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    しばた三歳

    @shibata3sai

    忘羨に狂っています。mdzs / cql

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    しばた三歳

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    【含光君の恋文】#3
    cql第55話「まことの心」(妄想)
    雲夢双傑の仲直り。藍湛まさかの橋渡し

    【注意】
    ・忘羨を手助けするモブがおります
    ・まだ知己ですが、そのうちR-18に突入いたします
    ・単体でも読めます
    ・アニメ/原作/cql履修済
    ・設定捏造してます、ふわっとお読みください

    #忘羨
    WangXian
    #MDZS
    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation
    #cql

    含光君の恋文 【転】『兄上。忘機です』

     寒室を訪れた声は、弟ではなく、やわらかで張りのある藍思追のものだった。声と名乗りとの不一致を訝しみつつ、藍宗主――藍曦臣は二つの人影に声をかけた。
    「忘機、思追。おはいり」
     若い思追を従え、藍忘機が拱手する。
     閉関して一年ほど経つ藍曦臣にとって、もっとも心許せる二人揃っての訪問に、痩せた頬にも微笑みが浮かんだ。

     ふたたび思追が『兄上……』と話すのを聞き、思わずふっと吹き出してしまう。彼は――弟の知己は、静かな雲深不知処に笑いをもたらす妖精のようだ。

    「魏公子の仕業かな?」
     二人の様子と、昨夜の術返し騒動から推察すれば、おそらく間違いないだろう。
    「まったく、彼の才知には驚かされるね」
    と呟くと、忘機と思追――義理の親子は、揃ってほんのりと嬉しそうな気配を見せた。

     藍忘機は張公子の術返しを受け、みずからの禁言術により半月ほど口を開けない状況に陥っている。錯乱中の張公子とはまともな交渉が出来ず、解除の目途は立っていないが、そもそも禁言術は死に直結するような術ではない。つまり藍忘機は現在、口が開かないだけの健康体だ。

     とは言え、彼は今や仙門百家を統べる仙督である――口がきけないのは障りがある。そんな弟のために、夷陵老祖である魏無羨がなにかしら策を弄したのであろう。

     思追の口から発される藍忘機の『兄上』は、いつもの落ち着いた低音ではなく、若い張りに満ちていた。
    『昨夜、魏嬰が新しい符を作ってくれました。代弁符です』
    「忘機、よかったね。思追、苦労をかけるがよろしく頼むよ」
     知己に対する誇らしさが隠しきれない様子の弟と、緊張に頬を染めつつ懸命に代弁する思追に微笑みかけ、藍曦臣は着座を促した。

    「張宗主はなんと?」
     茶を点てながら問う。この状態の二人がここにいるという事は、おそらくその場での解除には至らなかったのであろう。案の定、
    『返術鏡の解除には時間がかかると。しかしそれより気になる点が。人が変わったかのように、夷陵老祖に激しい憎悪を抱くようになった者達が頻出しています』
    「ほう……。それは良くないね」
    『はい。おそらく同一の妖によるものかと。極力早いうちに対処したく、蘭陵から雲夢に参ります』

     自分が受けた術返しよりも、山積みであろう仙督の執務よりも、魏無羨への害意を減らす方が重要だと明確に示す。相変わらずこの弟は、彼が絡むと盲目的になる。

     十六年前。最初はさざめきのようだった魏無羨への敵意が、あっという間に津波のように膨れ上がり、自分も含め全員がなすすべもなく押し流された。
     今では仙督となった藍忘機も、その背を戒鞭による血と膿で濡らし、高熱にうなされながら
    「なぜ、もっと早く、手を打たなかったのか……なぜ、わたしは、……ともに……」
     見る影もなく痩せ、骨が浮き出た、廃人のような背中を思い出す。兄である自分の手すら拒み、瀕死の重傷を誰にも手当させようとはしなかった。意識を失った時を見計らい、手早く処置をしたものだ。あの時の弟の目が忘れられない。高熱で錯乱していたとは言え、まるで周囲はすべて――この兄ですら、味方ではないと断じていた、あの目。

     藍曦臣は首を振った。あれは過去だ――引きずられてはならない。そして二度と、繰り返してはならない。

     一刻も早く、災いの芽を摘みに行きたいのだろう。藍忘機は澄んだ瞳に強い意志を浮かべて兄を見つめる。はたから見れば大げさに映るであろうその様子も、むしろ必死で自制し、この程度で済んでいるのだと藍曦臣は理解した。

