Wish upon「うーん」
小さく唸り声を上げ、訳もなく己が悩んでいることを表出させてはみたものの、悩みの種を消す糸口は一向に見えることはない。解決の兆しはもはや無し、やめやめ。
「書けたか」
なんて遠くへ擲ってしまえれば幾分気が楽になったのだろうか。
「一文字も書けておりません…」
現在の状況を包み隠さず、先程の声の主、ブライアンに答える。どうせ隠したって、その程度の嘘ではすぐにバレてしまうだろうし。
私がこんなにも頭を悩ませている、その元凶は眼前のデスクに置かれた、縦に長い長方形をした紫色の画用紙、所謂七夕の短冊だ。
「お願い事とか苦手なの知ってるでしょ」
「ああ、だから持ってきた」
顔色一つ変えずにブライアンは言ってのける。つい先程トレーナー室にやって来たかと思えば、「アンタへの宿題」だとかなんだとか言って私に短冊を握らせてきた。どっちかと言うと私が教師側の立場のはずなんだけど。七夕までに書けって、今日はもう7月6日でほとんど時間がない。
「ブライアンはなんて書いたの」
「秘密だ」
返答はほぼ予想通り。自分ばっかりずるいんじゃないかと思うが、まあ飾られていたら後で探してやろう。
大体なんで14光年も離れた織姫と彦星が唯一会える日に、私はお願い事を書かされているのだ。そんなつまらない思考は止めどなく思い付く癖に、願い事は足掛かりすら掴めぬまま。
結局その日は願い事を思い付けず、心の片隅に長方形の紙が引っ掛かったまま眠りについた。
*
七夕の夜、生憎の曇り空は仄暗く赤みを帯びている。例え晴れていたとしても夜空に星は見えなかったのかもしれないが。
人気がほとんどなくなったトレセン学園に設置された大きな笹には、様々な色をした願いが吊り下げられていた。
丸一日かけて煩悶してようやく願い事を書けたのだが、どうにも恥ずかしくてブライアンに提出できなかった。しかし折角書いたのに飾らないというのも、それはそれで勿体無い気がして現在に至る。
空いていた隙間に私の短冊を飾り、そそくさと帰ろうとしたその瞬間。
「『いつも一緒にいれますように』か」
「ぎゃ!」
突如として背後から声をかけたブライアンに余すところなく驚きが零れる。
「静かにしろ」
「急に話しかけないで…」
「気づけるようになれ」
相変わらず末恐ろしい娘だと思い知らされる。
「主語は?」
「それ言わせるの?」
暗闇に二人の小さな笑い声がこだまする。
「だって、私のお願い事なんてブライアンのことくらいしかなかったんだもん」
そういうとブライアンは顔をふいと背ける。
「アンタ、そう言うとこで恥ずかしながらないんだな」
ブライアンは暗闇に紛れてよく見えないが、その所作は恥じらいを隠すときのそれに違いない。たまには悪くないかな、と意地悪をしたくなる私の気持ちが燻る。
「ちなみにブライアンのはどこに」
口を開くとブライアンは素早く、笹に飾られていたら一枚の黄色い短冊を手に取った。
「見せてよ」
短冊を隠そうとするのがつい愛おしくて、そんなことを言ってしまったが、どうやら私の目が良いことは知らないようだ。
「14光年離れても会いに来てね」
「…っ!…忘れろ」
一瞬の隙をついて、黄色の短冊を奪う。そこには確かに彼女の筆跡で「ずっと側に」と書かれていた。しっかり見据えると、先程まで身を潜めていた恥ずかしさが込み上げてくる。
「アンタなぁ」
その間にブライアンは冷静さを取り戻しており、刹那に形勢逆転された私はブライアンに短冊を取り上げられて、頬を伸ばされる。
「いひゃい、こめんなひゃひ!」
ちょっとしたら満足したのか手を離してくれた。
「ったく。反省しろ」
そう言って私に背を向ける彼女の頬は薄く赤みを持っていた。
たまにはこんなイベントも悪くないなと、笹に飾られた小さな紙に私は感謝することにした。