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    okusen15

    まほ晶が好き

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    okusen15

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    ガラスの靴の夢は透明 ねっとりと、まとわりつくような視線。手で振り払っても途切れそうもない視線から、賢者様を守るように距離を縮めると、賢者様はキョトンとした表情で俺を見上げた。

    「どうしたんですか?ヒース」

     賢者様のイヤリングが揺れて、しゃらりと音を立てる。ゆいあげられた髪のせいで、普段は露出していない首筋が白く眩い。

    「い、いえ、何も……」

     さっと目を背けた方向には、さっきから賢者様に不埒な視線を向けている男がいて、気取られないように少し目を伏せがちにする。グランヴェル城での魔法使いと人間たちの友好を深めるパーティーの最中に、目立った騒ぎを起こすわけにはいかない。魔法使いと人間の間を取り持とうと苦心されている賢者様やアーサー様にご迷惑をおかけしたくない。

    「それより、少し休憩されませんか?ずっと立ちっぱなしでお疲れでしょう」

     さりげなく男からの視線を遮るように移動しながら、賢者様の背中に手を軽く当てて促す。とりあえず、男から賢者様をなるべく遠いところに引き離さなければと考えていた。
    けれど、そんなことを知る由もない賢者様は「でも……」と躊躇っている。

    「少し休んで、また戻ってきましょう。慣れない場は、自分が思っているより心も体も疲れさせるでしょうから──」
    「これはこれはヒースクリフ様。このような場でお目にかかれるとは、全く思いもよりませんでした」
    「……あなたは」

     背後から突然かけられた、すり寄ってくるような声に振り向く。確か、東の国の新興の貴族だったけれど、アーサー様が前日に見せて下さった招待客リストに彼の名前はなかったはず。違和感を感じて観察していると、腕部分にでっぷりと肉を乗せている大きな宝石のついた指輪が目についた。
     そういえば、最近随分と羽振りがいいという噂を聞いた。何か正当ではない手段で、このパーティーへの招待状を手に入れたのかもしれない。一瞬、彼の目が俺の斜め後ろにいる賢者様を捉えて、嘲笑うような表情をしたが、すぐににこやか笑みを浮かべる。

    「久しくお会いしておりませんでしたが、ご壮健そうで何よりです」

     彼は賢者様の存在に気づいたにも関わらず、一瞥しただけだった。俺の中に嫌悪の苦々しさが広がる。賢者様の姿をこれ以上男の視界に入れないよう一歩踏み出すと、彼の眉頭が神経質そうに震えた。

    「……ありがとうございます。貴殿のご活躍もかねがね、聞き及んでいます」
    「なんのなんの。ブランシェットと比べれば我が家など、骨の細い傘のようなもの。ところで……」

     スッと彼の目が開く。確かに笑みの形をしているのに、その眼光の鋭さに昔、ブランシェットの森で出会った睨みつけてくる蛇を思い出した。彼がぺろりと、上唇を舐める。

    「ヒースクリフ殿も、もう十七歳。ご婚約されてもおかしくない年頃でしょう。親の贔屓目かもしれませんが、我が娘は気立もよく聡明です。いかがです?ぜひ、ヒースクリフ殿の婚約者に……」

     彼にこの話をされるのは初めてではない。以前から何かにつけてその話を仄めかしてきて、その度に丁重に断りを入れてきた。
     でも、今回は状況が違う。彼が賢者様に対して良い感情を抱いていないのは明らかだったけど、最低限の礼儀も挨拶も持ち合わせていないとは。そうでなくてもアーサー様が主催のパーティーで、アーサー様が正式に招待された方なのに。それに、よりにもよって、賢者様の前で、婚約の話をされた。それらの怒りと、賢者様への無礼のせいで自分の眉が寄ったのがわかった。

    「先程、我が家のことを骨の細い傘のようだと申し上げましたが、それでも雨風はしのげましょう。『魔法舎』などと怪しげなもの者どもが集う屋根の下にいては、ヒースクリフ殿の格が下がります。あぁ、もちろんヒースクリフ殿は怪しげなどという言葉とは無縁と存じておりますがね」

