドにも注がれて、彼の輪郭をやわらかに縁取っていた。
宝石のように煌めくふたつの瞳は大きく開かれている。透き通った翡翠。驚きに見開かれたそれはやがて、いつもの優しさと、ほんのすこし、夜の彼が灯す艶めいた色へと変化する。
「……わかった。それじゃあ先に、食事を済ませてしまおうか」
「……うん」
カーテンの隙間、はらりとのぞく爽やかな青色を横目にして、俺はもう一口、トーストをかじった。