未題 ひとつ、座るときはカウンターなど相手よりも低い位置に。話すたび見上げる自然な上目づかいが好印象!
ふたつ、気づかいはさりげなく巧妙に。揶揄いを交えながらも真摯な眼差しでされる心づかいは、相手の気を引くこと間違いなし!
みっつ、隙は最大の武器。お酒を飲んで、ふにゃりと隙が生まれた普段とのギャップで可愛さアップ。これで落ちない男性はいないはず!
平和な午後のティータイム。
利用者もまばらな図書館で優雅に休憩をとっていた魔女は、本を返却しにきたガイアを呼び止めた。一緒にお茶をと言われれば断る理由もない。
ノエルお手製のクッキーをお供に、香り高い紅茶を楽しんでいたガイアに、ふと魔女は悪戯っぽくそんな三原則を囁いた。
「近ごろモンドの女性のあいだで大人気の、必勝モテテクだそうよ」
「そりゃあ平和で結構なことだが、なんで俺に言うんだ?」
まあ、よくある類いの内容にガイアは首をかしげた。
我らが代理団長殿が少女趣味な小説を密かに好んでいることは知っているが、この魔女に限ってはまさか、なんて言うと後がこわいので口をつぐむ。
でも、少なくとも恋バナとやらをしたいのなら、わざわざ自分なんかを呼び止めなくてもいい。アンバーやらノエルやら、適任はいくらでもいるはずだ。
そんなガイアのようすに、あら、と図書館司書は大げさな素振りで手を口もとに当てた。
それから、くすくすと吐息をこぼすように笑う。
「ご存知ないのかしら? この三原則、ちまたではこう言われているのよ。……西風騎士団ガイア隊長のモテテク、ってね」
「はあ?!」
思わず立ち上がったガイアに、机のうえのティーセットが音を立てて揺れる。
にっこりと微笑んだ魔女の指さきに、パチパチと紫電が爆ぜた。
「大声厳禁、よ」
「悪かったって。なあ、その。……どういうことだ?」
あまりにも身に覚えのない話だ。混乱のまま、ガイアは静かに椅子を引いて座りなおした。
「ずいぶんと杜撰な謝罪だけど、まあ今回は許してあげましょう」
優雅にカップへ口をつけ、魔女は鷹揚にうなずく。
それ以上、彼女から言葉が出てくることはなさそうだった。簡単に答えを与えず、人が悩むすがたをつまみに高みの見物を決めている。つまりは気になるのならば、自分から引き出してみせろということだ。
思い返せば確かに、最近やたらと町の少女たちにじっと見つめられているなとは思っていたのだ。
話しかけてくるでもなく遠巻きにされていたので、用があればいずれ来るだろうと気に留めるだけにしていた。もしかしなくても、あれはこの噂が理由だったのだろう。
はあ、と深くガイアはため息をついた。面倒なことになってしまった。これでも西風騎士団の騎兵隊長は「安心して孫娘を託せる男」と評判だというのに。
そんな身に覚えもないテクニックが勝手に流行しているとなれば沽券にかかわる。
時間をかけて築き上げた信頼も、地に落ちる時は一瞬なのだとガイアはよく知っていた。
「カウンターに座って、さりげない気づかいをして隙を見せる、だったか? なんでこれが俺のモテテクになるんだ……」
リサに教わった三箇条を口にしながら、ガイアはまた首をかしげた。
正直なところ、モテようなんて思ったことはないし、意中の相手も存在しない。
なんでこんな噂が生まれたのか、さらさら分からないので困り果てていた。根を絶とうにも、理由が分からなければ払拭しにくい。
「あら、ガイア。あなた自覚がないの? なるほど。これはあの人も苦労するわね」
意外そうな声を上げて、魔女は身を乗り出した。理由は分からないが、どうやら興に乗ったらしい。ガイアにヒントが提示された。
「これはね。偶然、酒場であなたを見ていた女性が気づいたテクニックなの。身に覚えはないかしら? エンジェルズシェアで、そうね。二週間ほど前かしら」
エンジェルズシェア。二週間まえ。
指おり挙げられる条件に、側頭部がズキズキとひどく痛んだ。よく身に覚えのある痛み。
そうだ、思い出した。
それはあの日。ガイアが久しぶりにひどい二日酔いの頭痛に襲われることになる、その前の夜のことだ。
確かにその日、ガイアはカウンターに座っていた。いつも通り、くるくると酒をつくる義兄の手つきをぼんやりと眺めながら。
だからこそ気がついたのだ。いつもよりもその動作がほんの少し鈍いことに。ザッと見たところ、怪我などの外傷というよりは、むしろ内部の損傷のように思われた。骨折か、筋を捻ったのか。
どちらにせよ、ワイナリーのオーナーとしてではなく、英雄業の方で負ったのだろう。痛みに気づいていない訳もないだろうに、平然とした顔で酒場に立っているディルックがガイアは不服だった。だからまあ、色々と言ったような覚えはある。
あのディルックに、かすり傷でも負わせることのできる相手なんて限られている。コイツに限っては当然、標的がどのような相手か知らずに出たなんて訳もなくて。
