ヒナとえむ ふぅ、とひとつ息を吐き、えむはワンダーランドの木陰で幹に身体を預ける。目の前ではぬいぐるみ達が楽しげに遊んでいて、先程までえむも其処に混じっていた。少し休憩、をしながら彼女はぼんやりとぬいぐるみ達を眺める。司の想いから成るというあのぬいぐるみ達は、幼少期彼がショーをする上で使っていたぬいぐるみが元となっているらしい。そんな彼、ワンダーランドの創造主、天馬司は、この間足を捻ってしまって、えむは大層心配になった、というのが現在頭に浮かぶ一番濃い記憶である。あの後、司は直ぐに家に帰された。ショー練習の最中であったが、痛みで集中できないままやるよりは、まず治すことに尽力してもらった方がいいという類の判断だった。司もこれには納得し、素直に帰っていったのだ。
けどやっぱりあの顔は、司くん、まだショーをやりたそうだった。
「——なにしてるんだ?」
「へっ?!」
えむは肩を揺らし振り向く。突然の声の主は、セカイの住人の一部で司と酷似した見目のひとり、ヒナと呼ばれる少年であった。えむの直ぐ上辺りの枝に寝そべる少年はえむを見下ろして大きな瞳をパチクリとしている。
「ヒナくん! こんにちは! ヒナくんこそ、そんなところでどうしたの?」
「特になにも! 今、暇なんだ。お前も暇潰しか?」
「今は休憩中なの! さっきまではみんなと遊んでたんだ」
ぬいぐるみを指しながら言うと、ヒナは「見てたぞー」とどうでもよさげに言う。
「体の大きさがすっごく違うから、変な風になってたな」
「え?! そ、そうかなあ」
「けど類よりはマシだな!」
「あはは、類くんとってもおっきいもんね!」
ケラ、とヒナが笑う。楽しそうな子供の笑みだ。司本人と比べ幼い、少年じみた笑い方。けれど少し声を潜めていて、枝葉の影となっている其処で長い袖を口元に当てる。上品に見えなくもない仕草だが、やはり子供らしさの残る動きだ。
「……ヒナくん、かくれんぼ中なの?」
「え? 違う。暇って言ったろ」
「あ、そうだった! なんだか、かくれんぼしてるみたいだなーって思って」
えむの言い分にヒナは首を傾げ、ふと上を見上げた。
「……影だから?」
「そうかも! なんだか隠れてるみたいに見えて……」
生い茂る枝葉の中、太枝に体を預ける姿が、見つかってはいけないモノみたいに見えたのだ。
そういえば泣き顔を見たことがないなあ、と何故かえむはふと思う。ヒナは幼い見目をしているが、その幼さに似合わずと言うべきか、意外と涙を見せたことがない。まだ、泣いて大人を困らせていてもおかしくはない年頃のようにも思うのに。
以前、ゲーム機プレゼントの抽選が外れたとかで落ち込んでいた寧々に、ちょっとしたサプライズをヒナと仕掛けた時のことを、えむは思い出した。美味しそうなお菓子を用意して、一緒に考えたワクワクの演出で彼女に渡したのだ。けれどそのお菓子は寧々の苦手な味をしていて、寧々は感謝と謝罪の言葉を述べた。「気持ちは嬉しいんだけど……御免、これ食べれないやつで……」申し訳なさそうな顔をして、よかったら二人で食べてとお菓子を渡された時、ヒナは泣きなんてしなかった。けれど、お菓子を受け取る笑顔が、随分と青ざめていた。元気なく肩を落としていて、寧々と一緒に心配で焦ったりしたのを、えむはよおく覚えている。その後ヒナは直ぐに元気を出して、「次こそいいサプライズをするからな!」とえむに宣言していたが。
……ヒナは、何か悲しいことがあっても、泣いたりしない。落ち込んでも、直ぐに元気になる。きっと強い司くんから生まれたからとっても強いんだな、とえむは思って、でも本当にそれだけかな、とちょっと疑っている。悲しい気持ちを表に出せない時の心を、えむは知っている。もしかして、そういうところは、司くんじゃあなくってあたしに似てたりしないかな、とえむはちょっと疑っている。
生い茂る枝葉の中、太枝に体を預ける姿が、見つかってはいけないモノみたいに見えた。
「——ショー、しないのか?」
「っへ?!」
ヒナを眺めて考えていたえむは、突然の問い掛けに素っ頓狂な声を上げる。変なの、と言いたげな顔をしたヒナは、「暇ならショーしないのか」と再度言った。
「今日はしない日? でもえむも寧々も類もショー好きだろ?」
「え、うん。そうだね。今日は、お昼からやる予定なんだ。寧々ちゃんと類くん、用事があるみたいで。あたしはそれを待ってるの!」
「待ってる間暇だから、彼奴等と遊んでたってこと?」
「そう!」
今日は休日。一日使ってショー練習を行う予定であったが、寧々と類に急用ができたため、えむはワンダーランドで待っているところだった。
「二人ともまだかなー」
「……司は?」
「へ?」
「司は、待ってないの」
枝から見下ろして問い掛けてくる様が、なんだか、責めてくるようにも、悲しそうにも、感じた。
「えっと、司くんは足捻っちゃって。痛くなくなるまでお休みだから、今日もお休みだよ」
「聞いた。けど、そんなに大したのじゃないって司も言ってたぞ」
「念には念を入れてって類くんが。元気になってから楽しくショーしたいもん! 司くんに痛い思い、あたしもしてほしくないよ」
本当は一緒にしたい気持ちもあるけれど、痛みを我慢してまでしてほしいとは思わない。だから今日はお休み、とえむは答える。ヒナは「ふーん」と顔を背け、遠くを見遣った。
「……そんなに頼りないかな」
「っえ」
えむが振り返ると、ヒナは枝から降りているところだった。とんっと着地をし、ヒナは駆け出して、えむの手を掴む。
「行こっ!」
「え、え?! 何処に?!」
「サーカステント! カイトが今日は楽しいショーするって言ってたの思い出したんだ!」
「えっカイトさんのショー?!」
驚きに喜が混じったえむの声に、ヒナは「うんっ」と大きく頷く。
「良いショーを観るのは良いショーを作るのに役立つってクラウンも言ってた!」
「!」
「から、観に行くぞ!」
駆ける二人に「なんだなんだ」とぬいぐるみ達も集まってくる。ヒナがカイトのショーについて話すと、ぬいぐるみ達も燥ぎ出し、みんな揃ってサーカステントまで走っていく。
手を引いて前を走るヒナの背を見て、えむはその小さな手をギュッと握りしめた。なんだか、お兄ちゃんだなあと感じていた。