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    花子。

    @tyanposo_hanako
    絵や文を気分で楽しんでいます。

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    花子。

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    ラストスパート
    絶対書きたかったシーンのうちのひとつです。

    アルビレオの離別⑥-2パァン! 何かが破裂するような音が扉を越えて日和の耳をつんざく。日常では聞くはずの無い音、中で一体何が起きたか考えられる選択肢はそう多くない。即座にタッチパネルに飛び付き扉の解錠を試みるが、何度やっても弾かれてしまう。許可した人間以外は入れないようにロックがかけられているようだ。
    「……くっ!」
    焦りのあまり、日和はらしくもなく乱暴に壁に拳を叩き付ける。無事コロニーに帰還できたからと油断した。まさか大佐が一枚噛んでいて、それも直々に始末しに来るとは。このままでは最悪の場合……。
    (ジュンくんが死んじゃう……っ! 何か方法は……そうだ)
    ハッとして日和はポケットから携帯端末を取り出すと、『何かあればこちらに』と言われていた茨の番号に電話をかける。茨はこのコロニーの副所長だ、施設のロックに対して何かしらの特権を持っていてもおかしくない。数コールもしないうちに応答した茨に向かって叫ぶように状況を伝える
    「茨ッ! 執務室のロックを開けられる!? 中で銃声が……!」
    「……! チッ、やはり…!」
    唐突な報せだったはずだが、茨は既に状況を把握しているような口ぶりだ。それにどういうわけか走って移動しているらしく、荒い息遣いと、他にも複数人の足音が聞こえていた。
    「話は後です! 今そちらへ向かっています、一分もかかりませんので、扉から離れていてください!」
    それだけを言ってブツンと電話が切られた。日和が言われたとおり数歩後ずさって扉から距離を取ると、宣言通り数十秒もせずに茨と凪砂、そして茨の配下たちが十名ほど臨戦態勢でゾロゾロと駆けてくる。
    茨はそのままの勢いで日和の前を通り過ぎ、副所長権限で所持しているマスターキーをパネルに叩きつけロックを強制解除すると、自動で扉が開くと同時に執務室内へ突入し、銃を手にしている大佐の死角に一瞬の内に飛び込んだ。
    「ッ、七種……!? グアッ!」
    不意を突かれて隙を見せた大佐の脚を払って転倒させると銃を遠くへ蹴り飛ばす。硬質ゴム性の簡易拘束具で両手首を締め上げてもなお暴れ回る巨体の鳩尾に拳を一つ捻じ込み、ようやく動きが鈍った大佐を茨の私兵たちが総員で床に押さえつけた。
    「ゲホッ、な、何故ここに……!」
    「諦めてください、たった今、貴方の部下が全て白状しました。ここ半年の間に起きた一連の事件の黒幕は貴方ですね」
    「……クソ、あの役立たず共が。……あぁ、その通りだ」
     大佐は憎々しげに茨を睨みつけながらも罪を認めた。普段なら経験も体格も勝る大佐相手にこうは上手くいかなかっただろうが……大佐は完全に気が緩んでいた。執務室に滑り込んだ一瞬、大佐が床を見つめて勝ち誇ったような笑みを浮かべていたのを茨は見逃していなかった。
    「ジュンくん……っ!」
    「ジュン……!」
    その場所はちょうど茨の背後。私兵たちの後に続いて執務室に入った日和と凪砂は、床に仰向けに倒れ込んでいるジュンの元へ駆け寄った。
    「っ、ジュン、くん……ジュンくん……!」
    手で胸元を押さえ、瞼を閉じているジュンの姿に日和はザッと青ざめる。
    ……撃たれた。
    ドクドクと心臓が破裂しそうなほどに暴れまわり、息が酷く乱れる。ほとんど膝から崩れ落ちるように傍に寄り添うと、縋るようにジュンの手を握りながら震える声で呼びかけた。
    「しっかりしてジュンくんっ、ねぇ、嘘でしょう……っ、ジュンくん!」
    「……っ、ぅ」
    「ジュンくん……っ!」
    「……日和くん、待って。少し落ち着いて」
    「し、止血……早く止血をしないと……っ! 医療班にも連絡を……っ」
    「だい、じょうぶ……っす」
    「ジュンくん……っ、無理に喋らなくていいね……っ! ぼくが絶対に助けるから、だから……っ」
