沈黙は鋼来馬は同性愛者だ。
家族はそのことを知っているが、それ以外では誰にも打ち明けていない来馬の秘密だった。
酔うと人は本心を口にしてしまうという。もし酔った弾みで恋愛話などに発展してしまった時、来馬の恋愛対象が女性でないことがバレてしまうだろう。来馬が男が好きだからといって距離を置いたり避けたりする友人らではないが、それでも頑なに酔わないよう気を張っているのは、来馬の好きな相手が村上だからだ。
大学生とはいえ成人した人間が高校生相手。しかも遠い場所から預からせていただいている大切な子供であり部下を好きだなんて許されるものではない。と来馬は考えている。
しかし、万が一飲み会で好きな相手がいると打ち明けてしまえば、おそらく相手に好意を伝えろと囃されるだろう。
来馬にとって1番避けたいのは、己の恋愛対象が男だとバレることでも、村上を好きだという気持ちがバレることでもない。
村上は来馬を尊敬している。
誰かに言われなくても来馬はそれを認知していた。尊敬を通り越して敬愛といっても過言ではない村上の純粋な感情は、来馬にとってありがたくもあり恐ろしいものだ。
純粋は揺らぎやすい。危うさの上で成り立っている。もし誰かが村上に、それは恋愛感情だと吹き込めばそうなってしまうかもしれない。来馬は村上が来馬を好きだと勘違いしてしまうことを最も恐れていた。
「薬を飲んでから30分。気分はどう?おかしなところはない?」
「はい。特に何も」
誰もが寝静まった頃、来馬は村上の私室にいた。開発から渡された薬を村上へ摂取させその経過を確認すること。それが来馬の役目だ。
「よし。じゃあ説明するね。今飲んでもらったのは鋼のSEに作用するかもしれない薬なんだ。SEは個人差があるし希少なものだからわからないことが多い。本当は鋼が“望まないことを記憶しない“仕組みが作れるのが1番なんだけど、今は“服薬してから寝るまでの間に起きたことを記憶しない“という薬を飲んでもらっている」
「……つまり先輩は今の説明を俺が薬を飲むたびに行なっているということですか」
PTPシートには薬が10個。残りは半分を切っている。来馬は村上の言う通り、服薬から30分経過したことを確認し、薬についての説明を繰り返してきた。
「うん。だからね、鋼はあした目が覚めて今話した内容を覚えていたらぼくに教えて」
失敗していればそれを開発へ伝えるし、成功していれば、来馬はまた同じ話を繰り返す。
「ぼくは一応服薬後に急変したりしてしまった時の保険として鋼の部屋に泊めてもらってるんだ。落ち着かないよね、ごめんね」
「そんなことないです。俺最近寝覚がよくて、今にも調子が良さそうって言われてて、それって薬と何か関係してますか」
「え、っと……それは気分が高揚するということ?詳しく聞いてもいい?」
来馬が開発から受けている説明はあくまで限られた時間の記憶を定着させないという作用だけだ。もしそれとは別に気分の高揚といった副産物的な効果があるのであれば、服薬を中止しなければならない可能性がある。
今まで何度か服薬後の村上と同じようなやりとりをしたが、気分が良いという話ははじめてだ。
「気分の高揚というほどではないんです。ただ、目が覚めたときにスッキリしてて、いい夢でも見たんだろうなと感じる程度で」
「なるほど?常時というわけではなく、あくまで目が覚めた時に限定されているのか……今の話は伝えておくね。場合によっては服薬を中止するかもしれない。その時はまた伝えるから」
来馬は村上の話を用意していた手帳に書き留め、開発へ打診する際のないようを頭の中で組み立てる。その間、村上は眠ることもなく、話しかけるでもなく、ただ来馬を眺めていた。
「ごめん、眠いだろ?先寝てしまっていいからね」
「いえ。せっかく来馬先輩がいるのに寝てしまうのがもったいなくて」
「それは普段ぼくと夜に話す機会が少ないから?」
来馬が先に答えてしまうと、村上は恥ずかしそうに頭をかく。
「もしかして、いつも同じことを?」
「そうだね。何度か聞いているかな。そう言ってもらえるとぼくも嬉しいから、ちょっとだけ話そうか。眠くなったらそのまま寝てしまっていいからね」
