時つ風 どこかの街の、どこかの仄暗い部屋の中。
シンとしたその世界では誰かが寝返りを打つような布と布が擦れる音と定期的な呼吸音だけが聞こえる。そして部屋には何故かこんもりとした山が鎮座していた。
その少し不思議な、穏やかに静まり返った世界で突然、ドアノブが勝手に回れば扉が音もなく開いたではないか。
何が入ってきたのかとその姿をみればそれは人間のようで、人間ではなかった。
その身体は幼い子供のように小さいけれど、顔立ちはどこか大人びており、どこか浮世離れしていてアンバランスだ。さらに目を引くのは鋭い牙と爪、まるで大蛇を思わせるかのような輝く鱗に覆われた尻尾に、頭には立派な角が2本生えていた。
その全ての特徴を言い表すならば空想上の生き物『龍』、その一言に尽きるだろう。
実際、彼はその名の通り龍神であった。
そんな龍神はふよふよと空中に漂いながら部屋へと入ってくれば、こんもりと盛り上がった山……ではなく布団へと近づいていき、その顔をムッと歪める。そしてその山に向かって息を吸い込むと、勢いよく火を吹くかのようにさらに大きく口を開けた。
「起きろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ‼️‼️ 類のねぼすけ〜〜〜〜‼️‼️‼️」
その声はまるでこの街に響き渡るほどの落雷のような大きな声があの小さな龍神から放たれたのだが、世界は何事もないかのように進んでいた。実際普通の人間には龍神の声は聞こえない。だが、普通の人間以外である近くにいた動物たちとその布団を根城にしていたねぼすけ以外はその大音量に思わず飛び上がらざるを得なかった。
*
「類、弁明はあるか?」
「……恥ずかしながら思い浮かばないよ、司くん」
ビタンビタンとなにかが叩きつけられるような音。
その音は目の前で仁王立ちしている龍神の尻尾が強く床を叩いていた音だ。まるで不機嫌な猫のような仕草にに思わず類も笑みが零れてしまいそうになるが、怒られている手前なのでなんと我慢する。
「昨日、お前はオレに明日から早く起きると誓ったではないか‼️ そのために昨日の夕飯に出された野菜をこっそりと、こっそりと貢物として食べてやったというのにッ‼️ にっ、苦手なあの青唐辛子すら食べてやったんだぞ⁉️⁉️」
「いやあ、昨日思ったより作業が捗ってしまってねえ……。でもほら見てごらんよ司くん。これは君のために作った、司くんの有難い言葉を印刷して空から撒くための獅子舞型のドローンでね、ここのボタンを押すと獅子舞の口から様々な司くんの言葉が口から溢れ出すんだ‼️」
「……ほぅ、それは興味深い……じゃなーーい‼️‼️ 話をそらすな‼️ 類、龍神のオレを前に不敬だぞ‼️」
そう、ドスドスと強く地団駄を踏みながら指を突きつける龍神──司と類の出会いは数年前に遡る。
たまたま1人でショーを行っていた帰り道、ふと道端に隠れているかのように壊れかけの祠を見つけたのだ。屋根もなくなり中身がむき出しボロボロになってしまって、今にも崩れ落ちて消えてしまいそうなその祠に、どこか物悲しさを感じた類は、丁寧にその祠の御神体と思われる豪華な装飾を施された鏡を綺麗なハンカチで包み、簡易的な祠をつくるために一度家に持ちかえることにしたのだ。そして夜なべして作り上げた小さな祠に御神体の鏡を戻し、眠気に逆らえずに眠り落ちた類が夢から目覚めれば、こちらをじっと見つめる美しい琥珀色の瞳と目が合った、という訳だ。
