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    kurautu

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    kurautu

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    王子様としての一歩目の話です。みのりさん誕生日おめでとう!

    おうじさまのはじまり 足の裏に伝わるのは硬い床の冷たさだ。大きな窓から降り注ぐ光は明るいけれど、広々としたこの場所の空気を温めるのには時間がかかる。開場して人が集まれば消えてしまう温度を存分に味わう事ができるのは、出演者である俺たちの特権だ。俺たちといっても、今ここにいるのは俺だけだけれど。
     夢の中だった。裸足で歩いている俺も、スタッフさんの声一つ聞こえないこの場所も、ありえないのだと知っている。それならばいっそ、この空間を楽しむだけだ。願えば床を一蹴りするだけで簡単に飛べそうだけれど、俺はそれを選ばなかった。それよりもここを歩いていたかった。
     穏やかな日差しの中に並ぶフラワースタンドを一つ一つ眺めながら歩いていく。夢の中のフラワースタンドたちは、俺が目を覚ました世界のどこにもない。だからこそ目に焼き付けたい。作り出しているのは俺の記憶だとしても、それを作り上げているのは今までに触れた花たちだ。もらった花、贈った花、誰かが贈るための手伝いをした花。花の中には俺たちの名前も、俺の名前も掲げられていた。それを当たり前のように思い描けるほどに、たくさんの気持ちを受け取ってきた。手を伸ばして花に触れれば、水を含んだ冷たさが伝わってくる。大事な舞台を前にした緊張と高揚をそっと鎮めてくれるような温度だ。
     眠りに就いた時間のことを考えると、明日はもう今日になっているのだろう。今日は大事な日だ。眠ったけれど眠った気になれなかった、というのはできれば避けたかった。少し落ち着こうと壁に凭れて床へと座って膝を抱える。その瞬間に、誰にも咎められないのだから、と頭を掠めた考えはそのまま俺の体を動かした。膝を伸ばして床に寝転がる。丸い照明が月のように、遠くに見える天井に張り付いていた。お腹の上で手を組んで、深呼吸を一つ。懐かしい匂いがした。アイドルになる前に生きていた場所の匂いだった。花の香りは甘いばかりではない。どこか苦さや鋭さも纏っている。目を閉じてまた深呼吸をした。そうすると、もう、俺もそこにある花の一つになったような気分だ。花屋からは離れたけれど、花畑のような場所で生きている。にぎやかな仲間たちと一緒に過ごす事務所も。色とりどりのペンライトで照らされるステージの上も。王子様、なんて、俺が掲げるには少し気が引けるフレーズを掲げながら。……王子様。

     跳ねるように体を起こした。辺りを見回した。声が聞こえた。記憶の、ずっと奥の方から。俺の手のひらは、湿った土の上にあった。柔らかな葉の上にあった。春の匂いがした。日差しに温められた草花の呼吸の匂いだ。シロツメクサの花が咲く野原には二つの影がある。その影が誰のものなのか、俺はもう知っていた。
     大きな手が、祈りを籠めるようにシロツメクサの花を編んでいく。二つの花に仲間が増えて三つになる。花冠作りはそこから始まる。パレードのように仲間が増えて、いつかは一つの輪になる。寂しくないよ、と教えてくれたのかもしれない。あの日の叔父さんは。あの頃の俺はそんな事を想像すらしていなかった。この場所は退屈だとさえ思っていた。剣を握って戦う勇者か、大砲で全てを薙ぎ払っていく海賊か。俺がなりたいのはそういう何かで、そうなるには、冠はいらない。それよりも戦う力の方が欲しかった。俺がそんな事を考えているのを叔父さんが知っていたのかどうかはわからない。作り上げた花冠を俺の頭に乗せて、ただ一言、叔父さんは言った。まるで王子様が似合わない……似合わなかった、俺に向かって。
     祝福だった。繋がっていたんだ、と気が付いた。今日という日までずっと。叔父さんのくれたものを辿って、辿って、俺は今ここにいる。俺は叔父さんの事を何も知らなかったのに。叔父さんが一人で何を思っていたのかも知らなかったのに。こんなに大事なものを遺してもらう資格なんてないのに。……ないけれど、でも。
     俺は立ち上がって二つの影に背を向けた。眠らないといけない。それから目を覚まして、準備をしないといけない。待っていてくれる人たちがいる。俺が舞台に上がる日を、光を浴びる日を、祝ってくれる人たちがいる。叔父さんからもらった花冠はもう遠い日の思い出の中にしかないけれど、叔父さんが手を引いてくれたこの道は続いている。たくさんの花で飾りたいと、ただ願うだけでは叶わない。俺は地面を蹴って走り出した。柔らかな土は、また硬い床へと変わる。日差しが消える。明かりが消える。遠くに見える眩しい光が近づいてくる。まだ少し怖いけれど、でも、華やかな衣装の下で高鳴る胸の音は消えない。暗闇から飛び出すその先に、俺たちを照らす光がある。光の中で、胸を張って、咲いてみせると決めていた。

