『その背中を守れるように』「炎の呼吸、壱ノ型…不知火っ!」
「星の呼吸、参ノ型っ!乱式……流星群っ!!」
背中を預けあい、杏寿郎と猗窩座は鬼が生み出した大きな虎のような獣を蹴散らしていく。
次々と生み出される獣たち。鬼の血鬼術で描いた獣が実体化するものだった。
一つ一つは強くはないが、何如せん数が多い。
このままでは埒があかないと
「杏寿郎、探す」
「わかった、こっちは任せろ」
猗窩座の言葉の意図を直ぐに理解した杏寿郎は猗窩座を背中に守るように立ち
「星の呼吸、壱ノ型」
「炎の呼吸、肆ノ型」
猗窩座が型を繰り出すのに合わせるように己も構えていく。
「羅針っ!」
「盛炎のうねりっ!」
杏寿郎を中心に炎が舞い踊り大小様々な獣を蹴散らす中、猗窩座の体に雪の結晶のような星の煌めきのような羅針盤が現れて鬼の方を指し示す。
「北西……、チッ、逃げてやがるっ!
追うぞっ!杏寿郎っ!!」
「おうっ!」
猗窩座の身体は青く光ったまま、呼吸を維持し鬼のところへと真っ直ぐ駆けていく。
その間、彼をサポートするのが杏寿郎の仕事だ。
使い魔のような獣を薙ぎ倒し、猗窩座の集中が途切れないように守る。
そして森の奥にとうとうその鬼を追い詰めた。
「しつこい奴らだなっ!」
角一つの痩躯な鬼は杏寿郎たちに叫んだ。
実力の差を感じているのだろうか。
その鬼が動揺しているのがわかる。
「その頸貰い受ける」
杏寿郎が刀を構えると、隣の猗窩座も素流から生み出した己の型を構えた。
「あの村の子どもたちの仇、取らせてもらおうかっ!」
そう言うや否や猗窩座の蹴りが鬼へと減り込み、
即座に右拳が鬼の腹部を強打した。
よろめいた先にいたのは
「炎ノ呼吸、弐ノ型 昇り炎天っ!!」
杏寿郎の赤く強い炎が鬼の首をバサリと斬り落とした。
「ぎゃぁあああーーーーーっ!」
文字通り断末魔のような声をあげ、鬼は消滅していく。
猗窩座は首や肩を解すように動かしながら
「終わったな、杏寿郎」
と話しかけようとした。
だが、それは音にはならず猗窩座は全力で走り出した。
「あか……ざ?」
技を出し終わった後、心地よい疲労感も感じていた杏寿郎は猗窩座の気配が変わったとそちらをみた瞬間背中にドンっ!という衝撃を受けた。
「っ!!」
振り返るとそこには先ほどまでとは比にならない獣の姿があった。
大きなツキノワグマのようなその獣は熊よりも大きく鋭い爪を杏寿郎に向かって振り下ろしていたのを、
ギリギリのところで猗窩座の両腕が受け止めていた。
受けた衝撃は猗窩座が杏寿郎を庇うために突き飛ばしたものだったのだ。
猗窩座の両腕は日輪刀と同じ性質の籠手が装着されている。それで受け止めたのだが、猗窩座はそれが精一杯で反撃が出来ないでいた。
杏寿郎は直ぐに
「すまんっ!」
と謝ると日輪刀でその獣に斬りかかった。
杏寿郎からの斬撃を避けるために動いた獣に対し、猗窩座の左足に仕込んだ暗器タイプの日輪刀の刃が出現し
「星の呼吸 伍ノ型 流閃群光っ!」
蒼い炎のような煌めきを放ちながら獣の腹部へ蹴り込んだ。
鬼が最期に生み出したのだろう、
巨大な獣が叫びと共に消え、辺りに静寂が訪れる。
「すまない、猗窩座。
大丈夫か?」
「問題ない、でもどうしたんだ?
