雨宿り突然の雨だった。
灰色の厚い雲が太陽を飲み込むかのように光を遮り、暗くなったと思うと大粒の雨が降りだした。
露店の店主達は慌てて品物に蓋や布を被せ、通りを歩いていた人々は付近の軒下へと慌てて逃げ込んでいく。
大通りを歩いていた青年も周囲の人に釣られ走り、付近の軒下へと滑り込んだ。
すでに何人か雨宿りをしていたが、すみません、と呟きながら人と人の隙間に捻りこむ。
腕の力を解き、胸に抱えていた厚みのある書物をぱらぱらとめくり雨粒は落ちていないか、文字は滲んでいないか、丹念に調べる。
幸い表紙の端が濡れただけで中は無事のようだ。
青年は自身の袖で濡れた箇所をそっと撫でると、安堵の息を吐いた。
隣にいた女が柔らかな微笑みを浮かべ青年に声をかける。
「すまないが、少し話をしても良いだろうか」
青年よりも上背があり、体格も良い。
身なりも良さそうだし、身分のある人だろうか。
もしかしたら青年が無理矢理入った事で、着ている高級そうな男物の袍を汚してしまったのだろうか。
「……なんでしょうか……?」
警戒心のある青年の返答に、女は苦笑する。
「貴方の持っているその書物から天馬の挿絵が目に入った。その書物は天馬に関する内容が書かれているのだろうか」
青年が手にしている書物を指す女の薬指には指輪が光る。
「……天馬……というか、騎獣全般が書かれています……」
様々な騎獣の生態やならし方が細かく記されている書物。
手持ちの金では手が届かない程の値だったがどうしても欲しくて、店主に何度も頼み込んで購入を待ってもらっていた。
こつこつと貯めた金を握りしめ、念願の書物を購入できた帰り道だった。
「私は以前、天馬を連れていたから懐かしく思ってね」
「天馬を⁈」
青年は頁を開き天馬の挿絵を女に見せると、女は嬉しそうに目を細め懐かしいな、と呟いた。
「あの……俺、騎獣が好きで、騎獣の勉強していて、今は騎商の親方の所で修行中なんです。いろいろ教えてもらえませんか?」
頬を染め勢いよく話す青年に、女は微笑する。
「私がわかる範囲でよければだが」
女は軍属についていると言っていたからか、天馬以外の騎獣に関しても知識は深かった。
青年の止まらない質問に、女は的確に丁寧に説明してくれる。
程なく雨が上がり、雲の間から光が差し始め、軒下にいた人達はそれぞれ行きたい方へと足を向ける。
それでも女と青年の会話と書物をめくる指は止まらない。
ふと、女が顔を上げたのに釣られ、青年も通りに顔を向けた時、青年は小さく歓声を上げた。
1頭でも高級な騶虞を、白と黒の2頭を1人の男が連れこちらに向かっている。
「ここにいたか」
男は女に笑いかけ、女はすまなそうに苦笑する。
「申し訳ありません。ここで雨宿りをしておりました」
黒い騶虞が女に鼻先を向ける仕草に、女は優しく毛並みを撫でる。
騶虞の長い尾の先に光る七色は、雨上がりの陽を浴びて輝きを増している。
「今は騶虞をお持ちなのですか?」
眩しさにくらくらするのを堪えるように、青年は書物を力強く握る。
女はまさか、とあっけらかんと笑った。
「さるお方からお借りしている。私は地方や他国に行く事が多くからな。いつかは自分もとは思うが。騶虞の接し方は、わかるな」
青年はこくりと頷き、生唾を飲み込んだ。
容易に近づいてはならない。
そう言い聞かせながら、2頭の騶虞を好奇心いっぱいに見つめる。
女は騎商の修行中だそうですよ、と説明すると男は興味深そうにほう、と頷いた。
黒の騶虞の手綱を女に渡す左の薬指には女と同じ指輪が光る。
それでは、と去ろうとした男と女に、青年は慌てる。
「あ、あ、あの、お二人はこのままお帰りでしょうか。もしお邪魔でなければ飛び立つ姿をお見せできませんでしょうか」
騎商の親方の所にいてもこんなに間近で色違いの騶虞を見ることはない。
できるだけ長く見ていたかった。
女は男に目線をおくると、男は笑って頷く。
「通りの裏までなら良いだろう」
「ありがとうございます!!!」
青年は騶虞との距離を取りつつ男とも騎獣の話で盛り上がる。
書物ではわからないような 騎獣の細かな特徴は青年にとって驚く事ばかりだ。
青年が何故こんなにも詳しいのかと問えば、2人は武人で 騎獣を扱っている。宮城内には沢山の騎獣がいるのだと教えてくれた。
白と黒の2頭の騶虞の寝ぐらもそこ
にあるのだとも。
ひと通りのない場所まで行くのは時間が短すぎたが、青年は2人に頭を下げて礼を言う。
「一人前の騎商になりたいと思っていますが、いつか一度で良いから王様のお住まいの獣舎を覗いてみたいって思いました」
夢のまた夢ですけど、と笑う青年に男と女はとんでもない、と首を横に振る。
「こちらこそ楽しい時間を過ごさせてもらった」
「いつか白圭宮で会おう」
2人は騶虞に跨り手綱を引く。
さっそうと飛翔する姿を、青年はいつまでも見つめていた。