それなのに自分に少しも声がかけられなかったことを、理不尽にも悔しく思う心もまあ、多少なりはあったのだ。
思えば、こっちは好き勝手にディルックを巻き込んでいるけれど、向こうからガイアを戦闘に組み込んだことは一度もなかった。
一緒にいたなら、呼んでくれたなら。そんな怪我をさせることもなかったのに。
「ずいぶんと不安そうな顔をしていたらしいわよ」
ガイアの表情を見て、リサはくすりと笑った。
「誰も気づかなかったオーナーの怪我に気がついて、あれやこれやと言う裏には心配が垣間見えて。仕事を続けようとする彼の指をツンと引いて見上げるものだから、その場にいた女子みんな、満場一致で確信したそうよ。あなたがディルックのこと好きだって」
「や、だってお前も知ってるだろ。旦那さまは、その、義理の兄だったから……」
「ええ、ええ。そうね。ジンとバーバラのこともありますもの。兄弟姉妹はいつだって互いを気にかけるもの。酔ってつい、昔を思い出してしまったのかしら」
そういうことにしたい。しておきたい。
まだ自分でも気がついていなかったパンドラの箱を、この魔女にこじ開けられている気がする。
ひしひしと恐怖にも似た予感に襲われて、ガイアはこぶしを握った。
酔って、ちょっと昔を思い出してしまって。つい弟じみた心配を見せてしまった。
それだってガイアにとっては充分恥ずかしいことなのだ。だから、頼むから。それでもう、いいじゃないか。
「でもね。あなた、頬に口づけされて何度もそれをねだったらしいわよ」
けれど祈りは通じずに、無情に追撃は放たれる。ああ、とついにガイアは顔を手でおおった。
それも、なんとなく覚えている。
あの日、頑固で融通のきかない義兄は結局そのまま仕事を続けて。そんなディルックを前に帰るのも後味が悪くて、ガイアは閉店時間が訪れるまで、いつになく杯を重ねたのだ。
ステアやシェイクを必要としない、ワインや蒲公英酒をそのまま。強いアルコールに頭がくらりとして、ふわふわとした気分になった。
それから、何か口走ったような気もする。
そうしたらディルックはふっと笑い、頬におまじないのキスをした。
それは、特別な合図。アイツが無理をして俺が怒った時、他愛のないことで言い争いをした時、いつもそれが「ごめんね」と「もうしないよ」の約束の代わりだった。
懐かしい感触につつまれて、満たされた思いで続きを求めて、そのまま眠りに落ちてしまったのだ。
ああ、なんで思い出してしまったのだとガイアはうめいた。あのまま忘れていたかった。
いったい今日から、どんな顔をしてディルックに会えばいいというのだ。
***
「突然すまない」
午後のワイナリーに珍しい客人が訪れた。また何か危急の用かと思えば、そういうわけでもないらしい。
何故か緊張した面持ちに、もしや支援についてかと思い当たる。ひとまず客間に上げ、メイドに茶を用意させながらディルックは重たい口をひらいた。
「いや、君が訪ねてくるぶんには別に構わないが。悪いけれど、騎士団に関する要件なら僕は」
「あっいや、そういう、その。なんというか、そういうアレではないんだが……」
先に話を切り出せば、いつになくしどろもどろに受け答えをするジンに、ディルックは怪訝に首をかしげた。
明らかにようすがおかしい。頬をわずかに赤らめて、もじもじと指を回して。まるでママゴト遊びをする幼い少女のような顔をした後輩は、意を決したようにディルックを見た。
「……ディルック先輩は、近ごろモンドで流行っているモテテクの噂を知っているか? その、ガイアのモテテクと、言われているんだが」
「……は?」
思いもがけない方向から思いもがけない名前を聞いて、思わず反応が遅れる。そもそも。
「そのモテテク、というのはなんなんだ」
「ああ。説明が難しいが、異性により好かれるためのテクニックというのだろうか。……あっ! いや! でも、ガイアのは、そういうのとはちょっと違って。その」
「その?」
異性に好かれる、というところで眉を顰めたのに気づいたのか、ジンが慌てて弁明する。
アイツは何をやっているんだとため息混じりに問えば、恥ずかしそうにか細い声が返ってきた。
「意中の相手の気を引くため、というかだな」
「……詳しく聞かせてもらおうか」
思わずガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。
それから改めて、ディルックは二階の執務室へとジンを招いた。ここならば、誰に聞かれるでもなくゆっくりと話をすることができる。
残されたお茶の準備をワゴンに乗せ、温めなおすメイド長の口もとにだけ微笑みが浮かんでいた。
ひとつ、座るときはカウンターなど相手よりも低い位置に。話すたび見上げる自然な上目づかいが好印象!