その後、龍神は司と名乗り、それ以降類が作り直してくれたこの祠が気に入ったとして類の家にずっと居候している。実際は居候というよりは、猫のように悠々自適に類の傍で過ごしていたり、時折散歩と称して類の芸事について行って行ったり、少し幼さが残る表情をコロコロと変えながら類の絡繰を褒めてくれたりしているのでペットのような、いや家族のような大切な存在なのかもしれない。そんなことを言うと不敬だ!と怒るだろうけど。
あと他にも司は類の元にいるのには訳があるが、それは一度省略しよう。今重要なことはそんな愛おしい龍神様のご機嫌を直してあげることが先決だ。
「ごめんね司くん。お詫びとはなんだけど、この間美味しそうな団子屋さんを見つけたんだ。是非これから一緒にいかないかい?」
「……! フ、フン! 別に団子如きでオレの機嫌がよくなるわけなかろう!」
「……そうかい、残念だよ……。珍しい組み合わせの三色団子や美味しいと評判の小豆団子を司くんと一緒に食べることが出来たら思い出にもなるし、きっと美味しいだろうなと思ったんだけれどね。仕方ない。今から僕1人で買ってくるから司くんは待ってておくれ」
類は少ししょんぼりとした顔をしたまま部屋から出ていこうとすると、司は「ま、待て!」と類の服を引っ張る。
「い、行かないとは、行ってないだろう……」
そう少し恥ずかしそうに呟く神様の姿に(チョロくてかわいいなあ……)と心の中で思う類であった。
***
「はい、司くん。熱いから気をつけてね」
「うむ!」
あれからお出かけすることがやはり嬉しかったすっかりご機嫌になった司は、空中でフワフワと漂ったまま嬉しそうに類から三色団子を受け取った。そしてその大きな口でパクリと食べてみれば、紫の紫芋味、緑の抹茶味、桃色の桜味とそれぞれの色と味がとても美味しかったのか、「ん〜〜‼️」と声を漏らしながら噛み締めていた。そんな司にまたもう1本団子を差し出しつつ、類も小豆団子を一口味わってみると、もちっとした団子の食感に甘すぎない小豆の味が広がり、思わずその美味しさに笑顔が綻ぶ。
「類! これ、美味しいな‼️ また食べたい‼️」
「フフ、そうだね。僕も想像以上に美味しかったよ。あとで両親にも買っていってあげようかな」
「オレの分も頼むぞ!」
「もちろんだよ」
そう言って寒空の下だが、人気のない小さな公園ほっこりと温まる世界で2人仲良く団子を食べていると、ふと司がピクリとその耳を動かしたかと思えば、遠くを見つめるその表情は先程とは打って変わって真剣そのものだ。
「む……。類、アイツが出た」
「おや、せっかくの2人の楽しいおやつの時間だというのにねえ。まあ食後の運動には丁度いいかもしれないかな」
類はどこか不敵に笑うと、手に持った団子をペロリと食べ切る。どこか先程まで穏やかだった風が少しずつその強さを増し、ぶわりと強い風が2人を包む。
類は司に対し軽く跪くように手を差し出せば、司はその類の人差し指をかぷりと噛み、少しだけ赤い血が指先から伝った。
そして類の血が滲む舌で、神詞を唱える。
「我が名は司。龍神の血盟をもって、神の力をその身に降とす許可を与える」
すると、2人を包む風が少しづつ強くなれば、まるで竜巻のように渦を巻き、類の姿を見えなくしてしまったではないか。だが次の瞬間、その竜巻は『キン……!』という軽やかな金属音が聞こえたと同時に真っ二つに切り裂かれ消滅した。
そして、そこには何事も無かったかのように佇む、今どきには珍しい、白い羽織と青色が所々に映えた、黒地の和装を着こなす類であった。その手には少し日が落ちた太陽を反射し煌めく一本の刀が握られている。類は慣れた様子で納刀すれば、芝居がかった動きで司の手を取る。
「では、ケガレ退治といこうか。僕の神様?」
「ああ、頼りにしてるぞ類」
その言葉と共に2人は再び吹き荒れた風に乗り、気づけばその姿は消えていたのだった。