眠れぬ夜は デュナンの砦の割と夜遅く、考えたい事や考えたくもない事がたくさんで、なかなか寝付けぬ軍主カインは1人砦の中を散歩する。
本当は外を歩きたいのだけど、軍師にそんな事をするなら10人くらい護衛をつけますよと、鬼の形相で言われてしまい仕方無く、広い砦の中を散歩している。
人がどんどん増えて来るので、しょっちゅう改装改築増築をして、慣れるまではちょっとだけ探検気分で楽しい。
昼間は子供たちの楽しそうな声がするし、夜は夜で夜型の人、交代勤務で夜勤で守備をする人、ここには本当にたくさんの人々が集うようになった、
戦時下だし戦争の被害を受けた人たちもいるから 単純に良くは無いけど、それでも雨風を防ぎ、暖かい食事と風呂を提供出来るのは良かったと思っている。
石造りの廊下を歩いていて、なんとなく目線をあげると日向の様な蜂蜜色が目に入った。
こんな所で、こんな所に、こんな時間に
トランの大統領閣下の息子シーナが、1人廊下の先を歩いていた。
トランの宿舎はこちらでは無く、もちろん店や酒場や舞台があるわけでも無い。ここはただの文官達用に割り当てられた居住区だ。
不思議に思い目で追えば、ひとつの部屋の前でまるで自室の様に鍵を開け、全く躊躇なくその部屋に入っていった。
は
そこ違うよね??
そこ、アップルさんの私室だよ…ね??
なんで鍵持って
え?え
思考が止まる。
なんて言うかコレ踏み込んだら 絶対ダメな気がすると言うか、思考はグルグルとよろしくない想像力が働いて袋小路に入ってしまって…
「あれー?どーしたのカイン。迷子になっちゃった」
そろそろ泣きそうになっていた所を 姉の声に救われた。
「この辺増築工事終わったばっかりだもんねー、ちょっと待っててね、アップルちゃんにお届け物したら 一緒に部屋に帰ろー」
そうしてガチャリ、とナナミはノックもなしに部屋に突っ込んだ。
「ダメだろっナナミ、人様のお部屋はノックしないとっ」
部屋の中を想像し、大惨事を予想し慌てて姉を止めようと自分も飛び込んで。
けれど、そこには良い香りのお茶を2人で飲んでくつろぐ シーナさんとアップルさんがいた。
「ありがとーアップルちゃん、この本面白かったー。またおすすめあったら教えてねー」
そう言ってナナミが取り出したのは、少し小さい子向けの本。最近来たばかりの子供達にナナミが読み聞かせていた本だ。
「昔トランの教室で小さい子に読んであげてた本だから 文字に興味を持つきっかけに良いわよ、この本」
楽しそうに語らう女の子2人の姿を なんだか気が抜けた様に見ていると、ふいに シーナさんが口の端だけわずかにあげて、ニヤリっとこっちを見た。
「俺とアップルが、なんかいかがわしい事でもしてると思ったかカイン」
女の子達にはギリギリ聞こえない様声音を絞り、何やら楽しそうな顔をする。
――図星、だった。
だってこんな夜更けに
たった1人で女の人の部屋に
鍵だってっ!なんで持ってるのさ
「どしたの?カイン顔赤いよ」
急に振り返ったナナミが心配そうに顔を覗き込んで来た。
「なんでも、ない…」
言える訳が無い、言えるハズが無い。
飛び込んで行ったナナミの目前で、この2人が睦みあっていたらどーしようって思っていたなんて、絶対言える訳無いじゃないかっ!!
恨むよこんな知識吹き込んだ、熊をはじめに幾人もの傭兵隊のおじさん達。
顔に体温が集中して、僕は果たして今どんな顔をしてるのやら…
「働きすぎで熱でも出たんじゃねーの」
ニヤニヤと大体分かってますよと言わんばかりにシーナさんがツッコミを入れると、ナナミが大変っと大慌てで腕を引っ張って
「カインをホウアン先生とこ連れて行くわ、また明日ね、アップルちゃん」
「違う、待って。大丈夫だから なんともないから 腕はなして肩抜けちゃうからっちょっとナナミーっ」
理由は非常に説明しにくいし、むしろ言う訳には行かないのだけど、こうなったナナミには全く話をきいてもらえないし通じない。
さて、後僕に出来る事はと言えば、ホウアン先生の所に着くまでに 肩が外れぬ事を天に祈るだけだった。
シーナさんとアップルさん、仲良しなのはわかってたんだし、見ないふりして知らぬ顔して通り過ぎれば良かったなあ…と今更だけど思った。
「カインさん大丈夫かしら」
「大丈夫だろ、過保護なお姉ちゃんついてんだから。それより茶の味どうよ」
あんまり眠れないとアップルがこぼしていたのは、先日のトラン行きの前。カインのやつの護衛に引っ張りだされたのを良い事に、実家の母に相談すると 数種のブレンド違いのハーブティーを渡された。
効くのがあれば取りに来なさい。と、たまには顔を見せろと言う訳だ。
「こっちのがカモマイル多くて好きかも」
「じゃ、次それ買ってくるわ」
「アイリーンさんの選ぶお茶は美味しいから 嬉しいわ。手間をかけちゃって申し訳無いけれど」
「そう思うなら たまには顔見せてやってよ、喜ぶからさ」
トランは遠い、今は、遠い。
戦時下だから なおの事。
困った様に眉を寄せ、曖昧に笑うアップルの脳裏に浮かぶはセイカの庵の事だろうか
「さてと、夜も遅いし俺も部屋戻るわ」
名残惜しくも腰を上げ、彼女の鳶色の髪にサラリと触れる。
残れるなら 残っていいなら 朝まで残って居たいけどなと本音交えて茶化したならば、その名のままに頬を染め上げ、馬鹿じゃないのと顔を見事に背けられた。
「あ、そういえばシーナ。いい加減鍵返しなさいよ」
「アップルがトラン宿舎の執務室で眠り込んだ時、俺の私室に連れ込んでいいなら返すけど」
「そんな事滅多にしないじゃないっ!そりゃ何回かは…眠っちゃったけど…」
「まあいいじゃんどうせ合鍵なんだし」
自室の鍵とアップルの部屋の鍵、2本を組み紐でまとめた物をシーナはポケットからチャラりと出すと指に絡めて握り込む。
「御守なんだ、ちゃんと此処に戻って来られる様な気がしてさ。だから もうちょっと貸しといてよ」
少し寂しげな笑みで答えれば、アップルがそれ以上何も言えずに口を噤んでしまうのは、前の戦争の時から知っている。
二度と帰らぬ人を待つ辛さを 彼女はまだ思い出にはしていないだろうから。
「大丈夫だよ、誰にも持ってる事は言わないし言うつもりもないからさ」
まあカインのやつには見られた様だけど、あの様子じゃ口外は出来ないだろうし口止めは可能だろう。
もっとも、口止めなんか絶対してやらないけどね。