    「魏公子は? 一緒に行かないのか?」
    『……迷っております』
    「ともに行くといい。忘機、私もね、そろそろ執務に戻らねばと思っていたところなんだよ……ちょうど良い機会かも知れないね」
     藍忘機は深々と頭を下げた。
    「忘機には、一年以上も私の肩代わりをさせてしまった。すまなかったね……このくらいでは罪滅ぼしにもならないだろうが、許しておくれ。来週の清談会までには戻れそうかな?」
    『はい、それまでには。万が一長引く場合は、直接清河に参ります』
    「うん、それなら心配ないね。気を付けて行っておいで。お土産は……うん、そうだな。雲夢ならば、蓮の実の月餅をお願いしようかな」
     蓮の実の月餅。確か、雲夢の――雲萍城出身の、金光瑤の好物だ。兄と二人で食べていた時の、彼の穏やかな横顔を思い出す。
     藍忘機は黙したまま、深く拱手をした。

     引継ぎを終え、足早に去る弟たちの背中を見送っていると、ふと淡い香りに気がついた。風上を見れば、いつの間にか桃がつぼみをふっくらと膨らませている。

    「もう、春なんだね……」
     空の水色と、つぼみの紅が目にまぶしい。自分が閉関していようと、していまいと、世界は変わらず美しい――少しばかり、腹が立つほどに。





     思追に昼餉の手配を頼み、足早に静室へ戻ると、昼寝中かと思われた魏無羨は文机に向かっていた。
    「おう、おかえり藍湛! 早かったじゃないか」
     どうやら新符の複製をしていたらしい。すぐに集中を解いて笑いかける。
    「寝ようと思ったんだけど、なんか目が冴えちゃってさ。で、どうだった。張宗主は?」
     藍忘機が新符――代弁符をかざして目で問うと、
    「あぁ、使ってもいいぞ。ただし藍湛、俺を褒めるなよ? また自画自賛するはめになったら、俺は笑い死ぬからな?」
     にやにやしながら、魏無羨も代弁符をかざした。

     彼の口を借り、藍曦臣に話した内容を伝えると、
    「え、それ妖なの? 単なる夷陵老祖嫌いじゃなく?」
    と首をかしげる。
    『複数人がある日突然、気が触れたように変貌している。好き嫌いではないだろう』
    「ふぅん?」
     魏無羨はこともなげだ。夷陵老祖として憎まれることに慣れきっており、感覚が麻痺しているのだろう。しかし本来、見知らぬ多くの人間から殺したいほど憎まれて、けろっと平気でいられる者などいないはずだ。
    『わたしは昼餉ののち、すぐ蘭陵へ向かう。――おまえはどうする』
    「え、蘭陵? だってお前、執務はどうするんだよ?」
    『兄上が代わって下さる。叔父上にも報告した』
    「おっ、沢蕪君が。……そうか」少し考え、
    「よし、俺も行く! お前と二人で夜狩なんて、一年以上ぶりだな!」
     ぱんっと手を叩き、嬉しそうに立ち上がった。藍忘機もこくりと頷くと、
    『まもなく思追が昼餉を運んでくる。おまえも夜狩の支度を……』
    「おう! すぐに済ませる!」
     うきうきと支度をはじめた魏無羨の背中を見ながら、自らも忘機琴を手に取った。





     新しい紙符を山ほど乾坤袖に仕込み、陳情を腰に刺した魏無羨と、琴を背負った夜狩姿の藍忘機を見送るべく、数人の子弟たちが山門まで連れ立って降りて来た。
    「りんごちゃんは連れて行かないんですね」
     後ろに控えた思追が問えば、
    「あぁ。清談会までに戻りたいからな、今回は藍湛の御剣で行くよ」
     魏無羨は見るからにご機嫌だ。まるで年少の子弟のようにわくわくした様子に、あきれ顔の景儀が横から口を挟む。
    「魏先輩、はしゃいで空から落ちるなよ?」
    「落ちるもんか! 含光君が俺を落とす訳がないだろう?」
    『落とさない』
    「あははは、そうだよなぁ?」
     代弁符を使って藍忘機の分まで喋るため、普段から人の三倍喋る魏無羨が、今日はより一層にぎやかだ。
    「最強のお二人が揃って夜狩に出るなんて、羨ましいです。どんな妖でもすぐに退散しますね」
     微笑んだ思追は、ぽつりと
    「出来れば、私もご一緒したかったです……」
    と呟く。魏無羨はたまらなくなり、思わずがばっと抱き着いた。
    「お前は素直でかわいいなぁ! 次はちゃんと予定を立てて一緒に行こうな?」
     赤い顔でもみくちゃにされている思追も、している魏無羨も嬉しそうだ。

    『魏嬰。そろそろ発つ』
     藍忘機は知己の口を借りてそう言うと、先に山道を下りはじめた。
    「何だよ、置いて行くなよ。じゃあな、思追、景儀! お土産買ってくるからなー」
    「魏先輩はお金持ってないでしょーが!」
    「あははは、お見通し!」
     笑い声が遠ざかる。子弟たちは拱手し、敬愛する二人の頼もしい背中を見送った。





