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    お屋敷のお風呂を借りたら家主とバッティングするディル空

    まんまと食われる五秒前アカツキワイナリーの近くでスライムが巣を作った。畑を荒らされて困っている。退治してほしい。
    そんな内容の任務を冒険者協会のキャサリンから提示され、空はすぐさま快諾した。
    早速アカツキワイナリーに赴きスライムを難なく追い払うと、その様子を見物していたアデリンがにっこりと笑いながら声をかけてきた。

    「ついでにお屋敷の煙突掃除もお願いできませんか?」
    「ついでに……」
    「ええ、ついでに」

    アデリンが語尾を強調しながら言う。風元素を使えるあなたなら、それくらいの雑用はすぐに終わるでしょう――?
    彼女の全身から発せられる無言の圧に空は負けた。

    「パイモンはどうする? どこかで遊んでる?」
    「おいらは子供じゃないぞ! でもそうだな! おまえと一緒にいても退屈そうだし、見逃したスライムがいないか調べてくるぜ」
    「じゃあ、あとで」
    「おう!」

    パイモンがふよふよと宙を飛んで離れていくのを見送り、空はラグヴィンド邸へと足を踏み入れた。

    (長居してればディルックに会えるかな……)

    ふとそんな考えが脳裏をよぎり、空はぶんぶんと首を横に振る。そんな不埒な下心を抱えながら仕事に当たるなど、言語道断だ。

    「任務に集中!」

    依頼された任務はきっちり完遂するのが冒険者というものだ。風元素を扱える空にとって、煙突掃除など造作もない。聞けばテイワットでは風元素を扱える人間だけが煙突掃除を生業とするらしい。

    「と言っても昔は制度も整っていませんでしたし、神の目の数は限られています。だから神の目を持たない男の子たちが師匠に弟子入りして働くことも多かったんです」
    「ふんふん、なるほど」

    アデリンの解説を聞きながら空は暖炉内に潜り込み、神経を研ぎ澄ます。体内で元素を練り上げ、大きな塊にして、空は手の平から勢いよく風元素を放った。

    「うわっ! ごほっ! げふっ! ごほっ!」

    その結果、煙突内に溜まっていた煤を一掃することができた。しかし空自身も煤にまみれ、ひどい恰好になってしまった。

    「あらあら! 大変! すぐにお湯を沸かしますね!」

    口元を覆っている防塵用の布を通過して煤が入り込んでくる。空が涙目になってむせていると、アデリンがパタパタと軽やかな足音を立ててどこかに走って行った。
    かと思えばバスローブを抱えて戻ってくる。

    「お願いを聞いてくださって、ありがとうございました。お湯を沸かしましたから、どうぞゆっくりおくつろぎください」
    「え、ちょっ! 勝手に入っていいの!?」

    湯に浸かる。とはつまり、この屋敷の主が日常的に使用しているお風呂に入るということで。この屋敷の主はディルックで……。そこまで考えて空はぼふん! と顏を真っ赤にした。

    「待って、アデリン! 近くの泉で洗ってくるから!」
    「いけません! 空様を煤まみれのままお返ししたら、私たちがディルック様からお叱りを受けてしまいます!」
    「わー! わー!」

    アデリンの力は思いのほか強く、そもそも女性を相手に本気で抵抗するわけにもいかない。問答無用で背中を押されて、空はバスルームまで連れて行かれた。
    バスルームの手前には談話室のような空間があり、ソファセットとテーブルが一揃い置かれていた。脱いだ服を置くためのクローゼットがあり、壁には横幅が1メートルはありそうな鏡がくっついている。
    談話室を抜けるとバスタブとシャワーがあった。床には白く滑らかな石が敷き詰められ、円形のバスタブは泳げそうなくらい広い。

    (ここでのんびりしたら絶対に気持ちいい……)

    ごくりと喉が鳴る。普段空に酷使されている体がお湯に浸かりたい! と喚く。

    「ちょ、ちょっとだけ入って、すぐに出よ」

    羞恥心と己の欲望を天秤にかけ、空は心の声に従うことを選んだ。
    まずシャワーを浴びて髪を洗い、石鹸で汚れた体をきれいにする。石鹸の泡で体をこすると面白いように煤が取れた。
    髪が湯舟に浸からないようにうなじの辺りでまとめ、空はちょん、と足の指を湯面につける。
    片足をゆっくりと伸ばして、足首、ふくらはぎ、膝頭と少しずつ湯に沈めていく。片足がバスタブの底に着き、待てなくなった空は全身を一気に浸からせた。

    「あ~~~~っ」

    あまりの気持ちよさに思わず声が出てしまう。温かな湯がじゅわじゅわと全身に染み渡り、強張っていた筋肉をほぐしていく。
    空が身動きする度に起きる波が体をやわらかく撫でて、張り詰めていた神経がゆるんでいく。空は目を閉じて大の字になった。体がぷかりと湯面に浮かび上がり、湯気がゆらゆらと立ち昇っていくのを肌で感じる。

