2021.12.11「不死身の長兄」web拍手お礼画面⑧ カールには、世界有数の蔵書数を誇る、壮大な王立図書館があった。
王宮から続く広大な庭の中の小径を歩いていくと、しばらくして、その図書館に着く。そこは、カールの王族や、国家の要職の人間だけではなく、許可さえ下りれば、民間の学者や研究者も立ち入りを許されていた。
その「知の共有」が、この国を強国たらしめた要因の一つなのであろう。
かつては、ジニュアール家の歴代当主も、この王立図書館に足繫く通っていたそうだ。
庭の小径の先に見えた王立図書館の建物は、王宮と異なって、全体的に直線的構造であり、三角形の屋根とその正面のレリーフが印象的だった。そこには、知恵の神を意味する梟のシルエットをかたどった彫刻が掲げられていた。
この日、非番であったヒュンケルは、図書館の閲覧室で、書庫から借り出した本のページを開いていた。
司書が言うには、女王フローラの成婚以来、この図書館の蔵書が飛躍的に増えているそうだ。そのため、整理が追い付かないとぼやいていた。
その原因に、強い心当たりのあるヒュンケルとしては、なんだか申し訳ない気持ちになった。
閲覧室には、大きな窓が設けられ、外の日の光を内部にふんだんに取り込む作りになっていた。明るい日差しが差し込む閲覧室で、さらに、樫の木のデスクの上には、ランプが置かれていた。
細かい文字に目を通すのに必要だからと、司書が、ランプに火をともしてくれた。昼間から油を使うことに、なんとなく抵抗を感じるのは、旅暮らしが長かったせいだろうか。
魔王軍では貴族同然の生活であったにもかかわらず、ヒュンケルは、いまとなっては、すっかり一般庶民の暮らしが板についていた。
この日、閲覧室には、人が少なかった。数人、ちらほらと、本を手に出入りしていた者がいたが、すぐに部屋を出ていったり、書庫に入って行ったりしていた。
静寂が保たれた閲覧室で、ヒュンケルは、文字を追うことに没頭していた。
だから、気付かなかったのだ。彼に近づいてくる気配があったことに。
戦いの中で過ごしてきた彼にしては、珍しいことだった。
「熱心ですね。」
急に聞き慣れた声が頭の上から降ってきて、ヒュンケルは驚いて顔をあげた。
見ると、デスクのすぐ横に、穏やかな笑みをたたえたこの国の王配殿下が立っていた。
ヒュンケルは、呟いた。
「先生。」
公式には、「殿下」と呼ぶべきその人を、二人のときには、彼は、以前の呼び名で呼んでいた。アバンもそれに満足している様子で、この時も、穏やかに微笑んでいた。
「熱心だなと思って後ろから見ていましたが・・・意外ですね。
これは、魔導書、ですか?」
「ええ。」
ヒュンケルはうなずいた。もちろん、彼は、魔法は使えない。
「俺には魔法は使えません。ですが、魔法を知らなければ、それに対抗することもできません。使えないからこそ、知る必要があると思っています。
それに単純に興味深いですね。」
「ほう。」
「魔界にいた頃、化学や生物学を学んだことはありました。魔族の間では、そういった分野の学問は、おそらく地上よりも進んでいたのでしょう。
それと比較すると、理解が深まります。
炎ひとつとっても、メラの炎も、火薬で火花を起こし燃やす炎も、燃え方は同じのようですね。ただ、火の起こり方が違う。」
アバンは、一番弟子の言葉に頷きながら聞いていた。
「よく理解していますね。素晴らしいです。
興味を持つというのは、学問では最も大事なことだと思いますよ。」
「貴方にカール騎士団の一角を任されている以上、魔法に対抗できません、では務まりません。」
「仕事熱心ですね。」
アバンは苦笑した。
すると、ヒュンケルは話題を変えた。
「もっとも、破邪呪文はよくわかりません。」
「ほう。」
「ほかの呪文は、回復呪文も含めて、原理がありますし、それが化学や生物学につながっているので、理解しやすい。
ですが、破邪呪文だけは、よくわからない。」
「系統の違う呪文ですからね。」
アバンは、相槌を打った。
ヒュンケルは、アバンに尋ねた。
「大破邪呪文のことは、知っていたんですか?」
「概要だけですけどね。