     溢れそうなほど注がれた水がコップのふちから垂れるように、静かに怒りが限界を超えた。冷静な態度を装いながらも、

    「──なるほど、分かりました」

    と頷く声は冷え切っていた。そのことに、彼だけが気づかない。

    「分かっていただけましたか!いや、それは何より──」
    「勘違いするな。お前がこのパーティーに招待されるわけがないと分かったと言っているんだ」
    「は……」
    「お前の傘など、こちらから願い下げだ。大切な『仲間』を侮辱するような人間と共にいては、ブランシェットの名が泣く」

     それだけ言い捨てて、身を翻す。先程からずっと黙ったままの賢者様が心配だった。大丈夫ですか?行きましょう──。言いかけて、それは形にならなかった。なぜなら賢者様が忽然といなくなっていたからだ。慌ててパーティー会場を見回すと、賢者様にまとわりつくような視線を向けていた男も消えている──。
     嫌な予感に俺は魔法で気配を探って、足早にそちらの方向に向かっていった。



    「いてて……っ」

     招待客のために用意された休憩用の部屋の椅子に腰掛けながら、私は足首をさすった。久々にヒールのある靴を履いたせいか、足首の部分が赤く腫れ上がっていた。メイドさんに言えば手当てしてもらえるだろうけど、どうにもそんな気持ちにはなれない。私は無理矢理、足を靴に押し込んで
    深く息を吐いた。
     部屋には、まばらに人が散っていて、パーティー会場に残っている人の方が多いらしかった。パーティーに参加している人たちが多いことに、ほっと安心する。招待された人たちの思惑はきっとそれぞれで、一国の王子からの招待を断れなかっただけかもしれない。それでも、にべもなく拒絶されなくて良かった。けれど、婚約の話を持ち出されていたヒースのことや、私一人だけ黙って会場を抜け出してしまった罪悪感とで憂鬱になる。
     肘置きに腕を乗せて、物思いにふける。ちゃんと考えてみても、なにも不思議なことではない。ヒースは名門の貴族で、素晴らしい好青年だ。気遣いもできるし、賢く、優しい。彼を家門に迎えたいものは多いだろうし、ヒースはそうやって結ばれた誰かを大切に愛し抜くだろう。──どうして、こんな簡単なことを今まで想像できなかったんだろう?
     目頭が不意に熱くなって、慌てて下をむく。思わずいつものように手で涙を拭いそうになって、急いで引っ込める。クロエが作ってくれたレースの手袋にアイシャドウが付いて汚れるところだった。

    「どうかされたのですか?」
    「え……?」

     視界の隅にピカピカに磨かれた革靴が入る。そのまま顔を上げると、長い髪を後ろで一つに括って、肩に垂らしている男の人がいた。痩身でモスグリーンの上着がとても似合っていた。

    「いえ、なんでも……」

     十中八九、招待客の一人だろう。失礼のないように立ち上がると、靴擦れがひどく痛んだ。さらに目尻に涙が滲む。

    「足をお怪我されているみたいですね」

     一瞬、揺らいだ足元を見抜かれたらしかった。私は無意識のうちに右足を少し引いた。

    「はい、でも、大丈夫です。少し休めば良くなりますから」
    「いけない。跡が残っては大変です。私でよければ手当いたします。ここではなんですから、別室に行きましょう」
    「お気遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫なので……」

     やんわりと断るが、男性は構わず私の手を取った。男性に手を引かれてしまって、扉の方に歩かざるをえない。有無を言わせない雰囲気が、私の中でじわじわと恐怖に変わり始めていた。どうしよう、大声をあげようか?でも、今日のパーティーで騒ぎを起こして、台無しにするわけにはいかない。手を引っ張られながら逡巡していたその時、ちょうどヒースがいきせきって入室してきた。ひどく安心した。もう大丈夫だと力が抜けそうになるのをなんとか耐える。
     ヒースは私の方を見ると、ぎゅっと眉を寄せて険しい顔つきになり、真っ直ぐに近づいてくると凛と言い放った。

    「失礼。手を離していただけますか?」
    「……なんだね、君は。私は彼女の傷の手当をしようとしただけだ」

     男性からすればヒースの態度は不遜に映ったらしい。顎を上げて、不快そうにヒースを睨みつけている。

    「では、その役目は私が引き受けます。賢者様のパートナーは私ですから」
    「賢者……?彼女が?」
    「そうです。そして私は賢者の魔法使い、ヒースクリフ・ブランシェット。──さぁ、その手を離していただけますか」