    「おひいさんってば」
    「……え? あ、あれっ?」
    動揺する日和をよそに、目を開けたジュンは真っ直ぐ日和を見つめながら案外にあっさり上半身を起こしてみせた。状況が飲み込めず唖然とする日和の隣で凪砂が膝をつき、日和の背に手を添えて宥めるようにゆっくりとさする。
    「……落ち着いて。……大丈夫。日和くん、よく見て」
    日和が言われるがままにジュンの撃たれたと思しき胸元へと視線を落とすと、ジュンは日和に握られたままの手をそっと退かす。パイロットスーツは確かに破れて端が焦げてはいるけれど。
    ……血は、一滴も出ていない。
    「……どういう、こと」
    「オレも何が起こったのかよくわからなくて、つい放心しちまってたんですけど……どうやら助かったみたいっすねぇ。ほら、こいつのおかげで」
     唖然としている日和に見せつけるように、ジュンはパイロットスーツの前をはだけさせ手を差し入れる。すると聞こえるシャラリとかすかな金属音。細い鎖を指で引っ張りあげると、その先には以前にも見たことのある、けれど真新しい弾痕の付いた直径わずか5センチほどのひしゃげたロケットペンダントがぶら下がっていた。
    「は……」
    「っへへ。運も実力の内、ってやつっすかねぇ〜」
    「………………」
    「……あの、おひいさん……」
    「……よかった……っ」
    「……」
    いつもなら呑気に放たれた質の悪い軽口を叱り飛ばすところだけれど、日和はたった一言だけ絞り出すように呟くとジュンの背に腕を回し、力無く肩口に顔を埋めた。
    ……永遠に、失ってしまうかと。
    心臓が確かに脈を打つ音を感じて深く息を吐き出せば、震えの止まらない日和の身体をジュンもおずおずと抱き返す。
    「……すみません、心配かけちまって。オレは無事ですから。ほら、立てます?」
    「……うん」
    支え合いながら立ち上がる二人の姿をチラリと確認した茨は、這いつくばったままの大佐を見下ろし口角を上げた。
    「詰めが甘かったようですね」
    「……チッ」
    「ジュンを呼び出したのはここで始末するためだったというわけですか。……思えば、捕らえた反逆者共はユニットも年齢もバラバラでしたが全員が玲明出身者でした。おまけにEveの他には一切被害が無かった。片翼である我らAdamにすらです。……理事長の立場を利用し、玲明関係者を煽動して、初めからEveだけを狙っていましたね?」
    「……惜しいな。正確に言えば狙ったのはEveじゃあない。そいつが……漣が邪魔だったんだ」
    「……オレ?」
    大佐の口から飛び出した思いもよらない名。ジュンは目を丸くして大佐を見やり、茨は困惑から半笑いの表情を浮かべた。
    「は、ご冗談を……ジュンがコズプロ上層部にとって一体なんの脅威になるって言うんです?」
    「七種、自分の持つ武器の威力くらいは正確に把握しておくことだな」
    「……」
    「最近の玲明生は質が落ちた。……あぁ、仕事の腕の話ではない。以前と比べて随分と扱いづらくなってしまった。無駄な正義感や使命感に溢れ、プライドが高く、希望に満ち溢れている。何故かわかるかね。……非特待生から這い上がってきた異例の存在がいたからさ」
    「……まさかそんな馬鹿げた理由で?」
    「充分すぎる理由だよ。玲明の特待生制度は都合が良かったんだ。それなのに……『非特待生の希望の星』、ね。まったく、奴隷共に余計な夢を見せてくれたものだ。そんなのがいてもらっては困るんだ……父親と同じように単なる駒でいれば良かったものを……!」
    「……腐り切っていますね」
     茨は軽蔑を込めて吐き捨てる。優秀なパイロットを選出しつつ、溢れた者は永遠に働きアリとして使い潰す……そんな旧体制を維持するために、大佐を筆頭としたコズプロ上層部が陰からジュンの抹殺を試みた。それが事件の真相だったというわけだ。
    ギリッと音が聞こえそうな程に歯軋りをしている大佐の視線には、強い憎しみや恨みが込められていた。日和は庇うようにジュンを抱き寄せると、大佐から背を向けるよう促す。
    「ジュンくん、出よう。あんな言葉に耳を貸す必要はないね」
    「……気にしません。それに、必要ですよ。オレが聞かなきゃ駄目でしょう」
    「もう……」
