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    kabeuchinaaan

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    kabeuchinaaan

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    巡ったそのあとの話。を継ぎ足していく。
    推敲はあんまりしてない。

    巡ったそのあとの話「よォ、久しぶりだな」

     常夏の新境地。そこで数年ぶりに顔を合わせたレッドは、知らない人間だった。昔後ろに着いてきて、果てには追い越していった少年の姿はもうない。グリーンよりもしっかりとかした体格で、目線も少し高い。

    「…久しぶり」

     どちらも思わず、といった様子で笑い合う。グリーンは笑うレッドの顔を見て、思いかけず気が緩んだ。見てくれがどれだけ変わろうとも、ヘッタクソな笑い方だけはかわらないのだと。けど、それでも、目の前にいるのはグリーンの知らないレッドに間違いなかった。

    「…なんかデカイな」
    「グリーンはチャラいね、なんか」
    「言ってろ」


     数年前にセキエイ高原で戦って以来、初めてレッド会った。しかし、この邂逅はお互いに示し合わせたものではなかった。
     アローラ地方のリーグ設営に伴い、バトル施設が併設された。その施設ーバトルツリーのトップを担う人間は、カントー地方のリーグ制覇者から選抜されることになった。
     この選抜理由は恐らく二つだ。一つは、新設リーグで万が一トラブルがあった時に迅速に他地方との連携を取れるようにするため。アローラと言う、開放的ではあるが古い習わしが生きる土地に、新しいものを持ち込む。そのためには入念な準備と、十分すぎる保険が必要だった。そのため、発案者であるククイ博士は自ら地方へ赴き、計画を練り、支援を募り、設営までこぎつけたのである。これにはカントー地方に加え、他地方からも人材が招集されることになっているため、備えとしては十二分だろう。
     そして二つ目は新設リーグに話題性と箔をつけたいがため。主導はアローラリーグが行うとは言え、他地方の人間が関わってくる。そのため、バトルツリーを開放してハイお終い、と言うわけにはいかない。人を集め、バトル施設として成り立たせないといけない。そのためには多くの人の注目を集めると共に、バトルツリーのブランドを釣り上げるための広告塔が必要だった。
     この話にまず白羽の矢が立ったのはグリーンだった。恐らくアローラと親交のあるオーキドの身内でありリーグとの連携が取れる、実績を伴った人物であったから。そしてグリーンともう一人、恐らく後者の理由でのみ選出されたのだろう。現リーグチャンピオンであるワタルの強い押しで推薦されたのが、どうやって引っ張りだしてきたのか、レッドだった。


     最初にグリーンの元へ話が回ってきたとき、自分の名前の横に連なるレッドの名前に自分の目を疑った。定期的に姿を消すレッドを捕まえたことにも驚いたが、何よりレッドが承諾するとは思っていなかったからだ。
     思いもよらないレッドの行動に動揺こそしたが、この話を蹴る理由にはならなかった。
     レッドがこの数年、どこにいるかは知っていた。時たまマサラの実家に帰ったりセキエイリーグに顔を出したりしていたのも小耳に挟んでいたし、他のジムリーダーとも頻繁に会っているという事も知っていた。しかし、グリーンは自分からレッドの元に赴こうとは思わなかった。何故会わなかったのか。一重に、好き勝手してるレッドの元へなんで自分が赴かなきゃならんのだ、という憤慨があったから。しかし、理由はそれだけではなかった。グリーンの秘めた感情が邪魔したからだ。
     あの最後のバトルの完敗は、グリーンが自分を自覚する一つのきっかけだった。自分の力量、自分の成せることは何か。加えてレッドに対する明確な憧憬と妬む気持ちを自覚させられた。それだけであれば今までと変わらずライバルとして過ごせていたはずだ。
     しかし、そこでグリーンの心に誤作動が起きた。羨む気持ちに交じる微かな色と熱を見つけた。気がついた時には、グリーンのその気持ちは勘違いと思えないほど大きくなっていた。
     それに気がついたグリーンはこの気持ちを秘めることを真っ先に決めた。ライバルとして在りたいと思ったために、物理的な距離を言い訳にして、グリーンはレッドに会わなかった。そんなことを必死になっている時点でもう、自分がおかしいと気づいたのは最近なのだが。
      
     こうして数年ぶりの幼なじみとの再会は感動もクソもない、酷く素っ気ないものとなったのだ。

     #

     バトルレジェンドとして招集されて数日。バトルツリーの解放に向けてのタスクは山積みだ。施設内の設営、バトルルールの突き詰め、各スポンサーとの広報の打ち合わせ。エトセトラエトセトラ。そんな沢山の業務を熟す人々の動きは実に忙しない。

    「…では、マルチのスカウト制度はこの案でまとめましょう。現地の参加候補のトレーナーへの選出はどうなってますか?」
    「問題ない。了承は取ってある。あとは全員で顔合わせするくらいか…」
    「他地方のメンツも順次到着しているので日程確認します…。まあ、今日はこんなところですかね…」
    「いやはや、やっと形になってきたな」

     カレンダーと書類を突き合わせて赤ペンで書き込みを加えたグリーンが言葉を締めくると、共に打ち合わせに参加していたククイ博士はふう、大きく息を吐いた。顔に疲労は見られるが、満足げな表情である。それを見ながらグリーンも力を抜くようにして笑った。
     グリーン達もこうしてスタッフの一員として打ち合わせや最終チェックに明け暮れていた。運営に関する細々とした企画の詰めや最終確認には、ほとんどグリーンも参加していた。カントーリーグとアローラリーグのお互いの意見の擦り合わせや調整をしたり、終わりの見えない書類やメールの山を切り崩ししたりと、面倒ごとのオンパレードだ。しかし周りのスタッフの尽力あってか、全くトラブルがないとは言えないが、準備は着実に進んでいた。
     ちなみに、レッドが注力したのはバトル環境の視察や、ポケモンの育成の監修などだ。適材適所とはこのことなのだろう。
     野外にあるバトルフィールドには選出されたトレーナー達や、育成に立ち会うブリーダー達とそのポケモンたちでにぎわっている。

