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    第二回膝髭ワンドロワンライ
    お題「真夜中」

    ##文章

    眠れない夜の伽 風が木々を渡り、小屋はにわかに騒がしくなった。戸口から壁までぎしぎし鳴って、隙間風が室内の空気をかき混ぜる。煽られた熾火が赤く燃え上がったかと思うと、風はやがて去っていく。木々のざわめきに合わせて、そう遠くはないところから、キャンキャン、アオーと犬の吠え声がした。
     窓際にうずくまっていた兄が身じろぎするのを、膝丸は視界の端で捉える。
     まだそこいらを野犬がうろついている時代に、二振りで遠征に来ている。中期の調査任務は淡々と記録をとるばかりで、膝丸はいささか退屈だ。手合わせに誘うと兄が応じてくれるのだけがささやかな楽しみと喜びで、あとは時が過ぎるのを待つばかり。敵が姿を見せることもあるため油断は禁物だが、今回はその気配もない。仕事と食料調達で歩き回るほかすることもなく、体力を持て余した膝丸はよく夜半に目を覚ました。
     とりわけ今日は風が強い。荒れる天気に何が運ばれてきたのか、小屋の建つ林は生き物の気配が賑々しい。その混乱に乗じて髭切は昼間、猪の子をとって帰ってきた。
     髭切は仕事以外では好き勝手に出歩いていることが多い。初めて遠征任務に出された頃は咎めていた膝丸だが、今では自由にさせている。膝丸が兄の考えを理解できたことは少ない。しかし退屈と感じているのは同じらしいから、厳しく言うのは止めることにした。それに今日のように、良い手土産を持ってきてくれることもある。
     犬の鳴き声はまだ続いている。髭切は起き上がって窓を覗いていたが、おもむろに両手で口を覆った。すると、犬が吠えるよりもっと物悲しい遠吠えが、小屋中に響き渡った。
     膝丸は起き上がって兄を見た。兄はゆっくりと天井に向かって顎を反らしながら、長く長く鳴いている。
     風は止んで、辺りは静まり返っていた。兄が手を下ろしてしばらくすると、遠くかすかな遠吠えが聞こえてきた。
    「応えた」
     振り返った髭切は笑っている。今度は僕が吼丸だねと軽口を叩く兄に、膝丸はいざり寄る。
    「いつの間にそんなことを」
    「前に獅子王たちと練習したんだよ」
     たとえ機会があっても、山犬のように吠える練習をすることは膝丸にはないだろう。何がどうしてそんな練習をすることになったのか膝丸には想像もつかなかったが、聞くことはなかった。代わりに髭切が「そういえば」と切り出す。
    「僕たちがそういう名前になったのって、どうしてだっけ?」
     源為義に所有されていた頃、二振りはそれまでの名を改めた。鬼切だった髭切は「獅子ノ子」、蜘蛛切だった膝丸は「吼丸」と呼ばれるようになる。
     そのきっかけとなる出来事を思い出すと、膝丸は複雑な気持ちになる。いわんや説明するなど。口ごもる膝丸に、髭切は更に問う。
    「言いにくい理由だったかなあ」
    「いや……ふざけていたのが理由で……」
    「嫌だったの?」
    「そうではないが……だから、その、人の真似事をして、夜毎じゃれあっていただろう。そうしたら共鳴して、人には獣の吠え声に聞こえたようだ」
    「ああ」
     記憶が結びついたのか、髭切はぱっと明るく微笑んだ。反対に膝丸は気恥ずかしさに顔を俯ける。互い愛しさに魂を結び合っていたあの頃は、蜜のように甘い毎日だった。若かったと言い訳するにもできない。膝丸は、心が淡くうずくのに気がついている。
     「あれは楽しかったよねえ」髭切は笑い顔で手を打った。「またやろうか」
    「……は?」
    「せっかく再会できたことだし、あの頃みたいにさ」
     驚く膝丸の手に、髭切の指先が触れる。膝丸はその手をぱっと引っ込めてから、生娘のような己の反応にいっそう赤くなった。
     二振りが蜜月を送ったのはあの時だけだ。名を改めたその後に膝丸は熊野へ移り、長い別離のうちに恋心は消え去ったものと思っていた。互いを求める心は二振一具で打たれて以来備わっているのであって、恋に起因するものではない。再会できた今、膝丸は十二分に幸福だったし、髭切もそのようであった。あの頃の話なんか、今日まで一度もしたことがない。
    「あれは……もう過ぎたものではなかったのか。分かたれているうちに、兄者は忘れたのかと」
    「忘れたわけじゃないよ。ばらばらになっているうちに、おまえと一緒なら何でも良いやと思うようにはなったけど」
    「俺もそうだ。この戦が済んだら、またその境地に至るだろうな」
     皮肉めいた弟の言葉に、髭切は悪い顔をした。手招きに応じた膝丸が耳を貸すと、髭切は手を捕まえて囁く。
    「遠征任務、もっと長いのがあるよね?」
    「……」
    「いつもの出陣も時々長引くだろう。五年、十年、たくさん重ねたら、あの頃よりもずっと長く居られる」
     耳がじんじん熱くて、膝丸は思わず手で覆った。兄がそんなことを考えていたとは夢にも思ってみなかった。間近にある瞳はしっとり潤んで、膝丸の動向を見守っている。柔らかい唇は誘うように弧を描いた。
     髭切の考えることを膝丸はいつだってきちんと理解できない。互いを愛おしく思う心が変わっていないことだけが、膝丸には確かだった。とはいえ今は任務中であり、そんな浮かれたことをやっている場合ではない。そう伝えると、髭切はやれやれと言うように首を振った。
    「じゃ、本丸に戻ったらね。考えておいて」
     膝丸の肩にしなだれ、髭切は窓の外を眺めた。闇の帳に銀の砂子を撒いたような夜空は、二振りが今重宝される二二〇五年よりも、為義の元にいた頃のものに似ている。正にこんな空を見ながら、二振りは互いを慈しんでいたのだった。
     本丸に戻ったら……と固くなった膝丸の耳に、猫が喉を鳴らすような低い音が聞こえてくる。見れば髭切がまた口元を手で隠し、ぐるぐると鳴いているのだった。茶目っ気のある視線を返し「おまえも練習したらできるよ」と言って頭をすり寄せる。
     髭切の吠え声に恐れをなしたのか、犬は遠くへ去ったようだった。時折強い風に小屋は揺れる。しかしその間隔もだんだんと長くなってきた。
     日付にしてあと十四日ほど調査機関が残っている。膝丸は、喉を鳴らす兄を撫でても良いものかと、かれの背後にある手を開いたり閉じたりしていた。
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