    「ありがとう……アデリン……俺すごく幸せだ……」

    こんなに幸せなのはいつ以来だろうか。空が恍惚とした表情を浮かべてぬるま湯を堪能していると、不意に入り口のほうから声がした。

    「ん? そこにいるのは誰だ?」
    「っ!!! あ!? え!? がぶあっ!」

    いきなり人の声がしてパニックになった空は一瞬溺れかけた。しかしすぐに踏ん張り、勢いよく立ち上がる。ザバア! と飛沫の立つ音がして、額に張りついた前髪からぽたぽたとしずくが落ちた。

    「ディ、ディルックさん!?!?!?」
    「空……? どうして君がうちのバスルームに?」
    「あ、う……」

    空の一糸まとわぬ姿を真正面から直視したディルックが苦虫を噛み潰したような顔をする。しかし空は慌てていたため彼の表情の変化にはまったく気付かなかった。

    「あの、俺、アデリンに言われて! さっきまで煙突掃除をしていて、煤まみれに! だから、あの、不法侵入とかではないんだけど!」

    空はしどろもどろになりながらディルックに事の次第を説明する。空はもうキャパオーバー寸前だった。すらりと伸びた手足。割れた腹筋。引き締まった腰。そして空のものとはあまりに形の異なる男の象徴。
    ディルックの鍛え抜かれた肉体はあまりに美しくしなやかで、目の行き場がない。好きな人の裸をいきなり見る羽目になるなんて、予想外もいいところである。

    「ぜーはーぜーはー……」

    空が泣きそうになりながら説明し終えると、ディルックは「なるほど」といつもの無表情で頷いた。彼が何を考えているのか空にはさっぱりわからない。

    「事情はわかった。そういうことなら、ゆっくりしていくといい」
    「でも、それだとディルックさんの邪魔になっちゃうよね……」

    彼はきっとどこかで一仕事を終えてようやく帰ってきたところなのだろう。自分の家のお風呂でゆっくりしようというときに、空のような客人がいたら迷惑ではないだろうか。
    空がおそるおそる上目遣いをすると、ディルックはわずかに目を細めた。

    「ディ、ディルックさん……?」

    そのまま何も言わず彼は湯舟に立った。じゃぶじゃぶと波をかき分けて、ディルックが空に近付いてくる。
    背中に垂れている金糸のひと房をすくい取り、ディルックはとろけるような微笑を浮かべて言った。

    「君がいたほうが僕は楽しい」
    「っ……!?」

    あのとき大声で叫ばなかった自分を褒めてほしいとのちに空はパイモンに語る。

    「それに君と会うのは久しぶりだ。色々話を聞かせてくれ、空」
    「あ……う……」

    想い人にそこまで言われてしまえば逆らえない。空は大人しく膝を抱えてバスタブに腰を下ろした。そのすぐ隣にディルックが片膝を立てて座る。

    (ディルックさんって……どんな姿勢も様になってかっこいいな……)

    横目でこっそり盗み見ながら空はそんなことを思った。水もしたたるいい男とはまさにこのことである。

    「あとでアデリンには話しておく。今後二度と君に煙突掃除を頼まないように、と」
    「え、どうして?」

    ぼんやりと物思いにふけっていた空はディルックの台詞に意識を引き戻された。空が目をきょとんとさせると、ディルックは少しだけ眉根を寄せて困ったような顔をした。どう話したものか考えあぐねているのだろう。

    「父がアカツキワイナリーのオーナーだった時代は、煙突掃除屋の親方のもとで修業をする少年が大勢いた。神の目を持つ者も、持たない者も、関係なく」
    「あ、それはアデリンから聞いたよ」
    「その結果、どうなったと思う?」
    「? どうなったの?」
    「風元素を扱えない少年たちの多くが死んだんだ。窒息したり、肺を病んだり、筒に詰まって身動きが取れなくなった者も」
    「えっ……」

    テイワットにそんな歴史があるなんて知らなかった。空は驚きつつも、ディルックの話の邪魔をしてはいけないと思い口をつぐむ。

    「だからテイワットでは神の目を持ち、風元素を扱える人間だけが煙突掃除屋を名乗っていいことになったんだ」
    「そうだったんだ」
    「ああ。これは子供たちを守るための法であり、守る価値があると僕は考えている。モンドには従う必要を感じない決まりも多いが、これはそうではない。だから屋敷の管理にはきちんとしたプロを使うんだ」

    穏やかな語り口に空は耳を傾ける。ディルックの横顔はとても優しくて、本当に子供たちのことを思っているのがよくわかった。そして空は一つの可能性に思い当たる。

    「あのもしかして……ディルックさん、俺の心配してくれてる?」

    空は小首を傾げて問いかける。ディルックはしばし黙って空の顏を見つめたあと、くつり、と喉の奥を鳴らした。口角が持ち上げられ、獲物を狩る獅子の顏が現れる。

    「そうだと言ったら君はどうする?」
    「え…………」

    息つく暇もなくディルックが覆いかぶさってきて空は目を見開く。二人の影が重なり、唇に熱くやわらかいものが触れて離れていった。
    空は瞳を潤ませ、真っ赤な顏をしてディルックを見上げる。

    「一つ提案だ。空、今夜はワイナリーに泊まっていかないか?」

    答えなどはいかイエスのどちらかに決まっている。

    インスパイア元:「ロミオの青い空」
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