    「この子は、多分他の子よりも、視野が広い」

     トレーナーのサンダースの毛並みを撫でながら、穏やかに話すレッドはどこか楽しそうだ。

    「筋肉も柔軟で、瞬発力もある。だから速さ重視にしてあげて大きくフィールドを使わせてあげた方が戦いやすいと思う」

     スタッフ達と共に働くレッドは幼い頃よりも自分の意思を表に出すようになった。頷きながら話を聞く女性トレーナーと向き合い、細やかなアドバイスを与える様子ははなかなかに様になっている。
     口数や表情の起伏こそは少ないが、つつがなくコミニュケーションをとる姿を見て、あぁこの姿も知らないな、とグリーンはぼんやりと思った。当然だ。グリーンが社会に出ていろんな人間と会話をし、役割を果たしてきた事と同じで、レッドにもレッドが時間をかけて培ってきた社会があるのだ。
     そんなことを考えながらぼんやりとやり取りを見ていると、傍らのトレーナーがグリーンに気が付き、「お疲れ様です」と人懐こく手を振ってきた。それに釣られてレッドもグリーンを見る。流石に無視するわけにもいかず、グリーンは先程まで感じていた感情をごまかすように笑って二人の元へ向かう。

    「お疲れ、調子どうだ?」
    「レッドさんに見てもらってるんでバッチリです」
    「へぇそりゃよかった。お前も、お疲れ」

     同じ調子でレッドにも労いの言葉をなげかけるとレッドも「おつかれ」と呟く。空港で会った時より少しだけ浅黒くなった肌が目に入るが、気に留めないようにと目線をふいとサンダースに移す。トレーナーの手のひらにすり寄るサンダースは毛並みが綺麗で、よく懐いてることがよく分かった。

    「…そっち忙しいの?」
    「ま、ぼちぼちだな。オマエは、まあ心配無さそうだな」

     レッドはじっとグリーンの顔を見ながら話しかけてくるのを感じたが、グリーンは気づかないフリをして視線を外したまま言葉を続ける。

    「そうだ、そのうちトレーナー達で顔合わせするから、お前頭入れとけよ」
    「ん、分かった」
    「じゃあ、オレ行くから。お前も戻れ」

     そう声をかけるとレッドは先ほど同じようにトレーナー達の元へ戻っていった。
     グリーンはそれから無理やり視線を外す。自分の知らないレッドの姿を知るたびに、言いようもない感情が胸に巣食った。そんな感情を無視するように、グリーンは自分の仕事に戻る。その背中をレッドが眺めていたこと、をグリーンは知らなかったのだけれども。
     こうしてしばらくの間は二人は別々の仕事に尽力するうちに、月日は過ぎ去っていった。


    「これはまた…」

     広がる惨状にグリーンは思わず乾いた笑い声が出た。部屋の隅には小さな黒い塊が威嚇するように、それでいて怯えた目でグリーンを見ていた。

     その日はツリーのスタッフ達との食事だった。ツリーの開放前の決起会だ。バトルツリーがあるポニ島の近くのメレメレ島のにあるレストランで開かれたそれは、立食パーティーのような形式で皆グラスを片手に談笑していた。見知った顔からまったく面識がなかった者も多く集まる、にぎやかな食事会だった。もちろんグリーンはそれに参加し、気まぐれに顔を出していたお偉い方に挨拶をして回ったり、仲が良いスタッフと雑談したりとそれなりに忙しく過ごしていた。
     騒がしい輪の中から抜け出し、バルコニーへ出る。手すりに寄りかかり、少しだけアルコールの匂いがする息をふう、と吐き出す。バルコニーのすぐ外は浜辺だ。ざん、規則的に聞こえる波の音を聞きながら、少し冷たい風を頬に受ける。
     グリーンは汗のかいたビール瓶をくっと煽る。アルコールで少し呆ける頭でグリーンは店内を見回す。
     その場にはレッドも参加していた。先ほどは目の端でとらえたときは、大皿から料理を取っては黙々と食べる行為をずっと続けていた気がする。今レッドは酔っぱらったスタッフに絡まれていた。特に動じる様子もなく、落ち着いて相手をしていた。表情こそ大きく変わらないが、柔らかく下がる目尻がこの場を楽しんでいるのだと表していた。
     レッドはああ見えてにぎやかな場が好きだ。何か騒がしくいているのを見るとついつい覗いてしまうと、旅の途中で出くわした時にグリーンに話したことがある。そのせいで旅の道中でいろんな事件に首を突っ込んでしまったんだとへらりと笑っていた。そんなレッドが何をきっかけに雪山に引きこもったのか、最初にグリーンが後輩から居場所を聞いたときは全く分からなかった。
     今だってそうだ。好き好んで一人になるような場いたのに、こうやって人の輪に加わり、昔のようにその喧騒を楽しんでいる。その表情をぼんやり眺めてると視線に気が付いたレッドの視線がグリーンに向けられた。ぱちりと交わる視線に少しだけ心臓が跳ねる。レッドはそのままこちらを眺めている。向けられる視線に気まずさを感じ、とりあえず何事もないように瓶を持つ手をひらひらと振る。それにつられるように揺れたレッドの手を見届けてグリーンはゆっくりと背を向けて外を眺めた。