     夕刻、蘭陵。
     茜色に染まる町はずれに、白衣と黒衣の男二人がひらりと降り立った。あたりを見まわし、黒い男がにこにこと笑う。
    「蘭陵はやっぱり華やかだなぁ! 人も多い」
    『うん』
    「まずは宿をとって、それから聞き込みだな」
     手ごろな宿を確保すると、黒い男――魏無羨は嬉しそうに数件の酒楼をのぞき込み、すんすんと鼻を鳴らした。
    「いらっしゃい! お二人ですね、お召し上がりですか?」
     背後から元気よく声をかけてきた若い雇人に、
    「おう、強い酒をくれ! こっちの色男には一番いい茶を頼む」
    「よろこんで!」
     雇人は席を案内しながら、色男とやらの顔をちらっと見て、口を開き――ぴたりと固まった。半開きの口のまま、しばし見とれてしまう。
     彫刻のような白皙に、鋭く光る双眸。同じ人間とも思えない、まるで神話から抜け出して来たかのような、恐ろしいほど冴え冴えと美しい男がそこに立っていた。生きているのかどうかも疑わしい。
    「お、驚きました……、本当に、美しい方だ」
    「ははは、そうだろう? こんなに色男なのに、本人は自覚がないんだよ」
     魏無羨は案内された席にどかっと座り、
    「ほらな藍湛。俺が言った通り、お前はとんでもない色男なんだぞ? 少しは自覚しろよ?」
     白い男、藍忘機はまったく表情を変えず、無言のまましぐさで注文を促した。

    (相変わらず、こいつは容姿の話に興味を示さないなぁ)
    と、魏無羨は横目で白皙を眺めつつ思う。
     人はおのれが生来持っており、周囲にありふれた物には関心を抱かないものだ。漁師ならば魚よりも肉を好み、山谷育ちなら大自然よりも賑やかな町にあこがれたりする。
     藍忘機は生まれつき美形で、藍氏は老いも若きも美形だらけ――容姿にさして興味がないのも当然かも知れない。ひとり頷く魏無羨に、
    「そういうお客さんだって、役者みたいな色男じゃありませんか!」
     雇人はお決まりの世辞を口にしたが、内心は本気で驚いていた。おべんちゃらではなく、本当に役者のようだと感心したのは初めての事だ。黙っていれば見惚れるほど華やかな美形なのに、惜しげもなくそれを崩してクシャッと笑う。笑うと大きめの前歯がつるりと顔を覗かせ、急に印象が幼く、人なつこくなった。

    「ははは、ありがとうよ。でもな、俺は自覚があるからいいんだ」
     あっけらかんと肯定され、嫌な気も起こらない。魏無羨はそのまま立て続けに料理を注文すると、
    「なぁ、兄さん。ここはいい店だな。居心地がいいし、料理も旨そうだ」
    「ありがとうございます! ご期待どおり、旨いやつをお持ちしますよ」
    「いいね、楽しみだ! 料理と一緒に、そうだな、ここで一番の情報通も連れてきてくれ」
     にやりと悪そうに笑うが、同時にかわいらしい前歯がちらっと顔を出すので、少しも悪そうには見えない。むしろ、何とも魅力的に見えてしまう。雇人は(もしこれが意図的だったなら、彼は相当な役者だな)と舌を巻きつつ、元気に返事をして厨房へ向かうのだった。



    「あぁ、夷陵老祖狂ですか」
    「ん? なんだって?」
    「狂(きょう)ですよ。ある日突然、夷陵老祖にトチ狂うやつでしょう?」
     料理と共に現れた情報通は、先ほどの若い雇人だった。実際に情報通でもあったが、この浮世離れした謎の二人連れ――白い男は装束から姑蘇藍氏であろうと察するが、黒い男は剣も佩かず、何者なのかさっぱり見当もつかない――と、もっと話をしてみたかったのが本当のところだ。

    「へぇ、夷陵老祖狂ねぇ……。初めて聞いたよ。たくさんいるのか?」
    「いえ、ぽつぽつ噂を聞く程度です。なんでも雲夢の方に多いとか」
    『雲夢』
     藍忘機がはじめて問いを発した。しかし代弁符を使っているので、雇人からは魏無羨が一人で話しているように感じられる。
    「はい、雲夢です。ある日突然、夷陵老祖の事しか考えられなくなっちゃうなんて、怖いですよねぇ」
    「ははは、そりゃ怖い……。ちなみに、時期はいつ頃から?」
    「噂を聞くようになったのは、三月に入ってからですねぇ。自分が最初に聞いたのは、ほら、そこの斜向かいの――」
     と表通りを指し示し、
    「乾物屋の兄さんでした。気のいい男で、ウチにもよく飲みに来てくれていたのに、雲夢の市場へ買い付けに行ったら、手ぶらでおかしくなって帰って来ちまって」
    「へぇ、そりゃあ気の毒だ……」
     魏無羨は杯に酒を注ぎ、すっと雇人に差し出した。雇人はいける口らしく(ありがとうございます)と小声でささやくと、周囲を見回し、店主がいないことを確認してから杯を干す。

