🎩🟩SS書きかけその言葉がキューにとってどれほどの救いとなったのか、彼には知る由もない。
*
店を開けようと外に出ると、見知った人影が店の前を行ったり来たりしていた。緑色の立方体の顔をもつ彼はこの世界では異形と呼ばれる。いつものスーツに身を包み、何か考えごとをしているのか落ち着かない様子だ。珍しくいつも連れている少女の姿がない。
彼が一人で街に来ることは珍しくないが、飲食をしない彼が一人で店に来ることはまず考えられない。
「キューさん」
私がいることに気付かなかったようで、背中がぎくりと動いた。驚かせてしまっただろうか。
「ああ、エイジさんでしたか。こんにちは。いえ、もうこんばんはの時間でしょうか」
どうしましたか、と聞こうとしてやめた。聞いたところで、いつものように平然と躱されるに決まっている。
「邪魔をしてしまってすみません。また今度、アセリカさんと一緒に伺いますね」
「待ってください」足早にその場を去ろうとする彼をなんとか引き止める。なにか隠したいことがあるときほど饒舌になる傾向があるのは、彼との長い付き合いの中で分かってきたことの一つだ。
「お店、開けてすぐはいつも暇なんです。良ければ話し相手になっていただけませんか」
もちろんお時間があればですがと添えつつ、それとなく鎌をかける。断られる可能性は充分あるなと思ったが、「では、お言葉に甘えて」と彼にしては力のない返事がかえってきた。これは本当に参っているようだ。
彼を店内へ招き入れ、カウンター席を勧める。
「何も注文できずに申し訳ない」
「それは言わない約束ですよ。言ったじゃないですか。話をするだけでもいつでも来てくれって」
彼のおかげで私に今の生活があるのだから、遠慮することなんてないのに。相変わらず律儀な人だ。
「最近、おもしろいお客さんが来ましてね」
後ろめたそうな彼に構わず、私は世間話をした。こういう仕事をしていると話のネタには事欠かない。
「」
「アセリカさんはお元気ですか」
一瞬、彼の体がかたまった。やはり何かあったらしい。あそこまで彼を思い悩ませることといえば、あの子のことしか考えられない。
「……実は、アセリカさんと喧嘩をしてしまいまして」お恥ずかしながらと彼は苦笑した。異形と呼ばれる彼に口はないし目もひとつしかないが、意外と表情は豊かだ。
「貴方でもそんなことがあるんですね」
長く息を吐く音がした。手の甲で頭を支えるようにして俯いている。
「エイジさんは私を買い被りすぎです。だって、どうしてアセリカさんをそこまで傷つけてしまったのか、分からないのですから」
あの子を傷つけることを彼が進んでするはずがない。
彼が元いた世界では、異形は恐れられていたという話は聞いた。それ以上のことは詳しく知らないが、大変な思いをしてきただろうことは想像にかたくない。前にあの子が、元の世界の人はみな青髪に金の目をもつと教えてくれた。神様が与えてくれたのだと。
――それはつまり、そうではない異形は人ではないということだ。
もちろん、この世界にそんな差別は存在しない。それでも長く身を置いた環境が考え方に与える影響は大きい。口にしないだけで、彼が「自分は人間ではない」と考えている可能性は充分ある。
「いいえ、買い被りではありませんよ。誰にでもそういうことはあります」
彼からそんな言葉が漏れることを私は恐れていた。杞憂であればそれに越したことはないけれど。
「よければ、何があったか教えてくださいませんか」
彼はしばらく黙っていた。話すのを拒否しているのではなく、何をどこまで話すか慎重に考えているようだった。
「……エイジさんは、隠し事をされるのは嫌いですか」
「そうですねえ。時と場合によりますが……どちらかというと、なぜ隠そうと思ったのかの方が気になりますかね」
そう答えて、何があったのか大体予想がついた。彼は一見穏やかだが、ことにあの子のためと判断したことについては手段を選ばなくなるところがある。
「お父様に会いたがっているアセリカさんにお父様の残したものを見せないようにするのは、やはりおかしなことでしょうか」
「私は……アセリカさんの願いを叶えたいと同時に、今この時も楽しく過ごしてもらいたいんです。悲しい思いをする時間なんて無いほうがいい。だから
「あの子は純粋だから、隠すということに悪意が直接結びついてしまうんでしょうね」
「貴方はどう思います?」
「きっと分かってもらえますよ」
「家を出るとき、エニシさんに喧嘩したところを見られてしまったんですよね。これは帰ったら何か言われそうだな……」
「はは、いいじゃないですか」
それに
「こう言うのは失礼だと分かっているのですが、正直ほっとしました」
「貴方のことをずっと完璧な人だと思っていましたから。そんな人間くさいところもあるんだなと」
彼は言われた言葉が何を意味するのか分からないというように、しばらく呆けて私を見ていた。