     にぎやかく進んでいた会が終わるとパラパラと人は散っていき、それに倣ってグリーンは帰路についた。
     グリーンとレッドはメレメレ島のウィークリーマンションに滞在していた。リーグが用意した部屋だけあって防音のしっかりとしていて、一人で住まうには十分な広さをしていた。ちなみにレッドの部屋は同じ階の一部屋挟んだ場所にあった。
     つまりグリーンとレッドは同じ建物に帰るのであって、もちろん帰路も同じである。歩くグリーンの後ろを、レッドは同じ歩調でついてきていた。どこからか響く波の音と、時折聞こえるポケモンの鳴き声をなんとなしに聞きながらグリーンはふぅ、と息をついた。アローラに着いてから、レッドとは会話らしい会話をしていない。仕事が山積みだったのももちろんだが、顔を合わせづらいと避けていたところも、多少はある。いくらグリーンが普通にふるまおうとしても、いろんな感情が態度に出てしまうのが正直怖かった。なのでグリーンとレッドが二人きりという状況は久々だった。グリーンは気まずさを感じながら歩みを進める。しかしようやく着いたマンションは何故か騒がしかった。グリーンははて、と首を傾げた。
     マンションの管理人は困り顔でロビーに立っていた。
     偶然に偶然が重なったらしい。それも、悪い方向の。管理人が言うには、近くでデカグースとラッタ達が小競り合いをしていた。いつもあれば威嚇しあう程度の小競り合いだったのだが、今日に限って大規模な抗争になってしまったらしい。閑静なはずの住宅街にまでデカグースとラッタ達はなだれ込んできて大暴れをしていった。
     その中に、まだ幼いコラッタが紛れていたらしい。不幸にもグリーンが住まう部屋の窓のラッタの捨て身タックルが激突し、そのラッタの子であろうコラッタが急いで後を追って部屋に侵入したのち、親が出て行った後も外の乱闘が怖くなり出られなくなってしまったらしい。しばらくしてデカグースとラッタ達の乱闘が終わったときに、管理人がそれに気が付いた。どうにかして外に逃がそうとしたが混乱したコラッタは激しく抵抗して部屋で暴れまわった。そこにグリーンとレッドが帰ってきたのだ。管理人から事情を聞いて部屋を除くと、コラッタは相変わらず部屋の隅で威嚇しながらこちらを威嚇している。

    「まいったな…」

     ここで変に刺激をしてしまうとコラッタがケガをしてしまうかもしれないし、こちらの被害も増えかねない。しかしこのまま膠着状態が続いてしまっては双方疲労してしまう。催眠術や眠り粉を覚えているポケモンを連れてきて眠らせてから保護するのが定石だ。そんなことを思案していると、レッドの肩の上でおとなしくしていたピカチュウがぴょん、と床に降り立った。怯えるラッタに近寄り、ぴかぴかちゃあちゃあと声をかける。外に行かないかと交渉しているのだろうか。しかしコラッタは困惑した表情で身を丸くするばかりだ。それを追うように、黙っていたレッドが突然部屋に入っていった。突然部屋に入ってきたレッドを見て、威嚇を続けるコラッタの首根っこをヒョイ、と掴んだ。コラッタは一瞬驚いた表情をしたが、すぐに我に返りレッドの腕に歯を立てながらもがいていた。レッドは表情を変えずにコラッタを抱えて外へ向かった。それをグリーンも追う。

    「どっかに親がいると思うんだけど…」
    「え?あぁそうか」

     それを聞いたグリーンはあたりを見回し、近くの茂みを覗いた。数ヵ所の茂みを分けながら親ラッタを探す。
     ラッタはすぐに姿を現した。コラッタは親の姿を見つけた途端ジタジタとさらに激しく暴れたが、レッドは慌てることなく、ゆっくりと降ろしてやった。一目散に親の元へ駆けてゆき、その身を隠すように親の陰に隠れた。親ラッタはこちらに目を向け、キイ、一鳴きすると姿を消してしまった。その姿を見送って二人はほっと息をついた。
     しかし、レッドとグリーンの不運はそれだけではなかった。コラッタの暴れまわった部屋は、それはもう大惨事だった。ベットシーツとマットレスは爪で裂かれ、フローリングは土まみれ。ひっくり返った衣類もホコリだらけだ。そして窓は割れてそよそよと風が吹き込んでいる。大切な書類などは収納に収めていたため無事だが、生活どころか寝泊りすらできない状況だ。
     困り顔の管理人曰く、ここ1週間ほど空き部屋がないと言う。今貸し出している部屋から利用者が出るのが三日後、そこにクリーニングが入るのが最短でその二日後、クリーニングもろもろが終わるのに最低二日ははかかる。下手したらもっとかかるかもしれないとのことだった。
     近場のホテルに問い合わせをしているところだが、今のところ良い回答はないらしい。グリーンはまいったな、何回目かのため息をこぼす。バトルツリーの施設にも一応、仮眠室は設置されている。シャワー室もあるし給湯室もあるので、事情を話せば少しの間寝泊りはできるだろうが、今すぐに、というわけにはいかないだろう。どん詰まりの状況に頭をひねらすグリーンの姿をぼんやりと観て、それまで黙って話を聞いていたレッドが突然口を開いた。

    「ぼくの部屋来ればいいんじゃないの?」

     こういう、突拍子のないことを言うところは、昔から変わっていない。

     #

     レッドの言葉に食いついたのは管理人だった。それを聞いた途端、

    「そりゃあいい、お二人は昔からの友人なんだろ?私はすぐに代わりの部屋を探すから!じゃ、そういうことで!」

     それだけ言い放ち、オーナーはそそくさとその場を後にしてしまった。その場に取り残され、呆然にするグリーンに、早く来いとあくびを漏らしながら言うレッドの肩を掴む。

    「おいちょっと待て」
    「何?」
    「いやお前、普通に、困るだろうが」
    「別になんもないし、グリーンとか今更だし」

     それだけ言ってさっさと歩いて行ってしまう。一人だけ状況に追い付いていないグリーンはレッドの後を追った。
     あまり広くない部屋に通される。新鮮味は全くない。グリーンの部屋の間取りとたいして変わらないのだから当たり前だ。 グリーンは草臥れた思考の中、スニーカーを脱ぐレッドをぼんやりと見た。カントーとは違って玄関がないため、廊下の端に広げた数日前の朝刊の上に無造作に置いていた。グリーンもそれに倣って靴を脱いで、赤いスニーカーの横にそろえて自分のスニーカーを置いた。
     アローラの文化としては、室内で土足でも裸足でも、どちらでもいいらしい。ホテルでは土足禁止のところもあるらしいが、基本的には個人の自由だ。グリーンも室内で靴を履いていることにはなかなか慣れず、かといって裸足で動き回るのも気が引けて、終始スリッパを使用していた。しかしレッドの部屋にはスリッパはないらしい。ぺたぺたとフローリングを歩くレッドを見て、グリーンは本日何度目かわからないため息をついた。