特殊な力のある石で五芒星を作ると、強大な破邪呪文が使える、という程度です。
『特殊な力のある石』ということで、フローラが、輝聖石を使うことを思い付いたのでしょうね。」
「大破邪呪文には、5つの心の力が必要だと聞きました。
先生、まさか、あなたは、いつかこの呪文が必要になると思って、その5つの心の力に対応する者にあの卒業のしるしを授けていたんですか?」
ヒュンケルにはそれが不思議だった。まるで、誂えたかのように、大破邪呪文に必要な5つの心の力。それを持った5人が、たまたまアバンのしるしを受け取っていた、そんな偶然があり得るのか、と。
すると、アバンは、こともなげに答えた。
「そんなわけないじゃないですか。」
ヒュンケルは、いぶかし気に眉をひそめた。
「・・・それでは、どういうことだったんです。
女王は、俺たち5人に、5つの心の力があると、だからこそ、大破邪呪文は、俺たち5人でなければできないとおっしゃっていましたが。」
すると、アバンは、とうとうと語り始めた。
「だってですよ、ヒュンケル、あなたは知らないかもしれませんが、私が卒業のしるしを渡したときには、ポップなんかまだまだ半人前でしてね。
あの頃のあの子は、ちょっと難しい課題を与えるとすぐに修行から逃げてしまいましたし、強いモンスターや試合の相手が来たら、逃げ出していましたからね。
あの頃からメラゾーマが使えて、高い魔法力の片鱗はありましたが、まだまだ。
それが、あなた、私が駆けつけたときには、あの子が『勇気の使徒』と言われていたんですよ。びっくりしましたよ。
でも、なにより、嬉しかったですよね・・・。私がいなくても、ここまで成長してきたんだって思うと、ね。」
ポップの過去は、ヒュンケルも聞いたことがあったが、ぴんと来ていなかった。ポップが、ダイを見捨てて逃げたとか、ダイを助けるのを渋ってマァムに殴られたとか、ヒュンケルの知っているポップからは想像もできなかった。
それがアバンの口からも同様のことが語られ、ヒュンケルは理解に苦しんだ。
ヒュンケルが混乱していると、アバンは、ヒュンケルに視線を合わせ、穏やかに微笑んだ。
「私の書いた本を一番読んでくれたのは、あなただったそうですね。クロコダインに聞きました。」
ヒュンケルは、アバンから視線を逸らした。そして、照れ隠しに、精いっぱいの言い訳をした。
「・・・槍を学びたかったので。」
「私の本にも、5つの力のことは書きました。
そこも、読んでくれましたか?」
「はい。」
フローラが大破邪呪文を知ったテランの古文書に、5つの魂の力のことは記されていた。
しかし、アバンの記した「アバンの書」にも、奇しくも、同じことが書かれていたのだ。
「あれは、私が、この世界を導く人に持っていてほしい心の力として書いたものです。」
アバンは、続けた。
「魔王ハドラーとの戦いの後、崩壊した秩序の元で、私は、新しい価値観の構築を試みていました。
モンスターも魔族も人間も、この地上に生きる者が等しく手を取り合える世界を目指すべきだと、私はそう思っていました。
そして、そのような世界にたどり着くために、この世界の導き手が必要だと思ったんです。
そのような人に持っていてほしい力として、私は、あの5つの心を書きました。」
アバンは、遠くを見るような目をして、語りつづけた。
「正しい志を掲げ、その道を歩む『正義』、強大な敵や困難を恐れない『勇気』、厳しい道であっても折れない『闘志』、すべての生きる者に対する『慈愛』、そして、地上に生きるすべての命に対する差別なき『純粋な心』。
この世界を導く人には、これを持っていてほしい。そう思って書きました。」
ヒュンケルは、アバンの言葉を聞きながら、胸に下げたアバンのしるしに沿って手を添えた。
それは、彼の服の下に隠されており、表からは見えなかったが、彼がいつもアバンのしるしを首元に忍ばせていることは、アバンもよく知っていた。
アバンは、そのヒュンケルの指先を見て、微笑んだ。
「私はね、あなたたちにあの卒業のしるしを渡したとき、この子たちは、何らかの形で人々を導く立場になると感じていました。そうなってほしい、と。それが結果的に、あの大破邪呪文につながったのかもしれません。」
