涼しくて暑いバス車内に降りる停留所の名前が響くと、蒿里は軽く肩を揺さぶられた。
いつの間に寝てしまったのだろう。
頭がぼんやりとしている耳元で正頼がもうすぐ着きますよ、と優しく囁いた。
バスから降りると夕方に差し掛かる時間の日差しは強く、思わず目を細める。
柔らかく吹く生ぬるい風と蝉の声。
まだスッキリと目覚めていない体は少し重い。
蒿里が驍宗と住んでいるマンションまでの数分の距離が長く感じる。
「暑いね」
「クーラーの効いたバスの中とは雲泥の差ですね」
「驍宗さん達、帰って来たかなぁ」
数日前、3人でドライブに行こうという話が上がったが、蒿里は正頼と動物園に行きたいからと断った。
驍宗と李斎は知り合う以前から大型バイクのツーリングを趣味とし、バイクの性能、走りたい場所の話など、ビール片手に楽しそうに語り合っているのを、蒿里は知っている。
始めは渋っていた驍宗と李斎だったが今朝、バイクに跨り颯爽と走り去った姿は心が弾んでいるように見え、蒿里は大きく手を振ふり見送った。
「駐輪場の方から回って入りましょうか」
正頼の提案に、蒿里は頷いた。
マンションの裏手へぐるりと回り駐車場へと向かう。
駐車場の隅に設置されている駐輪場には2人の人影が見えた。
もしかして、と期待に胸を膨らませると自然と足が速くなる。
「蒿里」
誰かとわかるまで近づくと、蒿里に気づいたのは李斎の方だった。
「おかえりなさい」
「動物園楽しかった?」
「はい。2人はどこに行って来たんですか?」
「◯◯高原に。高速に乗って2時間くらいの場所でこっちより涼しかった」
李斎がバイクに取り付けているスマホに手を伸ばす。
その動作につられ、蒿里の体がバイクに近づいた時。
「蒿里」
驍宗の低い声に振り返る。
「バイクは止めたばかりでまだ熱がある。危ないから下がりなさい」
「ごめんなさい」
蒿里は慌ててバイクから離れ正頼の手をぎゅっと握る。
「火傷するかもしれませんからね。バイクのバランスが崩れて倒れてくる可能性もありますから」
「はい」
熊や虎のように大きな驍宗のバイクは全身真っ黒で、足元のシルバーの筒がキラキラに輝いている。
(マフラーというらしい)
李斎のバイクは大型とはいえ驍宗のバイクよりは小さめ。
車体の白色と黒色のコントラストが、李斎の優しさとさっぱりとした性格を現れているように見える。
2人が着ているレザージャケットも、驍宗が履いているゴツゴツとしたシューズも、李斎が履いてるデニムと黒のブーツも、背の高い2人によく似合う。
「……僕も大人になったら乗っても良いですか?」
大人達は一瞬きょとんとしたが、バイクに?と聞き返した驍宗に蒿里 は頷いた。
「驍宗さんと李斎さん、すごくかっこいいなぁって思って」
大人になったら2人のようにジャケットを着てゴツゴツの靴を履いて大きなバイクに跨る。
自転車よりもずっとずっと速く風を切ってどこまでも走り抜ける。
それはどんなに楽しいのだろう。
「自動二輪は16。大型自動二輪は18で免許が取れる。その時、3人でツーリングだ。蒿里が18になるのが楽しみだな」
蒿里の頭を優しく撫でながら、驍宗は破顔した。
夏休みも終盤に差し掛かった頃、驍宗は今日は3人でドライブに行こうと提案した。
ここ数日、驍宗は李斎と何度か出かけているようだったが、蒿里 もプールやキャンプイベントで驍宗達と過ごす時間は少なかった。
蒿里は喜んで水筒の中に麦茶を入れ、キッチンの戸棚を開けおやつを選ぶ。
ハンカチやキッズスマホをリュックに詰めて玄関に向かうと、首を傾げた。
驍宗はバイクに乗っていた時のゴツゴツとした靴を履き、レザージャケットを手にしている。
3人で出かけると言っていたが、李斎さんとツーリングに行くのだろうか。
「さあ、行こう」
微笑む驍宗とエレベーターを降り、正面エントランスとは反対側の扉を開け駐車場へと出た。
驍宗の車へ足を向けた時、驍宗は蒿里を呼び止める。
「今日はそっちではない。こっちだ」
指さす方にある駐輪場では李斎が手を振っていた。
やはり彼女もバイクに乗る時の格好をし、隣には初めて見るバイクが佇む。
驍宗のバイクとは違う、白色を基調とした小型で、左隣には小舟のような形をした車が取り付けられていた。
オープンカーのように屋根はなく、座席と前ガラスだけ。
「これ…」
目をぱちぱちする蒿里に、李斎は微笑む。
「サイドカーって言ってね、バイクと座席が繋がっているタイプのもの。今日、蒿里が乗る場所」
李斎の隣で驍宗がにんまりと笑う。
「これなら僕もバイクに乗れるんですか?」
勿論、と頷くと蒿里の頬は赤みを増し満面の笑みを浮かべた。
バイクの周りをくるくる回る蒿里に、驍宗と李斎は微笑み合う。
蒿里がバイクに乗ってみたいと言った日の夜、驍宗は蒿里とツーリングができないかと李斎に話を持ちかけた。
タンデムにするのかサイドカーにするか話し合い、サイドカーをレンタルし、操縦の練習もした。
出かける先のコースもどこが良いかと何ヶ所か候補を上げ2人で決めたのだった。
「まだ乗ってもいないのに、ここまで喜んでくれるとは」
「準備をした甲斐があるというものですね」
李斎は蒿里に子供用のバイクジャケットを着せる。
「ネットで買ったからサイズが少し大きいけど、これからも使うなら大丈夫かな」
「ちょっと暑いですね」
袖をまくろうとしたが、驍宗に止められた。
「今は止まっているから暑いが、走れば涼しい」
よくわかりません、と首を傾げる蒿里に李斎は苦笑する。
「直接風を受けるから、走っている時は涼しいくらい。でも信号待ちで止まっている時は日があたって暑いって事」
暑くて涼しいって不思議です、と呟いてから蒿里は頷いた。
ヘルメットを被せ、インカムを取り付ける。
キツくないかと聞き、大丈夫ですと答える蒿里のワクワク感いっぱいの瞳に、初めてバイク乗った時の自分を思い出し、李斎は笑った。
「さあ、行くぞ」
蒿里を座らせると驍宗はヘルメットを装着し、エンジンをかける。
低くリズミカルな音を立て、バイクは走る準備を始める。
後方で愛車に跨る李斎から走行準備ができたとインカムから聞こえた。
すべりだし滑らかに、バイクは徐々にスピードを上げていく。
頬に当たる風は強くなり、まるで空を飛んでいるよう。
思わず歓声を上げた蒿里の声が、インカムを通して驍宗と李斎に届く。
夏の日差しのように輝く笑顔の蒿里を乗せ、2台のバイクは力強い音を鳴らし爽快に駆け抜けていった。