なんだか面白くない バトルツリーのフィールドには強い風がいつも吹いている。かすかに潮の香がする気がする。その強い風に帽子があおられた。飛んで行ってしまう前にそれを押さえつけて、誰も勝ち上がってくる様子がないフィールドを睨みつけた。
ジムリーダーやチャンピオンはいつもこんな心境なのだろうか、と思わずため息をついた。
かく言うボクも、ひと時だけチャンピオンの座には居座っていたことがある。決して、本当に決して褒められることではないが、ボクはそのチャンピオンという肩書を数日足らずで離れた。もし留まったとしても、こんな状況にじっと耐えられる気が今でもしないな、と今でも思う。
さっき買ったサイコソーダは結露して水がわずかに滴る。もうすでに半分ほど飲み干した缶と軽く煽ってから、チラ、とひと席開けた先の席に座る幼馴染を見る。こちらを気にすることなくスマホでなにやら動画を見ている。その幼馴染こと、グリーンは動画から目をそらさずに、一緒に買ったの缶コーヒーををちまちま飲んでいた。その度にセットされた茶色い髪が、ゆらゆら揺れるさまをなんとなく見つめた。
グリーンも同じくチャンピオンとしてリーグに籍を置いていた。その後もジムリーダーとして一つのジムを仕切っていたというから、それを知った当時は大いに驚いたものだ。
あの、ちっともじっとしていなくて、どんどん先へ先へと進んでしまうグリーンが。
あんなにクソ生意気で、持ちうる知識でガン詰めして、時には大の大人を黙らせてしまうような。子供としての可愛げが一切なく、認めない奴にところ構わず噛みついていたアホほど高いプライドをもっていたグリーンが! ジムの人間を一人で纏めていると!
初めて知った時はまじまじと顔を見てしまい、大層気味悪がられた。それほど驚いてしまうほどに、グリーンは様変わりしていた。
シロガネ山に通う後輩が大層グリーンに懐いていたのも、当時の自分としては本当に驚いたものだ。頻繁に遊びや食事に誘ったり、熱心にバトルの指導をしたりと必要以上に我を出さず、一歩引いた立ち位置で子供たちに甲斐甲斐しく世話を焼く様姿は、ボクにとって見慣れないものだった。
そういった、ボクの知らないグリーンを見つけることが何度かあるうちに、なんとなくグリーンの表情をよく見るようになった。
グリーンの、知らない表情だったり、こう言う時の視線が自分以外に向いてる時の、もどかしさというかなんというか。もや、ともむか、ともなんとも言えない心地が腹の下の方に溜まる。その感覚が気持ち悪いとかそんなことではないのだが、なんとなく気になる。
見慣れない表情、というと、海岸を散歩した時のあの顔は珍しいもの見たな、とふと思い返した。
夕暮れの静かなビーチ。そんないかにもな場面にもなんの違和感なくその画角に収まる幼馴染はそれはそれは絵になった。子供のころからちやほやされる容姿をしていたグリーンは、順当な成長を遂げた。美醜に興味がないボクでもどこぞの有名なファッション雑誌の一枚を飾ってておかしくないくらい様になる絵だった。
そんなグリーンが、夕日のオレンジ色をあびたせいだけではない、真っ赤になった顔はひどく驚いた様子で、ぽけ、と口を小さく開けて目をまん丸にした表情だった。珍しい表情に、こいつこんな顔できるんだ……と思わず顔を覗き込んでまじまじと見てしまうくらい。しかしグリーンがすぐさま我に返ってしまったせいでそんな表情もすぐに消え失せ、キッと目の端を吊り上げてキャンキャンと噛みついてきた。あんな呆けた顔は今まで見たことがないとしつこく顔を見ようとして頭を思い切り殴られてたのはここ最近の話だ。
あの時何の話をしていたかなあと記憶をたどる。別に大して珍しくない会話だった気がする。たしか、雰囲気のいいビーチなのに女の子を誘わないのか、とかなんとか。
あの時は自分はモテるだなんだと言っていた気がするが、存外、グリーンは恋人に向いていない。らしい。