    「…おじゃまします」

     レッドに習って部屋に入る。物はほとんど入居の時に揃えられた物だけで、部屋の収納の近くに大きなキャリーバックと荷が開いた段ボールが無造作に置いてあるだけだった。

    「部屋、片付けるから先シャワー行って」

     レッドはグリーンを先にシャワーに行くように促し、タオルと部屋着を投げて寄越す。とりあえず部屋から荷物の持ち出しをするのは明日になったためグリーンのボディバックのみだ。とりあえず、歯ブラシと下着だけは近くのポケモンセンターで買ってきたが衣類はレッドしか借りるしかない。何とも言えない、いたたまれない気持ちでレッドと同じ匂いのシャンプーやらボディソープやらで身を清めてから、サイズの大きい部屋着をまとってバスルームから出る。

    「ソファで余裕だと思うんだけど。どうする?寝袋もあるけど」
    「…ソファで」

     グリーンがそう言うと、レッドは収納の中をごそごそを探り、その中からタオルケットを投げてよこした。少しだけ厚手のタオルケットは柔軟剤の柔らかい匂いがかすかに香った。

    「こんなん、お前だれからもらった」

     そんなことを口にしながら、受け取ったタオルケットをまじまじと見てしまう。これは部屋に備え付けられたものではない。少なくともグリーンの部屋にはこんなもの見当たらなかった。かといってレッドかと趣味といえば違うような気もするし、こんな、山だろうが海だろうが砂漠だろうが、寝袋一つで済ませそうなレッドが持っていなさそうな代物に、グリーンは目を白黒させた。

    「…アローラ行く前に持たされた。南国でも夜は肌寒いんじゃないかって、母さんが」

     レッドはそれだけ言うと「シャワーいってくる」とだけ言ってバスルームに消えた。グリーンはそれを見送るとタオルケットを握ったままソファに座り込んで、改めて周りを見回した。自分に当てが割れた部屋とほとんど変わらない間取りに、レッドの私物が所々散らばる。
     ソファには畳まれてからしまわれることなくそのまま放置されたTシャツや靴下がちょこんと置いてある。寝るには邪魔だと、開けっ放しのキャリーケースの中に軽く放ってしまう。キャリーの中には少し折れ曲がった他地方のマップや、少し色褪せたガイドブックがのぞき見える。人の私物をまじまじを見るのもどうかと思ったが、グリーンはガイドブックをパラパラとめくる。数年前の年号が表紙に書いてあるそれには、時たましおり代わりページの端が折り込まれたり、絵葉書や写真が挟まっていた。
     ぼんやりと流し読みをしていると、レッドがバスルームから戻ってきた。ソファで座り込んでガイドブックを見るグリーンに、少し驚いた顔をする。

    「勝手に何やってるの」
    「いや、お前こんなとこも行ってたんだなと」

     そう言いながらページをめくるとレッドはソファの後ろに回り、背もたれに手をついてグリーンの背後から手元を覗き込んだ。本を眺めるのに夢中になっていた油断をしていたグリーンは思わず肩を揺らした。グリーンの肩口に近寄ってきたレッドの顔はそちらを見ることなく本を覗き込む。

    「懐かしい、ちょうど冬だったから雪がすごくて」
    「…ここも降る場所あるらしいぞ。お前行った?」
    「いやまだ」

     急激に近づいてきたレッドの気配に身を固くしながらも、グリーンは平然を装うのに必死だった。ドライヤーで乾かしたばかりであろう髪からあまりしつこくないシャンプーの匂いがする。必死に手元にある本へ意識を飛ばしての字やら写真やらを見るが時折喋るレッドの声が近くに聞こえるため、何も内容が入ってこなかった。
     落ち着けと、自身に言い聞かせるが心音は大きくなるばかりだ。アローラに来てからレッドを避け続けていたツケがここで回ってきた。幼いころは距離感なんて考えることもなくまとわりついていた覚えもあるが、グリーンの心境は今までと違う。自身の慕情を自覚しているし、意中の人間が間近にいれば動揺もする。それは唐変木の代名詞のレッド相手だったとしても同じことをだった。
     数分程、ひとしきり喋って満足してレッドが身を起こした時には、グリーンは息も絶え絶えな心地だった。
     互いにおやすみ、と声を掛け合ってレッドが寝室に消えるのを見送り、グリーンはリビングの電気を消した。シンと静まった部屋にグリーンは張り付けていた意識を解くとともに、大きく息を吐いた。

    「……どうしてこうなった」

     どうにもならない自問をしながら身をソファベットに倒す。硬いスプリングに少しだけ体が跳ねた。疲労感に身を任せ、グリーンは瞼を閉じる。
     グリーンの身体を包むタオルケットは、マサラの懐かしい匂いがした。

     #

     それは本当に偶然だった。
     そろそろ引き上げるか、ぼんやりと空を眺めた。日はとっくに落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。祖父から預けられたポケモン図鑑の調査のため、街の周辺を探索していたグリーンは、いつものようにポケモンセンターへ向かった。トレーナーカード一枚あればポケモンの回復や宿泊が可能なポケモンセンターは、日が落ちると沢山の人で賑わう。そのため宿泊客が多いとき、部屋数が足りていないため相室でも構わないかと尋ねられることがよくある。
     旅を始めた当初は、赤の他人と共に寝泊りするなんてまっぴらだと思っていた。しかし何度も困ったような顔で言われ続けるうちに、背は腹に代えられないとあきらめるようになったのは数か月ほど前からだ。この日もジョーイさんに困ったように打診されて、仕方なく相部屋をとった。同じ年ごろの男の子、ということだけ伝えられてグリーンはしぶしぶ部屋に向かう。
     その部屋の二段ベッドの上段でふんぞり返る憎たらしい顔が待ち構えてるともつゆ知らずに。