ふたつ、気づかいはさりげなく巧妙に。揶揄いを交えながらも真摯な眼差しでされる心づかいは、相手の気を引くこと間違いなし!
みっつ、隙は最大の武器。お酒を飲んで、ふにゃりと隙が生まれた普段とのギャップで可愛さアップ。これで落ちない男性はいないはず!
品行方正な代理団長の口から出るとはとても思えないような文字の羅列を聞きながら、ディルックは腕を組んだ。
このモテテクとやら、ガイアが自分から言い出したものではなく、たまたまガイアのようすを見ていたある女性から広まったものなのだという。
「話は分かったが、結局、ガイアの意中の相手は誰なんだ」
「それは、その、今言ったものが全て適応される人というかだな」
そわそわとしたようすで、ジンは答える。
知っていて、本当は言いたい気持ちもあるけれど誰かに釘を刺されている。そんなところだろうか。まあ、おおかた図書館の魔女だろう。
仕方なく、ディルックは自分で三つの条件を順番に絞っていった。
酒を飲む場。カウンター。と続けば、まあ十中八九、おそらく相手はバーテンダーなのだろう。
そうなればキャッツテールか、エンジェルズシェアのどちらか。キャッツテールの獣人族の少女とはさすがに考えがたいし、マーガレットもしっくりこない。
もちろん、モンドの他の酒場という可能性もあるにはある。だが、そうした場所は治安が悪いことも多いのだ。ガイアは、間違ってもそんなところで隙を見せるほど愚かな男ではないと知っている。
あれは、特に今は一見軽薄には見えるものの、その本質は昔とそう変わっていない。警戒心が強くて、本当に安心できる場所はほんのわずか。
そんな気の抜けた姿を見せるほどの距離を許す相手は、そうそういないはずだった。
思い当たる相手を次々に除外していくたび、おかしい。おかしいと、そればかりが思考を埋め尽くす。
どんなに願望を入れ込まないように考えようとしたって、その条件を聞くかぎり、思い浮かぶのはたった一人だけ。バクバクと心臓が脈打った。振り切るように、口をひらく。
「それはおかしい」
ディルックはゆるゆると首を横に振った。
「だって、そんなの、それは。……どう考えても僕しかいないじゃないか」
「そう! そうなんだ!」
ジンはパッと顔を輝かせた。心なしか目もキラキラとしている。日々の業務に忙殺されがちな彼女のこんな生き生きとした表情は久々に見たなと、場違いにディルックは思った。
「リサがな、ガイアはあんなにアピールしているのに、先輩が気づかないなんて意外だと言っていて」
「それじゃあまるで、ガイアが僕のことを、その、そういう意味で好きみたいじゃないか」
十代のころから、弟へ淡い恋情を抱いていた自分とは違って。と、心のなかで付け加える。
いつだってガイアは至って健全に、まっすぐに、兄としてディルックのことを慕っていた。
そこに同じ熱を見たことはなかったし、だからこそ、ガイアが自分を好きになるなんて思いもよらなかった。
そんな幸運、あってもいいものだろうか。呆然とするディルックに、ジンは首をかしげた。
「この噂が出たのは二週間前だそうだが、先輩、何か心当たりはないのか?」
「二週間まえ、か」
ジンの言葉を繰り返して目を閉じる。
確かにその日のことを、ディルックはよく覚えていた。
前日、ディルックは地下組織からの連絡を受けた。
ファデュイ、そしてカーンルイアへと繋がるあらゆる情報の定期的な交換。そこで、ディルックは北風の狼の神殿付近での不穏な動きについて聞いた。
アビスの詠唱者と呼ばれる存在が、おそらく出入りしていると。告げられたまま神殿に向かえば、確かにそこには人とも魔物ともつかない姿をした者たちがいた。
彼らの会話を、ディルックは息をひそめて聞いていたのだけれど。去りぎわ、気配に勘づいた一人が放った遠距離攻撃を身に受けてしまったのだ。