    しかし、ジュンはやんわりと首を横に振った。わざわざ悪意に晒されなくとも、後から報告を聞けば良いものを。
    日和は呆れて肩を竦めるとジュンに寄り添ったまま視線だけを大佐に戻した。まだ茨による尋問は続いている。
    「では、殿下の機体にまで爆弾が仕掛けられていたのもジュンを確実に仕留めるために?」
    「あぁ、保険だった。勿論いずれは全員始末するつもりだったがね、まずは一番の柱である漣を潰すことに総力を注いだ。秘密裏に新型の時限爆弾を開発させ、非特待生を唆しEveを撃たせる……計画は成功したよ」
    「ここまでは、ですけどね」
    「あぁそうさ……漣が爆死すれば上々、巴が死ぬことで漣が戦意を失ってくれればそれでも良かった。だが……漣は生き延びたうえに希望を失わない、それどころか巴もこうして生きている……! 誤算だったよ、貴様らがここまでしぶといとはな……初めから私が直々に手を下していれば、こんなことには……!」
    よほど目障りで仕方がなかったのだろう。ジュンも、ジュンを後生大事に抱えている日和のことも、Edenのことも。惨めに這いつくばりながらも吐き出される罵詈雑言、負け惜しみだとわかっていてもジュンは反論せずにはいられなかった。
    「たとえ大佐が相手だったとしても、絶対に負けませんでしたよ。あんたらみたいな連中になんか死んでも屈しません」
    「貴様……」
    「オレたちは星になる。あんたの言ったような意味じゃなくて……この宇宙で一番のユニットに。」
    「運が良かっただけの癖に、図に乗るな小僧。……言っておくが、これで終わったと思うなら大間違いだ」
    「上等ですよぉ、どれだけ残党が残っていようが一匹残らずブチのめしてやります」
    「フ……、フハハハ……果たして本当にできるかな」
    「……は?」
    その直後、ドォォンと近くで大きな爆発音がした。惑星全体を揺らすような地響きに倒れないよう支え合いながら慌てふためく一同を、大佐だけが愉快そうに笑みを浮かべて見上げていた。
    「な、何だ……!?」
    「君たちならよく知っているだろう。Eveの機体に仕掛けたものと同じ時限爆弾だ。誤動作を防ぐ為に、発動までの時間は多少長く設定していたがね」
    「……っ! まずい……!」
    それを聞くや否や、大佐の処理は配下たちに任せて四人は執務室を飛び出した。大佐の下卑た高笑いを背に受けながら廊下を駆ける。
    してやられた。やけにペラペラと真相を語ってくれたわけだ、あれは時間稼ぎだったらしい。センサーを仕込んだ大佐の身体に強い衝撃が加わるような事態が起こった際……つまり大佐が制圧された際に作動する罠。大佐は最後の最後まで……悪事が暴かれたその先まで見越して綿密に計画を練っていた。
    その矛先はつい先ほど四人が降り立ったメインドーム。窓の外、黒煙が立ちのぼっているのは戦艦の発着場辺りだろうか。廊下を駆け抜けながら、茨は状況を確認すべく携帯端末でメインドームの管理者へ連絡を入れた。幸い通信は生きているのかすぐに通話が繋がる。
    「七種です! 被害状況はッ!?」
    「か、確認中です……っ! 爆発地点は発着場……
    爆風で周辺の居住ドームの崩壊と、負傷者も多数見られます! 空気の浄化システムも一部停止しているようです! それから、反逆者と思わしき軍勢が停泊中のアウェイクニング・ミスへ攻撃を仕掛けています! 現在動けるパイロット達で応戦していますが、数が多すぎます……!」
    「チィッ……! すぐに周辺住民の避難を! 負傷者の救護とシステムの復旧も急いでください。自分もすぐに援軍と共に反逆者の制圧に向かいます! 現場の指揮は貴方に任せましたよ!」
    「了解!」
    被害が甚大だ。既に崩壊したドームには有毒の空気が入り込んでいるはずだ。浄化が間に合わなければ多くの犠牲者が出てしまう。罪の無いコロニーの住人達が巻き込まれようとも、なりふり構わずとにかくEdenを弱体化させようという魂胆だろう。
    アウェイクニング・ミスが破壊されればEdenの戦力は大幅にダウンし、しばらくは再起不能となってしまう。おまけにEve機爆破事件の失敗に学んでか、爆破するだけでなく確実に仕留めるために動いている。交戦が激化する前になんとか食い止めなければ。
    「Eveのお二人! 緊急事態ですので休暇前にもう一仕事だけお願いします。ジュン、残党の相手……やれますね?」
    「当たり前ですよぉ〜っ! ここでオレがやらなきゃどうすんだ!」
