ふたりぼっちのクリスマスハイカラ地方から遥か西、ここ数年で急速に発展を遂げたバンカラ街は、天に届かんばかりの建築がひしめく混沌の二つ名をもつ。名前をよく聞くようになったのこそ最近だが、その歴史は他のどこよりも古いという。
その街中にそびえるロビーのすぐ右手にクマサン商会の拠点がある。以前は路地の奥にひっそりと構えていたことを思うと出世したものだ。屋上から物々しく飛び立つヘリが震わせる空気を感じながら、壁の落書き(正確にはグラフィティというらしい)がとりかこむ階段を下りる。錆びついたドアを開け、独特の雰囲気の薄暗い室内に今日も変わらず足を踏み入れた。
「おつかれ」
不思議な喋る置物――クマサンと名乗るそれはクーラーボックスの上に変わらず鎮座していた。
「やあ、おつかれさま。来てくれて助かるよ……なんだか今日は、いつもよりバイトが少なくてね」
言われてみれば、今日が日曜日であることを割り引いてもアルバイターの姿が見えない。
「ああ、そういえば今日はクリスマス?らしいな。学校で誰かが話していた」
「クリスマス?聖誕祭のことかい?」
せいたんさい?とオウム返しに問うと、彼は自分の体をコトコトと揺らした。彼とは数年来の付き合いだが、未だにどういう仕組みになっているのかよく分からない。
「なんでも、大昔にはキリストという偉人の誕生を祝う風習があったとか」「いじん?」「偉業、すごいことを成し遂げた人物のことさ」
クマサンは何にでも――特にこの私たちが暮らす場所そのものや大昔の風習なんかについて詳しくて、いろいろなことを教えてくれる。その話を聞くのがクマサン商会に通う楽しみのひとつでもあった。
例えば、彼はなにかと海の教えをひきあいに出す。私は海に対してこれといった感情を抱いたことがない。抱いたことがないと気付いたのも、クマサンから話を聞くようになってからだ。私たちは水の中では姿を保てないし、水面はいつも濁っていて見ていて楽しいものでもない。だから彼がよほど海を気に入っているらしいのが、私には今ひとつピンときていなかった。
それを私の反応で察したのか、あるとき私たちの先祖はみな海からやってきたことを教えてくれたことがある。言うなれば地球上の全ての命を内包しているのが海なのだと語る彼の声は、いつになく深い愛のようなものを感じた。
「そのせいたんさい?と関係があるかは分からないが、家族や友人、恋人とパーティーを開いてごちそうを食べたりプレゼント交換をしたりするらしい。あと、子どもたちはいい子にしているとサンタさん?というのがプレゼントを届けに来てくれるのだそうだ」
「それは面白いね」
「クマサンは何か欲しいものはないのか?来てくれるかもしれないぞ、サンタさん」
揶揄うように言うと、彼はなにか考え込むように黙った。
「クマサン?」
「……ワタシのところにサンタは来ないよ。もうそんな歳ではないからね……それより、キミは何か欲しいものが?」
彼にしては突き放したような言い方にひっかかりを覚えたが、聞き返されてすぐにその曖昧な違和感もどこかへ飛んでいってしまった。
「私?私か?……あまり思いつかないな。欲しいものはいつもバイトでもらったおカネで買っているし――」
問われて初めて気付く。考えたこともなかった。
「……キミこそ、そんな大切な日にバイトに来ていいのかい? 誰かにそのパーティーとやらに誘われたりしていたのでは?」
「まさか。大勢と過ごすのは私には合わないからな」
自分自身が大勢の人と騒ぐのは苦手だが、そういった営みを傍から見守るのは嫌いではない。我ながらひねくれた性格だと呆れつつも、その一点においてクマサンと気が合うところがあるように(私の個人的なクマサンに対するイメージから)勝手に思っている。
「そうだ、ここでささやかなパーティーをひらくのはどうだ?クマサンが良ければだが……クリスマスの夜に少し商会を閉めても罰は当たらないんじゃないか?」
我ながらいい思い付きをしたのではないだろうか。
面食らったような間をおいて、彼はその身をカタンと鳴らした。
「もちろん、ワタシは構わないが……」
「あまり凝ったことは無理でも、真似事くらいなら私にもできる。簡単に飾りつけをして、美味しいものを買って……考えただけでワクワクしてきた!」
ものぐさかつ誰かと協力して何かをするのが得意ではない性質からこうしたことを考える経験は今までなかったが、存外楽しいものだと知った。誰かが文化祭は準備期間が一番楽しいと言っているのを聞いたことがあるが、今ならその気持ちが分からなくもない。
飾り付けに必要なものはクマサンの方で用意してくれるというので、街並みやお店の飾りを思い出しながらそれっぽいものを書き出していく。
「でもよかった。クマサン、なんというか……こういうフェスみたいなイベントを楽しむイメージがあまりなかったから」
「ワタシだって、催し物に浮かれることくらいあるとも」
フェスのときも変わらずバイトを募集しているクマサンは、それはそれでいつもと変わらない居場所を提供してくれているようで好きだったが、やはり親しく思う相手とは特別な時間も共有したい。
「そんな日にクマスロのオールランダムとは、期せずして相応しい編成だな」
笑いながら、試し撃ち場に備え付けられたブキの入ったボックスに目をやる。レアブキ枠のスロッシャーの支給はバンカラに移転してからは初めてで、新人アルバイターたちを戸惑わせているともっぱらの噂だ。弾があらゆる装甲を貫通する代わりに4回振るだけでインクがすっからかんになってしまう極端な性能なのだから無理もない。使い方が分かれば楽しいブキだが、何も考えずに連発できるブラスターなどと比べると好みは分かれるだろう。