    「その兄さん、雲夢で何があったんだろう。原因は分かるか?」
    「いや、分からないんです。乾物屋のオヤジさんも、すっかり頭を抱えちゃってて。でもね、不思議なのが、人によって症状が違うんですよ。罵倒する者もいれば、褒めたたえる者もいたり、拷問したがる者、懸想する者……おぉ、くわばらくわばら。とにかく共通しているのは、口を開けば『夷陵老祖』って所だそうで」
    「なるほど。――なぁ、兄さんはどう思う? 情報通の兄さんの、感じるところを聞かせてくれよ」
    「うーん、そうですね……最初は皆、夷陵老祖の祟りじゃないかって。でも祟りなら、自分を憎悪させたりはしませんよね。夷陵老祖に恨みを持つ人間が、そういう呪いをまき散らしているのかって話もありましたけど、相手はもう十何年も前に死んじまってる。恨む人間を増やしたところで痛くもかゆくもないだろうし」
    「まぁ、そうだな」
    「……自分としては、夷陵老祖は関係ないような気がしているんです。少なくとも、蘇った彼が悪さをしている訳ではなさそうな……」
     考え込む雇人を、奥から「おうい」と呼ぶ声がした。
    「はぁい! そろそろ行きます。どうぞごゆっくり」
     小声で(ごちそう様です)と付け加えると、雇人は足早に厨房へと戻って行った。

     少し冷めてしまった鶏肉を口に放り込み、咀嚼しながら、魏無羨は(うーん)と考える。料理は思ったとおり、辛くて香りが良くてうまい。
    「対象は夷陵老祖のみ。症状は憎んだり懸想したりと諸々。三月に入ってからで、雲夢に多い……」
     黙したままの藍忘機が伝送符で粥を胃に送るのを、(だいぶ慣れたな)と見つめていると、視界の隅にキラキラした小さな物が映る。季節外れの蝶――いや、伝令蝶だ!

    「藍湛! 伝令蝶だ、お前宛てじゃないか?」
     ひらひら頼りなげに揺れながら、蝶は藍忘機に向かって飛んでくる。
     白装束の男と黄金色の蝶は、じつに美しく様になった。蝶は差し出された白い手にそっと止まると、幻のように崩れて消える。

    「沢蕪君からか?」
    『いや、張宗主からだ。夷陵老祖狂には共通点があると。症状があるのは……男性。しかも若者のみ』
    「――へぇ。若い男しか罹らない……」
    『そのようだ』
     魏無羨はしばらく黙ってから、
    「藍湛。明日、雲夢へ行ってみてもいいか」
    『………』
     藍忘機も思うところがあるのか、無言のまま頷く。それから二人は、卓に並んだ皿を順番に空にしながら、それぞれ黙って思いを巡らせた。

     それは静かな夜だった。
     酒楼から宿に帰っても魏無羨はどこかうわの空で、必要最低限の言葉しか喋らない。ただ酒をあおり、空の甕だけが増えていく。ひとりにして欲しいのか、目線が合う事もなかった。

     藍忘機はそんな知己から少し離れ、伝令蝶をそっと飛ばす。亥の刻には魏無羨の背に掛布を添わせると、自分は静かに床に就いた。
     横になってから、秘密の手記を――おのれの心情を伝える修練をしていない事に気が付いたが、もはや亥の刻である。そもそも宿の文机は魏無羨が酒甕でいっぱいにしており、何かを記す場所は無かった。明日書く事とし、藍忘機は目を閉じる。

     知己が酒を口に含み、酒甕を文机に置くときの、ちいさな音を数える。一、二、三、四……。
     昨夜のぬくもりを体が覚えているのか。いつまで経っても掛布が冷たく感じられ、眠気はなかなか訪れなかった。





     翌朝、二人は御剣で雲夢へ向かっていた。いつもは賑やかな魏無羨が黙っており、禁言中の藍忘機も黙っている。いつに無く静かだが、旅自体は快適だった。春の空は淡く澄んでおり、避塵は力強く風を斬る。

     蘭陵から雲夢へ入ると、空気が変わった。空はひとつながりなのに、急に吸気が甘く、しっとりと湿度が上がったような印象を受けるのだ。
     魏無羨は、かつて自らの仙剣――随便に御剣して味わった、甘く懐かしい感覚を思い出す。あの頃はまさか、人間嫌いの堅物、藍二公子と密着しながら御剣する日が来ようとは思いもしなかった。

     かつての堅物、藍忘機は特に何も言われずとも、魏無羨をまっすぐ蓮花塢の正門の外におろした。江家の門番は、突然現れた美しい白黒の二人連れに驚く事もなく、「お待ちしておりました」と拱手をする。すぐに家僕を呼び、大広間まで案内させた。

