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    ⛰暮正⛰

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    膝髭 共寝の翌日

    甘露の日和 耳を震わせるそれが九時を知らせる鐘であることに膝丸はしばらく気が付かなかった。かんかんかんかん、四度一まとまりで続くその音が頭にゆっくり沁み入って、今日の膝丸をそこに位置付け始める。
     重いまぶたを押し上げると、兄の裸の背中が視界いっぱいに広がっている。傷一つ無い膚に骨の凹凸がなだらかに浮かぶ様は、うっとりするほど目に心地よい。触れなかったことを思い出すと惜しくなって、起こさないようにそっと、額を押し当てる。
     慎重を期したはずではあったものの、離れ際に口付けたのが災いしたのか、膝丸が布団から抜け出すと、髭切は寝返りを打って薄く目を開いていた。耐え難いと言わんばかりに顰められた顔と、寝返りの拍子に投げ出された手がこちらに向かって開いているのが目に入り、膝丸はすぐさま隣へ戻りたくなった。
    「もう起きるの……?」
     か細い声とは裏腹に不満そうな口ぶりだ。膝丸は堪らず傍へ屈み込む。
    「遠征の準備をしておきたい」
    「午後だろう。もう少し休んだら」
    「他にも済ませたいことがあって……兄者は寝ていてくれ」
     細くて柔らかい毛は、すっかり寝癖になっている。撫でつけていると髭切は「分かったよ」と答え、また寝返りを打って布団を被り直した。
     離れる間際手に擦り寄ってくれたのは思い上がりでないかと、膝丸はしばらくの間、ぼんやりと兄の寝姿を見ていた。

     遠征任務も一段落ついて、部隊は最後の見回りと息抜きを兼ねた散策をしていた。
     花木や海産物を持ち帰ることに随分慣れ、その指定がない遠征先でも季節のものを楽しむ刀が増えた。普段であれば膝丸もいくらかそれに興じるものの、いまは兄と過ごした夕べのことが何にも優ってすばらしい記憶として頭を占めている。
     辺りは見事なすすき野で、黄金の穂が風にさらさら揺れている。感嘆の声を上げる部隊の面々の中で膝丸は一振り、髭切の柔らかい髪を思い出していた。
     感触やにおい、髭切が浮かべていたいろいろの表情を脳裏に再現してみると、幸福のあまり笑わずにいられない。常日頃は公私をきっちり分ける膝丸だが、共寝の翌日ばかりは色呆けと罵られても口答えできない。微かに残る感覚が時々蘇ってきて、甘やかな気持ちに拍車をかける。
     わけても良かったのは、今朝だ——緩む口元を鼻を掻くふりで隠しつつ膝丸は回想する。眠さか余韻に気が緩んだようで、滅多に見せない甘えた態度をとっていたのが本当に愛らしかった。
     あの様子の兄に、まだ離れるなとねだられでもしたらひとたまりもない。もしもそんなことになったら……
     思考を止め、膝丸は足元の草がかさこそと動いているのを見た。思いがけず、とかげが姿を現した。神経質に首をきろきろと動かして、辺りの様子を伺っている。
     もしも兄がものをねだるとしたら、どんな様子だろう。膝丸は度々浮かぶ自らに都合のいい妄想を打ち消すことに長けている。しかし失敗も当然あって、それによると髭切は、兄らしい気高さで膝丸自ら従いたくなるよう仕向けるか、とびきり蕩けた忘我の状態で膝丸を頼るかしてものをねだる。どちらであれ膝丸をたまらない気持ちにさせるが、つまるところは妄想で、実際を知らない。
     三時の鐘が鳴る前、膝丸が出発する時には髭切ももうすっかり目を覚ましおやつを中断して見送りに来てくれた。
     羽織った内番服の前を合わせて控えめに手を振る姿は、本調子ではないにしろけろりとして、夕べの残り香すら感じさせない兄らしい振る舞いだった。朝方睨むように膝丸を見てもう少し休めと勧めたり、手に懐いたことなんか、ちっとも覚えていなさそうな顔をして、転移装置が起動したらもう戻ろうとするほどだった。
     もしも。
     もしも兄が、あの兄が膝丸に甘えるとしたら、それは不本意なことかもしれない。膝丸は段々と落ち着きを失い、提げていた刀をぐっと握り込んだ。長物がぶんと動くのに驚き、とかげは素早く走り去っていく。
    「そろそろ戻らないか。今なら夕飯に間に合うだろう」
     適当な声掛けをして仲間を促しながら、頭では兄のことを考える。
     もし仮に、万が一、あれが髭切のおねだりだとしたら、膝丸はそれと気づかず袖にした。帰ってから詫びても何もかも遅く、薄笑いを浮かべて「何のこと?」とはぐらかされるに決まっている。では指摘せず朝の分余計に兄を愛でようとしても、もはや髭切はそんな気分ではなくて、きっと膝丸の手を逃れていくだろう。
     自分の犯した失態に歯噛みしながら、兄の不器用さがかわいくて、膝丸はどうしていいか分からない。自分の勘違いでもいいから、とにかく早く帰って兄の顔を見たい。
     波打つ原に潜んでいた雀の群れが、さえずりながらいっせいに飛び立っていく。足を止めて連なる小さな影を見送る仲間たちの後ろから、膝丸は手を打ち鳴らして「さあ帰ろう」と追い立てた。
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