    「お前勝手に上の段とんなよ!」
    「早いもん勝ちじゃん、グリーンは下」

     レッドを睨みつけながら、グリーンは舌打ちをした。
     心なしか自慢げな顔をしたレッドはそう言って顔をひっこめた。
     旅の途中にレッドと出くわすことは珍しくない。しかし旅立ってからというもの、些細なことで張り合うことが増えた。こうしてバトルをすることも無い時間を共に過ごすのは久しくなかった。
     引っ込んで見えなくなったレッドにイライラとしながら、乱雑に荷物を床に落とす。ベッドにわざと勢いよく乗り込むとベッドが揺れた。「ちょっと」と非難めいた声が上から聞こえた気がするが、無視を決め込んで身を丸めて目を閉じた。


     ぎ、という鈍い音がグリーンの微睡んだ思考に忍び込んできた。何かが動く気配がするが、重たい瞼は上がりそうもない。しかし視界がぼんやりと明るくなったのを感じてゆっくりと瞼を上げた。
     光の元を目で辿るとレッドが開いたカーテンの前でしゃがみ込んでいた。グリーンのが起きたことに気が付いたのか、レッドの視線がこちらへと向いた。

    「ごめん」
    「なにやってんのおまえ…」

     緩慢な動きでベッドから起き上がり、レッドの元へ向かうとしゃがみ込むレッドの陰でじっとたたずむ存在に気が付いた。

    「……トランセル?」

     つるりとした身体が日の光をわずかに反射させている。
     柔らかな日の中でじっと動かずに佇むトランセルはゆっくりと視線をグリーンに向けて、瞬きをしてからゆるりと視線を外に戻した。

    「こいつ、日光浴好きみたいだから。なんか、日課みたいな」

     窓際でピクリとも動かないトランセルの頭の先をつんつんとつつきながらレッドは言った。つつかれる度にゆらゆらと動くトランセルはそれを厭う様子もなく、ゆっくりと目を閉じた。それを見て空気をこぼすようにレッドが笑う。そのまろい笑い声を聞いてひどく懐かしい気持ちになるのは、なぜだろうか。

     #

     夢の中の柔らかな光とは全く違う、瞼の上から目を焼くような光が差しこんだ。先ほどまで見ていた世界が急に閉じられる。思わず身が縮む。動かした身体にぎしりと音が鳴るような痛みが走り、とうめき声が漏れた。
     グリーンの声に気がついたレッドはゆっくりと視線をこちらへ向けた。

    「ごめん、起こした」

     カーテンを引く姿にデジャヴを感じながら、眩しさのあまり睨むようにレッドを見る。モンスターボールのホルダー片手にカラカラとベランダのガラス戸をあけながら、寝ぼけるグリーンを見てレッドは苦笑した。

    「晴れてたら外だすんだ。日課みたいな」
    「あっそう……」

     身体を起こしてソファベッドに胡座をかく。動く度に関節からぱきぱきと小気味よい音がして、身体が固まっているのを感じた。まだ覚醒しない思考のまま適当な相槌を返して、外へ出ていくレッドの背中を見送る。

    「……にっこうよく」

     ぽつりと言葉がもれた。懐かしい夢を見たものだ。思い返せば、実家以外でレッドと寝泊りしたのはあの時が最初で最後だった。
     そういえば、あの後あのトランセルがどうなったのか知らない。バタフリーに進化して日差しの中を飛び回ったのか、それともあの姿のままじっと日を浴びているのか。自分が思っていたより、旅の道中のレッドのことも知らなかったんだなあとなんとなく頭をかく。
     ポケモンたちを外に放したレッドが部屋に戻るのをみて、自分もいい加減に起きるかとソファベッドから立ち上がる。ぐっと体を伸ばしながら大きく息を吐いた。
     すると、突然後頭部に軽い衝撃。ぺし、と情けない音がしそうな程の弱い衝撃。振り返るまでもなく、頭をはたかれたのだと分かる。誰にって、一人しかいない。それを認識した途端、寝ぼけた思考が固まった。

    「跳ねてる」

     グリーンの後ろを通り過ぎるレッドから「ふ、」と笑う軽い声が聞こえた。動かない思考のまま、グリーンはただただ洗面所へ消えるレッドの背中を目で追うだけしか出来なかった。
     ゆっくりとはたかれた後頭部をさすってから、髪をくしゃりと掴む。思考が動き始めると同時に心音がやたら大きく聞こえ始めて、グリーンは苦々しい表情で舌打ちをした。
     昨晩といい先ほどいい、自分の狼狽えようがひどく無様に思えた。
     あんな少しだけ近い距離感で、こんなにうろたえるとは自分でも思わなかった。笑い声が耳から離れない。昨日だってそうだ。手のひらには汗がにじみ、心拍数は上がり、声を出そうとする喉はカラカラになり、震えていた気もする。
     何もないように振る舞うの必死で、正直何をしゃべっていたかもうろ覚えだ。
     重症だ。しかも、思ったより厄介。

    「気持ちわる……」

     昔のように話せないことに、ただのじゃれあいを意識している自分に。酷い嫌悪感が沸いた。
     悶々と考え込んでいていた所で、タオルケットをソファに放り投げた。
     まだ懐かしい匂いがした気がする。


    「仮眠室とか、泊めてもらえるもんなの?」

     コーヒーが芳ばしい香りを漂わせている。少し半熟のスクランブルエッグときつね色のトースト。レタスを荒くちぎり胡瓜とトマトを添えたサラダと、簡素な朝食に手をつけながらレッドはグリーンに問いかけた。
     レッド自身、こちらに来てすぐツリー内の案内をされた時に仮眠室に足を運んだ事があったが、実際に利用したことはない。一度だけシャワー。借りたことがあるくらいだ。ベッドが設置してあると言っても救護用のもので、誰が寝泊まりしている所も見たことがない。