手帳を閉じて、来馬は村上をベッドへ入るよう促す。村上は来馬もしっかりと布団に収まったことを確認した上で部屋の明かりを落とした。
普段は部屋の真ん中にある机を脇に立てかけて、無理矢理つくったスペースに来馬のマットレスを置いている。だから村上と来馬の距離は近くも遠くもない。それでも村上の存在は感じることができた。
「おれ来馬先輩の話が聞きたいです」
「えー、ぼくの?つまらないよ」
「つまらない話が聞きたいです」
静かな空気に、淡々とした言葉が溶けて消えていくようだ。
「なんで?」
「だってまだ俺は飲み会にも大学にも行くことができないし、先輩がそこでどんな話をしているのか知りたい……です」
本当は眠いのだろう。敬語が少し剥がれ落ちた言葉が可愛らしい。
「ふふ。本当にくだらなくてね。例えば太刀川の単位の話とか、堤の徹夜麻雀の話とかそういうのばっかりだよ。ぼくは鋼の話が聞きたいなぁ」
大学生の来馬のことを知る術がない。飲み会という口実があれば夜出かけられるのが羨ましい。村上から屈託なく伝えられる言葉達は、何度も何度も発せられその度に空気に溶けていく。
「俺も似たようなもんです。荒船のおすすめの映画とか、ランク戦のログとか誰がどんな戦い方をしているかとか。あとはお好み焼き」
「お好み焼き。鋼は焼くの上手いだろうね」
「影浦からはまだまだだと言われます」
「今度みんなで作ってみる?」
「今に相談しましょうか」
荒船や影浦とはもともと仲が良く、人が好きな村上は同級生と出かけることも少なくない。来馬は空閑がそこに加わったことで村上の世界が更に広がったように思う。
近界民との戦闘経験も着実に増えている。
きっと、村上が知らない来馬より、来馬の知らない村上の方が多い。来馬は村上のことを知りたいと思うが、踏み込み過ぎないでいたいとも考えていた。
「鋼はきっと色んなことを学んでたくさんの人から愛されて、広い世界へ羽ばたくね」
鈴鳴は、県外から来た子供達の止まり木だ。
勉強に力を入れたい子供や、戦力を高め合う環境に価値を置いていない子供が、それでも市民を守りたいと集まる場所だ。
村上がもっと先へ、もっと高みへと願うなら、来馬はそれを尊重する。鈴鳴第一として成長したいのであれば力になる。だが最終的には己の手を離れるのだと、来馬は信じて疑わない。しばらくの沈黙で、村上が眠ったことに気がつく。
「お前の未来が明るく拓けたものでありますように」
祈りのようで、呪いなのかもしれない。
来馬はいずれはぼくの手を離れるんだよと眠った村上に、言い聞かせる。そして、それはそのまま来馬自身の戒めでもあった。
朝は村上の方が早い。ランニングを行ってから支部のみんなと食事を取り、そのあと登校という流れをとっているからだ。
一方で来馬はその時々で1限があったりなかったりするため、村上の部屋に泊まった時はランニングを終えた村上に起こされることも少なくなかった。
「おはようございます」
「おはよう……眩しいね」
口うるさく起きろと促すのが申し訳ないのか、村上は朝の挨拶は一度だけ。そのあと来馬が起きなければカーテンを開けて無言で起床を促してくる。
「朝ごはんの時間なので」
「朝から今ちゃんのごはんが食べられるなんて贅沢だなぁ」
村上、別役、今は支部に住んでいるが、来馬は実家から支部へ通っている。大学に慣れてきたら下宿もいいかもしれないと親からは言われているが、自炊ができない来馬はどうしようか悩んでいた。
「そのかわり今起きないと食べられませんよ」
「……起きます!」
来馬は己に宣言してマットレスから起き上がる。村上の私室で眠るとき、村上の寝息や寝返りの音などが聞こえるせいで、来馬は上手く眠れない。結局村上が起きる少し前に深い眠りにつくため、朝起きるのが難しくなっている。もしかすると、村上は来馬が朝弱いと思っているかもしれない。
「来馬先輩、おはようございます」
「おはよう鋼」
マットレスに座った来馬より高い目線から、立ったままの村上は微笑ましそうに再度挨拶をする。来馬は本当は寝起きが良くて朝も強い。朝が苦手な先輩が頑張って起きているなぁというような微笑ましそうな目線が居た堪れないが、真実を告げると都合が悪いため、来馬は今日も朝の弱い先輩のままでいる。