     ヒースは一歩も引かなかった。ヒースは男性と見えない火花を散らしている間も、堂々と振る舞っていた。やがて根負けした男性がちっと舌打ちして、おざなりに私の手を振り払った。男性は面白くなさそうに、ヒースのそばを通り抜けて部屋を出ていく。支えを失って、ふらりとよろけた私の体をヒースが支えてくれた。

    「っと、大丈夫ですか、賢者様?」

     覗き込んでくるヒースはとても心配そうだった。悲壮感漂う顔に、私ではなくヒースの方が怪我をしたのではないかと思いそうになる。支えてくれるヒースの手の力強さに、男の子なんだと、当たり前のことを再認識した。

    「はい、ヒースが助けてくれましたから」

     お礼を言うと、ヒースの手が私の目尻をそうっと拭った。化粧を崩さないように、優しい手つきだ。けれど、瞳の圧はさっきとは打って変わって苛烈さすら感じるものに変化していた。驚いて、思わず固まってしまう。

    「賢者様、あの男に他にも何かされたんですか。涙を流すくらいひどいことを」

     押し殺しているような、低い声だった。もしも私が今ここで、そうですと頷けばありとあらゆる手を使って男性に償わせる。そんな自惚れを抱いてしまうくらいの決意を感じた。私はすぐさま首を振って否定した。ヒースは、私があの男性に泣かされたという勘違いをしている。

    「違います!これは、靴擦れが痛くて……」
    「靴擦れ?」

     ヒースの目が溢れそうなくらい大きく見開かれた。するすると視線が足首に落ちた──と思ったら、突然ふわりと体を持ち上げられる。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。

    「ヒ、ヒース!?」
    「すみません、賢者様。その足で歩くのはちょっと辛いと思うので少しの間、我慢してください」

     私達の他に部屋に残っている人達が、ちらちらとこちらを見てくる。私は顔が沸騰したように熱かったし、さっきから距離が近いこととかその他諸々の積み重ねで気を失いそうだった。なのに、ヒースは気にする素振りもなく、椅子まで私を運ぶと優しく座らせた。ヒースは私の前に跪いて、自分の膝の上に私の足を乗せた。

    「本当に大丈夫ですから……!」
    「俺が大丈夫じゃありません。賢者様が痛みに耐えていたことにも気づかなかっただなんて……。パートナー失格です」
    「そんな……!ヒースは素晴らしいパートナーです。さっきも私を助けてくれたじゃないですか」
    「……ありがとうございます、賢者様。でも、どうかこの傷は俺に治させてくれませんか?それだけで今日の俺の失態を挽回できるとは思ってないですけど、このまま放置することは俺自身が納得できないんです」

     ヒースは、本当に辛そうな声色だった。そもそも痛みを誰にも言わずに耐えていた私が悪いのに、真面目な彼のことだから、本来背負わなくていい責任まで感じているのだろう。治療をすることで、彼の胸の重石が少し楽になるのなら、と私はゆっくりと頷いて足の力を抜いた。あまり力を抜くとヒールが刺さって痛いかもしれないと、調整をしつつ。
     ヒースの細い指が私の足首に触れる。バクバクと心臓がうるさくて、これは治療行為、他意はないと自分に言い聞かせる。検分するように少し動かされた後、緊張の面持ちをしたヒースが呪文を唱えた。

    「〈レプセヴァイブルプ・スノス〉」

     ハッカを塗られたような、スーッとした清涼な感覚が足首を通り抜けていく。その感覚がすっかり抜け切る頃には、足首の腫れはすっかり引いていて、痛みなんか最初からなかったかのようだった。

    「ありがとうございます、ヒース。もう全然、痛くないです」
    「良かった……」

     ほっと肩を撫で下ろしたヒースが、私の足首を一撫でした。ぴくっと足を震わせると、ヒース自身も無意識の行動だったようで、耳が一瞬で真っ赤になった。

    「す、すいません!俺、何してるんでしょう」
    「い、いえ、全然!私、何も気にしてませんから!」

     わたわたとヒースが後ろめたそうに靴を履かせてくれる。私も一緒になって忙しなく両手を振って気にしてませんよアピールをしながら、跪くヒースから視線を逸らした。
     ──こんなの、目に毒すぎる!