    「知らねえけど、一応聞くだけな」

     スクランブルエッグをのせたトーストに齧り付きながら、グリーンは言った。
     今日の予定としては、まず部屋の片付けからだ。荒れた部屋から私物を引っ張り出し、処分するものと引き取る元とを仕分ける。衣類等は全てクリーニングへ。今回の件での補填と負担についてのすり合わせも、事前の契約と照らし合わせながらオーナーと相談しなければならない。
     その後に時間があればリーグへ向かおうと思っている。昨日の件については朝一番で報告が済んでおり、今日一日は休暇で良いと言われたが、寝泊まりしたい旨の話もしておきたかった。

    「こっちとしては別に居てもらっていいんだけど。朝ごはん作ってもらったし」

     泊めてもらったからと、簡単な朝食を用意したのはグリーンだ。冷蔵庫の中にある物を勝手に拝借したが特に気にした様子はなかった。
     幼い頃からの仲ではあるが、二人きりで食事をするということは数えるほどしかなかった。基本的にどちらかの家を訪れ、家族ぐるみで食事をすることが当たり前であった。遊びの合間にちょっとした買い食いをしたりしたことはあったが、こうやって腰を据えて食事をするというのはなんだか座りが悪かった。

    「そんな大層なモンでもないだろ……」

     なんとなく感じる気まずさを紛らわせようをぶっきらぼうにあっそ、とグリーンがこぼすが、「ボクの朝ごはんには卵もサラダつかないよ」と二枚目のトーストにバターを塗るレッドは機嫌が良いように見えた。

     #

    「仮眠室っていうのはちょっと難しいんじゃないか?」

     申し訳なさそうな顔のククイの言葉に、グリーンは思わず肩を落とした。施設は基本的には時間になれば閉め切ってしまう。警備関係の方たちは駐在してるが、委託してる会社の方たちだからそちらにお邪魔できるかもわからないとことだ。

    「そうですか……」

     一応グリーンの方でもホテルに問い合わせをしたが、一週間の連泊だと空きがないらしい。グレードを上げればあるかもしれないが、正直なところ一泊ならともかく連泊となると懐も痛い。そうなると空きが出るまでポケモンセンターかモーテルを利用するか、またレッドの部屋にお邪魔するかだ。
     これからどうするか、とため息をつきながらバトルツリーを出ると、出入口に立っているレッドを見つけてグリーンは足を止めた。レッドは今日バトルツリーでの仕事はないはずだった。グリーンが部屋から出るときにそう言っていた。その時な何も支度をしている様子はなかったので部屋にいるものだと思っていた。いるはずのないレッドにグリーンが驚いていると、出てきたグリーンに気が付いたレッドはそのままグリーンの元にやってきた。

    「どうだった?」
    「…いや、駄目だと」
    「ふうん」

     グリーンの言葉に何事もないように相槌を打つと、そのままグリーンに背を向けて出口に向かいながら「とりあえずご飯どうする?外でたべる?」と何事もないように続けた。

    「いや、オレホテル探すから……」
    「ごはん食べながらでいいじゃん、だめ?」
    「だ、だめじゃねーけど……」

     当然、とでもいうような態度で「じゃ、早くいこ。おなか減った」と歩みを進めるレッドを追いかける。レッドの言うままの展開にいまいち納得しないが、駄目ではないと言った手前これ以上口を出すのも憚られた。


     結局、マンションの近くにある比較的手ごろな価格帯のバルに二人で入ることとなった。
     酒のつまみになるよう、濃く味付けたシーフードやレアに焼いた熟成肉のステーキなど。いろんなにおいを漂わせるバルで、レッドはメニュー写真のステーキを熱心に見ている。昨晩の飲み会でも肉は出ていたはずなのによくまあ入るものである。結局どちらも酒は頼まず少し腹にたまるものを何品か注文し、食事が始まる。
     朝同様に何とも言えない妙な気持ちを感じながら、グリーンはなぜまたもレッドと向き合って食事しているのだろうと、小さなため息をついた。

    「なんか、朝も思ったけど、」

     黙々を肉をほおばっていたレッドが、手を止めてもごもごと歯切れの悪い言葉をこぼす。

    「グリーンと二人でごはんって、変な感じ」

     いつも、母さんとかナナミさんもいたから。
     そう言って行儀悪くフォークでつつくレッドに、グリーンはわずかに目を丸くした。じわじわと生ぬるい心地になった。レッドが今朝自分が思っていたことと同じことと考えていたと事に、先ほどとはまた違う、妙なにむず痒い気持ちだ。

    「……オレはお前がいない間もおばさんのごはん食べてたけどな」
    「え、なんで」
    「誰かさんが帰ってこなくて暇だからって、たまに遊び行ってた」

     グリーンの言葉にゲッとい表情をしてから、レッドは眉をひそめた。都合の悪い時にはいつもこの顔をしていたことを思い出して、クク、笑い声が漏れる。それを見てレッドはさらに眉間のしわを深めた。

    「……ボクも帰ったら、ナナミさんのご飯食べに行こうかな」
    「バカ、実家帰れよ」

     これを皮切りに、くだらない問答が続いた。グリーンがからかって、レッドがすねたように口をつむぐ。時たまレッドが反論してグリーンもムキになる。昔のようなやり取りだった。そんな軽口のさなかに、レッドは何事もないように切り出した

    「しばらく、うち泊まりなよ」

     変に気まずいの、普通にヤダ。そう言ってレッドはまたも肉と向き合った。
     レッドの言葉にグリーンは少し驚いた。そもそも、グリーン達の前から忽然と消えたのはレッドの方だ。そんなレッドが今更気まずいなどと、どの口が言うのだろうか。
     あきれを含んだため息がでそうになったが、やめた。物理的な距離があったとはいえ、レッドを避けていたのは間違いない。そこに少しの罪悪感を覚えた。それにレッド相手にこそこそするのは性に合わない。徹底的にボロを出さないように生活するほうが精神的にマシだろうと腹をくくった。

