忘れられないひとがいる。
燃え盛る火の中へ飛び込んで、幼い自分を抱き上げてくれた腕。「もう大丈夫だよ」と柔らかな声をかけてくれた、優しい眼差しのひと。気持ちがいいと思った。その腕の中は今まで味わったことのないほど幸せなゆりかごのようで、無意識のうちに安心して眠ってしまったのだ。
そして次に起きた時、その人はいなかった。
「あれから10年か」
当時、悟は8歳だった。自分以外の人間すべてザコ、視線を向けられることすら不快だったその時期。家を抜け出した先で見つけた空き家に忍び込み、探索しているうちにいつの間にか火に囲まれていて。賞金目当てのザコが放火したのだろうが、悟にそんな方法が通用するはずもなく。ひとつの怪我もなくその場をあとにしようとした、その時。飛び込んできたのだ。ずぶ濡れの男が一人、必死の形相で。『無事でよかった。もう大丈夫だよ』そんな言葉をかけて、唖然と見つめるだけの悟を大事そうに抱きかかえ倒壊する空き家を飛び出した。煙が充満するそこで、彼から香るのは爽やかで落ち着く匂いだった。
19467