    「えぇと……、賢者様、これからどうされますか?もう帰られるのなら馬車の準備をしますが……」

     ヒースはそう言いながら靴のベルトがとめた。さっきの男性の件で、私を気遣っての提案だろう。
     室内にいる人々は、口元を扇で隠したり背を向けたりして私たちに興味を失った素振りをしているけれど、その実私たちの会話に耳をそば立てているようだった。足をおろすと靴底が小さな音を立てる。気持ちを入れ替えるように、深く息を吸う。

    「──いいえ、もう一度戻ります」
    「賢者様、無理しなくても……」
    「無理はしていません。ただ、このパーティーに来てくれた人たちに、魔法使いたちのことを少しでも知ってほしいんです。知ったからといって、今すぐ変わるものでもないかもしれないし、変わるつもりなんかない人もいると思います。でも……」

     ちらほらと視線を向けられた気配がした。好奇。嘲り。侮り。決してその視線に応えるようなことはしないで、語りかける。あなたたちと、歩み寄りたい。そう心の中で唱えながら。
     悪意なんて好んで向けられたいものじゃない。怖い思いも痛い思いも嫌だ。でも、魔法使いと人間が手を取り合って生きていければいいと願う心はずっとある。そのためなら、もう一度って思える。

    「分かり合えないと思っている人を数えて怯えるより、まだ分からない人たちと出会って話をしてみたいんです」

     分かっているから恐ろしい人もいる。分からないから恐ろしい人もいる。複雑な地図のように絡み合っていて、一朝一夕にはいかないだろう。だから挨拶をして少しずつ、なんでもないような話題から始めて、耳を傾けて傾けられる関係を築きたい。初めましてとまた会いましょうを特別でもなんでもない日に、当たり前に言い合えるように。

    「……なら、俺もお供させてください」

     軽やかに一礼をしたヒースが手を差し伸べてくる。そんな動作も、ヒースがやると全く気取った動作に見えなかった。王国のお姫様を迎えるように、恭しく、上品だ。知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた私は、精一杯優雅に見えるように、申し出を受け取った。

    「私もちょうど、そう頼もうと思っていたところです」



    「パーティー、成功してよかったですね」
    「本当に……。アーサーもすごく喜んでいて、私まで嬉しくなりました」

     成功を収めたパーティーの帰り道。アーサー様のご好意で用意していただいた馬車の内装はとても華やかで、柔らかい明かりが灯っていた。馬車が王城の正門を抜けるまで俺たちはパーティーの成功を祝って笑顔を浮かべていたけど、突然ふっと賢者様の顔が陰った。

    「あの……ヒース、遅くなってしまったんですけど、すみませんでした」

     突然の謝罪に、俺は「えっ」と戸惑ってしまう。賢者様が謝罪されるようなことが何なのかすぐには分からなかった。

    「パーティー会場で、何も言わずにいなくなってしまったことです……。声をかけるべきだとは分かっていたんですけど、どうにも、その……声をかけれる雰囲気ではなくて……」

     サーッと体中の血が引いていった。そうだ。すっかり忘れていた。一体、賢者様はどこまで話を聞いていたのだろう。賢者様は必死に頭をめぐらす俺をよそに「一応、一礼くらいはしたんですけど……」と自分の行動を省みて、頭を低くしていっている。

    「お、俺の方こそすみません。賢者様に不愉快な思いをさせてしまって」
    「そんな、ヒースが気にすることじゃないですよ。ある程度、覚悟していたので……」
    「……だけど、傷つかないわけではないでしょう」 

     靴に隠されて見えない靴擦れのように、確かに傷ついて、痛いはずなのに。賢者様は気負いなく笑った。

    「そうですね……。でも、そうやって気遣ってくれるだけで私は十分ですよ。癒えない傷でもありませんし」
    「……俺は、痛かったら痛いって言って欲しいです。今日、賢者様を十分に守れなかった俺が言っていいことじゃないですけど……」
    「……ヒースは優しいですね」

     真正面の賢者様が何か眩しいものを見るように目を細める。それは無力さを痛感している俺を、それ以上追い詰めまいとする慮りの形をとった、そんなことないですよという否定だった。そんな風に言われては俺は何も答えることができず、ただ膝の上で両手を握りしめた。不甲斐なかった。
     会話が途切れて、気まずい沈黙が馬車に満ちる。今更、どこまで会話を聞いていたのか探れる雰囲気でもなくなってしまったが、その機会は唐突に、あまり嬉しくない展開で訪れた。