杏寿郎らしくない。
今日は集中が乱れていたぞ」
「……そう、だな。
柱として不甲斐ない」
少し俯く杏寿郎に猗窩座は眉を寄せた。
その様子に猗窩座は密かにため息を付いた。
……本当は、わかっていた。
今朝も酷く荒れていたのだ。
杏寿郎の父親である、元炎柱 煉獄 槇寿郎が。
……杏寿郎の母であり、槇寿郎の妻である瑠火の命日が明日に迫っていたからか、いつも以上に酒の入った状態で、杏寿郎にも酷い言葉を投げつけていた。
『お前などが柱になっても仕方がない』
『お前が柱になれたのもこの家に生まれたからだ。
ただそれだけだっ!
弱いお前が何をどう努力しても無駄だ、無駄っ!』
『才能がない者が柱となっても死人を増やすだけだっ!』
涙を滲ませている千寿郎が止めなければ殴りかかっていた、むしろ殴り倒したかったと猗窩座は今でも思っていた。
(二人の父親だろうと、元炎柱だろうとも知ったことか!二人の努力を認めん奴など目が覚めるまでぶん殴ってやる)
だが今は
(どうしたら、お前を慰めてやれるのだろうか)
猗窩座の頭はそのことで占められていた。
自分には狛治がいた。
そして師範や恋雪がいた。
杏寿郎にとっては弟である千寿郎が心の支えなのは間違いないが、同時に守りたい存在であり心配をかけたくない相手だから……
(……杏寿郎……、継子の俺ではその権利さえないのかもしれないが……。
あの日俺を助けて導いてくれたお前を俺も守りたいと、支えになりたいと思っているんだ)
その思いのままに、未だ俯いたままの杏寿郎に
「杏寿郎…」
小さく呼びかけながら近づくと、猗窩座は自分よりも少し背の高い杏寿郎をそっと抱きしめて、頭を優しく撫でた。
狛治や師範にしてもらったように。
大丈夫、そばにいるという思いを込めて。
「杏寿郎は、誰よりも鍛錬をし実戦を積んで強くなってきた男だ。
正直、柱がどうとか未だに俺はよくわからん。
わかるのはお前がとても努力をし強くなってきたということだけだ」
「猗窩座……」
「だけどな、お前だって人間だ。
辛かったら辛いと言え。
しんどかったらしんどいと言え。
寂しいなら寂しいと言え。
皆が許さなくても俺が許す。
杏寿郎、お前は頑張りすぎなほど頑張っている。
だから……泣いてもいいんだ」
猗窩座の言葉に杏寿郎の体はびくっと震えた。
抱きしめていた体に力が入ったと、猗窩座が思った瞬間に逆に抱きしめられていた。
いや……縋りつかれていた。
背中には杏寿郎の大きな手を感じ、己の肩に埋めるようにしている獅子のような髪が見える。
そして……
微かに漏れて聞こえるのは、涙声。
猗窩座はトントンと優しく背中を叩いた。
全てをありのまま受け止めると伝えるように。
(今だけは、炎柱でなくていい。
ただの杏寿郎でいいんだ)
そう思いながら猗窩座はこの男の力になりたいと改めて思い、そして誓った。
(俺は杏寿郎の強く大きな背中を守れる男となる。
それが柱だと言うならば柱だろうともなってやる)
鍛錬を積み重ね、杏寿郎を支える男となるのだと。
「……ありがとう、猗窩座」
どれくらい刻が流れたのだろうか。
本当はほんの少しの時間だったのかもしれない。
目の周囲を僅かに赤く染めた杏寿郎は顔を上げて、少し照れ臭そうに微笑みながら礼を言うと、
そのまま猗窩座の頰に手を当ててそっと反対側の頬に口付けた。
「っ!?」
目を閉じることもできずパチパチと瞬かせた猗窩座に杏寿郎は
「猗窩座が側にいてくれたら、俺は俺のまま頑張れる。頼む、俺から離れないでくれ」
と希った。
先程の頬で感じた唇の温もりに、今の杏寿郎からの言葉に、感情を思い切り揺さぶられた猗窩座はぼんっと音がしたかのように顔を真っ赤に染めて
「し、仕方ないからお前の隣にいてやる」
と返すのが、精一杯だった。
心臓が、実は二人とも同じくらい早鐘を打っていたことには、残念ながらお互いに気づくことはなかった。
【了】