ちゃぷちゃぷ玄関の方から鈍い音が鳴る。この家の鍵を無断で開けられる人物は少ない。しかも、21時を過ぎたこの時刻に連絡も無しにやってくる人間は限られている。溜め息をこぼしながら待ち人を出迎えるため、玄関へと足を運んだ。
「ただいまぁ……」
「おかえり。」
そこには、予想していた通り、けれど思っていたよりも数段憔悴した様子のトウマが立っていた。乱雑に靴を脱いだかと思えばどこかおぼつかない足取りで、こちらに近づいてくる。仕方がない、と両腕を広げてやれば吸い込まれるように身を寄せてくる。片腕を背中に回しながら、空いた片手で乱れた頭を軽く撫でた。ほんのり汗のにおいがした。
「お疲れ。」
「まじでつかれた……。」
そう言いながらぎゅう、と少し苦しいくらいの力で抱き締められる。普段なら軽く静止をするところだが今日は本当に疲れている様子だから許してやろう。
本当なら今日は18時には俺の家に集まってディナーを取っているはずだった。それがトウマの収録が機材トラブルで大幅に押して、現在に至る。待たされた程度でここまでトウマが疲弊するとは考えにくいから、大方共演者の大御所あたりがトラブルに対してスタッフにあたっていたのを仲裁した、といったところだろう。お人好しな奴。
「風呂さっき溜めたから、先に入れよ。」
「……トラは?」
「は?」
「トラもまだだろ、一緒に入ろうぜ。」
「嫌だ、お前だけで入れ。」
「や~~~だ~~~。」
駄々をこねる子供みたいに、鎖骨あたりにぐりぐり頭を押し付けてくる。地味に痛い。こいつ疲れで幼児退行してないか。
「痛い。やめろ。」
「う~~~……。」
奇怪な行動は止まったが今度は犬みたいに唸りだした。なんだこいつ。
これはたぶん何を言っても引かないやつだ。思わず口から溜め息がでる。もうこうなっては仕方がない。
「わかったよ。後で行くから。先に体洗って湯舟浸かってろ。」
「まじで?!」
「マジだマジ。ほら早くいけ。」
「絶対だからな。」
ようやく体を離して、奥に進み始めた姿を見て俺も準備をするために部屋へと向かった。
────
シャワーの音が途絶えたのを確認してから、バスルームへと向かった。中にはバスタブに身を沈めながらぼんやりと遠くを眺めているトウマがいた。
特に声をかけることも無く、シャワーを浴び始める。シャワーの音につられたようにこちらに顔を向け、そのままじっと俺の体を眺めてくる。
「見過ぎ。」
「いいじゃん。」
別に減るものでもないから構わない。が、なんか言い草に腹が立ったのでシャワーを顔に浴びせてやった。それでも結局トウマは拗ねたような顔をしながらも、俺が全身を洗い終わるまで見ていた。諦め悪いな。
トウマと向かい合うようにしてバスタブに身を沈める。
「トラ、こっち。」
ぱしゃぱしゃと水面を叩くようにして呼ばれる。少しだけ体を持ち上げて、ゆらりと湯をかき分けて酔っていく。トウマの足の間に入り込み、くるりと体を反転させて座りこむ。後ろから腕が回されて腹の前でゆるく組まれた。首筋にトウマの顔が埋まる。
「ん……。」
「ん~。」
多分額のあたりを擦り付けられている気がする。髪がこすれてくすぐったい。けれど、トウマが特段何かを話すことはなかった。
今日は甘えたな日なのかもしれない。疲れているみたいだし、ただ触れ合っていたいだけの気分なのかもな。
なんて、考えていた俺が甘かったらしい。
腹の前で組まれていたはずの腕はいつの間にか解かれて、片方の手がするすると肌の上をなぞり胸を触り始める。
「おい、」
「ちょっとだけ。」
「お前ちょっとで終わらないだろ、……っておい!」
俺の静止を聞く気はないらしく、無遠慮に胸を揉まれる。女みたいに膨らんでるわけもないのに、何が楽しいのかトウマはやたらと胸を触りたがる。
「あ~……柔らかい、きもちいい、癒される。」
「お前本当いい加減に……っ?!」
そろそろ実力行使してでも止めてやろうかと思ったら、腰のあたりに違和感を感じた。いや、違和感というかこれは。
「おい!トウマ!」
「ちょっと触るだけだって、」
そう言いながら、腹の前に残されていた腕を伸ばして俺の陰茎にも触れようとしてくる。
それよりも早く風呂の水を掬って思い切り顔にかけてやった。
「ぶ?!……ちょ、いった、鼻に水入った……。」
「やめろって言ってるのに、やめないお前が悪い。」
「ひでぇ……。」
そう言いながらも、反省はしたのか俺にそういった意味合いで触れるのは諦めたらしく当初と同じように腹に腕が回される。後ろのものは勃ったままだがまぁ見逃してやろう。
ぐずぐず言いながらも離れようとはしないトウマの頭を乗せられていない腕で無理に撫でてやる。
「そもそもトウマどうせ、収録終わってから何も食べてないだろ。」
「……トラは?」
話題のそらし方下手くそか。そもそもお前が先に食べた言いよってメッセージ送ってきたんだろうが、忘れるな。
「もうとっくに食べてる。」
「そっか……。」
沈んだ声が返される。気落ちしたのか、じっと動かなくなってしまったトウマの耳にそっと口を寄せた。少し声を潜めて、意図的に艶っぽい音を出す。
「おまえの分もリビングに用意してある。」
「ん。」
ぴくり、とトウマの体が小さく跳ねた。
「俺が風呂入ってる間に、ちゃんと食べて、食器も下げて、ベッドでいい子に待てが出来るなら……、」
ごくり、と静かなバスルームに生唾を飲む音が聞こえた。後ろから腹を空かせた獣のような気配がする。ぞくりと体を走る快感を隠しながら、いっとう婀娜っぽい声で囁いた。
「御褒美、やるよ。」
「できそうか?」
ちらりと振り返れば、背後でとんでもない勢いで頭が上下されていてばれないように少しだけ笑った。
「なら、先に上がってろ。早食いはするなよ。」
「っおう!」
体を離してやればトウマは勢いよく立ち上がり、バスルームを飛び出していった。あれは多分色々おざなりにするし早食いもしそうだ。後で言い聞かせる必要がある。
まぁ、あそこまで楽しみにされるのも気分は悪くない。そう思いながらこの後のご褒美を準備するためにバスタブから出て、シャワーを手に取った。