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    第二十三回膝髭ワンドロワンライ 「猫」

    ##文章

    ゆめのようなる 帰ってきた髭切が上衣を脱ぎながら溜め息したのを、膝丸は聞き流した。
     髭切はここのところ本丸を歩き回っている。敷地の外とつながる森や川の方まで行くので、行き帰りだけでも時間がかかる。目的のものと出会えないために、心労は一層募るのだった。
    「今日も見つからなかったよ」
    「そうか」
    「猫、どこまで行ってしまったのかなあ」
     数週間前まで、髭切は野良猫の面倒を見ていた。本丸には何匹かの猫が入り込み、厩や倉庫に住みついている。そのうち一匹が特に髭切に懐いた。黒い毛をもち、体つきのしっかりした雄の猫だ。髭切も気に入って、部屋に招き入れ、餌をやったり毛を梳いたりして、かわいがっていた。
     膝丸はそのことが面白くなかった。外を歩き回っている小汚い猫が、我が物顔で部屋に入り込み、座布団なんかに座っている。どけと言っても聞かず、兄にだけ甘えた声で鳴いてみせるのが小憎らしい。何より兄にかわいがられているのが気に入らなかった。
     髭切が出陣中のある時、猫は部屋を抜け出して本丸内を歩き回っていた。食料庫に入り込んだところで、歌仙兼定に捕まった。
     猫は食べ物には触れなかった。しかし他の動物はこれでは済むまいと、食料庫には木の扉がつけられることになった。さて猫の処分をどうするかという段になって、膝丸は「追い出してしまえ」と言い放った。髭切が世話していることは、だれも知らなかった。
     猫は縄張りを歩き回る生き物だ。髭切は猫がいなくても気にしなかった。しかし数日経つと、帰ってこないのが心配だと口にするようになった。そしてとうとう、髭切自身が探して歩き回るようになった。
     任務や内番を終えた後、夕方や夜にも猫探しに行くので、髭切と膝丸が共に過ごす時間は、猫がいた頃よりもずっと少なくなった。当然ながら膝丸は不愉快だった。
    「もともとその辺で暮らしていたのだから、元気にしているだろう」
     気遣う内容でも、声が冷たくてはどうしようもない。膝丸は自らの失態を悔いながらこっそり兄を見た。しかし髭切は籐の丸籠に目をやっていた。それから観念したように「そうだね」と応えた。
     それでも髭切は、時々は猫を探しに出歩いた。
     ほんとうは、膝丸が猫を嫌っていると知っている。しかしたった一度悪いことをしただけで追い出すのはあんまりだ。入ってはいけない場所があるなら、そう教えて躾けてやればいい。気まぐれで世話していたはずがいつの間にかすっかり入れ込んでいる。髭切は自分でも驚いているが、それくらいに猫はかわいかった。
     しかし猫は見つからないままだった。髭切もとうとう探さなくなったが、兄弟の部屋は以前のような穏やかな雰囲気には戻らなかった。髭切は膝丸の前でだけ、あからさまに落ち込んだ様子でいた。
    「兄者、そんなに猫が恋しいか」
     読みかけの本を閉じ、膝丸は尋ねる。自分が猫を追い出したことを兄が知っているのではないかと、うっすらと感じていた。
     髭切はこたえなかった。猫を撫でた時の感覚を思い出していた。なめらかな毛並みと共に手の中をぬるりと抜けていく、あの筋肉のうねりを。
    「それなら、俺が猫の代わりになろう」
    「え……」
     二振りの間に微妙な沈黙が流れる。髭切が不審げに見ても、膝丸は真面目くさった顔をして姿勢良く座っているのだった。
     膝丸は少しずつ、髭切の傍にいるようになった。呼び出されて並ぶ時や食事の席、部屋で過ごす時の位置が、近くなっていく。特別な会話はせず、ただひっそりと傍にいる。そうして次第に、近くで過ごす時間が増えていった。
     はじめは戸惑っていた髭切もすぐに慣れた。思えば猫が懐いたときもこんなふうに少しずつ顔を合わせて親しくなったし、膝丸は初めから、いつも髭切の傍にいた。それを思い出したのである。髭切は、猫のことは努めて忘れようかと思い始めた。
     部屋で休んでいると、膝丸が風呂から帰ってきた。手ぬぐいを干した膝丸は本を掴むと、髭切のすぐ真隣に腰を下ろして読み始めた。髭切は一瞬、弟を撫でてみようかと考えたが、何もしなかった。
     その晩の夢は奇妙だった。いつものように膝丸が傍にいるのだが、髭切は弟を完全に猫だと認識していた。意識では猛烈な違和感を抱いているのに、夢の中の自分は何も疑問を抱かない。猫をかわいがるように膝丸を足の上に座らせ、彼が鼻先を顔に寄せ「毛づくろい」するのを許している。そのうち組み敷くように押し倒されても、夢の中の自分はただ笑っているのだった。
     布団をはねのけ、髭切は信じられない気持ちで髪をかき乱した。恐る恐る隣を見やる。布団をぴたりと並べ、膝丸は静かな寝息を立てている。