     これには魏無羨も驚いた――振り返れば、藍忘機が静かな目でこくりと頷く。おそらく昨晩のうちに、雲夢へ伝令蝶を飛ばしてくれていたのだろう。自分がどこで何をしたいのか、藍忘機にはお見通しなのだろうか。真逆に見える知己なのに、問題解決への思考回路は似ているのかも知れない。

     見覚えのある、懐かしい門構え。
     何度もここを走り回っては、虞夫人にきつく叱られた。
    「そんなにここが好きなら、一昼夜ここにいなさい!」
     そう言って縛り付けられた柱の傷さえ思い出せる。
     しかし今、柱は大元から修復され、新たに塗り直されている。家僕も見知らぬ顔ばかり――魏無羨にとって、ここは蓮花塢であって蓮花塢ではなかった。それなのに、ここで起きたかつての惨事だけが鮮明に思い出され、どうしても、目線は下に下がってしまう。ふわりと浮かぶ甘い懐かしさと、それを打ち消す、震えるほどの怒りと悲しみ。
     魏無羨は師弟を思う。彼は……江澄はここで十六年間。こんな苦しみを、ずっと味わって来たのだろうか――たった一人で。

    「……これはまた、お二人揃って」
     想いを馳せていた相手――江晩吟は、九弁蓮の椅子に腰かけ、いつもの冷笑を浮かべながら二人を迎えた。
    「珍しく前日に取り次ぎがあったのでな。私もようやく本来のおもてなしが出来る」
     今まで、取り次ぎをしてから江澄を訪ねた事などほとんど無い。江宗主は彼らしい嫌味を言いながらも拱手し、二人に着座を促した。



     藍忘機はいつもと変わらぬ無表情だったが、魏無羨は――珍しく、緊張しているようだった。蓮花塢に来なければとは思っていたものの、江晩吟にどんな顔をして、何を言えば良いのか、まったく分からない。
    (江澄は俺の顔など見たくもないだろう。今更、どの面を下げて……)
     ああでもない、こうでもないと、柄にもなく思考をこねくり回しているうちに、藍忘機に連れて来られてしまった形であった。

     考えもまとまらぬまま江宗主の目前に立たされ、しかし、逆に肝が据わった。こうなった以上、腹を割って話すしかない。

    「江澄、その――。げんき、だったか」
    「……おかげさまでな」
     もっと辛辣な態度か、もしくは会ってさえくれないのではと思っていた。
     しかし意外な事に、江晩吟もまた、緊張している様子だった。思えば会うのはあの観音堂以来だ――何から話せば良いのか、ますます分からなくなる。

     口の減らない元義兄弟たちが、沈黙したまま、揃って床板を睨んでいると、
    『江宗主。藍忘機だ。諸事情あり禁言中のため、本日は魏嬰の口を借りて話をさせていただく』
     魏無羨の口から出た意外な言葉に、思考が追い付かない。
    「……はっ?」
     眉間の皺を緩ませて、江晩吟は二人を見比べた。
    「あぁ、江澄……。そういう訳で、今日は、俺が一人二役だ。二人分話すから、口調でうまく聞き分けてくれ」
    「そういう訳って、どういう訳だ……。まぁいい、お前たちの事情など知りたくもない。訪問の目的を話せ」
     いつもはダンマリの仙督によって会話が促された事に、江晩吟は小さく苛立つ。しかし藍忘機は気にした風もなく、
    『夷陵老祖狂の事は知っているか』
    「あぁ、それなら数件報告があがっている。だがまぁ人を害する訳でもないし、春に狂人が増えるのはいつもの事だ。今はまだ様子見だが……なんだ、そんな事のために、わざわざ来たのか?」
    『そんな事ではない。江宗主も知っているだろう。小さな異変だと軽視し、放置すれば、とてつもなく巨大な災いにも成長し得るという事を』
    「……」
     江晩吟は一瞬、言葉に詰まった。たしかに、自分は良く知っていた。揺れる木の葉のようにたよりなく、ただ大波に押し流されるばかりだった過去を思い出し、思わず魏無羨を見る。

     かつて隣に並び立ち、雲夢双傑を名乗った男は、憎悪の大波にさらわれ、愛したすべてを失って死んだ。あんなにも強く、才知に優れ、怖いもの知らずだった大師兄が、最後はなすすべもなく――自ら崖から身を投げる事を選んだのだ。
     彼が十六年間、死んでいたのか、生きて匿われていたのか、魂だけが彷徨っていたのか、真相は分からない。けれどあの時、不夜天の崖の上で
    「魏無羨! 死ぬがいい!」
     そう叫んで剣を突き立ててのは、まぎれもなく自分だ。最後の最後で迷いが出て、三毒が彼を傷つける事はなかった。しかし彼の絶望に――金子軒が死に、温情ら一族も死に、江厭離も彼をかばって死んだ。正道を叫ぶ仙師らは陰虎符を求めて互いに殺し合い、おのれの金丹を師弟に譲り空の器となった魏無羨にとって、もはやすべての希望は絶え果ててていたのだろう――そんな絶望にとどめを刺したのは、自分が放った、あのひと言。
    「魏無羨――死ぬがいい!」
     私が、彼の心の最後の糸を、斬ったのだ。