    ジュンの返事に茨はフッと息だけで笑った。無用の心配だ。それならば、と遠慮なく事態収束のための指示を出す。
    「ジェネシスはアウェイクニング・ミスに詰まれたままです、AdamとEveに別れて出撃しましょう。トラップ・フォー・ユーは現在初期化されていますので、改めて二人でアンサンブルシステムとの同期を」
    「……私たちが先行して、できる限り反乱を抑えるよ。日和くん、ジュン。二人とも無理だけはしないで」
    「うん、ありがとう凪砂くん。同期ができたらぼくらもすぐに向かうね。その間、Adamはなんとしてでも艦とコロニーを守って!」
    「アイ・アイ!」
    発着場から少し離れた機体整備場に到着し二手に別れる。中ではもうすでに茨からの連絡を受けて保管庫からトラップ・フォー・ユーが二機揃って運び出されている最中だった。一つは日和がいつか帰艦すると信じて用意していた新しい装甲で、脳であるコックピットが戻ってくれば動く仕組みだ。
    まだ少し時間がかかるらしい、準備ができるまでの間に搭乗用のパイロットスーツに着替えておく。更衣室の中でジュンはアイボリーとライムグリーンのEve専用スーツを日和に手渡し、自分も同じスーツに袖を通すと、今まで着ていたスーツの焼けついた穴をなんとなく内側に隠すように畳んでロッカーに放り込む。
    こうしている間にも現場では激しい戦いが繰り広げられている。Adamはもう出撃した頃だろうか。仕方がないこととはいえ、今すぐに向かえないことが焦ったい。
    「……」
    「……えいっ」
    「いって! ちょっとおひいさん!」
    つい黙りこくってしまっていると、不意に横から日和の手が伸びてきてジュンの胸元の少し赤くなった箇所を指で突く。先刻、銃弾を跳ね返したロケットペンダントが強く肌を弾いた痕だ。
    なんてことをしてくれる、明日には痣になるかもしれない。ジュンは痕を手で隠しながらジトリと日和を睨む。
    「なんすかいきなり……っ」
    「ジュンくんがこわぁい顔をしているから、気を紛らわせてあげたんだね! 気負い過ぎても悪影響しかないね。勢いで飛び出してきちゃったし、調子が悪いなら今のうちに出撃は取りやめちゃった方がいいね」
    「……そりゃあご心配をおかけしましたねぇ〜っ。けどオレはやれます。おひいさんこそ、またいつ頭痛が起こるかわかりませんよね。同期さえしてくれれば、オレ一人に任せて休んでたっていいんすよぉ〜?」
    「おや、そんな生意気を言うのはどのお口? きみのこの間の酷ぉ〜い操縦を忘れたとは言わせないね。まだまだぼくが付いていてあげなきゃ駄目みたいだから、手を貸してあげる」
    「GODDAMN……!」
    「あはは! せっかく助かったんだから。生きて帰ろうね、一緒に」
    カラカラと笑いながら日和はジュンの素肌に揺れるロケットペンダントに手を伸ばした。鎖に指を引っかけロケットを握るように弄び始めたのを見て、ジュンはやんわりと取り返すと日和の手が届かないように鎖の許す限り遠ざけた。
    「あぁもう、勝手に触らないでくださいよ。……さっきから何なんです? やけに気にしてきますよねぇ」
    「だぁって。このぼくがジュンくんのピンチに颯爽と駆けつけたっていうのに、これのおかげできみはピンピンしてるんだもん。拍子抜けしちゃったし手柄を取られたみたいでなんだか悔しいね!」
    「ええ……? なんか色々と違くありません? 珍しく慌ててさ……ちゃんと真剣っぽく心配してくれてたじゃないっすか。『ぼくが絶対に助けるから』って。結構嬉しかったのにさぁ〜?」
    「あぁごめんごめん、これは多分もう癖だね。きみとはもっとちゃんと共有しなきゃって話したんだったね」
    「……はい?」
    「あのね、こうやっておどけて茶化すくらいしないと、自分が情けなくてやってられないの」
    今、更衣室には二人しかいないけれど、日和はジュンに身を寄せて誰にも聞かれないようにこっそりと耳元で打ち明けた。およそ日和の口から出るとは思えない言葉だ。ジュンは目を丸くして顔を上げると、日和は眉尻を下げて苦笑していた。
    「ジュンくんが撃たれた瞬間に、ぼくは隣にいなかった。もしこのロケットが無かったら、駆け付けた時にはきみは……」
    「……」