    「……仕方ねえな」

     素直に礼を言うのもなんだか憚られて、思ず憎まれ口が叩く。グリーンの不遜な物言いに「なんでそんな偉そうなの」とレッドは小さく笑った。


     #
     思えば、もし見つかったとしても絶対に会いになんて行ってやるか、と息まいていたのはあのバトルを終えてからの数か月と、レッドに会ったと後輩に聞かされた後だけだったのではないだろうかとグリーンはふと思い返した。
     レッドとのラストバトルを終え、彼が行方をくらましたの三年弱の時間は、とにかく目まぐるしかった。旅をしていた頃ももちろん飛ぶように時間が過ぎていった。それでも新しい自分の立ち位置を確立させるための時間は旅の時と負けず劣らず、あっという間だったとグリーンはしばしば思った。
     ジムリーダーに就くと決まってからは、とにかくいろんな人間と会って社会というものを叩きこまれた。リーグやジムリーダーの年長者達に言わせればまだまだ子供だと笑い飛ばされるが、降りかかる理不尽を持ち前の外面の良さで乗り切る忍耐力もついたし、少しだが他人を頼ることも覚えた。色眼鏡で見てくる者たちを実力でねじ伏せるというスタンスは変わらなかったが、時と場合をわきまえるようにもなった。
     加えて、慌ただしい時間を過ごすうちに、かの憎たらしい存在は頭の隅に追いやられるようになった。思い返す回数は忙しさに比例して減ってゆき、段々と自意識から忘れられていくそれに対して、なんの感傷にひたることもなかったしもうそのままずっと隅にいるものだろう思っていた。


    「レッドって言うトレーナー、多分、そろそろ帰ってきます」


     いつもであれば、はしゃぎながら小生意気なことを言う後輩が真面目腐った声色で、前振りも何もなく言葉を放った。

     途端に、隅に追いやられていたはずの何かがグリーンの意識をぬるりと這いずり始めた気がした。

     この子供にグリーンからレッドの話をすることはほとんどなかった。幼なじみのライバルがいて、でも今は何処にいるかも分からねーんだよな、と適当にこぼす程度だ。言葉少なになるグリーンになにか思うことがあったのかヒビキも無理に首を突っ込むことはなかった。
     突然の事に、それを正しく取り込むまでに時間を要した。言葉が詰まる。

    「……お前、なんで」
    「……」

     何故お前が、と後輩を責めるような言葉が思いがけず零れてしまい、口を噤んだ。座りが悪そうに視線を外しながら、ヒビキはかの霊峰で出会ったトレーナーの事を喋り始めた。
     そこからのことはあまり覚えてなかった。話を聞き終えたあと、どうにかしてヒビキを帰してジムのデスクに座りながらぼう、と天井を眺めていた。
     話を聞くなか、グリーンの頭の中は色々な感情が渦巻いた。とにかく一度ぶん殴ってマサラまで引きずって帰ってやろうと怒りが沸く一方、生死すら分からずにいた彼が少なくとも生きていると言う安堵感も感じたり。

     しかし、そんな色々な感情に

     レッドを探さない選択肢をしたのは紛れもなくグリーン自身で。レッドを引き戻したのは間違いなくヒビキで。それに感謝こそすれど悔しさなどと。

     なぜ自分ではなかったのか、なんて。

     嫉妬めいた事感情を向ける立場ではないのに。自分勝手な思考が生まれたことに心底吐き気がした。

     この時のことを、グリーンは一生忘れられない。
     白む視界の中、ひどい悪夢だ、と思った。

     #

     本当にひどい夢だった。
     バトルツリーの階下へ続くエレベーターに乗り込み、閉扉ボタンをカチカチと押しながら、グリーンは舌打ちをした。見せるならもっとマシな夢を見せてみろ、と自身の夢の責任者を罵る。
     グリーンがレッドの部屋に居候し始めて一週間が経った。見慣れない部屋の少し硬いソファベッドから起き上がると、開いたベランダから少し潮の匂いがする風と共にポケモンの鳴き声が流れてくる朝や、他人が生活する跡がある部屋に居座ることにまだ慣れない。生活を共にしているからと言って四六時中一生に行動している訳では無いが、それでも一人で過ごす時間は格段に減ったし、それ比例してレッドと顔を合わす時間は格段に上がった。
     それらのせいなのかレッドの部屋に居候をし始めてから、昔の夢を見ることが多くなった。それもこれも自分がこの状況にいまだに動揺しているせいだとをわかってしまうのが、なお忌々しかった。長年悩みに悩んできた事が、少し昔の調子に持ち直せたかといってそんなに簡単に割り切れるものでない。今までもう会わない者として扱うことで落ち着かせていた存在が、今はすぐそばに居るのだ。こればかりは歳を重ねたとていようがいまいが関係なかった。ただ単純に見通しが甘かった。動揺するなという方が無茶な話なのだ。


     日が落ち始めたメレメレ島。そのビーチの近くに賑わうレストランがある。昼間はカフェとして開店しており、夜になると酒も提供するレストランだ。
     アローラで生活し始めてから、グリーンは仕事帰りに、しばしばそこに立ち寄っていた。一人で軽食をツマミにしながら酒をちびちびと舐めて、適当に切り上げるのがここでのグリーンの夕食だった。
     ある程度食事を腹に入れ、落ち着いたところで懐から煙草を出した。店主から灰皿を拝借し、フィルターを咥えて軽く歯を立てると、パキ、と小さな音を立てて中のカプセルが割れる。その辺で買った安いライターで先端を炙ってからゆっくりとそれを吸うと、微かな煙の匂いとメンソールの刺激が喉を通った。
     グリーンは酒を飲む時に煙草を吸うことを覚えた。きっかけなんて覚えてない。知人にも嗜む者もいるし、家族は良い顔をしないものの、度が過ぎていなければと見逃してくれている。正直なところ、特別うまいとかそんなことは思っていない。ただ煙とともにゆっくりと呼吸する動作は、肩の力を抜くのに丁度よかった。
     そうやってぷかぷかと煙草をふかしながらグラスを傾けていると、