    「……ヒースは、きっと素敵な旦那さんになりますね」

     それが意味するところが分かって、手足が凍りついたように動かなくなった。布地の揺れる音がする。どうやら、馬車の窓のカーテンを賢者様が手で横に避けたらしい。瞼を持ち上げるように顔を動かすと、向かいに座る賢者様が外を見ていた。払うように持ち上げているカーテンが邪魔で、口元でしか賢者様の表情を伺えない。

    「どういう、意味ですか」

     その意味を、ほとんど確信していたのに俺は訊ねずにはいられなかった。現実だと認めたくない。精彩が急速に褪せていって肉体の感覚が鈍くなっていくのに、心の感覚だけが研ぎ澄まされる。賢者様の言葉一つ一つに敏感に反応して、傷つくのを感じた。

    「……そう思っただけです。いつか、ヒース……クリフも誰かと家庭を持って、幸せになるんだろうなって……。そしたらきっと、もうパートナーになることも、一緒に同じ馬車に乗ることもないんだろうなって」

     少しだけ詰まった声は、後半にいくにつれて流れるように流暢になった。当たり前のように語られる未来や他人行儀な呼び方に、氷の粒を肺いっぱいに詰め込まれたように苦しくなる。
     見えない線を引かれた。明確に拒絶された。そう頭で理解するよりはやく苦しかった。

    「婚約することになったら教えてください。ぜひ、その時は、お祝いを言わせてくださ──」
    「賢者様からの祝いなんて聞きたくありません。俺が、他の人と結ばれることを喜ばないでください」

     賢者様の結びの言葉を遮るように、身を乗り出すと傍に置いてあったクッションが落ちた。もう少しも聞きたくなかった。俺の中にこんな烈しさを生んだ賢者様の口が引き結ばれて、その後、カーテンを握りしめる手に力が入った。美しいベルベットに寄ったしわが賢者と賢者の魔法使いの関係のひび割れを告げる。

    「……どうしてですか?」

     石畳の上を走る車輪の音で、掻き消えてしまいそうな声をなんとか拾い上げる。お願いだから、ほんの少しの間でいいから、世界中の音が消えてくれないだろうかと願いたくなる。だって俺は、もう一音だって賢者様の言葉を聞き逃すわけにはいかない。はやる心臓のままに、言葉をのせる。

    「分からないんですか?本当に?」
    「分かりません……。だって、もしも私の考えと違っていたら私、きっと……もう普通に生きていけません……」

     賢者様が身を縮こまらせる。俺は小さく呪文を唱えると、カーテンを取り去った。ほとんど衝動的な行いだった。驚いて俺の方を振り向いた賢者様の瞳は、星をたたえた海のように濡れてゆらめいている。

    「あなたが好きだと告白しています」

     指先が涙の粒に触れる。涙は下に落ちることもなく、俺の肌に吸い込まれていく。賢者様の瞳の中の俺は、俺自身も今まで見たこともない表情をしていた。必死そうな、辛そうな、懇願するような。たった一人を切望して乞う、一介の恋する男の顔だ。

    「あなたの恐れは俺が取り除きたいし、いつも笑っていてほしい。パートナーも、家庭を持つのも、同じ馬車に乗るのもあなたでなければ駄目なんです」

     賢者様の手の上に、手のひらを重ねる。賢者様は、時が止まったように俺だけを見つめていた。信じられないものを目撃したような無垢な目だった。

    「馬鹿みたいかもしれませんが、この時間がずっと続けばいいと思っています」

     手のひらに力を込める。褪せていた景色も鈍い肉体の感覚も、いつの間にかどこか遠くに過ぎ去って今に全神経が集中している。全てはこの時のために。

    「……私には、夢みたいです」

     晶様が呟くように言った。花が綻んだような笑みに愛しさが溢れかえる。愛しい。何度も心の中で思った言葉なのに、今は全く別のものに生まれ変わったようだった。人生とか今までの概念が、全てひっくりかえってしまうような喜びの衝撃が広がる。
     どちらからともなく恐々と唇を近づいていく。触れ合うと、今までの人生で感じたことのない幸福で、永遠に忘れられない思い出になった。唇が愛しい人の形に合わさるように柔らかく形を変える。俺の唇に晶様の形が、晶様の唇に俺の形が残っていく。少し離れて、元に戻っていく形を惜しむように何度も啄むように口づけを交わす。俺はこっそりと、心の中で呪文を唱えて取り去ったカーテンを元に戻した。
     かわいい人のかわいい姿を月にだって見せたくなかったから。
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