あっというまに時間は過ぎ、バンカラ街を夜の帳が覆い始めた頃。食べ物を調達して再びクマサン商会に向かうと、玄関にはclosedの看板が立てかけられていた。ハイカラスクエアのクマサン商会で使っていたのと同じものだ。
中に入ると、既にクマサンが飾りつけを済ませてくれていた。動けない小さな体でどうやったのか謎だが、こういったことは初めてではないので今更驚かない。景品交換所にいる誰かに手伝ってもらったのかなと思いながら、買ってきたサンドイッチとフライドチキンをテーブルの上に出した。
「準備の時間があまりなかったから、クリスマスの飾りつけというには簡素になってしまったけれど……」
輪っかに繋がったカラフルな紙製の飾りがあちこちに吊るされ、ベルや木の実でできた緑のリースが入口側の壁にかけられている。いつものオレンジが基調の内装と照明に赤と緑の配色が加わるとなかなか面白いことになっていた。
「私もクリスマス料理というものが分からなくて、目についた美味しそうなものを適当に買ってきてしまった」
幸いにもパイプ椅子が二脚あったので、クーラーボックスの上にいるクマサンを持ってきて、私と向かい合わせになるように位置を調整した。
「あ、記念に写真を撮ってもいいか?もちろんどこかに載せたりはしない。二人だけの秘密だ」
「……それは、なかなか悪くない」
置物は表情を変えないが、相好を崩したのが声で分かった。いつも一定のトーンで話す彼はあまり感情表現をしないから、笑ってくれたんだなと思うとこちらも嬉しくなる。
写真撮影を終えると、そのままパーティーが始まった。できたての食事に手を伸ばしつつ、折角の機会なのでクマサンにいろいろなお話をせがんだ。さっきの生誕祭の話の続きから始まり、『賢者の贈り物』や『クリスマス・キャロル』といったクリスマスにまつわる物語などなど……お話の内容も面白かったし、こういった動機は不純かもしれないがクマサンを独り占めしているかのような感覚に浮き立ってしまったのも事実だ。おまけにプレゼント交換なんかもして、なんちゃっての――でも楽しい夜はあっという間に更けていった。
気付くと天井が目の前に、それもいつもより近くにあった。つい遅くまではしゃいでしまったのは覚えているが、それより後の記憶がない。よほど強烈な睡魔に襲われたと見える。
私は仮眠用と思しきうすっぺらい布団に寝かされていた。体を起こすといつものロッカーや試し撃ち場が見下ろす位置にある。物置と化したロフトだ。
(いつも下から見える様子だと寝るスペースもないくらい物が多かった気がするが……このためにわざわざ片付けてくれたのか? あ、片付けといえば――)
「おはよう……目が覚めたかな」
寝起きのぼんやりした頭で考えているうちに、下の方から声がした。
「起こしてくれればよかったのに」
「よく眠っているようだったからね……後片付けはこちらで済ませておいたから安心してほしい」
投げっぱなしにしてしまったのを詫びながらロフトから下りる。ここにもイクラ缶が雑多に積まれていたはずだが、別の場所に押しやったのかきれいになくなっていた。
既に元通りになった室内を見渡して、二人だけで過ごした時間を思い返す。
「……なんだか、夢みたいだったな」
それでも、それが夢なんかじゃないことを机の上に置かれたままのプレゼントたちが物語っていた。
*
あの夜、クマサンに促されて私はコンテナの中に隠されていたプレゼントを発見する。かわいらしいリボンのついた包みを開けると、両手で抱えるほどもある大きくて分厚い本が入っていた。
「それは図鑑といってね……まあ、説明するより見てもらった方が早い。開いてごらん」
そこには、私の知らない世界が広がっていた。一面に塗られた黒――といって語弊があれば限りなく黒に近い青と、数多に輝く星々。
「これが……クマサンが前に言っていた……」
シャケが最も多く押し寄せる時間帯で納品ノルマを達成したときに「海をも包む果てなき宇宙になろうとでもいうのかい」と言っていた、あの宇宙が。
ここではないところで作られたからなのか文字は読めないが、それでも想像もつかないくらい規模の大きなものを見せられていることを理解するには充分だった。
「ちょうどいい機会だ、少し外に出てみようか」
そのまま、私はクマサンをのせた本を抱えて屋上に出た。夜はすっかり更けて、ヘリが稼働していないこの場所は不自然なほどに静かだ。空を見上げると、きらきらと瞬く無数の星が確かにそこにあった。
首が痛くなっていることにも気付かずに、私は食い入るように夜空を眺めていた。この向こうにも世界が広がっているなんてまったく想像ができない。陸も空も海も、ずっと進みつづけるといつか行き止まりがあると言われた方がまだ納得できる気がする。
「じゃあ宇宙には、地球みたいな星?が他にも存在しているのか?」
「そうだとも言えるし、そうでないとも言える……遥か昔の生き物は地球に代わる新たな星を探したが、結局見つかることはなかった」
「クマサンも探しに宇宙に行ったことがあるのか?」
「……それはまた、おもしろいことを言うね」
「いや、まるで見てきたように詳しいから……何となくそう思っただけだ。私の勘違いだったらすまない」
宇宙に限った話ではない。なんでも知っているクマサンはとても頼もしくて、時にほんの少しだけ恐ろしくなる。もしかしたらクマサンにとっての海も同じなのかもしれないと、その時初めて思った。
*
バイトの募集を再開したその日、クマサン商会名物の喋る置物にいつの間にかぶかぶかのバラズシダッフルが掛けられていて、誰かのユーモアかそれとも善意のはやにえかとアルバイターたちの間で噂になるのはまた別のお話。