    (END)
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    kurautu

    DONE王子様としての一歩目の話です。みのりさん誕生日おめでとう!
    おうじさまのはじまり 足の裏に伝わるのは硬い床の冷たさだ。大きな窓から降り注ぐ光は明るいけれど、広々としたこの場所の空気を温めるのには時間がかかる。開場して人が集まれば消えてしまう温度を存分に味わう事ができるのは、出演者である俺たちの特権だ。俺たちといっても、今ここにいるのは俺だけだけれど。
     夢の中だった。裸足で歩いている俺も、スタッフさんの声一つ聞こえないこの場所も、ありえないのだと知っている。それならばいっそ、この空間を楽しむだけだ。願えば床を一蹴りするだけで簡単に飛べそうだけれど、俺はそれを選ばなかった。それよりもここを歩いていたかった。
     穏やかな日差しの中に並ぶフラワースタンドを一つ一つ眺めながら歩いていく。夢の中のフラワースタンドたちは、俺が目を覚ました世界のどこにもない。だからこそ目に焼き付けたい。作り出しているのは俺の記憶だとしても、それを作り上げているのは今までに触れた花たちだ。もらった花、贈った花、誰かが贈るための手伝いをした花。花の中には俺たちの名前も、俺の名前も掲げられていた。それを当たり前のように思い描けるほどに、たくさんの気持ちを受け取ってきた。手を伸ばして花に触れれば、水を含んだ冷たさが伝わってくる。大事な舞台を前にした緊張と高揚をそっと鎮めてくれるような温度だ。
    1937

    kurautu

    DONE一週間ドロライさんよりお題「クリスマス」お借りしました!
    雨とクリスマス 初めての恋にあたふたしてほしい
    雨は 冷たい雨が凍りついて、白く儚い雪へと変わる。そんなことは都合よく起きなかった。僕はコンビニの狭い屋根の下で、雑誌コーナーを背中に貼り付けながら落ちてくる雨を見上げていた。
     初めてのクリスマスだ。雨彦さんと僕がいわゆる恋人同士という関係になってから。だからといって浮かれるつもりなんてなかったけれど、なんとなく僕たちは今日の夜に会う約束をしたし、他の予定で上書きをする事もなかった。少しだけ先に仕事が終わった僕はこうして雨彦さんを待っている。寒空の下で。空いた手をポケットへと入れた。手袋は昨日着たコートのポケットの中で留守番をしている。
     傘を差して、街路樹に取り付けられたささやかなイルミネーションの下を通り過ぎていく人たちは、この日のために用意したのかもしれないコートやマフラーで着飾っていた。雨を避けている僕よりもずっと暖かそうに見えた。視線を僕の足元へと移すと、いつものスニーカーが目に映る。僕たちがこれから行こうとしているのは、雨彦さんお気に入りの和食屋さんだ。クリスマスらしくたまには洋食もいいかもしれない、なんて昨日までは考えていたけれど、冬の雨の冷たさの前には温かいうどんや熱々のおでんの方が魅力的に思えてしまったのだから仕方がない。
    1915