後日、延王が丁寧に教えてくれたことある小春日和の午後、驍宗と李斎はお忍びで鴻基へと降りて行った。
泰麒も誘われたが、丁重にお断りした。
社交辞令ではなくごく自然に誘ってくれたのはとても嬉しい事ではあるが、多忙な2人の貴重なデートである。
2人を見守り隊の1人である自分が邪魔するわけにはいかないのだ。
笑顔で2人を送り出してから数刻後、耶利は泰麒の後ろから声をかけた。
「台輔、主上と劉将軍があちらに。戻られたようですよ」
「王気が近くなったのでそうかとは思いま…し…」
耶利の目線を追った泰麒は皆まで言わず固まった。
回廊の真ん中で動かなくなった泰麒を不思議に思い顔を覗くと赤くなったかと思うと青くなり、汗までかき始めた。
「台輔?」
穢れにでも当たったのかと思ったが泰麒の視線の先は庭を歩く驍宗と李斎。
白圭宮内で2人の仲を知らない者はほぼおらず、寄り添って歩く姿はここ十年以上見慣れた光景ではある。
ただ、今日はいつも以上に密着度が高く歩みもゆっくりだ。
驍宗は李斎の右側から彼女の腰に手を回し支えている。
李斎は出発時には着ていなかった大きめの外套を羽織り腹部を押さえていた。
その腹部は外見でわかる程膨らんでいる。
耶利がどういう事かと聞く前に泰麒は2人を目指して走って行った。
「り、り、りさい〜〜〜」
遠くから聞こえる泰麒の声に2人の足は止まる。
「台輔、いかがなさいました」
珍しく慌てる泰麒に李斎は眉をひそめ緊張感を高める。
小走りで泰麒の側に行こうとするのを驍宗が止めた。
「李斎、1人の体ではないのだ。今は慎重に動かねばならん。」
「は、申し訳ありません」
李斎の膨らんでいる腹部に驍宗が手を添える。
「お、あ、お腹っ!!に……に、にん……ているのですか⁈」
妊娠しているのかと言った筈だったが、驍宗と李斎には蓬莱語である『妊娠』が聞き取れず首を傾げる。
赤ん坊が木に宿るこの世界で女の腹から命が誕生する事はない。
それはこちらの常識であり蓬莱よりも長い時間を過ごしている泰麒も受け入れている。
だからこそ李斎のいかにも妊婦の姿に驚いたのだ。
送り出した時はいつもと変わらなかった筈だ。
それとも自分が気が付かなかっただけなのか。
「蒿里、どうした」
「あ、あ、赤ちゃん……その…そこに…」
李斎の膨らみのある腹を指さすと2人は今度はすまなそうに顔を見合わせる。
「やはりわかってしまうか」
「台輔に隠し事はできませんね」
泰麒の頭の中での言葉の整理がつかない。
いやいやお2人共、この姿に気づかないわけはありませんよ。どれだけ天然ですか。
李斎だって願えば赤ちゃんのひとりやふたり授けてくれる可能性はなくはないですし、お相手だってすぐ横にいるわけだし。
でも驍宗様は王ですよ。
王は子が望めませんよ。驍宗様でないなら相手は誰ですか?
時間をかけて周りを散々巻き込んでやっと振り向いてくれた李斎が他の人の子を宿すなんて驍宗様が冷静でいられる筈がありません!
というかどうやって妊娠したんですか?
いやいやいや、思春期まで蓬莱にいたんです。僕だってある程度は知っています。
知っていますけど、命が宿る方法はこちらとあちらとでは違うわけで、僕が知りたいのはえ〜と、え〜〜とぉ……。
「よくわからんが落ち着け。状態を確認した上で見せるつもりだったのだ」
驍宗の大きな手が混乱し頭を抱える泰麒の肩を軽く叩く。
「……?状態?見せる?」
涙目になったまま泰麒は李斎を見ると彼女は大きく頷いた。
「はい。ですがこれだけ近くにおられてもお体に差し障りがないのでしたら大丈夫でしょう」
李斎が身体を小さくゆすると外套の合わせからひょっこりと小さな黒い鼻先が現れた。
「えっ……」
驍宗がそっと合わせを広げると、1匹の犬の赤ちゃん、つまり子犬が不安げな顔をしてこちらを見ていた。
子犬とはいえ李斎の片腕にぎりぎり収まり、成犬になればさぞかし立派な大型犬になるだろうと思わせるほど足は太く、耳の先はぺたりと折れているのが子犬の可愛らしさを引き立てていた。
頭は黒く胴は白い毛で覆われた姿はかつて李斎の愛騎を思い起こしたが、この子犬には羽根がなかった。
「川で溺れていたのを子供達に拾われいじめられていました。」
「助けたのは良いがそのままにするわけにもいかず連れて帰る事にした。出血はしていなかったが見た目ではわからない怪我をしていたら蒿里の体に障る。子犬の無事を確認してから会わせるつもりだったのだ」
止めに入った際に発した驍宗の低い声が子供達だけではなく子犬まで震え上がらせたのが原因だろう。
子犬は驍宗が抱き上げようとすると暴れ、李斎が抱っこするとすがるように体を寄せてきた。
真っ黒な瞳を潤ませきゅうきゅう、と可愛らしく泣く子犬に李斎の心はきゅんと鳴った。
手ぬぐいで震える体を拭いてやり、近くの古着屋で購入した大きめの外套で李斎ごと包むと子犬は安心したのか李斎の腹に埋もれ大人しくなった。
「……そういう事でしたか。私はてっきり李斎のお腹に赤ちゃんがいるのかと思い驚きました」
胸を撫で下ろす泰麒に2人は笑う。
「蓬莱では里木はないのでしたね。女の腹に宿るのだとか。」
「ええ。里木がないので刺繍を刺して帯を結ぶ事もありません」
「ならどうやって天に祈りが届くのだろうか」
「………はい?」
あ、この先まずい展開になりそうだと泰麒の心が再びざわめき始める。
「祈る対象物がなく婚姻だけで宿るものなのだろうか。蓬莱では他に儀式的な事はしないのか」
「赤ちゃんができる儀式……」
「台輔はご覧になった事はございますか?」
泰麒は顔を赤くなったかと思うと青くなり汗をかき始める。
そ、それを僕に説明しろというのですか?
見た事なんてありませんよ!
あなた方の方が詳しいかと思いますが。
いやいやいやいやいやいや、そうではなくて。
コウノトリが運んでくるとか、キャベツ畑からの話にすれば信じてくれそう……。
いや、どんな小さな事でもこの2人に対して嘘をつく事はできない‼︎‼︎
でも真実は言いにくい‼︎‼︎
ああ、お2人とも物事を純粋に知りたいだけですっていうようなキラキラした瞳でこちらを見ないで下さい〜〜!!!
「……………え……延王にお聞きください」
それが、泰麒の精一杯の答えだった。