六日越しの男近頃のハドラー様は、お怪我が絶えない。
そう思っているのはオレだけじゃない、他のみんなも気付いているはずだ。それなのに、あのアルビナスでさえ心配のお声がけひとつしない。
それが、オレにはなんとも不思議だった。
「ヒム、これから見回りに行く。留守を任せた」
「はっ」
週に一度の、いつもと変わらない命令。
あらかじめ用意しておいた外套をお出しして、見送るため城門まで随伴する。その際に嫌でも目に入る、太陽のない暗い空もだいぶ見慣れたものだ。
大魔王バーン亡き後、ハドラー様が魔界に居を移してから、もう三ヶ月になる。
アバンの使徒たちとは宥和したものの、今さら地上に居場所などあるまいとハドラー様はおっしゃったが、一度は敵対していたはずのアバンの使徒たちとなぜ戦うのをやめたのか、その肝心のところを聞くことはできなかった。
「それから、バランに言伝を頼む」
「はい」
「いつもの切り立った崖の下。そう言えば分かるはずだ」
そう言って飛び去るハドラー様に一礼すると、顔を上げる頃にはもう見えなくなっていた。
バランというのは、かつてハドラー様の部下だった男だ。今はもう部下ではなく、敵でもなく、かといって友人というわけでもないらしい。オレが分かっているのは、その男はもうハドラー様にとって目上でも目下でもないという事――だから、オレたちもバラン様と呼ぶことになっている――と、ハドラー様の見回りを手伝うために毎週決まった時間に現れる。その二つだけだった。
◇
その男は、いつもよりだいぶ遅れてやってきた。
すでに何者かと一戦交えてきたのか、剣は血に濡れ、服は乱れている。魔界には血に飢えた奴が多いから、こんなことは特に珍しくもない。ただ、その日はいつもと違うものが目についた。
「ハドラーはどこにいる」
客として応じるオレに、すかさず男が聞いてくる。
「いつもの切り立った崖の下、と仰っていました」
「なるほど」
「……あの」
そう聞いてすぐ踵を返そうとするその男に、思い切って呼びかけてみた。無言で見返るその威圧感に、少したじろぎながら言葉を続ける。
「ひとつ、お聞きしても」
「……なんだ」
「見回りのお仕事は、それほど危険なのですか」
「なぜそう思う」
「おふたりとも、いつもお怪我を」
そう言ってオレは自分の首元を指さした。ちょうどその男が着ている服の、襟が外れてわずかに見える首の付け根の辺り。
「……あ」
そこに付いた歯の噛み跡に気付くと、その男はハッとした様子で襟元を締めた。
ちらっと見ただけだが、あれはかなり大きい歯型だ。人間か、あるいはそれ以上……それこそ、ちょうどハドラー様くらいの獣に噛みつかれなければあんな跡にはならない。
確か先日、ふとした折にハドラー様の肩を見た時にもあれくらいの噛み跡があった。
ハドラー様といい、この男といい、これほど屈強な男の懐に入って急所に一撃噛みつけるような獣に、オレはまだ出くわしたことがない。
「お前は、確かヒムといったな」
なぜか男は、少しばつが悪そうに視線を落とした。戦いの傷は男の勲章のようなものだと聞くが、この男にとっては違うのだろうか。
「ハドラーが心配なのか」
「オレでよければ、お力になりたいんです」
足手まといでも、盾代わりくらいにはなれる。そもそもオレたちは、ハドラー様のために作られた駒だ。なのに見回り程度の仕事でお怪我をさせていることが歯がゆくて仕方ない。
男はしばしオレの目をまっすぐ見ると、ふ、と笑ってみせた。
「ハドラーは良い息子を持ったようだな」
「……は」
「心意気だけ受け取っておこう」
そう言うと男は改めて踵を返し、城門へ向かった。扉をくぐろうとするその時にふと足を止め、顔だけがこちらを振り返る。
「ヒム、近いうち改めて挨拶をさせてもらう。それまで気になる事は、どうか忘れておいてくれ」
それは、この男にしてはずいぶん下手に出た言い方だった。まるで何か隠しているような、後ろめたいことでもあるような、そんなを感じたが、それが何なのかは知るよしもなかった。