    「たらればの話なんてしたくなかったけどね。助かったのならそれでいいはずなのに、ぼくはねジュンくん、ぼくが傍にいながらきみをむざむざ危険な目に遭わせてしまったことが悔しくてたまらないんだね」
    「そ……、」
    そんなもの、日和が悔しがる必要なんて。
    けれどジュンにも身に覚えのある感情であったため、否定することは憚られた。
    見えているのに手が届かない。半身が捥がれる痛み。何もできなかった自分への失望。ジュンを喪いかけて、日和もようやく理解した。
    「……ちょっとはオレの気持ちもわかってもらえました?」
    「そうだね。……それ、着けていて良かったね。ジュンくんは本当に運が良いね……」
    そう呟きながら日和はコツンと頭を寄せる。目を閉じ、しばらくじっと堪えていたが、ふるりと睫毛が震えて一筋の透明な雫が日和の頬を流れ落ちていった。
    ……できれば全てが無事に終わった後に、落ち着いてから改めて伝えようと思っていたのだが。
    日和が打ち明けてくれたのだから、ジュンも応えるべきだろう。永遠に伝える機会を逃す可能性をジュンはもう知っている。それに、太陽を翳らせる雲は早めに晴らしておかなければ。
    「……な〜に言ってんすかこのアホ貴族。ここは『ぼくのおかげで助かって良かったね! この未熟者め!』って、恩着せがましく言いながら笑い飛ばすところでしょ」
    「……え?」
    「さっきはああ言いましたけど……オレが助かったのは運なんかじゃねぇですよ」
    ジュンは日和の脇腹を肘で軽く小突きながら、それまで頑なに遠ざけていたロケットを日和の前に差し出して見せた。
    日和は瞼を持ち上げて、まだ潤んだ目でジュンの顔とひしゃげて焦げ付いたロケットとを交互に見る。日和は察しの良い人間だ。それだけで、ジュンが言葉を口に出す前にハッと息を呑んで目を見開いた。
    「これ……もしかして、ぼくが?」
    「はい。忘れちまってますけど、あんたが贈ってくれたんですよ、お守りにしろって。オレが今こうやって生きてるのは、おひいさんのおかげです」
    ジュンは側面のボタンを押してロケットの蓋を開ける。歪んだせいでスムーズにはいかなかったが、一度だけ引っかかった後にパカッと開いて現れたそれを、日和はジュンの手ごと包み込んで食い入るように見つめた。
    まっ先に目に入るのは一枚の写真。初めから入れられていた日和の自撮りは外したが、代わりにとEveの写真を入れていた。ブラッディ・メアリを抱えて満遍の笑みを浮かべている日和が、まだぎこちなく固い表情のジュンに寄り添っている、在りし日の平和なひと時。
    その反対側、蓋の裏には刻印がある。これも日和が初めから入れていたものだ。『For Jun, From Hiyori.』、孤独に生きてきたジュンがいつでも日和の存在を感じられるようにと。
     日和のジュンへの想いが、確かにジュンの命を守った。このロケットがそれを証明してくれていた。
    「……ふ、あは。……流石はぼくだね……」
     日和に笑顔が戻ったのを見て、ジュンは胸を撫で下ろした。
    さぁ、そろそろ機体の準備も終わる頃だ。日和の支度はとっくに終わっていた。必要だったのは心の整理だけ。それももう大丈夫だろう。ロケットを閉じてスーツのフロントファスナーを上まで引き上げながら胸元に大切にしまい込む。
    「行きましょう。……大丈夫です、オレはもう飛べる。全員ぶっ倒して、帰ってきましょう」
    「……ふふん、少しは良い顔になったね」
    「そっくりそのままお返ししますよぉ〜」
    いつもの調子で軽口を叩き合いながら更衣室を出る。静かで閉じていた部屋の外は既に戦場だ。何十人ものエンジニア達が険しい表情で走り回っている。
     予想通りちょうど搬入が終わり二体並べて置かれているトラップ・フォー・ユーを仰ぎ見る。感慨深さはあるが、浸っている時間はない。同期はコックピットの中で行う。それに合わせて記憶の無い日和に操縦室を解説しなければ、と二人一緒に乗り込もうとしたところを、エンジニアに呼び止められた。
    「漣さん! 漣さんもご自身の機体で待機してください。何か人手が必要なら……」
    「いえ、ちょっと確認しときたいことがあるだけなんですぐに戻ります。どこも逼迫してますし、オレたちでやりますよ」
    「っ、では……」
     内心はそう言ってもらえて助かったのだろう、急いで自身の仕事に戻っていったエンジニアを見送って、二人は目を合わせて小さく笑い合う。