     任務を終え、着込んだ戦装束を脱いでいると、膝丸が内番から戻ってきた。
    「おかえり」と言いながら、武具を解くのを手伝ってくれる。髭切はこっそりと身を固くした。
     夢を見てからどうにも、膝丸が近づくと落ち着かない。だというのに今や膝丸は、こうして着替えを手伝うまでになった。不要な接触ではないので断ることもできず、髭切は気持ちを持て余している。
    「畑、どうだった?」
    「よくぞ聞いてくれたな。前に肥料を増やしたらどうかと提案しただろう。あれが当たって、今年は実りが良さそうだ」
    「そう。手柄だね」
    「兄者の方はどうだ」
    「あんまり。玉鋼がどうにも品薄で」
     着替えを終えて腰を下ろすと、すぐさま膝丸が傍に座る。もはや肩が触れ合っているが、髭切は気にしないふりをして、座卓の菓子請けを物色しようとした。しかしその手は膝丸に遮られる。
    「兄者、撫でてくれ」
    「なに……」
    「畑の豊作は俺の手柄だ。褒めてほしい」
    「それでなぜ撫でるの」
    「言っただろう、猫の代わりになると」
     猫のように撫でてくれと、膝丸は囁いた。真剣な瞳に見据えられ、掴まれている手に、じわりと熱が宿る。
    「ただの言葉遊びじゃなかったの?」
     膝丸は聞かずに、髭切の手を自らの頬に宛てがうと、心地好さそうに目を閉じた。髭切は手のひらに弟の頬骨を感じる。すべらかに盛り上がった骨が、ゆっくりと母指球に押し当てられる。
     髭切は恐る恐る手を動かした。一度頬から手を離し、頭の上へのせる。膝丸の頭は小さい。短い毛は手が過ぎ行くと、ふわりと元の方向に向かって跳ねる。
     今すぐ立ち去りたい気持ちがこみ上げてくるのを感じたとき、膝丸が体を乗り出した。わずかな衝撃と一緒に、膝丸の頭が肩に押し当てられる。首根っこを掴んで投げ飛ばすのは簡単なのに、髭切はただ困惑して座り込んでいた。これは、猫ではない。それだけがはっきりしている。
     そのとき、にょう、と高い声が聞こえた。
     髭切ははっとして襖を見た。低いところに小さな影があり、カシカシと襖を掻く音が聞こえてくる。猫が襖を開けてほしいときにしていた仕草だ。
    「みゃあ」
     立ち上がろうとした髭切の耳元で、低く鳴くものがいた。弟の顔を認識した瞬間、髭切はその場に組み敷かれている。鼻先が髪を探るように動き、耳にあたたかいものが触れる。
    「あ、ちょ、」
     猫の舌と違い、厚く、尖ったところの一つもない肉が、耳たぶや首筋をなぞる。濡れた箇所が空気に触れてひやりとし、髭切は身震いしながら、これは何、と思う。
     膝丸の唾液が肌にのって、それが冷えた。いや、そんなことではない。大きな手が、なだめるように髪や肩を撫でてくれる。
     これは猫ではない。髭切にははっきり分かっている。それでもそれが身体中まさぐるのを、髭切は夢の中と同様に許した。落ち着かなくなるだけで、触れられることに抵抗感はない。いつの間にか膝丸の体温が傍にあることが、当たり前になっていた。
     押しのけようとしたのだか、所在無く触れたのだか分からない手のひらの下で、膝丸の筋肉はゆっくりと複雑にうねっていた。
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