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    ぱしぇりー

    @paxueli

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    ぱしぇりー

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    だいぶとっちらかってるシショコグ。2021年9月

     お前、俺の中身がすっかり分かっているのか。分からないふりをしているのか。お前、ほんとうに俺でいいのか。お前にはもっと幸せな、ひらけた道があるんじゃないのか。俺のところへ寄り道している場合ではないんじゃないのか。
     お前に聞いたところで、きっと曖昧な微笑が返ってくるだけなのだ。もう何年も前に約束をしたというのに、俺は今でもくだらない疑問ばかりを胸に留めている。


     俺はお前を愛してしまった自分を憎む。あの日お前に出会ってしまったことを、お前をここへ連れてきたことを、お前とこうして暮らし始めたことを……すべてをなかったことにしたいと思うほど、お前が愛おしくて可哀想だ。
     お前のことを思うなら、俺はお前との縁をぷつりと切ってしまえばよかったのだ。しかし俺にはできなかった。

     若いお前を満足させられるほど、俺には時間も熱も残っていなかった。それでもお前は俺と共に歩む道を選んだ。緩やかに下る坂を、俺という重荷を背負って歩く道を。

     お前はよく「幸せです」と言って泣く。日ごと弱っていく俺の手を握っては長い睫毛を伏せ、静かに涙を流すお前の顔はやはり美しいが、その瞳に落ちた影だけは、俺は苦手だ。お前をそんな瞳にさせる悪い男は俺なのだ。
     お前はいくつになっても若い。涙を流すその姿はまるで少女のようだ。お前は少女のままで、しかし俺はすっかり年老いた男だ。
     お前の艶やかな柄の着物を見るたびに、俺は少し若返った心地になる。お前には鮮やかで柄の大きな着物がよく似合う。お前には華がある。人形のようにその布へ身を包むお前がひとたび笑みを浮かべれば、着物の花が気の毒なほどだ。
     陽光も朧月も行燈の揺れる光も、すべてはお前を照らすためのものなのだ。お前を輝かせる反面、俺の彫りを深くするその光は、きっと俺に恨みがあるのだろう。
     お前が俺へ触れるとき、俺はひょいと現実へ引き戻される。お前の魚の鱗のような爪や肉付きの良い指が俺の手の稜線をなぞるたび、俺はその形をひしひしと感じて、逃げられなくなる。ぽかぽかと暖かいお前の手が氷を溶かすように滑る。水で覆われた氷粒を、お前は道理の分からぬ子供のように眺めるのか。

     お前と出会う前の人生が退屈だったわけではない。寧ろ充実していて、良い死に方ができただろう。
     お前は全てをひっくり返してしまった。俺はきっとお前と出会うためにこの歳まで独り身だったのだろう、と思わせるほど、お前は蠱惑的だった。
     俺は今、その先を知りながら生に縋り付いている。お前が無情に蹴り落としてくれればとさえ思う。お前がこちらを向く限り、俺は死に背を向けるしかないのだ。

     お前の先のことを思わないわけではない。遠かれ近かれ、お前の道にも終わりがあるはずだ。夫婦の契りを交わしても、同じ道は歩めないのだから。
     儚い約束である。俺はお前になら何でもくれてやりたいが、お前はそうではないかもしれない。俺はまだお前に見せていないお前のためのものをたくさん持っているが、不本意ながら、その全てを呈する前にお前の前を去るだろう。
     お前を一緒に連れて行けたら、俺は俺の中身をすっかりお前に見せてやれるのだが。無理なことは言わない。お前は笑ってくれるだろうか。

     お前のためと思ってしたことも、きっと俺のためになっているのだ。情けは人の為ならず、と同じ理屈で。俺はそれが悔しい。俺はお前に与えるだけ与えて、去ってしまいたかった。見返りなど、すこしも欲しくなかった。
     お前が俺に与えたものは、泡沫の幸せだった。蟹のあぶくだって、もう少し長生きだろう。お前が長いと言えば、俺達の水泡もきっと長続きするだろうが。

     俺の胸へ埋まった黒い影は、お前と出会う頃にはもう十分大きくなっていた。俺はそれを知られまいと努めたものだが、結局、お前にはその存在を知らせる運びとなった。
     お前は一度だって病気をしたことが無いようだったが、俺が口にせずとも、その影を察しているようだった。
     お前のお父さんが足を悪くして作業場に入れなくなったことを知っていたから、尚更、俺はお前にすべてを見透かされたような気持ちになって、焦りさえ感じた。お前がまるで年寄りの世話を運命付けられているようで、不憫でならない。お前のお父さんが一家を一心に背負ったお前を自由にしてやりたいと言っていたことを、お前はきっと知らないが、俺はお前に翼を与えたつもりでまた重荷を背負わせたようで、お父さんにもお前にも申し訳が立たない。

     お前は忙しくするのが好きなのだとばかり思っていたのだが、そういう訳ではないらしく、辺境の緩やかな時の流れにもよく馴染んだ。外へ出ればお前は異邦人だが、終の住処と言うには大袈裟で、愛の巣と言うには味気ない十二畳の中では、お前だけが見知った顔だった。
     お前が胸を張って外を歩けるようにしてやりたいと俺が思わずとも、お前は肩身の狭い思いもせずに悠々と歩くだろう。俺の脳にへばりついた古の価値観というのが蟠りを残して、幸せの邪魔をする。お前との一秒一秒が惜しいというのに。


     さて、俺はお前が帰ってくる前に、この殴り書きを火へくべてしまうほうが良いだろう。お前は何も知らない顔をして、隅々まで調べ上げてしまいそうだから。畢竟、こんなものを読まずとも、お前はすべてわかっているのかもしれないが。
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