    「ふふ、上手く言えるようになったね」
    「何も知らない人間と二人にはさせらんねぇでしょ。……今日は一緒に乗れねえし、今のうちにわかんねぇことがあれば聞いてください」
     ワイヤーを使って背中まで昇り、コックピット内部の操縦席に日和を腰掛けさせたジュンは、以前の内装と間違いなく変わりないことを確認する。これなら万が一の時は通信で指示が出せる。
    それに日和のことだ、もしかしたら身体が覚えてるかもしれないし、一部を除けば先日乗ったジェネシスとほぼ同じ仕様なのであまり心配はしていなかった。
    「どれどれ……うん、大丈夫そうだね」
     日和は機体の電源を入れると、思った通り難なくスタンバイを完了させた。モニターやレバーなど一通りの配置を確かめ、そして……気付いた。肘置きの先端、Eve機にのみ取り付けられたとある機能に。
    「あれ、なぁにこのボタン。確かジェネシスには無かったね?」
    「……そう、っすね」
    「……なんだろうね。なんだか、すごく、」
     その途端、ボタンに添えた日和の指が震え出す。記憶が無くとも、体が恐怖を、悲しみを覚えていた。
    (やっぱり怖かったんじゃないっすか……!)
     見ていられずにジュンは操縦席の横に膝をつくと、手を重ねて静かに日和の腕をボタンから引き離す。震えの止まらない手を握り込んで摩ったり揉み込んだり、不器用ながらにとにかく日和を安心させようと思いつく限りのことをした。
    「おひいさん、押さなくていいっすよ、それはもう……もういいんです、もう二度と使うことは無いですから。オレが絶対に使わせません。だから……っ、」
    エンジンがかかっていない状態でボタンを押しても、テストと判断されて通知音が鳴るだけであることを知っていた。ジュンも以前、そうして音だけを聞いたのだから。
    けれど……押してほしくない。聞きたくない。平常心を装っていても声が不自然に震えた。そんなジュンの様子を見て、かえって日和は冷静に考えを巡らせていた。
    (可能性があるなら何でも試してみようって言ってくれたのに、何か……よほどの理由があるはず。ぼくの身体がこんなに震えているのだって……あはは、今にも涙が出そう。ぼくもね、押したくないって思ってる。だけどこんなにぼくを愛してくれている子をぼくは思い出さなきゃ。だから、どれだけ怖くてもぼくはこれを押してみなきゃいけないね)
     深く息を吸い込んで、吐く。
    「ジュンくん」
    「……、」
    名前を呼ぶだけで充分だった。ジュンはしばしの逡巡ののち、無言で握る手を緩める。
    日和の指が、スイッチを深く押し込んだ。
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    Replies from the creator

    花子。

    PROGRESSジュンブラ 個人誌の人魚パロひよジュン小説です!
    網にかかって水揚げされちゃった人魚のジュンくんが苦労しながら陸のカフェでバイトする話。おひいさんはお客さん。
    この話だけちょっとキナ臭いんですけど、あとはほのぼのゆるゆるうっすらラブコメになると思います。
    ようこそマーメイドカフェテリア(仮)◆採れたて新鮮海藻サラダ

    「しゃーせー……ランチどーっすか」
    「ごめんね、悪いけど間に合って……、えっ?」
    レンガ敷きの街中を軽やかな足取りで散歩していた日和は、突如かけられた声の方へチラリと目を向けて、そして思わず足を止めた。
    日和はこの街を治める一族の子息だ、毎日なにかと多忙なのである。つまらない事に時間を使うつもりは無いし、ランチならこの後お気に入りのカフェでとる予定を立てているので、ただの客引きであったなら軽くあしらって通り過ぎるつもりだったのに。そこにいたのは『ただの』客引きではなかった。
    庭のある煉瓦造りの小さな一軒家を改築して造られたカフェテリア、それをぐるりと囲むレッドロビンの生垣の途切れた入口に、それはそれは大きな木製のワイン樽がある。人間一人がスッポリと入る程のサイズ感、実際、声の主であろう濃紺の髪色をした青年の何もまとっていない上半身が覗いている。それから……日の光を受けてキラキラと鱗が煌めく魚の尾びれも。
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