    「おにいさん、最近よく来るね」

     そんな声とともに隣の席の椅子が引かれた。目を向けると同じ歳くらいの、浅黒い肌の男が無遠慮にグリーンの隣に座り込んだ。思わずまじまじを見てしまうグリーンを余所目に男は酒を頼むと、こちらに身体を向けて話しかけてくる。

    「オレ今暇なんだよね、よかったら一緒に呑ませてくんない?」
    「…好きにしろよ、オレ呑み終わったら勝手に帰るし」
    「ありがとう」

     青年はグリーンと同じよう煙草を取り出して笑う。取り合わないグリーンを気にせずに、たわいもない話をし始めた。グリーンが旅行者と気づいているのだろう、どこそこの店おすすめだとか、あの空き地はポケファインダーの穴場なんだとか。
     最初は聞き流していたグリーンも、少しずつ耳を傾けて相槌を打つようになった。そうしてグラスを何回か傾けたところで、青年は少しだけ声を潜めて話始めた。

    「俺、アンタのこと知ってるよ。オレらの時代の憧れだもん」
    「…は?」
    「最年少でのリーグ制覇。もう一人の奴ももちろん凄いと思う。あの時のバトルテレビで見てたけど、同じ歳であんな奴らいるのが信じられなかった」
    「……」
    「だから、こうやってアンタと話しながら酒飲めるのは嬉しい」

     そう言ってへらりと笑う青年を見てるグリーンはポカンと口を開けた。
     あの頃は、ただがむしゃらに走っていただけだ。レッドと同じ場所を目指して、周りのことなんて微塵も気にかけないで競っていただけの、ただのガキだ。それをこの青年は憧れだなんて言う。そんな、大層な感情を向けられるようなものではないと言うのに。
     酔っ払いの戯言だと分かっていていながらも、どうもむず痒い気持ちになる。じわじわと顔に熱があつまるのを感じて、誤魔化すようにグラスを煽った。

    「お前、バトルすんの?」
    「するさ!自分で言うのもなんだけどなかなかの腕だと思うよ」
    「ふーん、ならさ、」
     
     
    「グリーン」
     
     
     突然、声が降ってきた。最近やっと聞き慣れてきた、昔よりも低くなった声色。しかしアルコールでくらりとする頭には、いくらか無機質な声に感じた。呼ばれたままに振り返る。

    「何やってるの」

     朝から姿を見せなかったレッドがいつの間にか立っていた。不機嫌そうに隣の青年に視線を向けるとぶっきらぼうに言い放つ。

    「…誰?」
    「誰って……そういや誰?」
    「……強いて言うならただのファンですかね?」

     そう言って顔を見合わせているとレッドの眉がピクリと跳ねた。なんとも言えない沈黙が流れる。

    「……チッ、出るぞ。アンタ、バトルはオレの所まで来れたらやってやるよ」
    「え?」
    「グリーン」
    「るせぇな行くよ…じゃあ、またな」
    「あ、あぁ…」

     そう言って青年に手を振りながら席を立った。
     せっかくいい気分でいたのに、台無しだ。睨むようにレッドを視線を向けるとレッドは何か言いたげに着い来ている。イライラとしながら足を止めて煙草に火を付けた。

    「んで、なんなの?」
    「アイツ、何?」
    「何も?別にメシ食ってただけだけど」

     そう答えながらまた煙草をポケットから出した。レッドが心底嫌そうに顔を顰めるのが見えたが、構わずに煙をふかす。

    「グリーンは変わったよね、昔はあんな奴、相手にしなかった」

     一体、なんなのだ。不満ををありありと示しているくせに、本心は言わずにどうでも良い事を重ねてくる。
     昔は気にならなかった、レッドのこういう甘ったれが、今日はやけにグリーンの神経を逆撫でた。

    「昔、昔ね。そりゃ何年も経ってりゃ変わるもんだろ。んで、何が気に食わないわけ?」
    「グリーンが何考えてるか知らないけど」

     レッドは真っ直ぐグリーンの目を見る。図体が大きくなろうと声が低くなろうとこの視線だけは変わらなかった。

    「こっち来てからボクとは仕事以外にまともに喋ろうもしないくせに、あんな知らない奴とはペラペラヘラヘラして」
    「…あ?オレが誰とどうしようが関係ないだろうが」

     段々と互いにに声が大きくなっていく。こんなどうでもいいことに勝手に首を突っ込んできた挙句、説教じみたことをされる道理がなかった。こんな、

    「てめぇが人付き合いどうこういう言える立場か!」
     
     こんな、今まで好き勝手にやってきた奴に。

     いつの間にか背を越してしまった彼の母親が浮かんだ。それに継いで彼のいなかった時間の記憶が鮮明に脳裏に浮かぶ。
     チャンピオンとなり時の人となったレッドを追ってマサラまで押し掛けてくる色んな人間に、申し訳なさそうに頭を下げる姿を見てきた。チャイムを鳴らしてドアを開けた瞬間、期待の色が浮かんでいた瞳がすっと落ち着いていく様を見てきた。時たま尋ねてくるグリーンに気をつかって、心配は要らぬからと明るく振る舞う姿を、グリーンは見てきたのだ。
     それが、一体なんなのだ。
     トレーナー一人に一度きり負かされたからなんて、そんな理由であっさり姿を現して。こちらの過ごした時間を顧みることなくまたふらりと姿を消して。

     そして、そんなレッドを引き戻したのは自分ではない事実に打ちのめされていた自身を、グリーンは消してしまいたくてたまらなかった。

    「今日はお前んとこいかねえ。別に泊まる」
    「グリーン、」
    「うるせえな」
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