タイムカプセルは土の下「……ッうわ、びっくりした」
部屋に戻ったら、兄さんが床に落ちていた。
ぼくーーテオドルス・ヴァン・ゴッホは、ミステリーハウスの一件後……諸々あってまた、兄さんの霊基の一部として繋ぎなおされ、現界した。
兄さんのオマケの幻霊として正式にカルデアをうろつけるようになったものの、何もしていないというのも気が塞ぐので日中は主に資源の在庫管理やリスト化、帳簿付けなどを手伝っている。
兄さんからはワーカホリックなんじゃないですか?などと言われているが、やる事がないと落ち着かない性分なのだから仕方がない。
実際この手の事務作業は生前からの得意分野だし、まあ居候の幻霊の割には我ながら上手くやっている方だと思う。
…それはともかく。
「兄さん、何やってんの、風邪ひくよ」
ダンゴムシみたいに手足を丸めて小さくなった姿勢でリノリウムの床に転がって寝こけている兄さんをつまさきで軽くつつく。
「……んぇ、……てお……?」
「寝るならせめてベッドで寝てよね、ぼくのやつ使ってもいいから…」
「座標が低い位置にいる方が落ち着くんですよお…」
「なにそれ?ほらいいから、ちゃんと立って」
ぐずる兄さんの脇を抱えて半分引き摺りながら進路の手前側にあるぼくのベッドに放り込む。
壁際の方にある兄さんのベッドはマットレスの上の半分くらいが画材だの本だの、雑然とした道具で埋まっているため苦肉の策だ。
兄さんの今の身体は小柄な女の子ではあるけど、ぼくだって相応に非力な子供の姿だ。抱えて数歩の距離でも相当骨が折れるので、力仕事は勘弁してほしい。
兄さんはしばらくぼくの枕に顔を埋めて不満げにはゔはゔ文句みたいな鳴き声を上げていたが、ちゃっかりシーツに包まり込んでいる。本当に図々しいひとだ。
「兄さんさあ、なんで昔から石床とか地面とか変な場所でばっかり寝たがるのさ。不潔だし寒いし寝違えたら腕に良くないでしょ」
「ウフフ……正論すぎる意見……聞き苦しさのあまり左耳に幻肢痛を覚えそう…」
受け答えがはっきりしてきたのでもうだいぶ目覚めている筈なのに、寝ぼけたようなへなへなの呂律で返事をしてくる。
まともに取り合う気は無いらしい。
これ以上相手をしていても時間の無駄なのでわざと兄さんに聞こえるようにため息をつき、ベッドサイドから立ち上がる。
それに被せるように、兄さんが口を開いた。
「…時々、ですけど。…冷たくて、固くて、暗いところの方が、…ゴッホには相応しい場所だと思えるんです」
「暖かくてやわらかい、明るい世界の中にずっと居たくて仕方ないはずなのに、不思議ですよね」
「苦しいのに、…苦しんでいないと不安で仕方なくて」
「…それで自分を痛めつけて不幸の帳尻を合わせようってわけ?馬鹿言うなよ、そんなことしても何にもならないに決まってる。本当にあんたのしでかした事の帳尻を毎回合わせてやってきたのはぼくたちだろ」
「…あう、はい…仰る通りで…」
「自己中心的なの、死んだだけじゃなく変なつぎはぎにされてもなお変わらないの筋金入りにも程があるよ。もうちょっと周り見れるようになったら?卑屈にヘラヘラ顔色伺ってるだけじゃなくてさ」
「……ゔぅ、今日のテオ、いつもより辛辣じゃないですか?」
「兄さんを甘やかして碌な結果になった事が無いからね」
「……はう……」
すっかり打ちのめされたような声を最後に兄さんはいよいよシーツの全てを体に巻きつけ、謎の昆虫のサナギみたいな姿になっている。
いい気味だからしばらくそのまま大人しく落ち込んでいてほしい。
兄さんがまた寝付けるように部屋の電気を消して外に出る。
どうせ明日の朝起きる頃にはまた支離滅裂ではた迷惑で図太い兄さんに戻っているだろう。
あの人の躁鬱の波は発作のようなものだから、基本的に長くは続かない。
(…苦しんでいないと、不安になる、か)
そんな事よく言えたものだな、と思う。
いったいこれまで何人のひとがあんたの苦しみとやらのために心を砕いてきたと思ってるんだ。
どこまでも自分本位な言い分に怒りが込み上げてくる。
こんな事考えたくもないのに、何度も反芻した怒りの感情はするするとひとつの文章を脳裏に組み立てる。
気持ち悪い。腹立たしい。認めたくない。
余りにも馬鹿馬鹿しくて聖杯に願おうとも思えなかった欺瞞だけのフレーズ。
そう、ぼくはこんな事微塵も思っちゃいないんだから。
あんたに生きて幸せになってほしかった、だなんて。