     手は震え、呼吸も浅くなったが、江晩吟は意識してそれを整えた。温寧に金丹の真実を知らされたあの時から、何度も何度も。昼夜となく一人きり、繰り返して来たことだ。

     今なら分かる。魏無羨も、藍忘機も――誰もが少しずつ未熟だった。そんな中、もっとも未熟だったのはこの自分だ。あれほど近くで過ごし、魏無羨の性分も考え方も熟知していたはずなのに、なぜ彼の言動の真意に気づいてやれなかったのか。
     話を聞いてやれば良かった。信じてやれば良かった。もっと慮ってさえいれば、あるいは――。何度もうなされ、何度も自責の涙を流した。泣きたくなどない。自分だけが悪かったとも思わない。しかしどれほど悔やんでも、どれほど泣き叫んでも、過去を変える事はできない。

     黙ってじっと床板を見つめている魏無羨から、藍忘機に視線を移した。一貫して無表情のままだが、目で訴えているような気がした。彼は二度と、魏無羨の身も、心も、失いたくないのだろう。

    「……私に、何を望むのだ?」
     長い沈黙を破り、理解を示した江晩吟に、
    『至急、蓮花湖をあらためさせて頂きたい』
     藍忘機は意外な方法を提案する。

    「蓮花湖だと? なぜ……」
    『詳細は、魏嬰に』
     藍忘機はすっと視線を移し、知己に続きを託す。魏無羨は床板を睨んだまま、重い口を開いた。
    「――うん。場所は……おそらく蓮花湖の四阿(あずまや)だと思う。九曲蓮花廊の先にある」
    「四阿だと……?」
     少し考え、江晩吟はハッと顔を上げる。

     魏無羨の言う四阿は、江澄がよく一人で考え事をする為に使う場所だ。かつて父・江楓眠もよく使っていた。蓮花湖に浮かぶように張り出しており、周囲には目にも優しく蓮が生い茂る。誰にも言えない心の内を吐露するのにちょうどよい隠れ家――。

    「…… まさか、」
     十六年間、自分が行ってきた事。
     宗主としての執務を終えると、毎晩かならず、捉えた詭道術師への拷問を行った。思う存分紫電をふるい、しかし成果は――魏無羨がよみがえったという情報は得られなかった。身を清め、就寝する前に四阿へ向かう。自分で自分が制御出来ない。溢れる怒り、憎悪、寂しさ、悲哀、慕情、――そしてまた怒り。尽きない輪廻に身悶えながら、他にどうする術もなく、あの四阿で嗚咽を吐き出して来たのだ。

    「――私、か……?」
     江晩吟は愕然とし、二人を見る。
     藍忘機はうなずき、
    『一昨日、夷陵老祖狂となった張公子と対峙した。温厚だった公子は、夷陵老祖を拷問する事しか考えられない狂人となっていた。おそらく妖の仕業だろう。発症は三月以降、場所は雲夢。かかるのは若い男のみ』

     藍忘機に促され、まだ床板を見つめたままの魏無羨が、ボソボソと補足する。
    「――おそらく、蒔花女と同じ原理だ。あれは花を愛でる文人の精魂が凝縮され、それを吸った花卉が精怪となった。今回の妖は、……夷陵老祖への負の感情が蓄積され、凝縮され、それを吸った生物が転じた妖だろう。――蓮じゃないかと思う」

     夷陵老祖への負の感情。それなら答えは明白だった。原因は、私だ――この世に私ほど、夷陵老祖を憎み、呪い、恨んで来た者など他にいるはずもない。

     江晩吟はぐっと拳を握り、自分に言い聞かせる。
    (――まだだ)
     まだ、崩れてはならない。
     こみあげる感情を抑え込み、どうにか冷静さを手繰り寄せると、思考を続けた。

    「なぜ……、今なのだ?」
     十六年間、一日も欠かさず呪い続けた。しかしここ一年以上――温寧から金丹の真実を聞かされてからは、少なくとも、呪ってはいない。

    「――蓮はもともと、汚泥を吸うだろう。それが濃いほど栄養となり、蓮は美しい花を咲かせる。……長い間、夷陵老祖への憎悪を糧にしていた蓮達が、ある日突然それを得られなくなったら?」
    「――他から調達、か」
    「あぁ……。蓮は三月頃、蓮根から浮葉を伸ばす。栄養が必要な時期に、汚泥の蓄積が枯渇したんだろう。近くを通る人間――お前に似た若い姿の男から、似たような何か――夷陵老祖への強い感情を得ようとしたんだろうな。対象者によって、それが憎悪だったり、恋慕だったり――不思議だよな、本来なら、真逆の感情のはずなのに」