らしい、というのはこの話は自分で見聞きしたわけではなく、彼の周りの人間が嬉々として教えてくれるのだ。
自身の仕事の多忙さにかまけて相手に出来なかったり、ライトなファンが周りで騒ぐのことに我慢できなくなった恋人が多かったのだとカスミなんかは話していた。モテない訳では無いが、とにかく付き合いが長く続かないというのはチャンピオンひいてはジムリーダーたちのあるあるなんだとか。
モテるというのは間違っていないのだろうなとなんとなく分かっていた。姉がいるのもあってか女性との接し方も熟れている。
さっきだって打ち合わせに来た女性スタッフを見送るついでに飲み物を買いに行ったのだが、その時も彼女にちゃっかりおごっていたりしていた。流れるように行われた手慣れた行為に、ただただ小銭を一人握りしめて口をぽか、と開けてしまったボクなんだか少し恥ずかしかった。
余所行きの顔でスマートにこなす姿はなかなかに様になっていて、そんな顔を自分には一度も向けたことがないくせに、となんだか面白くないと思った。
「……仲良いの?」
「ン?」
「さっきの、女の人」
動画を見ていた眼がこちらに向く。つり上がった目尻が少しだけ下がって見えるような、きょと、と気の抜けた顔をした。
「え?普通じゃね」
「……グリーンって結構世話焼きだよね」
「いや普通だって……」
「……なんかヨウ達とかにもご馳走するのも手馴れてたし」
「別に後輩労うのなんて普通だろ……」
それは、そうなのかもしれないけど。咄嗟に言い返せなくてむ、と口元に力が入った。
「ンだよ、なんか機嫌悪い?」
「……」
「オマエ、その顔したら何でも察して貰えると思ったら大間違いだからな。脈絡もクソもないのに流石に分かんねーよ」
その言葉に余計に言葉が詰まる。くそんなボクの顔を見て、グリーンは少し呆れた顔で大げさにため息をついた。スマホをポケットにしまいながら、めんどくせーなあーとのたまった。
めんどくさいとは失礼な、と思いつつ、聞こえないふりをして缶へ口を付けた。別にこんな呆れました、とデカデカと書かれた顔が見たかったはずじゃなかったのに、と思ってからボクは何の話がしたかったんだっけ? と思い直した。グリーンが年上ズラするのが面白くないんだったっけ? と自分に首を貸していると、しばらくぶちぶちと文句を言っていグリーンが、ふと何か思い当たったのか、突然文句を言うのをやめて、レッドの顔を覗き込んできた。ズイと迫ってきた顔面に思わずのけぞった。
「なに、おまえもあいつらみたいに構ってほしーの?」
グリーンは揶揄う声色でそう言うと、にんまりと口角が楽しげに上がった。ニヤニヤと笑いながら腰を上げ、空いていた席を詰めてボクの隣へどかりと座った。
「は?いやそんなんじゃ、」
「しょ~~がねえなァレッド君は」
「ちが、うぐ」
ちがう!と大きな声が出そうになったが、ぶつかるような勢いで肩に腕を回され、身体を押し潰されるように言葉が詰まった。愉快そうに笑うグリーンを振りほどこうと身体を押しのけると、中途半端な体制で自分に寄りかかっていたグリーンが体制を崩す。
「うわ」
「ちょっと、おも」
二人の身体が一緒にもつれて、顔を上げた先に、思ったより近くにグリーンの顔があった。
明るい茶の目と至近距離で目が合った途端、互いの身体がびく、と固まった。そして一瞬、やべ、とあせったような顔してサッと赤くなった顔を背けようとするグリーンを見て、
あ、どっかいっちゃう
そう思った瞬間、ボクの腕は勝手にグリーンの後頭部へ伸びた。離れいこうとする顔を逃すまいとがっちりと固定すると、顔を真っ赤にしながらひどく狼狽える様子で目を真ん丸にしたグリーンを見て、あの砂浜で見た表情だと思った。
多分、自分はこれが見たいと思ったんだ。
えも言われぬ感情に、生唾が湧き、喉が鳴った。耳までカッと赤らんでいったその瞬間、
「ッテメー離せボケ!」
「イッッッタぁ!」
罵声とともに勢いよく飛んできたグリーンの右手と同時に、側頭部に視界に星が飛ぶような衝撃と鈍い音が響いた。