その怪我に、目ざとくガイアは気がついた。
昔から、怪我をしたことそのものよりも、怪我を隠されると怒った弟だ。うにゃうにゃといつになく口数が多く絡まれたが、それも心配がもとだと思えば可愛いものだった。
自分でだって、本当はこんな日に酒場に立つのが悪手だとは分かっている。それでもついカウンターに立ってしまったのは、昨夜、怪我をした帰り道にガイアの顔を見たいと強く思ったからだった。
「それなら約束、してくれよ」
ディルックの手を煩わせないためだろう。その日の弟はカクテルではなく、原酒ばかりを頼んでいた。
何杯目かのジョッキを煽って、ガイアはディルックを見上げた。強いアルコールを摂取して、理性のタガが緩んで潤んだ目。わずかに血色のよくなった肌。長い髪を指でかき上げて、ガイアは頬を差し出してそう言った。
それは二人だけの内緒の約束。
心配症の弟をなだめて、許しを請うためのキス。少年から青年へと差しかかりはじめた自分の編み出した、ほんの少しばかりの下心を含んだ約束。
そんなもの、まだ覚えていたのかと思えば堪らない気持ちになって、ディルックは誘われるがままにそこに口づけた。
もっと、と袖を引かれれば止まれるわけもなく。まだ客のいる店内だと、ディルックは知っていたのに。
ああ、確かにと思う。
ガイアのモテテクとやらは完璧だ。これほど華麗にディルックの心をとらえた存在は、彼をおいては他にいない。
「ガイアが、僕を好き……?」
それなら。躊躇いを捨てて、ディルックは顔を上げた。
もう何も我慢する必要はないわけだ。あの危なっかしい弟を、魂ごと全部、僕のそばに置けばいい。
***
騎兵隊長のモテテクは、近ごろますますモンドの女性に人気を博している。何せそのテクニックで、本人がみごと意中の相手を射止めたのだから。最近の城下町は、そんな話題で持ちきりだ。
華やかな騎兵隊長に、仕事が恋人と称される有能なワイナリーのオーナー。兄弟として育った二人が異なる姓を名乗るようになって数年。互いの本当の想いを確かめあう、なんて。
まさかこんなところに、恋愛小説もびっくりなキュンとする純愛があるとは思わなかった。伝え聞く噂を噛み締めながら、ジンは友人の部屋へと訪れた。
ちなみに渦中の騎兵隊長は、迎えにきたディルックにとうに連れ帰られている。
「ガイアがまさか先輩のことを、そういう意味で好きだとは思いもよらなかった。リサはさすが、人の心の機微に聡いんだな!」
差し出された紅茶を飲みながら、感心をあらわに告げる。そんなジンに、魔女はふふっと悪戯げに笑った。
「いいえ。ガイアにあったのは、どちらかというと兄弟愛だったわよ」
「えっ」
「まあ実際、そういう想いもなくはなかったんでしょうけど。自覚するほど表には現れていたのは、むしろ、あの方のほうが先」
「ディルック先輩、か?」
「ええ。でも色々とあって、本人には伝えられないみたいで。あんまりじれったいものだから、わたくしちょっと奮発してしまったわ」
偶然流れた噂をいいことに、まだ蕾にもなっていなかった想いを引きずり出して、そういうことにしてしまった。
ふふと柔和に笑む友人をまえに、ジンは戦慄していた。絶対に彼女を敵に回したくはない。
「それにあの子、ちょっと不安定だから。楔があった方がいい。ディルック様なら適任でしょう」
「ガイア。彼が抱えているものを、いつか私たちも共有することは出来るのだろうか」
時おり遠い目をする、幼少からの知り合いを思う。あれほど兄を慕っていた子が、自ら縁を切るほどの出来ごとが彼らのあいだにあったのは、確かなのだ。
「風の進みにまかせましょう」
「ああ。バルバトスさまのお導きのままに」
二人の女性に祝福と祈りを捧げられた騎兵隊長は、ワイナリーの一室でくしゅんと小さなくしゃみをした。
かくしてガイア隊長のモテテクは、今日もモンドの人々に活用されるのだった。