     相変わらずだ。かつて肩を並べていた頃は、彼のこの明晰さが、江晩吟にとっても密かな自慢だった。解けない謎をいとも容易く解きほぐし、誰にでも分かるよう平易に説明する。その手腕に惚れ惚れとしたものだ。

    「――お前が言うなら、そうなんだろうな」
     少年時代の素直な憧憬を思い出し、江晩吟はほんの少し肩の力を抜いた。嫉妬の炎に焼かれながらも、彼は確かに、自分にとって密かな英雄でもあったのだ。

     もしも立場が逆であったなら――彼こそが主であったなら、全身全霊をかけて、自分は彼に心酔していたに違いない。しかし現実は、自分が主で、彼は家僕であった。主従の縛りは自分を苦しめ、しかし同時に、胸を高鳴らせる誇りでもあった。
     姉も父も、そして母も、そんな自分のひねくれた内心を知っていたのだと思う。あるいは――魏無羨もまた。

    「――四阿の近隣は、もともと人払いがしてある。好きにあらためるが良い」
     久しぶりに感じる高揚と、自分への落胆。感情に蓋をして、江晩吟は二人に背を向けた。自分が今、一体どんな顔をしているのか、自分でも分からなかったからだ。

    「ありがとう、――江澄」
    『感謝する』
     礼を言う二人に背を向けたまま、足早に大広間を去る。最後に、
    「――祠堂も、開けておく」
     少し、声が震えたかも知れない。だが言えた。あれからずっと、言いたくて、だが言えなかった言葉だ。

     後ろで何か言っているようだが、もう聞こえない。こみあげる熱い塊を必死で飲み込み、江晩吟は私室へと急いだ。
     おのれの腹を――今日も変わらず自分を守り、力強く脈打つ金丹の熱を、そっと両手で包み込みながら。


     蓮は、非常に穏やかだった。江晩吟が妖だと気付かなかったのも無理はない。陰気も殺気もなく、本当にただの蓮の浮葉のように見えた。
     汚泥の供給源の、そのまた根源であった本人――夷陵老祖が現れ、いったいどう反応するのかを危惧していた藍忘機にとっても、少々意外なほどだった。蓮ごと焼く必要もなく、琴の澄んだ音色を聞かせるだけで、妖の部分だけを昇華させることが出来た。

     進んで自らの首を差し出すように見えた蓮たちに理由を問う術もないが、蓮にとっても、妖にとっても、昇華は望ましい結末だったのかも知れない。

     しばし四阿に佇み、蓮と蓮花湖ののどかな風景を眺めた二人は、九曲蓮花廊から江家祠堂へと向かっていた。

    「――蓮ってやつは、不思議な植物でさ」
     しばらく無言だった魏無羨が、ぽつりと話し出す。
    「人が厭う汚泥を吸って、きれいに漉して、清水を作る。自分はその汚泥を糧に、美しい花やうまい実をつけて、冬には蓮根となって休眠する。そのまま冬を凌いだかと思えば、春には何事もなかったかのように、こうしてまた浮葉を伸ばすんだ」
    『……』
    「人間にとって、これほどありがたい植物もそう無いよな。実も蓮根もうまいし、栄養価が高い。薬としてもあれこれ使えて、くさい汚泥は濾過してくれる。そして姿は、とびきり美しい」
    『うん』
    「悪いところなんて、ひとつも無い。まるでお前みたいだよ、藍湛」
    『――違う。蓮はお前のようだ』
    「うん? 何だって?」

     思いがけない反論に、魏無羨は聞き返した。人より優れた点も多いが、それ以外は悪い所だらけだと自覚があるので「いったいどこが?」と本気で聞いてみた。

    『お前は人の苦しみを放っておけない。どんなに自分が苦しむと分かっていても、進んで汚泥を取り込む』
    「……まぁ、それは性分だな」
    『自分が提供できる物があり、それを欲する者がいれば、惜しまずすべて分け与える』
    「……相手によるがな」
    『驚くほど、なせる事が多く、人にとって有用だ』
    「……」
    『そして、姿はとびきり、』
    「おい藍湛! 代弁符で誉めるのは禁止って言っただろう!」

     すでに顔を赤くした魏無羨は、自分の口で自分を褒める羞恥と、今にも吹き出しそうな笑いをこらえてプルプル震えている。仕方なく黙ったが、藍忘機には確信があった。蓮はまさに魏無羨だ。水辺に映えるその姿も、奔放に見えて、実は慎ましやかな咲き方も。



     祠堂の入口に立った二人は、しばし足を止めた。
     魏無羨にとっては、まさに感無量だった――二度と訪れることは許されないと、前回ここを去る時に覚悟していたのだ。
     祠堂に入ると平伏し、ずらりと並ぶ江家代々の位牌に語りかける。