だが、アバンは、何か考えたような顔をすると、すぐに言いなおした。
「・・・ちょっと気取った言い方過ぎましたね。
いえ、もっと単純な話です。
私は、あなたたちが好きだったんです。
私が惹かれた4人に、私は、卒業のしるしを渡した。
それだけです。」
そして、また、言葉をつづけた。
「フローラも同じですね。
フローラは、レオナ姫に惹かれた。だから、私がフローラに渡した輝聖石をレオナ姫に渡したのでしょうね。」
フローラから見たら、アバンの渡した輝聖石は、彼の形見だったはずだった。少なくとも、あの当時は。
それを、世界のためとはいえ、手放したのだから、その姿勢には感服するというほかなかった。
「私が渡した卒業のしるしは、あなたたちに渡したときから、あなたたち4人に対応するようになりました。フローラからあの石を受け取ったレオナ姫も同じです。
だから、あなたたちの心に反応して、強く光ったんです。」
ヒュンケルは、初めて、この石の光をはっきりと見た、処刑場の風景を思い出した。きっと、気付かなかっただけで、アバンのしるしは、それまでもずっと、彼の心に呼応して、光り続けていたのだろう。
「あの5つの心の力は、いずれも、一つだけ持っていれば足りるというものではありません。そのどれもが、持っていてほしいと願うものです。
あなたたち5人は、みんな、あの5つの力はすべて持っていましたよ。
だから、大邪呪文が発動したんです。
あなたたちは、その5つの力の中で、それぞれもっとも目を引く力の名で、象徴的にそう呼ばれているに過ぎません。」
そして、アバンは、ヒュンケルをまっすぐ見つめ、語り掛けた。
「ヒュンケル、あなたの中にあるのは闘志だけではない。それはもう、よくわかっているでしょう?」
ヒュンケルは言葉に詰まった。
「正義も、勇気も、純粋さも、すべてあなたの中にある。
もちろん、慈愛も。」
迷いのない、アバンの言葉が響いた。
「あなたがヒムを助けたと聞いて、私は嬉しかったんです。
あなたは小さい頃から優しい子でしたが、その気持ちを表面に出すことがうまくできなかった。
でも、あれだけバルトスさんに大事に育てられたあなたなんですから、いずれ、その優しさも愛情も、うまく表現できるようになると思っていました。」
ようやく、ヒュンケルは、言葉を絞り出した。
「・・・俺に、慈愛の心があるのなら、それはすべて、人から与えられたものにすぎません。」
誰に、とは言えなかった。
だが、アバンにはわかっていたようだった。
「バルトスさんだけじゃない。彼には遠く及びませんが、私も、あなたを大事に思っていましたよ。
もちろん、きっと、マァムも。」
ヒュンケルは視線を逸らした。何も言葉を返せなかった。
「あなたがヒムを助けたのは、あなた自身の心の動きです。
教えられたものでも、与えられたものでも、いまは、その慈愛の心は、あなたの中にある。あなたのものとしてね。」
ヒュンケルの右手の下で、アバンのしるしがほのかにぬくもりを伝えてきた。
5人のアバンの使徒が持つとされた、5つの魂の力。
だが、そのいずれもが、彼ら5人の中にある。
それぞれの、心の中に。
ヒュンケルは、笑みを浮かべ、アバンを見上げた。
「それで、何の用だったんです?」
アバンは、いま思い出したような顔をした。
「そうそう。
お茶のお誘いに来たんですよ。スコーンを焼いたんです。ご一緒にどうですか?」
すると、ヒュンケルはそっけなく答えた。
「俺は、今日は非番です。
それに、今、きりが悪いんですが。」
「なら、ちょうどいいところまで待ってますよ。
あなた、熱いお茶、苦手でしょう?
ちょうどいいところまで読み終わったら、中庭まで来てくださいね。あなたの分も用意しておきますから。」
それだけ言うと、アバンは、閲覧室から出ていった。
相も変わらずマイペースの師に、ヒュンケルは、やれやれとため息をついた。
仕方ない、この章が終わったら行くか。
腹をくくったヒュンケルは、そっと、読みかけの魔導書にしおりを挟んだ。