    (江おじさん。虞夫人。――師姉……)

    (前回はごめんなさい。目の前で、江澄とケンカしちゃって……心配かけたよな)

    (俺、またここに来る事を許されたよ。江澄と、ほんのちょっとだけ、仲直りできたんだ……師姉がいなきゃ、俺たちいつも、仲直りなんか出来なかったのに)

    (俺、がんばったよ。昨夜は眠れなかったし、さっきもあいつの目は見られなかったけど、でも――がんばったと思う)

    (これからは、もっと、あいつに優しくしたいんだ……出来るかな)

    (――うん。藍湛がさ。何も言わなくても、蓮花塢に連れてきてくれたんだ。……あいつがいなきゃ、俺は江澄には会えなかったし、会えてもケンカして終わりだったと思う。――うん。いいやつなんだ……)

     魏無羨は線香を三本持ち、寺院参詣の三拝をとった。

     まず一拝を先賢に。
     次に、先賢から学ぶ姿勢を表して。
     最後の一拝は懺悔の意味を持つ。だが何故か、ここでふいに、

    (そういえば――、三拝って、婚礼だと、違う意味を持つんだよな)

     そう思った魏無羨が、ちらりと隣を見ると――真面目に三拝しているはずの藍忘機が、何故かこちらをじっと見つめていた。
    「え……っ、」
    魏無羨は戸惑い、跪いたまま固まってしまった。意味が分からない。
    なんで三拝の途中で、俺は藍湛を見た?
    なんで藍湛は、俺をじっと見ていたんだ……?

     白黒二人は二拝を終えたまま、三拝目は宙に浮いている。魏無羨はうわずった声で、
    「たしか、三拝目は『懺悔』だよな? 俺は悪い子だから、しっかりやらなきゃ……!」
     もごもご言いながら三拝をした。藍忘機は表情を変えず、黙って知己に従う。

    (師姉――、師姉、助けて!)

    (俺、最近なんか変なんだ。でも、藍湛はもっと変なんだよ……ねぇ、なんで? 俺どうしたらいいの?)

    (あっ、もしかして春だから? 春だから浮かれてるとか?)

    (……ねぇ、師姉……)

     長々と平伏している魏無羨の後頭部を、美しくおもてを上げた藍忘機がじっと見つめていた事は――江家先祖代々の御霊しか知らない。





    三月十六日 晴天 蓮花塢にて

     蘭陵から蓮花塢へ。
     昨夜ひそかに予想したとおり、夷陵老祖狂は蓮の妖によるものだった。

     江宗主と引き会わせた段取りは、少々強引だったかも知れない。だが結果として、蓮花湖と祠堂への出入りを許された。九曲蓮花廊をちいさく跳ねるように歩くおまえの、喜びを隠せない様子に私も心が震えた。

     祠堂で二拝した後、突然動きを止め、こちらを確認したおまえが――愛しくてならない。
     おまえは寺院参詣の要領で、先賢へ三拝したつもりだったのだろう。しかしわたしは――天地に一拝、両親に一拝。そして三拝目はお前に捧げると決めていた。わたしの祈りは、常におまえと共にある。

     帰路に就こうと祠堂を出たところで、江宗主がぶっきらぼうに「飯でも」と声をかけて来た。おまえが誰かと酒を酌み交わす様子は、わたしにとってあまり楽しいものではない。しかし、おまえがいかに江宗主を大切に想っているかは理解しているつもりだ。

     誘いに応じ、次々と酒甕を空にして行くおまえ達を見守った。はじめは視線を合わせないまま、しかし酒甕が十三を超える頃には、些細な諍いと小突きあいが始まり。
     呂律の回らない舌で罵倒しては、互いの頬をつねり、どちらがより痛むかを主張し合った。

    「痛いぞ、じゃんちょん……」
    「おれだって、痛い、すごく痛い……」
    「師姉、たすけて、じゃんちょんがいじめる」
    「ふざけるな、おれの姉上だぞ、おれを先にたすけるにきまってる……」

     痛みのせいか、他の理由によるものか。最初におまえがわっと泣き出し、ついには江晩吟まで、子供のように泣き出した。しきりに江殿を呼びながら、濡れた顔を叩き合うおまえ達を、わたしはただ見ていた。

     亡くなった江元宗主、虞夫人、そして誰より――江厭離殿が喜び、目を潤ませ礼を執っているような気がして。暮れゆく空に向かい、わたしも深く拱手をした。

     彼らは、私にとっても恩人だ。おまえの命を救い、健やかな心を育て、立派な公子に導いてくれた。かつて「江家に拾われなければ、俺は薛洋と変わらなかっただろう」と呟いた、おまえの横顔が忘れられない。

     魏嬰。
     明日もう一度、祠堂へ参ろう。
     そして共に、姑蘇へ帰ろう――蓮の実の月餅を、たくさん買って。




    (つづく)

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